終曲
終曲
『****。さあ、手伝ってちょうだい』
出所不明記録を発見。消去するべきか否か。
選択、続行すべきと判断。破損はあれど重要度高。
記録の回想。
笑顔を浮かべる女性。詳細な記録はなし、しかし味方であると判断。
外見、金髪、青眼。20代後半。態度から親しい存在であると類推。
前
『え、なあに? 自分は
笑声。当時の回答、否定を唱える。
『あなたは、私の弟……ううん、子供みたいなものだわ。だからいいの。これからは男の子でも料理ができなきゃいけない時代よ。いっぱい教えてあげる』
理解不能。
手を握られる。困惑。
『スコーンを作るときはね、冷たい手が良いのよ。そして、冷たい手の人は、心が温かいの。だからきっとあなたが一番おいしく作れるわ』
体表の温冷と心に因果関係はなし。
女性の反応、困惑。否哀惜。
『あなたに人間になれ、なんて言わないわ。私とあなたは違うもの。でもねお父様はあなたにそんなことをしてしまったけれど、あなたにだって心はあった。私はいつか、あなたの大事な人ができたときに、大事にしてあげられるように学んで欲しいの』
記録の己の行動。
否定。
さらに回答。自分は彼女の守護のために作られた機体。彼女以上に重要度の高いものはないと主張。
彼女からの返答、微笑。
『ほらやっぱり。本当の
現在も不明。しかし――……
想起。
澄み渡るような、貫く声。
記録とは異なる金茶の髪、晴天の青の瞳。若く、もろく、まっすぐな少女。
『――それをね、愛と呼ぶのよ』
*
”探掘組合より連名で出された、政府公認探掘隊に対する告発は諸兄らの記憶に新しいだろう。
公認探掘隊とは名ばかり、裏ではバーシェ国内で禁止されている児童労働を強制し、さらには遺跡を私物化し、凄惨な実験を繰り返していたのだ。
すでに何十人もの児童が死亡しており、その事実を知ったウォースター第3探掘組合長が政府という強大な存在に屈さず、正義の心をもって告発した行動は賞賛に値する。
救い出された児童達は療育院で手厚い保護を受けているもよう。
告発された研究所の責任者オズワルド・バセット市民院議員は、この責任を取って議員の職を辞した。
また、凄惨な実験を繰り返していた研究所長、アルーフ・グレンヴィルは告発前夜に逃走したものと推察され、現在も行方不明。
昨日深夜、バーシェ東北上空を飛行していた巨竜型自律兵器は、グレンヴィルの陽動だったと思われる。
なお、巨竜型を撃墜させた飛行型
「……っだってさ。お前については言及なし。ひとまずは安心ってことだろうな」
あの長い夜から数日後の早朝。
紅茶のマグカップを傾けながら、ムジカは新聞を眺めていた。
滅多に買わないがつい気になり、街頭の呼び売りから購入したのだ。
あれからファリン達は全員無事に遺跡を脱出し、探掘組合の詰め所へと駆け込んだらしい。
統括役ウォースターがすでに現場へ話を通してくれていたおかげで素早くことは動いたが、巨竜型の登場で大混乱に陥った。
巨竜型が放った熱光線は遺跡を半壊させており、状況確認は困難を極めたが、実験室や製造された
しかしながら、バーシェの
だがそれに関して統括役は全く未練はないようだ。
「ウォースターさんもアコギだよな、
統括役が独り言として漏らしてくれた話だと、バーシェ政府は、バセットが大規模な
あの崩落の中でも無事だったバセットは、本来ならば拘束され死刑になるはずだったが、唯一正確に情報を持っている重要人物として尋問を受けているらしい。生涯牢から出ることはないだろうと聞いて、ムジカは複雑な気分だった。
ムジカの下に警察が来ていないということは、バセットはムジカとラスのことを漏らしていないのだろう。
それが不思議で、ただ政治ごとは面倒だと改めて思ったものだ。
「ファリンも地道に稼ぐことにしたらしいし、あたしも
巨竜型が遺跡内で暴れたことで第4第5探掘坑の一部が崩壊し大損害を被ったが、巨竜型が空けた穴が新たな探掘坑として整備されることなり、熟練の
バーシェ政府や帝国探掘隊への糾弾は冷めないが、同時に久々の好景気に活性化していた。
