第八話  秘密の裏メニュー

 目の前にいるのは間違いなくハシビロコウだ。

 子どもの頃、この眼光に射すくめられて以来トラウマになった、あの不気味な鳥がきつい眼差しで風涙ふうるを睨んでいる。


「――お客さん。ご注文は?」


 頭にタオルを巻いたハシビロコウが眉間みけんに皺を寄せた。


「あ、あの……。ここって……」


 すっかり混乱した風涙はその場に立ちすくんだ。



 ――大将がちょっと変わっててね。



 するとそのとき、風涙の横から至極のんびりとした声がかかった。


「大将。目がこわいよおー」


「そうだよおー。お客さんを睨んじゃダメだよおー」


「そうだよおー。接客業は笑顔だよおー」


 並んでカウンター席からこちらに顔を向けているのは、見間違いでなければ四頭のカピバラだった。


「すいませんね、どうも。勘弁してくださいよ」


 ひょいと肩をすくめたハシビロコウは、黄ばんだお品書きを突きだした。

 その愛想笑いは心底恐しく、風涙は空いた丸イスにへなへなと腰を降ろした。


「ここはねえ、醤油が美味しいですよおー」


 隣のカピバラが愛想良く話しかけてきた。するとその向こうの一頭が首を振った。


「でもねえー、味噌も美味しいんですよおー」


「そうだねえー」


「まようよねえー」


「餃子も美味しいけどねえー」


「セットはお得ですよおー」


 代わる代わるしゃべる四頭のカピバラの前には、湯気を上げるラーメンと餃子の皿が並んでいる。


「あ、ありがとうございます」


 風涙はカピバラたちにお礼を言い、数回深呼吸を繰り返してからやっと顔を上げると、痺れを切らした店主のクチバシが目の前に迫っていた。


「あの、えっと……」 声がうわずる。


「すいません。醤油ラーメンと焼き餃子……」


「へい! 醤油セットね! 少々お待ちを!」


 ハシビロコウが、かぶせ気味に復唱した。


「あ、あと、すいません。これを――」


 震える指で雪ノ下の名刺を差し出すと、ハシビロコウが首を斜めに傾げた。


「ああ? なんだって?」


「ひいっ! ごめんなさい!」


 息を引いた風涙は身を縮めた。するとカピバラがまた声を揃えた。


「大将ぉー、顔がこわいよおー」


「はいよ! まったく、うるっせえなあ……」


 ハシビロコウはクチバシで名刺を受け取ると、声に出してメモを読んだ。


「ええと? ラーメン一筋縄大将様 裏メニューで何卒宜しく。雪ノ下より。――おい、おねいさん。あんた、雪ノ下の知り合いかい。それならそうと早く言いなよ!」


「はいっ! ごめんなさい!」


「謝るこっちゃねえよ。万事承知だ! ――おい、パン屋! もう一個イスを出すから、おまえら少し詰めろ!」


「はーい」 「はーい」


 カピバラたちがぎゅうぎゅうと壁ぎわに寄り添った。


「え?」


 風涙一人が茫然とする。 


「なんだ、聞いてねえのかい? うちの秘密の裏メニューってのはな……」


 そのときカラリと引き戸が開いて、新しい客が入ってきた。

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