はじまりの歌

 


 ムジカは夜風に金茶の髪とスカートを遊ばせながら、懐中時計を見る。


「夜明けまで、あと数十分ってところか」


 文字盤がエーテルの緑で発光していることからは、そっと目をそらした。

 危険域に近いがマスクはつけられない。声が届かなくなるからだ。

 ムジカは今、バーシェを囲む山々の山頂部にあった塔の上にたたずんでいる。

 遺跡と同じく三百年前から存在する建造物のようで、森の木々に埋もれるようにあったのだ。

 荷物を下ろし身軽になったムジカの眼前には、一対の翼で虚空にたたずむラスが居る。


「準備は」

「いつでも」


 ムジカは、ラスからたった今教えられた指揮歌のフレーズを反芻する。

 指揮歌は音程一つ、歌詞一つ間違えるだけで効力が激減する。

 たった今教えられただけで大丈夫かと不安だったが、ラスに教えられたフレーズはアルバに刷り込まれるほど教え込まれた指揮歌と一致したのだ。

 ああ、本当にこの青年人形は父が求めていた遺産だったのだな、とすとんと心に落ちていく。


 不安だった音階は、覚えている楽譜で確認できた。間違えることはない。

 嫌で嫌でたまらなかった技能が、こんなところで役に立つことを自嘲した。

 ただ悪くないと思えるのは、相手が彼だからかも知れない。


 さあこのぶしつけで、無神経で、でも美しくて不器用な、ムジカの相棒に捧げよう。

 すうと、息を吸い。音を広げる。

 柔らかく、語りかけるように。


『灯し火は鮮やかに そよ風に吹かれ

 清水は涌きでて 芽吹きを歌うだろう』


 伴奏はない。当然だ、声だけの音楽。

 もの悲しく郷愁をさそうような旋律は、戦に出るためのものとは思えない。

 だが眼前の青年人形への影響は絶大だった。

 ラスの銀の髪がエーテルの光を帯びて独りでに揺らめき、可視化するほどのエーテルの光が集まり始めた。


『無垢なる光輝は 天翼てんよくを広げ

 穢れなきまなこに 色彩いろを求める』


 エーテル光が凝りだし、一対であったはずの翼にさらに一対、翼が形成されていく。

 唄いながらその光景をつぶさに見ていたムジカは、まるで生まれ直しているようだと思った。

 ゆっくりと紫の瞳を開いたラスは、ムジカを見返した。


「機能制限解除受理。これより敵性個体悪食竜ニーズヘックの排除を実行します。戦闘終了まで歌唱の続行を要請します」

「まかされた」


 短く返せば、ラスはひときわ力強く2対の翼を羽ばたき、風を追い抜く勢いで飛翔した。

 思わず顔をかばったムジカだったが、その間も歌は途切れさせなかった。

 制限解除の効果時間は歌っている間だけ。

 おそらく解除中の出力開放が機体に負荷がかかりすぎるせいなのだろうが、ずいぶん指揮者ディレットの技量に頼ったものだなとムジカは感じた。


 歌い続けなければ解除されない上、指揮者ディレットの歌唱力が自律兵器ドールの性能に影響されるというのはさすがに効率が悪い。

 ほんの数秒程度の停滞であれば問題ないとはいえ、そもそもほとんど使うことを想定されてないのだろう。


「まあ、いくらでもやってやるよ」


 ちろりと唇をなめ、ムジカは指揮歌を再び頭から繰り返す。

 手をさしのべ、天空を舞う相棒へと届くように。

 共に戦っているのだと語りかける。


 ムジカの振り仰ぐ空で、4翼を背負う銀の影はまがまがしい巨竜型へと迫ろうとしていた。

 きっとムジカは、黄金期の戦争を垣間見ているのだろう。

 巨竜と天使、二つが天空でぶつかり合った。


 バーシェをとらえた悪食竜は、凶悪な紅蓮の咆吼を浴びせようとする。

 だが放たれる寸前、悪食竜の頭上へ高く飛翔したラスの4翼が広げられた。

 とたん大量のエーテルの弾丸が生じ、巨体へと雨のように降り注いだ。

 咆吼を中断しすぐに反応した悪食竜だったが、弾丸は一部に着弾し巨竜の翼と頑健な外殻を傷つける。

 突然の闖入者に巨竜型は鎌首をもたげ、あまりに小さい敵影をとらえた。

 エーテルの翼を畳んだラスは迷わず竜へ向けて滑空する。

 小さな敵を捕らえようと悪食竜は胴体の砲門から熱線を放つが、ラスは熱線の間隙を縫うように飛び、すべてを避ける。

 その動きは、ムジカには追い切れないほどに早く、だがムジカにも分かるほど鋭くなっていた。


 翼が翻り、銀の影が接近するたびに、巨竜の体は傷ついていく。

 4翼を巧みに操り巨竜を翻弄するラスは、教会に飾られる絵画のようだ。

 だが、巨竜も手をこまねいているわけではなく、その長い尾を振り回す。

 まさに接近しようとしていたラスは、よけきれずに吹き飛ばされた。


「ラッ……!」


 山べりに消えていった小さな人影に、思わず叫びかけたムジカだったが、なんとか指揮歌を再開する。

 相棒の何よりの力になるものだ。

 巨竜を倒すまでは絶対に途切れさせてはいけない。


 ムジカがよりいっそう想いを込めて音を紡げば、竜の鎌首がこちらを向いた。