保護されたファリンをはじめとする子供たちは療育院にひきとられたが、結局何人かは脱走したらしい。自分で稼ぐ手段を持っている子供にとっては、退屈極まりない場所だったようだ。
ファリンが、数日前から一緒に捕まっていた子供たちと共にハムサンドの販売を再開していたのには感心してしまったものだ。
ともあれアルーフ達を取り逃がしたことは悔いが残るが、ラスの正体が明るみにならなかったことを喜ぶべきだろう。
「ムジカ、朝食ができました」
「って言うか何作ってたんだ」
台所で作業をしていたラスがようやくこちらを向き、ムジカは畳んだ新聞を無造作にテーブルに置いた。小麦が焼ける良いにおいが気になっていたのだ。
ラスが差し出した皿には、こんがりと黄金色に焼けたスコーンが盛られていた。丁寧に丸く整形され、側面に亀裂が走るほど膨らんだそれは、見るからに食欲をそそる。ベリーのジャムはもちろん、クリームがかった色合いのクロデットクリームまで添えられていた。
ありていに言えばものすごくまともな品に、ムジカはまじまじとラスを見た。
「お前、よく作れたな」
「以前供給した夕食は大変不評でしたので、確実なものを用意しました」
「くそまずいって言ったの、気にしてたんだな……」
ムジカは苦笑するしかない。
以前ラスがムジカの栄養事情を改善するために行った料理は、見た目は大変良かったものの味が最悪にまずかったのだ。高濃度のエーテルのなかに放り込まれたような気分だった、とムジカは反芻する。
それでもめげずに作ったのだからこれは口をつけねばならないだろう、と覚悟を決めたムジカはまだ湯気の立つスコーンを手に取った。
厚みにフォークを刺して、半分に割れば蒸気がふわりと立ち上る。
クロデットクリームとジャムをのせて一口頬張れば、ほろりと口の中でほどけ、小麦粉とミルクの甘い香りが広がった。
「うんまっ! なんだこれめちゃくちゃうめえっ。そこらの店で買うのよりずっとうまいじゃないかっ」
「ありがとうございます」
空腹なことと相まって次々に手を伸ばすムジカの眼前に座ったラスは、どことなく得意げに思える。そのような表情をしても許されるおいしさがそこにはあった。
「こんなうまいレシピ、一体誰から教わったんだ?」
夢中で食べながらもふと気になって訊ねれば、ラスはゆっくりと瞬きをする。
「該当する記録がありません。が
その答えにムジカは驚いて、スコーンをかじる手を止める。
あの夜にも似たようなことがあった。
「もしかしてお前、前のこと思い出しかけてるんじゃないか? 前の
すでに本人の意思に関係なくどうこうする気がないとはいえ、ラスが制作された経緯が気にならない訳ではない。
「わかりません。ただ……」
ムジカが身を乗り出して問いかければ、ラスは自分の球体関節の手に目を落としていた。
「ただ、スコーンを作るときは冷たい手が良いのだと。教えられた気がします」
うつむいているせいか、ラスは迷子になってしまったような、寂しさが見えるような気がした。
この自律兵器がどのような経緯をたどってあの場所で眠っていたのかムジカには分からない。ラスが思い出さない限り、これから分かることもないだろう。だが、この人形が過ごしてきた月日は、本人が忘れていても確実に蓄積しているのだと感じられた。
ラスはどこか幼げな表情のまま、ムジカに紫の瞳を向けた。
「ムジカは以前、俺に使用人型のような仕事をしたくないのか、という趣旨の質問をしましたね」
「そういえばそうだな」
「俺は自律兵器です。本来の用途以外には適さず、利用を推奨すべきではないと考えています。今も変わりません」
言い切ったラスはしかし、ゆっくりと言葉を選ぶように続けた。
「ですが、ムジカが食事を喜ぶ時、敵勢力を制圧し終えた時と似た達成感を覚えました。本来の用途以外で役に立つのは
良いことなのか、という曖昧な表現が出てくる時点で、ラスには決定的な変化があるように思えるムジカだが、少し考えてから言った。
