*絶望からの

立売堀いたちぼりさん、大丈夫?」

 ぐったりしている早苗に、後部座席で隣に座っている一口いもあらいは声を掛けた。しかし返事がない。

「酔ったのか?」

「うーん。そんな感じじゃないっぽいんだよな」

 伏せている顔を覗き込む。

 辛そうな表情をしているのかと思いきや、まばたきもせず糸の切れた人形のように微動だにしない早苗にゾッとして目を反らした。

「お? 球場だ」

 俺の言葉に一口は顔を上げて目を輝かせた。

「行こうぜ」

 こんなときでなければ堂々と入れない。

「いいね」

 モリスは入り口に車を止めてショットガンを手に取りドアを開いた。俺たちも金属バットやらバールやらを持つ。

「なに? 野球場?」

 早苗がいつもの笑顔で問いかける。

 さきほどの様子を見ている一口は、一種異様なものでも見るような視線を向けた。



 ──俺たちはここぞとばかりに、関係者入り口から球場の中に入っていく。

 ホームやアウェーの選手の控え室に感嘆の声を上げ、ロッカーを開けたりシャワー室を見て回る。

 手入れのされなくなったグラウンドに足を踏み入れ、選手が見ている景色に感動し大勢の観客から押し寄せる歓声を想像する。

「やばいぞ」

 モリスの声に振り返ると、ゾンビが続々と集まってきていた。

「え? なんで?」

 一口も意味がわからず、手に持っている金属バットを構えた。俺もバールを握りしめる。モリスはショットガンを手にして銃口を一番近いゾンビに向けた。

 引鉄を絞りかけたとき、

「我々の勝ちだ」

 無表情に応えた早苗に、俺たちは何が起こったのか直ぐには解らなかった。

「この女を手に入れた。これで我らはこの星に君臨する」

「立売堀さん」

「早苗?」

 いや、違う。その表情や目からは、人間ではない何かが溢れている。

「なんの冗談だよ」

 違うと解っていても、嘘だと思いたい。目の前の人間が人間じゃないなんて。

 この状況で考えられることは──

「いつから」

 いつから早苗に取り憑いていたんだ。まさか、

「まさか、あの日から?」

 滅びの始まり。あの日から早苗の脳にいたのか。

 早苗は何も答えず、俺たちに笑みを浮かべている。それだけでそれが真実だと、まざまざと言わしめている。

「お前たちの文化と知識、記憶を吸収するのは容易ではなかった」

 これでようやく、子どもたちを統率し、さらなる繁栄にいそしむことができるというもの。

 貼り付けた笑みに俺たちは嫌悪感を募らせた。そんななかで、モリスは彼女の言葉を聞き逃さなかった。

「三匹が脳にいたのは繁殖していたんじゃないのか」

「一つは宿主に寄生し、あとの二つは他の宿主に出会うため共生させている」

 三匹がワンセットだったって訳か。

「つまりは女王蜂とか、そのへん?」

「その系統だわな」

 ゾンビどもは俺たちを襲わずに、逃げられないようにと周囲を取り囲んでいる。

 誰が寄生するかを話し合っている訳でも、誰が食うかを牽制し合っている訳でもなさそうだ。

「子どもたちは私の忠実なしもべ」

 嬉しそうに語っているあいだにもゾンビは増えていく。このままじゃあ本当にやばい。

「お前らはどこから来たんだよ」

 俺の問いかけに早苗兼女王は顔をしかめた。憎たらしいが、段々と人間に似通った感情を表し始めている。

「知るものか」

 早苗の声なのに早苗じゃない。どこか、くぐもった声が俺たちを見下している。

「どういうことだよ」

「そういうものかもしれない」

「なんでだよ」

 応えた一口に目を向ける。

「俺たちだって、なんでここにいるのか解ってる?」

「そう言われりゃあ、確かに」

 そこに何故いるのかなんて、造物主がいたらの話だが造物主にでも聞かなければわからない。

 もしこいつらが人工的なものならば、その造物主はこいつらに何も説明はしなかったんだろう。