 濁った橙の瞳は明確な敵意を宿し、傷ついてもなお強靱な翼を広げてムジカに迫る。

 だが声は揺らがなかった。

 逃げ場がないというのもそうだが、何よりも。

 相棒がいるからだ。


『いずれ草木朽ち 水面は凍てつく

 疾風はやては鎮まり 熾火は燃え尽き』


 巨竜型の顎が広げられ、紅蓮の赤が視界いっぱいに広がった。

 エーテルの4翼が藍色に薄らぐ空へと広がる。

 土埃にまみれてもなお美しいその姿が、横合いから飛んできた。

 巨竜型の顎に蹴撃をあびせたラスは、さらに加速する。


『されど光輝褪せず 色彩いろと出会いしは』


 ムジカの歌は途切れない。

 軌道が逸れた紅蓮の炎は荒野へと赤の線を走らせて終わる。

 悪食竜は4翼の自律兵器ドールへと顎を広げるが、後ろに回り込んだラスは、翼を根元から切り飛ばした。


まなこを染め上げ 共に歌うだろう』


 山肌に墜落した悪食竜はなおも紅蓮を吐くが、ラスが4翼を広げエーテルの雨を降らせた。

 虚空でぶつかった赤と緑は、藍の空を真昼のように照らす。

 すさまじい爆発のさなか、小さな敵影を見失った悪食竜は再び体をくねらせ立ちあがる。

 故に、エーテルと紅蓮の炎を突き破って現れた小さな機体を見逃した。


始原はじまりを歌うだろう』


 翼を折りたたんだラスは、悪食竜の胸元へ潜り込みエーテルの刃で貫いた。

 エーテルの燐光が散り、巨竜はもがくように首を振り乱す。

 だがラスはエーテルのブレードをさらに押し込み、心臓部となるエーテル機関まで届かせる。

 そして、巨竜の外殻にエーテルの亀裂が走り、崩壊した。


 300年の月日を経た代償か、悪食竜の機体は今までの頑健さが幻のように崩壊していく。

 名も知らない、主人を失った巨竜の咆吼が響いた。

 暁を切り裂くような悲痛な断末魔は、ムジカの心をうがつ。


「ごめんな……」


 巨竜が首を大地に横たわらせた。

 暁が空を焼いた。


 陰鬱な夜の藍を振り払うように鮮やかな曙光が森の木々を、空を、そして動かぬ無機物となった巨竜型の残骸を照らす。


 このバーシェで初めて見る夜明け背に、4翼を広げてラスがムジカの下へと戻ってきた。

 ムジカは手を伸ばし、その球体関節の手を取る。

 戦闘の余韻か、取った手はほのかに温かかった。

 塔の床に降り立ったとたん、エーテルの4翼ははかなく霧散した。


「良い歌でした」

「ああ、いい活躍だった」


 緊張がほどけてしまったムジカが足をふらつかせたところを、ラスに支えられた。


「ムジカ、大丈夫ですか」

「ちょっと、さすがに疲れた」


 ごっそりと気力を持って行かれたように、体に力が入らない。


「指揮歌は歌い手に多大な負担をかけるものと聞きます。ムジカは遺跡内でも含めて19曲指揮歌を行使しています。通常は1日に10曲程度に収めるべきです」

「それ、早く言えよ……」


 初耳の話にムジカがあきれて文句を言ったが、それをやらなければどうなっていたかわからなかったのだから本気ではない。

 しかし、ラスはなぜかムジカの顔を見て不思議そうに瞬いた。 


「泣いているのですか、ムジカ」


 指摘されて、ムジカは自分の頬が濡れていることに気がついた。

 面食らったものの、理由は分かっている。

 ムジカは横たわる巨竜の残骸に視線をやった。


「……あの竜も、誰かがいたのかなって思ったらさ」


 この巨竜型にも、指揮者ディレットがいたはずだ。

 兵器でも、何でも。300年の月日を経て眠りから冷まされた巨竜は何を感じたのだろうか。

 そんなことを思うのは、自分が奇械アンティークを、ラスを知ってしまったからだ。


「大丈夫です、ムジカ」

「どういう意味だよ」

「巨竜型はすでに奇械アンティーク言語ワードも介さないほどに自律思考を崩壊させていました。自分の指揮者ディレットも覚えていません。ここがどこかも認識していません」

「もしかして、慰めてくれてるのか」

「事実を言ったまでです」

「そう、か」


 ラスの真意は分からない。動かない表情で紫の瞳でムジカを見下ろすだけだ。

 曖昧なままでいいのだと思う。真意なんて人間相手でも分からないものなのだから。

 感傷を振り払ったムジカは、その場でぐっとのびをした。


「お前の動力は大丈夫か」

「戦闘行動で約60%を消費しました。残存エネルギーは16%。不測の事態に備えるためにはここでの補給を推奨します」

「燃費悪いな!?」

「戦闘に最適化した場合、エネルギー消費量は増加します」

「……ほんと戦闘なんてするもんじゃねえな」

「俺もそう考えます」


 驚いたムジカだったがラスが神妙に言うのがおかしくて、思考を切り替えた。


「分かったよ、1曲あれば十分か」

「はい、ムジカ」


 暁の橙の加減か、そう応えたラスの表情は、ムジカにはどこか微笑んで居るように見えたのだった。

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