青い梅の果肉に孕んだ毒を紡いだ静謐な文章のにおいに誘われて気付けば読み終えていました。無垢な罪も、残酷さも、善悪も、きれぎれな心も。人間の感情、という些細なものなど慮ることなく、世界は、季節は淡々と流れていきます。それらは別に人間の感情の都合で動かないものなのに、ひとは勝手に世界を都合よく解釈して、過ぎ去った時を、あの頃は良かった、という空虚な言葉に当て嵌めます。
本作には、そんな甘い逃げを許さない犯した罪の葛藤が描かれているように思いました。呼び方ひとつさえも繋がれた枷となるそれに揺さぶられる感情は、愛への呪詛にしか感じられぬひたむきな愛を、絶望の果てにしか見えぬ希望を抱いた時に似ているのかもしれません。読むのが下手な私は多分どこかを読み違えているような気もして、レビューを書くのにためらいもあったのですが、ただひとつだけ確かなことがあって、私はこの作品が好きです。
早熟な青い春の青春は、時に微笑み、時に怒り、時に悲しみ、そして忘れられる。
この物語の登場人物たちは、ある意味大きな事件のお陰で大人の階段を登れたのではないでしょうか。
たとえ、傷つき、取り返しのつかないことだったとしても。
幼馴染と親友の恋は、決して早すぎたものではなかったと思います。早すぎたのは、「逃げる」ことを選択してしまったことだけ。
青春、朱夏、白秋、玄冬――。
その中でも、やはり青春の魔力は大きいですよね。
活力は溢れているのに、地面が脆すぎるから転んでばかりです。
繊細な心を持つキャラクターたちを、これまた繊細な描写で描かれたこの作品は、まさしく青春そのものでした。
素敵な物語をありがとうございました。
にぎた
中学2年の春。目の前で幼馴染が友人に行った愛の告白。
早春を告げる梅の如く先走ったかのような周囲の流れに置いてゆかれる主人公の採った選択とは――
誰もが通過する、大人でもあり子供でもあり、大人であることを求められ、子供であることを求められるはざまのとき。
その揺れ幅の差はひとりひとりでおおきく違い、彼の描く波紋は彼女の描く波紋とは速度も大きさも異なってしまう。
良く知っていたはずの友人たちが発する様々な波紋。その波に共鳴できるまでになる時間はおろか、消化する時間すら与えられずに奏でられてしまう、くるおしく、不器用で、それでいてどこか美しい模様を思わせるお話でした。
あのころの痛々しさを思い出したい方はぜひ。
そして、このお話の美しいことばに感じ入った方は、是非、作者様の他のお話にも目を通して下さい。ふと気づくでしょう。綺麗な言葉に彩られた早梅だとかレーズンだとかお前いいかげんにしろよ、という思いに。