主人公の一人称で話が進行しますので、すべてが主人公の主観なわけですね。それで、自分にとって当然のことは思考にものぼってこないし、自分にウソをついていることも考えると、まさに読者の解釈は無限大では?本来、作者様の本来意図する内容はあると思いますが。
この作品を私がくみ取りきれていない部分がまだまだあると思うんですが、本当に「ん?」とひっかかるところ(悪い意味でなく)とか、気になるところが多々でてくるわけですよ。もう先が気になって、どんどん読んでいくわけです。ずるい。
とにかく、主人公がやはり中心なんですよ。日常も他キャラの魅力もすべて、主人公が面白く内心で語ってくれる。だけども、この主人公が発狂してて、一切突っ込まない。笑
言葉も突っ込まなければ、首も突っ込まない。笑笑
私はセルフ突っ込みをしていくスタイルで読ませて頂きました。
語られない部分にも、ドラマを探したくなる魅力ある作品です。
フック
ってあるじゃないですか?
広告用語だったか何かで、「おっ」と思わせるとか、クスっと笑わせるとか、とにかく人の興味を引くようなポイントの事でしたよね?
そのフックがね、飛んでくるんですよ大量にね。
鼻がブッとなったり、喉がクッと鳴ったり、肺がヒュっと鳴ったりするようなフックがね。
それで文章はといえば、左右に大きな横ノリのグルービィなリズムを持っていて、スラスラ読めると言えばそうなんですがそんな一直線な流れでは到底なく、ぎゅいんぎゅいんと大きくスイングするんですね。
それこそ壮大な横8の字を描いて読み手に迫って来るんです。
その壮大な横8の字から左右のフックがこうひっきりなしに飛んできて、ああそうかこれが幕の内選手のと思った時には意識が飛んだ第9ラウンド。
いやいや、でも10ラウンドもすればさすがに慣れてきたしそうそう倒されないぞと気合い入れたら突然縦のパンチ混ぜて来るのホントきびしい。
激しく脳を揺さぶられると気持ちよくなるとどこかで聞きましたが、今最高に気持ちいいです。なんだこのレビュー。
現在15ラウンド終了、僕はどうやらまだ立っています。
あなたは何ラウンドまで立っていられますか?
神格を持つ者の荘厳なる話の数々が、私を爆笑させ、ただでさえ調子の悪いお腹に容赦無くダメージを与えてくる。すでに我輩のパンツはドロドロである。
驚くべきことに、みっちり書かれた超速の文章を読み終えるのは一瞬。
恐ろしいスピードで脳内に情景が入ってくる。
さて、タイトルには無いが、これは基本無料のお話だ。
無償のものとは、すなわち愛である。
これは愛の話なのだ。
この小説を読む限り、むしろ出費の方が痛そうで、その点は主人公に同情を禁じ得ないものの、彼は決して見返りを求めることはない。
まさに愛の権化である。
彼はどうも普通の人間らしいのだが、我にしてみれば彼の者は完全にアフロディーテとかその眷属である。
考えてもみて欲しい。幾ら何でも彼の器は広すぎる。
あんなとんでもない連中に囲まれてもなお、一応、ツッコミ役としての役割は全うし、それだけでなく結局は受け入れている。特に面倒だとかそういう悪態も吐かない(ついたうちに入らない)。
もし自分があのような現状にあれば、元父親の母を持つような家庭環境も考えて、完全にグレてしまい、今頃は車高の低い車にバカでかいウーファーを積んで無免許でガードレールに突っ込み事故死していただろう。
拙者の危惧することは、例えば彼が70代のおばあちゃんとお見合いをさせられると、結婚することになってしまうのではないか(しかもそれなりに幸せに暮らすだろう)とか、そういうことだ。
小生は、常に彼の無事を願わざるを得ない。
ああ、もこ神さま、彼を見習い、育乳してください。
真の巨乳はしんたろう、そこにあるのです。
あらすじと第1話を読む限り、道端に落ちていた神様(九年振り二回目)を拾って、アパートに住まわせる日常譚、ということらしい。これはいかにも、日本の神様で起こりがちなことだろう。決して、キリスト教圏やイスラム教圏では起こりえない出だしと言える。必ずしも神道に通じる描写ではないものの、古来よりあらゆる外来文化を取り込んで変質していった神道という概念にはかなり親和性があるようにも見受けられ、すなわちサブカル的なモノを吸収した神道にこのような神が出現しても驚かないだけの懐の深さが、我々日本人には備わっていると言うことだ。
話は常にハイテンションで進行する。いや、実際にはハイテンションとは違うノリなのかも知れないが、勢いで神様に対して不遜極まるセクハラを淡々と行う主人公の行動などから察するに、もうこれはコメディ時空なのだ。質の高いコメディ時空に放り込まれた読者が体験するのは、一人称視点で独白する主人公が時折やらかす突飛な事象に対しても、あたかもそれが自然なことであるかのように受容できる、謎のトランス状態だ。そういう意味で、この小説はドラッグに近いのかも知れない。
(炎上する神社)
(本殿から這い出てくる火傷だらけの男)
(陰のあるイケメン)
このレビューでは、本作「もこ神さまのいるところ」が如何に面白い作品か、不詳筆者がネチネチネチネチ語っていきたいと思います。
あまり褒め殺してもよくないのではないか、とも思うのですが、本作に関しては作者を最大限に調子に乗らせた方がいいものが出てきそうな気がします。
では、「もこ神さまのいるところ」とはどういった作品なのでしょうか?
