第3話 王子との結婚

「私の人形が動き出した! ああ、こんなに素晴らしいことがあるのだろうか?」


 わたしの目が覚めるなり狂喜乱舞した男は、隣国の王子だった。

 彼は実家へと帰る途中、わたしを矯めつ眇めつしながら、いろいろと聞かせてくれた。


 わたしは毒リンゴを、喉に詰まらせていたのだった。

 蘇生を断念した小人どもは、気色の悪いことに、わたしをガラスの棺に入れて保管したという。発想自体が気持ち悪いが、そのためだけにわざわざガラスを加工したのだと考えると、もはや理解の域を超える。

 わたしをこき使ってきた彼らが、なぜそのような異常行動に走ったのかというと、需要があったからだ。

 小人たちよりも数段は重症なこの王子はどうやら、美女の死体を高値で買い取るご趣味をお持ちらしい。悲劇的なまでの気味の悪さだ。


 小人の連絡を受けた王子は、金貨の袋と引き換えに、わたしの入った棺をもらっていった。ガラス越しに見るわたしの姿はそれは美しかったらしい。爪の先から睫毛の一本一本まで、すべてが神に下された精巧な人形のようだったという。語彙力が枯渇している王子の代わりに、彼の家臣が代弁した。

 この家臣、わたしの入った棺を、道中どこかにぶつけた張本人である。じつに無礼な話だが、お陰様でわたしはリンゴを吐き出し、こうして生き返った。

 その様子を見た王子は、即座に結婚しようと決めたのだった。


 やっと死ねたはずなのに、目覚めさせられてその上この変態王子に嫁入りとは、わたしもついていない。

 だがしかたがない。逆らえば国交が断絶する。運命の人を前にしては、わたしの意思など二の次なのだ。

 はく製にされて半永久的に展示されるよりは、マシな顚末だといえよう。


 もちろん、小人たちから解放された今となっては、死を望んでなどいない。いく度となく投げ出そうとした命も、一度は失った宮廷生活も、こうして取り戻してみれば惜しい。


 それに、いかな変質者でも、わたしを大切にしてくださっているのは事実。

 一緒に暮らしていれば、だんだん愛着がわいてくるのも無理のないこと。


 だが、だからこそ恐ろしい。

 この人の目がわたしという人間を通り越して、どこか遠くの宇宙を見ているのではと思うと、惹かれるというところまで踏み込めない。

 しょせん変態だと思ってしまえば、彼との心の距離は、森を一つ越えられるほどに隔たってしまう。後には薄ら寒さのみが残って、わたしの肌を粟立てる。


 ……どうせなら安らかな生活をと望むのは、贅沢なのだろうか。


 わたしの本心を聞いた者はみな、ばち当たりだ、悲観がすぎる、と言ってわたしを諌める。だが、いっぺんきちんと王子を見てみるといい。


 王子は今日も馬鹿の一つ覚えのように「美しい」と仰る。

 ご自分の人形の前に行って、同じく「美しい」と嘆息する。


 わたしと人形の違いはなに?

 老いたらわたしは捨てられてしまうの?

 鏡の精は、いつまでわたしの名を答えるのだろう?


 継母の名を答えることは二度とない。暗殺のことを知った王子が、彼女を拷問して殺したからだ。

 彼女のはかりごとがなければ、わたしに出会うことも惚れることもなかったはずなのに。運命の悪戯とは数奇なものだ。

 真っ赤に焼けた鉄の靴をはかされて踊った、かつての競争相手の最期を、わたしも見届けた。

 細い喉からふりしぼられる喚き声。乱れ絡まる長髪。涙と鼻水でぐしゃぐしゃに歪んだ顔。わなわなと痙攣する四肢。人体の焼ける、あの気絶しそうなほどむごい臭い。


 笑いながら見ている人もいたが、わたしはとてもそんな気になれなかった。

 これはわたしのせいではないと、己に言い聞かせることに専念していた。

 もしわたしが二番に甘んじていたら、あの人は道を踏み外さなかった。もしわたしが毒りんごを飲み込んでいたら、死ぬのはわたしの方だった。


 だが、わたしには何の責任もないこと。

 花嫁は、一切の不浄から無縁でなければならない。純白こそが世間の求める乙女像。


 わたしがそのように振る舞っている間は、この世で一番美しいのは、わたしであり続けるだろう。


 でも──わたしがしわくちゃのばあさんになったら、この人の想いは醒めるのだろうか。

 それともその前に、はく製にされてしまうのだろうか。

 美しくなければ、愛も命も無いのだろうか。そんな人と連れ添って、わたしは無事でいられるのか。


「今日も美しいな、白雪姫」

 王子は今日何度目かの台詞をわたしに向けた。

「いい名前だよ。雪のように白い肌、血のように赤い唇、黒檀のように黒い髪。……僕の妃になるために生まれてきたようだ」


 他人の受け売りでしかない言葉で容姿を褒められたって、安心などできやしない。相も変わらず、虫唾が走る思いをするだけ。

 

 ――あなたは本当に、わたしを思ってくださるの?


 口まで出かかった質問を飲み込んだ。

 答えを聞くのが怖かったから。

 

 代わりにわたしは自室へ行って、あの女の遺品を見据えた。


「鏡よ鏡、この世で一番美しいのはだあれ?」

 映し出された鏡の精は、いつもと変わらぬ調子でこう告げる。この答えだけが恃みだった。

「もちろんあなたさまですよ。――白雪姫」


 そう、わたしはどこへ行っても、この名と容姿に縛られたまま。白雪姫としての運命に従わずにはいられない。


 わたしはこれから先も、美しさを失くす日を恐れ続けるだろう。



 白雪姫――


 この名は呪い。


 容姿ゆえに人生を狂わすわたしの姿を、今も静かに見据えている。


 完

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悲観的なスノウホワイト 白里りこ @Tomaten

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