第七話  ラーメン一筋縄

 金曜日。坂道の上からあの鰹出汁の匂いが漂ってきた。


ゆきしたさんの言った通りだわ!」


 風涙ふうるは夢中で坂を駆けあがった。

 ラーメンの匂いは濃厚だった。醤油や味噌やネギの香りまで嗅ぎわけられる。これなら地図など見ずに目的地まで辿り着けそうだ。

 風涙は曲がり角ごとに立ち止まり、匂いの流れてくる方角を確かめては、鼻を頼りに突き進んだ。


 しかし最後の路地の突きあたりで、白い柵が行く手を阻んだ。

 1メートル足らずの高さの木製の柵の向こうには、カーキ色に塗られたコンクリートの外壁がそびえている。柵と建物との狭苦しい隙間には去年の枯れ草が風になびいていた。


「なにこれ」


 すっかりしょげた風涙の視界の片隅で、ヒラヒラと何かが揺れた。


「なにあれ」


 枯れ草になかば埋もれるような低い位置に、カーキ色の外壁に紛れるような利休りきゅうねずみ色の暖簾のれんが下がっている。

 その奧には黒い小さな格子戸があった。茶室のにじり口よりは大きいが、普通の大人なら背を屈めないと入れない。


「あった!」


 最近は凝った造作の隠れ家風の店も多いから、きっとここもそんな店なのだろう。

 嬉しさに舞いあがった風涙は、無地の暖簾にも妙に小さな入り口にも疑問を覚えなかった。だから――。


 風涙は、ひょいと柵をまたぎ越えた。

 背を屈めて暖簾をくぐり、その格子戸を開けたのだ。


 それが異界の扉とも知らずに。



「えい。らっしゃい!」


 間髪を入れずに、いなせな声が風涙を迎えた。


 照明がいささか暗めな店内に、ラーメンの湯気が籠もって霞んでいる。

 カウンター席だけの狭い店だったが、一番手前の席だけが空いている。

 お揃いのもっさりとしたファーコートを着た一団が、いかにも旨そうに音を立ててラーメンをすすっていた。


 油染みた壁には、肉太の筆文字で『ラーメン 一筋縄ひとすじなわ』と大書してあった。


「ご注文は?」


 カウンターの中から、灰色の大きな鳥が太くて黄色いクチバシを突きだした。


 風涙の頭からすべてが吹っ飛んだ。

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