木曜日になると誰かが死ぬ。
この世界で起きている事実は、ただそれだけである。
しかし人は、事実の背後に物語を求める。
ただ理不尽に人が死ぬ、という事態に耐えられないため、なんらかの理由付けをせずにはいられないのだ。
そして登場する「ムルムクス」という悪魔の名。
そんなものが本当にいるかわからないし、とうぜんこれを笑うものもいるのだが、しだいにムルムクスの存在が日常を侵していく。
皆が信じれば、悪魔はそこに顕現する。
我々は誰も、ムルムクスと無縁ではいられない。
ここで描かれている恐怖は、決して絵空事ではない。現実と地続きのものだ。
だからこそ、我々はこの物語に怯えつつ、続きを待たずにはいられない。
最初はよくある設定の話だなと思っていた。
よくある青春劇の導入。
よくある連続殺人事件の謎。
よくある探偵役の学生の活躍。
毎週起こる事件はどうせ思い込みとかただの偶然で終わると思って居て、やっぱりこういう対策をすれば大丈夫じゃんと作中のキャラと同じように考えた。
でも、
その後の惨たらしい死に方で何かが可笑しいと気付く。
その何かは作中の人物も感じている何か。
読んでいる自分が『こうだろう』『こうなるに違いない』と予想しているのは、その反対の事が起きて欲しくないから。
誰かが死ぬ。それは物語の中ならよくある事で珍しくはないんだけど、だからってこんな死に方は無いじゃないか。
こんな事は現実に起きない。これは物語の中でだけ起きるような事で、現実じゃない。
それはむっちゃんもそう思っていて、僕が思っている事とリンクしてる。
むっちゃんだけじゃなくてクラスの皆もそう思ってると思う。
ムルムルだかムルムクスだか知らないけど、今ではもうそいつが居るって事が当たり前になってる。
ネットでも沢山ムルムクスの事が語られていて、自分の周りでムルムクスを知らない人は少ない。
最初は何の事か分からなかったムルムクスが形を成して、みんなを支配しようとしているんだ。
ムルムクスは生まれてしまった。もう止められない。
だからこそ、始められた物語を、必ず終わらせて欲しい。
最後まで見届ける。意味があるようにと、応援している。
「連続殺人事件」という言葉がある。
言うまでもなく、同一犯によって短期間に連続して行われる殺人事件を意味する単語である。
ホラーやミステリなんかではよく耳にする、定番とすら言える概念ではあるが、現実でこれを耳にすることはあまりない。
「一人の人間が連続して誰かを殺す」ということは中々大変なことであり、そうそう起きることではないからだ。
しかし、殺人事件自体はきっと毎日、世界のどこかで起きているのだろう。
今日も明日も明後日も、どこかで誰かが殺されているのだ。
ならば「地球人類は常に連続殺人事件を起こしている」と言っても良さそうなものだが、そうは言われない。
何故か。
それが同一犯によるものではないからであり、起きる時間も場所もバラバラで、つまり連続していないからだ。
しかし、そもそも「連続している」とはどういう状態なのか。
人は何によってそれを「連続している」とみなすのか。
例えば、一つの場所で短期間に集中して起きた「同一犯によるものではない」殺人事件を、人はなんと呼ぶのだろう。
この物語は、恐らくそういう話である。
おにぎりスタッバー、ひとくいマンイーター、6番線に春は来る、と3冊の本を出しているプロ作家の新作。それもホラー。心霊現象でビビらせてくるスタイルではない。ホラーはホラーでもホラーサスペンス。ファイナル・デスティネーション系。見方によれば悪の教典。
初の公式連載ということだが、これもまた本になるのだろうか?
内容は相変わらずの自意識が高くて面倒な秀才たちの物語。
頭を使うのが好きというか、どんな些細なことにも頭を使って論理武装しないと生きることができない全身性感帯の不器用な奴。メモリを無駄使用して肝心なことが疎かになる奴。でっかい穴の開いた鋼の貞操帯みたいで、それなんのためにつけてるの?なにを守っているの?ファッション?重いしかぶれるだけだよ?と突っ込みたくなる奴。
端的に言うと、由緒正しき純血のオタク思考がベース。当然、劇中での会話やモノローグもゴリゴリにオタク。二次元ネタは清潔感が無いからか出さないっぽいけれども。
なんにしてもコモンセンスを斜め上から見るところがあって、排他的で、そのぶん自分の狭いコミュニティへの帰属意識が高く、選民思想を抱きがち。まさしくオタク。劇中だとガワが美少年美少女だから限界レッドラインで許せる性格。
そういうの鼻につくよね~って言われると、わかる~って返すしかないんだけれども、そういう拗れた美少年美少女の物語って私好き~って言われると、わかる~って力強く頷くタイプ。
まあ、要するにオタクがオタクのために書いた物語。この作者の芸風ていうか、根差したものていうか、これまで食べてきたものがドスコォォォォォッッイッ!!!!ゴッチャンデスッ!!!!!!!って全裸にダイレクトに節操無く反映されているから、合わない人にはとことん合わないし合う人にはとことん合う。
でも、本読む奴ってみんなオタクなので、だいたい合うと思う。合わないのは同族嫌悪。君の中の大澤めぐみが、真の大澤めぐみを決めようとファイティングポーズを取っているだけ。いや、流石に冗談だけれども。近い感情はあると思う。
少なくても、俺は素直に好感を抱けた。キャラクターの思想。物語のテーマと魅せ方。描写の拗れた精緻さ。
あと、レズ。いや、百合?
ガチな奴では無いんだけれども。なんていうか、こう、自我が未成熟な思春期の少女が抱きやすい、同性への憧れが揺れて歪んで生まれた愛情。プラトニックレズ。思春期の少女だけが持つことを許される感情。一夜花みたいな。こういうの好きでしょ?って聞かれたら、好き!って答えちゃうの。オタクだから。
物語の根幹のジュブナイル部分も、なんていうか、こう、オタクが憧れて布団の中で想い描いた、もしくはワイワイ騒がしい教室の隅っこで想い描いた、理想のジュブナイルみたいなところがあって、ああ~わかるわかる、こういう妄想したわってノスタルジーな気もちになってくる。これが読んでいて滅茶苦茶居心地が良い。よく言う実家みたいな安心感。あれあれ。すっごいシンパシー。
それでいて変に生々しいところがあるから、妄想練度の高さが痛いほどに伝わってくる。つか痛い。
痛いって最高にオタクでジュブナイルだよね。そう思った。
これはとても良い物語だ。本になったら買いたい。本にしろ。