第三話  絵を見に来ませんか

「わたくし、ゆきしたと申します」


 和装青年はふところから名刺入れを出した。



   夕焼けセラピー

 

   セラピスト  ゆきした ひそか



 風涙はその肩書きに目を奪われる。


「この <夕焼けセラピー> って、なんですか?」


「うちはメンタルセラピーなんです。カウンセリングルームにちょいとした夕焼けの絵が飾ってありましてね。その絵を眺めるとくつろげると好評なんです。なんて自画自賛ですけれども……」


 雪ノ下は照れ臭そうに語尾を濁したが、風涙の脳裏にはいくつかの名画が浮かぶ。


「モネですか? ミレー? 平山郁夫?」


「ああ、絵がお好きなんですね」


 雪ノ下は同好の士を得たと言わんばかりに目を輝かせる。


「ええ。休みにはよく美術館に行きます」


 風涙もちょっぴり嬉しくなる。


「そうでしたか。いや、名も無い素人画家の作品ですなんですけどね、とてもいい絵なんですよ。宜しければ、今から御覧になりませんか。すぐ近くなので。――あ、これって営業じゃないですよ」


 ふっと頬笑んだ雪ノ下は、黒織部から珈琲を啜った。


「ありがとうございます。でもどうして……?」


 風涙には嬉しい誘いだったが、初対面の相手とあって気恥ずかしさを覚える。

 すると青年は機嫌の良い猫のように目を細めた。


「気晴らしにどうかなと思いまして――。こういう商売なものですから、つい、顔見知りの方の顔色が気になってしまって」


 ふいをつかれて風涙は目を伏せる。胸がトクンと音を立てた。

 わたし、そんなに疲れた顔をしていたのかな。


「ああっ! すみません。余計なお世話でしたよね」


 青年の項垂うなだれるほどの落ち込みように、風涙は驚いて首を振った。


「いいえ。ありがとうございます。ご親切に。あの……、ぜひ拝見させてください」


 その台詞を聞くや、ポンと顔を上げた雪ノ下がそれは嬉しげに笑った。


「よかった! 実はヒマで困ってたんです。ここのところ予約が空っぽで!」


 その笑顔につられて風涙も笑ってしまった。


「――申し遅れました。わたし、舘花たちばな風涙ふうると申します」


 受け取った名刺に目を落として、雪ノ下はやわらかく頷いた。


「舘花さん。風に涙と書くんですね。きれいだな。花びらのようですね」


「ありがとうございます」


 風涙は頬を染めた。その人に褒められた名前が嬉しかった。

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