『フィン王国を滅ぼした五人の「悪党」』

一、はじめに

 フィン民主国の前身となる、フィン王国(アドレスタ王朝)は凡そ五百年に渡る歴史を持ち、中期にはアーシア大陸の中でも最も恵まれた国とすら言われた。しかし、晩年に起こった市民による革命は、五百年の歴史などものともせずに、王族も貴族も全てを歴史上の物へと変えてしまった。かつてはこれを「民主化の勝利」とし、革命軍の結束のみを勝因としていたが、近年では王朝そのものの衰退が原因であったと考えられている。しかもその衰退は僅か十年と掛からなかった。

 本書では各研究で幾度となく取り上げられてきた五人の「悪党」について、述べていこうと思う。


二、【翡翠王】カミルア・ヴァ=ル・フィン・アドレスタ


 フィン王国が滅んだ最大の原因として知られる、最後の王である。王位についた頃は賢王とまで呼ばれており、いくつもの政策を成功させてきた。だがいつしかそれは暴虐なまでの悪政となり民を苦しめ、遂には革命軍によって肥溜めに叩き落とされた。

 その美しさから「翡翠王」と呼ばれたカミルアは、いつから暴君となったのか。多くの研究者は「ガラン戦争」を候補に挙げている。


 ガラン皇国(現シスカ公国)との戦争は、当初は負け戦と見られていた。フィンの兵力は敵国の半分しかなく、その二年前の飢饉によって財政は底をつきかけていたからである。

 国王のカミルア(翡翠王)はこの時、二十歳を迎えたばかりだった。皇国に服従するか抗うかの選択を迫られたカミルアは、私財を投げ打ち資金を調達すると、それを市民に与え、各地の領主にはそれを徴収対象としないように命じた。それとは別に貴族階級を対象に戦績に対する報酬を提示し、より多くの敵を倒した「領地」に税金の免除を約束した。

 ほぼ捨て身の作戦は、しかし飢餓状態から脱したばかりの人々には効果的だった。最初に握らせた少しばかりの金を更に手に入れようと領民は立ち上がり、領主たちは自分の戦力を高めるために彼らを優遇した。国の士気は高まり、かくして絶望的とまで言われたガラン戦争は、皇国側の撤退という形で幕を閉じたのである。

 このことが、若きカミルアにどのような影響を与えたかは想像に難くない。自信家であり、同時に幼い頃から生まれ持った美貌を称えられてきたカミルアは、自分の「政略」に対して絶対の自信を持つようになった。


 カミルアは父王が残した側近の殆どを退け、自らが見出した者を取り立てた。その中には悪名高き大臣、ヨギラ・メルトンもいた。彼については後述する。革命が起きる前の五年間だけ見ても、カミルアが登用した者たちはお世辞にも有能とは言えなかった。唯一の例外は、王の幼き頃からの世話役であり左大臣でもあった、フィリップ・カロン・ソーン伯爵である。フィリップは交渉の妙手と言われ、国内でほぼ二分化されていた「オルト派」「アスト派」の両方から信頼を得ていた。だがフィリップは、カミルアの悪政に見切りを付け、ある日唐突に彼の元を去った。その時の様子が『王室附記』に遺されている。


 朝食後のティータイムを楽しんでいた王の元に、伯爵が大股で近づいてきた。最近どことなく互いに避けているような雰囲気だったため、部屋にいる我々は緊張を隠し切れなかった。