一言で言えば、「狂人が描いたギャグ作品」です。
いわばアホのドグラ・マグラ。
「もこ神さまのいるところ」では、主人公である桐野くんが、神さまを拾い、そして捨てるところから始まります。
正確に言えば、自称神さま(女の子)のパンツの真ん中のリボンを引っ張ったり、胸の大きさをけなしたり、「ラッキー、ええもん拾ったわ」とか言いつつ、気軽に存在を失念するのです。
「なに言うとんねんコイツ」とお思いでしょうが、レビューを書いているぼくも自分で言っていて意味がわかりません。
でも本当なんだもん。
さて、ここまでレビューを読んでいただければわかる通り、主人公はふつうにサイコパスです。
「もこ神さまのいるところ」において、大体の登場人物は軒並み頭のどこかがおかしな事になっているのですが、こと桐野くんに関しては頭一つ抜けています。
自称神さま、事件を捏造する警察官、電子レンジで感電する巨女。
それらの並み居る狂人たちに相対して、桐野くんは微動だにしません。「まあこういうものだからしょうがない」くらいの感じで、スルスルっと流していくのです。
本来ギャグ作品というものは、ツッコミ担当者というものが必需品なのです。
なぜなら人は何かを読む時に、感情をそこに注ぎます。
ツッコミ担当は読者の感情移入先であり、代弁者なのです。
けれど、この作品にはそういった存在が居ない。(今後出てくるのかもしれませんが。はやくきて)
ツッコミが居ないということは、ブレーキがないということを意味します。
事件を捏造する警察官は捏造をやめようとはしないし、感電する巨女は感電しっぱなしで喋るし、神さまはずっとアホのままです。
けれど、桐野くんは動じません。
大丈夫かコイツ。
では、なんでそんな狂人ラノベが面白いのかというと、
なんで面白いのかというと……というと……なんでやろ……面白いのです。
多分、筆者のリズム感ある文体によるところが大きいのでしょう。
ブレーキの壊れたトロッコのごとく、矢継ぎ早に繰り出されるナンセンスは、読者を無慈悲に轢殺し、振り返ることはありません。
とにかく勢いがあるのです。
そして、「勢いがある」ということは、技術がないことを意味するかというと、全然そうではないのです。
むしろそれは唸るほどの技巧によって生み出された「勢い」で、つまりはイニシャルDなのです。
ギリギリのラインを攻めた四輪ドリフトで、笑いのトロッコは猛烈な速度で読者を轢き殺しに来ます。
もう、こんなのは小説ではなくて薬物とか暴力の類です。
暴力シャブトロッコダンプカー文章です。
だれか助けてくれ。
そして、作者は早く次の話を更新してくれ。
ぼくはもうもこ神依存症患者なのだから。
作品の紹介文にあるとおり、ジャンルとしては落ちもの青春コメディを目指して書かれたもの。ちょっと普通と違うのは、いわゆる落ちものが空から降ってくるのに対して、このお話ではすでに女の子は落ちていて、そこら辺に存在している状態からスタートする点です。
読み始めたときは「神様って言ってるからこの女の子は神様なんだろう」と思っていました。しかし、どうもそうではない。たこ焼きで火傷するし、口調は定まらないし、大人にも普通に見えてるっぽいし、つまりこれは中二病の女の子なんだな、とそのように推理させられる。
この自然な思考の誘導。半信半疑の状態から読んだ人間が自らどちらかを選択することで、強固にそれを事実だと思い込ませる上手さが尋常でなく、私はすっかり「たまたまアルビノだったせいで中二病が終わらない女の子とその白い女の子に一目ぼれした男の子のおねショタ物語」と納得してしまったのです。
そうやって丁寧にお膳立てを整えた上での引き、九年の歳月でまったく変わらない姿。そう、白い女の子は本当に神様だったのだと切り込まれた鮮烈さが素敵すぎます。
さて、こうしてメインキャラでがっつりと掴みつつ、気になるサブキャラの情報もまた、巧妙に滑り込ませてきているのが作者さんの上手いところだと思います。九年前は父さんだった母さん、もこ神様よりも平たい胸を持つ幼馴染の三弥ちゃん、ちょろっと出てきただけにも関わらず、しっかりと印象に残るプロフィール。細かいところまで仕事が丁寧で、これから先の「僕」やもこ神様との絡みに否が応でも期待してしまいます。
続きを楽しみにしています。