悲観的なスノウホワイト

白里りこ

第1話 継母との確執


 母は私を生んだあとすぐに死んだが、最期にわたしの名を遺していった。

 肌が雪のように白いから、白雪姫。

 この名前は、呪いのようにわたしを縛った。


 今わたしは、いわゆる白馬の王子様を婿にしている。

 仮死状態のわたしに一目惚れしたなどと仰って、そのままお持ち帰りになったという、筋金入りの変態でもあらせられる。御部屋にはいつも等身大の人形が多数飾られているが、その精度といったら、はく製ではないかという疑念を誰もが抱くほど。心底ぞっとさせられる。

 また、たいへん残念な語彙力をお持ちで、ひねもす「美しい」としか仰らない。それも、一切の心遣いもなく、彫刻でも鑑賞しているかのように、ただ一言「美しい」と。彼にそう言われるたび、虫唾が走る。わたしは人間であって、芸術品ではない。


 蜜が虫を誘うように、この容姿は災いを呼び寄せる。それに直面するといつもわたしは、実母の呪いを思い出す。

 

 王族というだけで美しさを求められ、この名のせいで臣民の期待も膨れ上がる一方。

 そして誰よりもわたし自身が、美しくあらねばならぬという強迫観念に駆られていた。母の遺志を完遂させようと、躍起になっていたのだ。


 わたしは生まれながらに、国で一番の美人であることを強いられた、哀れな人形だった。


 あの継母は、だから、わたしが呼び寄せてしまったのかもしれない。

 わたしは美に執着する一方で、全て投げ出してしまいたいと、どこかで願っていたから。わたしの矛盾を体現するような形で、あの女は父のところへ嫁に来た。わたしが今よりもう少し幼い頃の話だ。



 綺麗な人だった。

 顔立ちがはっきりしていて目力が強く、豪華なドレスが似合う人。

 見るものをハッとさせるような、力強い存在感を放っている。

 わたしは生まれて初めて、自分と張り合う存在に出会った。


 恐ろしかった。

 二人が比べられてしまうことが。お妃の方が肌が白いと思われてしまうことが。


 一番美しくなければ、わたしに存在価値はない。

 わたしは急き立てられるようにして、一心不乱に美容に励んだ。

 健康にいいものだけを食べ、日光浴をし、運動をし、よく眠った。立ち居振る舞いに磨きをかけ、言葉遣いと発声に気を配り、親切で親しみやすい性格を作り上げた。

 そしてその努力を、腹心以外には決して明かさなかった。心優しく天真爛漫な、みんなに好かれるお姫様を、必死に演出したのだ。


 継母の宝である鏡の秘密を見つけてからというもの、毎日ひそかに部屋へ忍び込んでは、質問を投げかけた。

「鏡よ鏡、この世で一番美しいのはだあれ?」

 すると鏡の精が現れてこう言う。

「もちろんあなたさまですよ、白雪姫」

 これを聞いた時だけ、私は安心できるのだった。


 だが、追われる立場は楽ではない。いつかその答えが「お妃様」になることを、わたしはいつも恐れ、神経をすり減らしていた。


 しかしあの女は、その時をずっと待ちわびていたのだ。



 森に連れていかれた時、わたしはいつものように、純真無垢な乙女を演じることに余念がなかった。花を摘んだり蝶を追いかけたりしておけば、鏡の精からの評価も安定するはずだ。それに、従者としてついてきた狩人を満足させることだってできる。

 とびきり可憐な笑顔を作って狩人を振り返ったら……そこには誰もいなかった。馬車さえも。


 わたしは事態を瞬時に理解して、途方に暮れた。

 とても歩いて帰れる距離ではない。よしんば帰れたとしても、暗殺されるのがオチだ。


 このピクニックは妃が仕組んだのに違いなかった。わたしの美貌に敵わなくなって、葬ることを選んだ……すなわち、彼女は負けを認めたのだ。

 おほほ、と口元を隠して上品に笑ってやろうと思ったが、虚無感が胸に押し寄せてきたのでやめた。


 どうせわたしはすぐに、獣や何かに襲われて死ぬ。誰に看取られることもなく。そんな時に自分を取り繕って何になる?


 もうわたしは、何のために美を追求してきたのか分からなくなっていた。どうしてお妃と張り合っていたのか分からなくなっていた。

 一位を死守した結果がこれとは、なんと皮肉なことだろう。


 名前のことなど気にしなくてよかったのだと、このとき初めて気づいた。


 わたしは花畑の真ん中で、燦々と降り注ぐ日の光に当たっていた。

 いい匂いのするやわらかな風が吹いていて、全身の力がふわりとほどけた。


 わたしはもう白雪姫ではない。

 一番美しくなくても許されるのだ。

 それを思うと不思議と解放されたような気分になった。


 わたしは、どこへともなく歩きはじめた。

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