「陛下、お話があります」

「なんだ」

「お暇を頂きにまいりました」

 王は驚いた顔で伯爵をご覧になった。我々も、いつものような冗談だと言うのを望んでいた。だが伯爵は冷たく同じ言葉を繰り返した。

「何故だ、理由を言え」

「貴方が昨日、メルトンの政策を取ったからです」

 伯爵の言葉に王は少し笑みを見せた。

「なんだ、くだらない。拗ねているのか? 次はお前の話を聞く。それでいいだろう?」

「本気でそう思っていますか? 私が、拗ねていると」

 王は笑みを消して、理解出来ないように伯爵を見た。しかし段々とその表情が強張ったかと思うと、一瞬だけ怒りのようなものが過ぎった。

「カミルア、友として警告しますよ。貴方は増長している。このままでは国が滅ぶ」

「私は民のことを考えている」

「貴方が考えているのは頭の中の民だけだ。本当は……」

 伯爵は今まで見たこともない冷たい笑みを浮かべた。その態度はまるで、我々にも見せつけているかのようだった。

「本当は皆、貴方のことなんか嫌いですよ」

 王は椅子を倒して立ち上がり、伯爵に掴みかかろうとした。だが伯爵が微動だにしないのに気が付くと、寸でのところで踏みとどまった。

「私の元を去ると言うのか。共に誓ったではないか。国のために手を取り合おうと」

「ですから、その価値は貴方にはなくなりました。残念です、カミルア」

 伯爵は力ない笑みを見せて首を左右に振った。

「もう私は疲れました。貴方はとっくに私を友人だとは思っていないでしょう。それがどれほど私を苦しめたかわかりますか?」

「何を言う。お前は私の友だ」

「黙っていなくなるのも失礼なので挨拶に伺いましたが、本当はもう貴方の顔など見たくない。希望と自信に満ち溢れ、輝いていた私の友は消えました。今の貴方は人を踏みつけて、たまに爪先で撫でて優しさだと思っているにすぎません」

 伯爵は一歩下がると、敬礼をした。

「カミルア、どうぞ体には気を付けて。それが私の最後の親愛です」

 伯爵が部屋を去ると、王はカップを壁に投げつけた。そして苛々とした足取りで何度も部屋の隅から隅までを往復した。しかし、やがて落ち着いたように深呼吸をすると、部屋を出て行こうとした。

「王よ、どちらに」

 それを留めたのは、朝からでっぷりとしたメルトン大臣だった。王が伯爵のことを話すと、大臣はおかしそうに笑った。

「伯爵の駄々にも困ったものですな。なぁに、そのうち許しを乞うてきますよ。王は臣下を追いかけてはなりませぬ」

 部屋にいた誰もが、その時大臣に嫌悪を抱いていたに違いない。彼のために、王は完全に友を失ってしまったのだ。伯爵のような友は王には二度と現れまい。

(『王室附記』第二十二巻 八十四ページより抜粋)


 この時にカミルアがフィリップを追っていれば、フィン王国の滅亡は回避出来たかもしれない。フィリップがいなくなったことで貴族間の対立は高まり、カミルアはそれを抑えるために無茶な政策を何度も打ち出した。

 フィリップを失ったカミルアは非常に精神的に不安定になったという。しかしそれに同情することは出来ない。友を失ったのは他ならぬ彼自身の責任だからだ。


 王城に革命軍が乗り込んだ時、カミルアは身なりを整えて自室で彼らを待ち受けた。最後の誇りを守ろうとしたのである。だが、彼は自分がもはや王の器でなくなったことに気付いていなかった。革命軍のリーダー、ストレイ・ファデラースにより麻袋に詰め込まれたカミルアは、棍棒によって息絶えるまで殴られた。最後は厩の肥溜めに落とされ、三十年の命をそこで終わらせたのである。



三、【成金隊長】イーヴィ・リド・ガルガ


 王国最後の近衛隊長である。一般には殆ど知られていないが、研究者の中には彼こそが最大の戦犯だと言う者もいる。だが一方で、彼の無能故に近衛隊が弱体化したことを考えれば、革命における最大の功労者なのかもしれない。


 イーヴィが近衛隊の隊長になったのは、革命が起こる二ヶ月前のことである。その前は金庫番の座にいたが、そもそもが生家である男爵家が金を積んだ結果とされている。イーヴィの前の近衛隊長は「士気を下げる振舞が目立つ」として王により除隊処分にされている。

