第2話 小人との生活

 

 一度は全てを諦めたわたしだが、歩いているうちに怖くなってきた。


 いつしかわたしは、安全な場所を求めて小走りに森を探索していた。進めば進むほど木は生い茂り、影は濃くなる。

 だがやがて、幸か不幸か、行く手にひらけた陽だまりを見つけた。風そよぐ原っぱの中心には、小さくて粗末な建物があった。

 戸を叩いても誰も出なかったが、わたしは勝手におじゃまをした。


 庶民の暮らしはこんなにきゅうくつなのかと、衝撃を受けた。

 身をかがめていないと家の中をまともに歩けない。テーブルに乗った食事も貧相で、全てがちっぽけだった。

 しかしわたしは疲れていた。つべこべ言う余裕などない。七人ぶんの食事から、ばれないようにちょっとずつ頂いてから、狭いベッドで横になった。


 そして夕方、耳障りなキーキー声に叩き起こされて、わたしは小人たちに出会ったのだった。


「盗っ人がのんきに眠ってら!」

「キエエエエ」

「すごく美人!」


 わたしは優雅に上体を起こし、なるべくおしとやかに聞こえるよう注意しつつ、こう言った。


「勝手をしてごめんなさい。でもわたし、命を狙われているの。あなたたち、わたしをここに置いてくださらないかしら?」


 けっきょく、わたしは白雪姫で──この美貌と美声、上品な振る舞いによって、小人たちは骨抜きになった。


「置いてやろうよ。美人だし」

「働かせればいいんだ。美人だし」

「我々の言いつけを守るなら、何も問題ないよ。美人だし」


 その後しばらく、小人たちはイボだらけの顔をつきあわせてキーキー話し合った。結論はこうだ。


 わたしの美しさに免じて、彼らは共に暮らすことを許可する。

 その代わりわたしは末永くここで家事を行うこと。鉱石掘りの仕事でくたびれた彼らのために、常に何もかもきちんとしておくこと。


 ……思っていたのと違う。


 小人たちは、わたしの半分ほどしかない身長で外へ出かけ、力仕事に精を出す。わたしはこの大きな体で小屋を守り、家事を担当する。

 おつむは大丈夫かしら? 小人だけに、脳みその大きさまで可愛らしいのね。


 だが、恩義のある小人たちに異を唱えるわけにはいかず、わたしはこの非効率的な生活形態を受け入れた。

 わたしとて鉱石掘りに出かけたくはなかった。なんといったって女の子は、美人であることと、男を支える存在であることが、最大の美徳とされているのだから。


 こうして低い天井の下、慣れない手つきで鍋をかき回す日々が始まった。どの道具もままごとのように小さく、扱いづらかった。


 小人たちは大汗をかいて、鉱石をちまちまと運んでいる。わたしが手を差し伸べようとすると、いらんことをするなと怒られるので、やっぱりわたしは、小さな服を慎重に物干しにかけるのだった。


 小人たちはわたしの仕事に文句ばかり言った。

「食い物は一口大に切れ」

「縫い物の目が粗い」

「洗濯でパンツを破るな」

 等々。

 甲高い小言を聞くのが嫌で、わたしは一心不乱に働いた。だが、やりつけていない仕事をそっくり八人分も押し付けられて、万事きちんとできるわけがなかったのだ。

 お叱りは減るどころか増えるばかり。

 


 とても腹が立った。

 仮にもお姫様だった人間が下賎の者に奉仕してやっているというのに、感謝の一つも無しか。少しは畏れ多いという感情を覚えてほしいものだ。


 だがわたしはいつだって不平不満を飲み込んで、決して口には出さなかった。

 誰が見ても愛想のいい娘であろうとする信条は、そう簡単にはなくせなかったのだ。



 そんなある日、みすぼらしい物売りがわたしのもとへ訪れた。


 例によってにこやかに応対したわたしは、商品の腰ひもを受け取ろうとして絞殺された。

 まあ、未遂だったのだけれど。


 わたしが倒れているのを見て、小人たちはとても焦ったらしい。

 息を吹き返してみれば、そしりが雨あられと降ってきた。

「ああ驚いた。困るよ、働き手が減ったら」

「あんたが死んだら、誰が家事をやると思っている」

「恩も忘れて仕事を投げ出すとは」


 心配そうな顔ひとつせず言うのだから、ひどい話だ。わたしは、ここでの自分の価値を思い知った。

 わたしが本当に姫だったら、みんなまとめて牢にぶち込むのに。


 その後もわたしは、狭くて埃っぽいボロ家の中で、タンコブを作りながら家事を続けた。

 小人どもは毎朝、陽気に歌いながら鉱石を掘りに出かける。午後、上機嫌で帰宅し、わたしの用意した風呂に文句をつけ、わたしの作ったスープに文句をつけ、わたしの整えたベッドに文句をつけた。

 わたしのイライラは最高潮に達した。


 おそらくこの頃から、正常な判断力を失ったのだと思う。宮廷生活で既に消耗していたわたしの心は、環境の激変に耐えうるほど丈夫ではなかった。


 死んだら小人どもから逃げられると、わたしは考えた。以前、森の中で死を覚悟した記憶が蘇ってきた。

 今思えば狂気の沙汰だが、その時は必死だったのだ。


 ゆえに、二度、三度と物売りが来た時も、これ幸いとにこやかに応対した。誰も招き入れるなという小人どもの忠告を、意図的に無視して。

 

 二度目、櫛をもらったときは、またもや小人どもに助けられた。彼らに恩着せがましく言い募られて、私の仕事量はいたずらに増えた。


 三度目は毒リンゴを口にした。落胆とともに目を覚ましてみれば、そこはいつもの小屋ではなかった。

 わたしの全身が歓喜に沸いた。誰かがわたしを、このみじめな生活から連れ出してくれたのだと思ったのだ。


 だが現実は、さながら毒リンゴのごとし。

 見かけがどんなに甘い期待に満ち溢れていても、必ず何らかのケチがついてくるのだった。

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