「なあお前、あたしと出会ったとき。泣いてたよな」
「そうでしたか」
「泣いてた」
綺麗だった、と付け足すのはこらえて、ムジカは続けた。
「何で泣いてたかは知らないけど、お前には泣くだけの心があるんだと、あたしは思う。だから良いか悪いかは自分で決めて良いんじゃねえか」
自立兵器だったとしても。ムジカとは違うものだったとしても。
あることは変えようがないのなら、押し込めるのも違うと思うのだ。
「少なくともこのスコーンはまた食べたい」
そうしてまた一口、ムジカがスコーンを頬張れば、ラスは少しの沈黙の後あどけない仕草でうなずいた。
「わかりました。また作ります」
「んじゃあ次は、おやつじゃなくて、朝飯らしいもんを作れるようになろうぜ」
「……」
硬直するラスの様子からして、今のいままで気づかなかったらしい。
その様子がおかしくて、げらげら笑いながら最後のひとかけらを飲み込んだムジカだったが、ふと思う。
「というか、そもそも今更感があるよな、お前のそれ」
「それ、とは何でしょう」
「自分で判断して良いかっての。だってさ、あたしを歌姫として自分で選んだんだろ? もうはじめから自分で選んでるじゃないか」
「そう、ですか」
神妙な顔で沈黙するラスにムジカは笑いをおさめつつ、ふと思い返す。
そういえば、歌姫、という存在も未だによくわからない。
「結局、
紅茶のティーカップを傾けながらのムジカの独り言に、ラスが反応した。
「歌姫についてもう一つ、思い出したことがあります」
「へえ、何だ」
「歌姫は俺が愛したい人間に譲渡する権限でもあります。その相手は声を聞いたときに分かるそうです。創造主はそれを
「は……?」
ムジカあっけにとられて、ラスの紫の瞳に映る間抜け顔の自分を見つめた。
こてり、とラスが銀の髪を揺らして首をかしげる。
「ムジカ、愛とはなんでしょう?」
ムジカの頬に一気に熱が上った。
熾天使という存在は、一目惚れをした人間にその称号を捧げるということにならないか。
それをしたはずの本人は愛とはとは何だと質問するにも関わらず!
「わ、分かるかばーかそんなこっぱずかしいこと言うんじゃねえ!」
「なぜ怒っているのですか、ムジカ」
「うっせえ一生悩んでろ!!」
椅子を蹴るように立ちあがったムジカは、自分の部屋へと逃げた。
そう、逃げたのだ。
心臓が勝手に早鐘のように打っている。頬に上がった熱が全く引かない。
あの自律兵器は、ムジカを唯一として選んでいたのだ。愛なんて分からないくせに。なのに、それを悪くないと考えかけた自分がいることに動揺していた。
「うっそだろ……。何考えてんだよ
まだ知らなくて良い、自覚しなくて良い。
ムジカの心の底で、愛されたかったと叫んでいた幼い自分は、穏やかに眠っている。だがそれでもようやく認められるようになっただけなのだ。踏み込むのは恐ろしい。
だから言い聞かせ、平静を取り戻したムジカは、探掘道具をまとめた背嚢をつかんで勢いよく扉を開けた。
案の定、扉のすぐそばに立っていた銀色と紫の青年人形に向けて言い放つ。
「行くぞラス! 今回の騒動で大赤字なんだ。もしかしたらお前が寝てた場所に行けるルートができてるかも知れねえし、真っ先にたどり着こうぜ!」
「はい、ムジカ。準備は万全です」
アルトとテノールの中間。ラスの声が響く。
言葉が返ってくることが普通になったのだと気づき、ムジカはおかしな気分になった。
少し前までこの部屋には、独り言と静寂だけが響いていた。
だが今はどうだ、部屋を見回すだけで随所にラスの影響がある。己の中にも。
それを悪くないと思う自分が一番変わったのだ。
そしてムジカは笑みをこぼして、金茶の髪とスカートを揺らし、変わらぬ日常へと進んだ。
銀の髪と紫の瞳の青年人形が傍らにいることも、また日常となって。
今日も鈍色の空の下に広がる遺跡へと潜る。
夜明けのムジカ 道草家守 @mitikusa
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