 実際にはこれはイーヴィによる陰謀である。イーヴィは華美なものを好むカミルア王に擦り寄るため、兵士達の装束を派手なものにしようとした。本来良質な鋼を手に入れるための金で鎧を飾るガラス玉や装飾品を購入し、兵士たちに惜しみなく配った。更に実家からの多大な援助金で黄金の鞍を作り、それを王に献上するなどして、自らの後ろ盾を作ろうとした。

 近衛隊長はそれを咎めようとして王に直談判したが、逆にそれを反逆的行為とされてしまった。当時の記録には以下のように記されている。



 ……ウル殿はいかにも面倒そうな顔をしてみせた。王の前にも関わらずである。そして遂には嫌気がさしたように赤いマントを剥ぎ取り、地面へと叩きつけた。

「あぁ、もう結構でございます。ガルガの成金野郎が欲しいというなら、このマントを差し上げましょう。王もそれをお望みでしょうから」

 侮辱とも取れる行為に、イーヴィは鷲鼻を真っ赤にして目を吊り上げた。

「無礼な。貴方のような者が近衛隊長であるとは不敬の極みだ。王よ、厳罰を望みます」

 謁見にて厳罰を求めることは、即ち処刑を意味する。王も最早、口うるさいウルに対して愛想も尽きたようだった。今までもそうだったように、右手を少し持ち上げて処刑を告げようとした。しかしそれを制したのはウルの一声だった。

「王よ、その手を上げきる前にお願いがございます。我が一族がこの国の未来を案じていることはご存知でしょう。一つ、ガルガと手合わせさせてはくれませんか」

 室内にいる者は一様にざわめいた。イーヴィの顔は紙のように真っ白だった。無理もない。金庫番である男は、剣などは少しお飾りに振るう程度である。白い顔の中央で未だに赤く熟れている鼻をひくつかせ、イーヴィは言葉を絞り出した。

「ぶ、無礼だ。無礼だぞ。大体貴殿のような者がいるから、近衛隊の士気が乱れたのだ。良いか、必要なのは身分だ。金だ。家柄だ。人を動かすのに必要な力だ。剣の腕だけしかない野蛮な下級貴族に腕を試される謂れはない」

 何人かが笑ったようだったが、ウルの直属の部下たちは身を固くしている。彼らは知っているのだ。ウルが権力や金などには固執しないが、気位だけは高いことを。

「私は王を守る近衛隊の者として言っているだけだ。私より弱いかどうか確かめても問題はないだろう」

「処刑が怖いからそんなことを言うのだろう。貴殿の魂胆はわかっている。今すぐ撤回をするのであれば、こちらも進言を取り下げよう」

「口を慎め、三流貴族が!」

 室内にウルの声が響き渡るに至って、全員が漸く恐怖を覚えた。

「撤回しろと言ったな。撤回などしてやるものか。貴殿こそ、無様に斬られたくなければ、先ほどのは戯言でしたと王に向かって言うが良い」

 イーヴィは剣幕に押されてその場に座り込んでしまった。戦場に出たことがない金庫番にはそれしか逃げる術がない。ウルは足元のマントを拾い上げ、それをイーヴィに投げつけた。どうやらそれで全ては終わった。王が先ほどよりも数段丁寧な声でウルを呼んだからである。王はイーヴィは「病気」だと言い、今までの言葉の全てが実施に値しないことを告げた。ウルはそれに満足すると、王に敬礼をしてからその場を立ち去り、二度と戻ることは無かった。(『最後の隊長 〜近衛隊隊員の証言〜』 第二章「断罪」より)


 ウル・フォン・セルバドスが去った後、近衛隊は頽廃に頽廃を極めた。鎧は薄くなり、実戦的な技術を持つものよりも、眉目秀麗な者が取り立てられた。所謂「実力者」とされた者たちは次々と除隊し、城を去った。此処に至ってもカミルア王は危機感を覚えなかったようである。イーヴィは金に物を言わせて近衛隊をただの歌劇団のようにしてしまったが、側近によれば夜毎、「三流貴族」と言われた悔しさで泣いていたという。

 これについては、ガルガ家が金で爵位を買った元平民で、イーヴィでまだ三代目だったことを考えれば仕方のないことかもしれない。だがそのような貴族は王政末期には腐るほど存在した。