「生物が絶滅してしまえば我々も死滅する。それだけは、なんとしても避けなければ」

 そう言って女王は俺たちを見据えた。

「虫の女王はずっと立売堀いたちぼりさんの頭の中にいて、彼女の脳を完全支配したってことだよね?」

「おそらくな」

 一口いもあらいの要約に異論はない。

 寄生虫たちは女王がいないあいだ、統率する奴がいなかったから適当に広まっていたんだ。

 このままいけば寄生虫どもは自滅するのではと考えていた俺たちはいま、手ひどい返しを受けている。

「私は理解した。家畜。というものを」

 俺たちが牛や豚を家畜化したように、こいつらは人間を食料として家畜化するつもりなんだ。

「ここには俺たちしかいないぜ」

 勝ち誇った俺に中身が女王の早苗は不敵な笑みを浮かべる。

「なんのためのこの体なのだ」

「おいまじかよ」

 それはちょっと無理なんじゃないかと思いつつ、絶滅の危機感は何をしでかすかわからないもんなと妙に納得した。

「冗談じゃないぞ」

「どうしよう蔵人くろど

「クロド」

 銃を下ろしたモリスは、早苗から目を離さずに俺の名を呼んだ。

「あとは任せたぞ」

 振り返り、いい笑顔を見せる。

「モリス? お前なに言って──」

 そこで俺はハッとした。

 モリスが手に持っているのは紛れもなくあれだ。なんだってそんなもの持ってるんだよ。

 あれを持っているってことは、あれをするんじゃないだろうな。おい、そんな定番な死に方するんじゃない。

「やめろモリス。モリス──!」

 手に収まる深緑の塊からピンを抜いたモリスは、早苗に駆け寄って力強く抱きしめた。

「なにをする!」

「じゃあな!」

「モリスー!」

 俺たちは叫びながらも咄嗟とっさにゾンビを盾にした。

 さほど大きくない爆発だったが、二人を吹き飛ばすには充分だった。様子を窺っていると、どちらもまだ息はあるものの致命傷だろう。

「なんだって、こんなこと」

 まだ息のあるモリスを抱き上げる。

「どうせ、おまえには無理、だった、ろ」

「だからってこんな」

「死ハ、スベカラク、誰ニデモ、オトズレルベキ、モノデース」

 おいやめろ。泣く場面で吹き出しちまったじゃねえか。固まったモリスの笑みに涙をこぼし、開いたままのまぶたを降ろす。

 そして、横たわってぴくりとも動かない早苗の体を見下ろす一口の隣に立つ。

「こんな間近に、ラスボスいたんだね」

「これからもっと忙しくなるぞ」

 呆然とする一口の肩を叩いた。

「駆除しなきゃね」

 指示の糸が切れたせいか、ゾンビどもはまるで動かない。またすぐに動き出すだろうと距離を取る。

「蟻とか蜂だと、どうなるんだっけ?」

「新しい女王ができる」

「じゃあ、頑張ろう」

 女王が死んだいま、こいつらはもう増えない。

 俺たちはこいつらを根絶やしにするまで止まることはない。そして、新たな女王が生まれたときは、そいつを見つけ出してぶっ殺す。

「絶対に諦めるかよ!」

「当たり前だろ!」

 迫り来るゾンビに俺たちは突進した──



「……ぁぁああああああ──あ!?」

 自分の叫び声で目が覚めた。いつもの部屋、いつもの朝だ。

「あれ?」

 まさか夢だったのか。

「嫌な夢だ」

 冷や汗を拭い、寝間着のジャージを脱ぎ捨てる。

「寝汗すげえ」

 とんでもなく長い夢をみていた。夢だから仕方がないにしても、虫の正体がなんだったのか気になるところだ。

「おい。何してる」

 扉を開けると、隣人が俺のバイクを食っていた。

「ソコノアナタ! コッチニ来テクダサーイ!」




  完



2018/04/13

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ブレイン・ハイジャック 河野 る宇 @ruukouno

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