 革命軍が王城に乗り込んだ時、まともに戦えるものは殆ど残っていなかった。イーヴィは金をばら撒いて許しを請おうとしたようだが、革命少女隊のリーダーであるマーセッタ・ビジィによって鼻と耳を削ぎ落され、王城前に生きたまま晒された。いつ息絶えたかは不明であるが、記録によれば五日目に鴉に顔の半分を啄まれながら「金はある」と叫んでいたということなので、少なくともそこまでは息があったということになる。



四、【傾国の悪女】ステラ・ラクシュ


 主に東派の研究者はステラ・ラクシュこそが最悪の戦犯だと非難することが多い。

 第一正教に属する聖職者でありながら、王の愛妾の一人であった彼女は、王の威光を笠に着て十八歳で司祭となった。彼女が王の愛人となったのは、十五歳の冬である。カミルア王が父王のために祈りを捧げに来た時に、夜の巡り火を口実に近付いた。ラクシュ家は北区一帯の農民を統率する豪農であり、当時は領主よりも権力があった。更に彼女の祖母は由緒正しきコルバの血を引いている。王もその背景を知って、彼女と関係を持った。

 ステラは非常に美しい少女であった。何枚か残っている絵はそれぞれ別の画家に因るものだが、いずれも長い艶のある緑色の髪に、透き通るような白い肌。血の透けた赤い頬は一致している。零れ落ちそうな大きな瞳の中にカミルア王の姿を描いた『傾国の司祭』は有名である。


 司祭となったステラは教会に集まった寄付金の半分を、自分のために使った。額にすると郊外の城一つが買えるほどである。何に使ったか全貌は定かではないが、半分は賭け事に費やされたとされている。当時は貴族たちの間でカードによる賭けが流行っており、上級のたしなみとされていた。ステラは自分でサロンを作り、そこに貴族や聖職者を集めてカジノの真似事をしていたようである。


 カミルア王はステラのためにいくつもの装飾品を与えた。特に多く与えたのは、真珠細工であった。ジンファ地方にあるキハ湖でのみ採取される真珠を使った細工はステラのコレクションでもあった。元々キハ湖は王室の所有するものであり、儀式に用いるための真珠を育てる神聖な場所であった。だがカミルアによる命令で真珠は悉く採取され、絶滅寸前にまで追い込まれた。

 ある年の豊作を祈る儀式では、真珠が例年よりも少なく、そして品質の悪いものしか採れなかった。儀式の進行はステラが行うこととなっていたが、真珠の出来を見て大袈裟に嘆いた。『キハ湖の真珠はなぜ消えたのか』では、以下のやり取りが提示されている。


「どうして真珠が少ないのですか。これは守人の怠慢です」

 司祭が声高に非難を向けたのは湖を守る一族だった。彼女はその首や指に付けた真珠の出所を知らないのである。否、正確に言えばそれがキハ湖のものだとは知っていた。しかし、真珠がどうやって出来るかは知らなかった。湖の底に潜ればいくらでもあって、好きなだけ大きく出来ると思い込んでいたのである。

 守人であるレハーニャス家の長は、静かに彼女の前に出ると真珠の出来が悪い原因について、極めて親切な口調で話した。要するに、ステラが原因だと皆の前で言ったのである。

 ステラは恥をかかされたと思い、司祭のローブを被るとその場で泣き出した。カミルア王は可愛い愛妾を慰めるために近寄りはしたものの、「大きな真珠を持ってくるように命令してください」と泣く彼女に対して、流石に何も言えなかった。何故なら一番大きな真珠は、ステラの首に掛かっていたからである。(『キハ湖の真珠はなぜ消えたのか』九十二ページより)


 ステラは男を手玉に取ることには長けていたが、他の教養は殆どなかったと言って良い。事実、前述の儀式も手順が覚えられなかったために服にいくつものカンニングペーパーを縫い込んでいた。しかしステラ自身は、自分のことを無教養だとは思っていなかった。その容姿により、何か出来なくても許されてきたため、「必死に覚えるのは不器量がすること」と思っていたのかもしれない。


 彼女は自分の正当性を微塵も疑わないままに奔放の限りを尽くした。第一正教はこのころ、非常に混乱を極めた。ネストリア地盤崩落事故の際に第二正教の教会にて第一正教の葬儀が行われたことが、それを示しているだろう。第一正教の財源は尽き果てて、満足な葬儀を執り行うことはおろか、それを把握している者もいなかったのである。


 美しく愚かな女司祭は、革命の日までその罪を知ることはなかった。教会に押し寄せた革命軍により群衆の前に引きずり出された時でさえ、彼女は何故自分が攻撃されるのか理解していなかった。

 全身の皮を剥がされて火に放り込まれた時、ステラはまだ十九歳だった。第一正教中央教会には豪奢を極めた彼女専用の部屋があったが、その部屋の前では飢えた孤児たちが木の根をかじっていたという。彼女が撒き上げた金の中には孤児院の運営費も含まれていた。


 いくつかの研究では、ステラは革命軍により悪女に仕立て上げられただけで、本来はただの愚かな愛人に過ぎなかったとされている。しかし、第一正教中央教会に遺された彼女の部屋に刻まれた言葉は、その説を打ち消すには十分だろう。


「人なんて掃いて捨てるほどいる。私が使って何が悪いの?」



五、【狂詩人】オストラー・エクトラー


 宮廷お抱えの詩人、オストラー・エクトラーは他の四人と明らかに異なる点がある。それは、他の者たちは決して国を滅ぼすつもりなどなかったのに対し、オストラーは明らかに国を滅ぼそうとしていたという点である。

 オストラーの母は、シグ・トリフィン子爵家の出身である。東区の大商人の次男坊の元に嫁ぎ、オクトラーを産んだ。金銭援助を目的とした結婚であったが、夫婦仲は良好であった。

 夫婦には、子供を芸術家にしたいという夢があった。そのため、生まれた男児に徹底した芸術教育を受けさせた。オストラーは六歳を迎える頃には大人顔負けの詩を詠み、歌を歌い、絵を描いた。周りは彼を神童と称え、両親が彼のために開いた個展にはいつも人が詰めかけた。残されたオストラーの作品を見る限り、才能は本物だったようである。

 オストラーは芸術に対する欲求が人並外れて高かった。彼が人から評価されていたのは詩であるが、本人は絵を書くことを一番の喜びとしていた。ところが、確かに彼の絵の才能は人より抜きんでていたものの、詩の才能と比べると明らかに見劣りがした。同世代に天才画家と謳われたテイラ・ルーンがいたことも大きかっただろう。彼女は、いくつもの絵をオストラーより早く世に生み出した。オストラーの描くものは殆どが彼女の二番煎じと受け止められたのである。

 テイラが存在しなければ、彼はただの詩人として一生を終えたかもしれない。オストラーは絵の才能を欲し、テイラにはない絵を描こうと足掻いた。彼はテイラに嫉妬すると同時に、途方もない憧れを抱いていた。彼の友人であった音楽家、ルグド・アイエル(後に革命軍に参加)は自伝『不協和音と共に』で以下のように書いている。



 オストラーの家に遊びに行くと、彼はキャンバスを前にして憤怒の表情を浮かべていた。青い空と王家の墓を描いたそれは、僕の目には素晴らしいものに見えた。だが彼がそれに満足していないことは明らかだった。

「この陳腐な絵を見て君はどう思う?」

「陳腐だなんて。素晴らしいと思うよ」

「私もそう思っていたさ、昨日まではね。ずっと自惚れていれば幸せだっただろうさ。あるいは自惚れのあまりにテイラの絵なんか見に行かなければね」

 僕はまた始まったと思って口を閉ざした。彼はテイラを目の敵にしているのに、どういうわけだか個展には必ず赴くのだ。そこに彼女の欠点の一つでも見つけに行こうとするかのように。

「彼女はね、似たような絵を描いていたよ。しかし彼女は木漏れ日の下で苔むした、名もなき戦士の墓を描いたんだ。あぁ、くそっ。嫌になる。彼女の目と私の目を取り換えることが出来ればどれだけ良いだろう。青々とした苔の下で、いつ誰が供えたかわからぬ野ばらが枯れている、あの光景を見つけることが出来たなら!」

 オストラーは傍にあったナイフを手にして、絵をズタズタに引き裂いてしまった。

「彼女が知らないものを描きたい。彼女が知りえぬものを絵にしたい。紛うことなき本物を私の手で生み出したいんだよ」

 今にして思えば、それが彼の転落の始まりだったのだろう。僕はそれに気が付かなかった。否、気付いたとしても他に何が出来ただろうか? 彼は国も平和もどうでもよく、テイラ嬢のことしか見ていなかったのだから。(『不協和音と共に』二巻 百四ページ〜百六ページ)



 オストラーは国が滅ぶ様を絵にしようと試みたのである。そのために彼は自分の才能を全て使った。王国中の様々な場所に足を運んでは、カミルア王とその側近たちが如何に国民をないがしろにしているか、詩や歌でもって広めたのである。それは半分以上事実だったとはいえ、かなりの悪意で以て装飾されていた。だが、平民たちにはそれで充分だった。


 オストラーによってカミルア王やステラの悪行は瞬く間に国中に知れ渡った。特に影響を受けたのは、革命の発起人であるストレイ・ファデラースが住んでいた、第二ライラック領(現中央区)である。王城が近い分、そこに住む者は一様に不満を抱えていた。領主のミデラ・オルス・ライラック家は比較的領民に寛容であったが、思いやりがあったかと言われれば甚だ疑問である。ライラック家は領民たちを「躾けなければならぬ野生動物」と見做し、生活様式の細かい箇所まで「指導」し、それに外れた行いを見れば容赦なく罰した。オストラーが与えた情報により、反王政運動が始まったのは、極めて当然の流れだったと言える。


 革命が高まりを見せる中、オストラーは城内にある自分の作業部屋に籠って絵を描き続けた。寝る間も惜しみ、水とパンだけを口に入れ、取りつかれたかのように絵に没頭した。

 その絵は非常に大きなものだったとされるが、現物は残っていない。革命軍が城内に入った時には、オストラーはその絵を破り捨ててしまっていたからである。骨と皮ばかりになったオストラーは正気を失い、何か叫びながら城を飛び出していった。その後のことは杳として知れない。彼が発狂したのは、窓の外の景色を見たのが原因だとされている。その時、城壁まで迫っていた革命軍が掲げていた旗は、テイラ・ルーンがデザインしたものだったのである。



六、【無能の大臣】ヨギラ・メルトン


 翡翠王に唯一同情すべき点があるとすれば、右大臣がヨギラ・メルトンであったことである。魔法研究では優秀だったヨギラは、確かに頭はよく口も回る男だったが、それだけであった。オストラー・エストラーは王国を滅ぼすために各地の民に王の悪政を触れ回ったが、その中にすらヨギラが大臣であることを愁いたものが多々残っている。


 ヨギラは代々氷魔法を研究する学者の家に生まれた。父親は魔法陣における第三経路を考案した、ジョー・メルトンである。ヨギラは英才教育を受け、十九の年で王立魔法研究室に入ることとなった。そこでの彼の評価は高く、特に魔法陣を使った攻撃魔法では右に出る者はいなかった。彼は三十歳までに十八の論文を執筆し、そのうち十三が残存しているが、いずれも当時としては非常にレベルの高い内容となっている。


 しかしヨギラは学者になるつもりは毛頭なかった。ヨギラは自分を勉強漬けにして青春を奪った父親を嫌悪していた。次第に彼は研究室に顔を出さなくなり、その代わりに中央区の広場で子供達を集めて魔法学について教えるようになる。この「青空学校」はすぐに評判となり、子供のみならず大人までもが広場の石畳に腰を下ろして真剣にヨギラの授業を聞くようになった。

 ヨギラは最初こそ普通の授業をしていたが、次第にそれは自己の持つ才能の誇示へとすり替わっていった。だが、聴衆の殆どはそれに気付かず、ヨギラのことを「メルトン先生」と呼んで、その内容を称えた。


 カミルア王がヨギラに目を付けたのは、それから間もなくのことである。弁の立つ学者崩れがいるという噂を聞きつけたカミルアは、自ら広場に赴いてヨギラに声を掛けた。カミルアは最初、「目だけがぎょろぎょろとした小太りの小男」のことをそこまで重要には考えていなかったが、その凄まじき弁論に圧倒された。ヨギラの言葉には聞いている者すらも賢く思わせるような不思議な魅力があったのである。

 カミルアはヨギラを側近に取り立てた。この時、研究室の責任者はジョナス・ナガル・ヒンドスタ子爵であり、カミルアは全ての魔法研究に関するやり取りを二人任せてしまった。

 ジョナスは魔法技術の発展に多く寄与した才人であるが、浮世離れしており、ある意味で非常に純真だった。ヨギラは元部下であったため、その性質をよく知っていた。ジョナスのことを持ち上げ、言いくるめ、ヨギラは研究室を自分のもののように扱った。


 ヨギラは次々と新しい政策を生み出しては、王にそれを進言した。彼の口の上手さに王は騙され、「まるでそれが最上の策であるかのように」施行を繰り返した。しかし、その政策は殆どが理想のみで作られており、国民の実際の生活など顧みていなかった。

 有名なものでは「富国作戦」がある。これは国民全員が国家労働をすることにより、交通機関や流通を整備し、二年で周辺諸国の倍以上の財産を手に入れようとしたものである。当時、駆け出しの学者で革命後には政府要人となったアッシュ・フラマイトは痛烈な批判を新聞に投書している。


 「富国作戦」というものが、あの小男のどこから発せられたかはわからないが、少なくとも奴の頭ではないだろう。あれは帽子を乗せる台である。少しでも恥じらいと言うものがあれば、あんなふざけた計算はしないだろう。

 諸君はあの内容を見ただろうか。非常に呆れたものである。メルトン大臣はご存じないのかもしれないので、此処は丁寧に説明しよう。

 ・十五歳以下の者は働かせるべきではない

 ・人は不眠不休で二年間働けない

 ・仮に働けたとして、その間の出生率は限りなくゼロとなる

 おわかりだろうか? 彼の計算は本当に「国民全員」なのである。貴方の家でかわいらしく微笑む赤ん坊も、隣の家でお茶を楽しむ御老人も、全て頭数に入れてしまっているのだ。それだけではない。睡眠時間も食事の時間も与えるつもりはなく、一つの咳とて許しはしない(なんと恐るべきことに、健康管理が懲罰の対象なのだ)。

 擁護派に意見を求めたところ「これは例え話であって本気ではない」と言った。それはそうだ。こんなことを正気で言うわけがない。流石の彼らもそんな言い訳しか出来なかったようだ。

 諸君、気を付けたまえ。次は大臣は死人より税を徴収するだろう。死すらもこの国からの救済にはならないのである。(『労働協名新聞』第八月十二日)


 この新聞は主に労働者階級に読まれていたもので、革命家ファデラースが立ち上がった要因の一つともいわれている。

 

 ヨギラは弁論は得意であったが、自分で何かしようとは思わない男だった。口先だけの理想は高いのだが、それを実現するための努力は他者に丸投げだったのである。当時、多くの風刺画はこぞって彼を題材とした。特にヨギラが椅子にどっかりと腰を下ろして「皆、国のために立ち上がろう」と誰もいない空間に叫ぶ絵は、歴史学の教科書でも有名な一枚となっている。


 革命前夜、ヨギラは城を抜け出して逃走を図った。薄汚れた服を着て、髭を剃り、髪も切って変装をした。国外に出るため、山を越えようとしたところ、本来あるべき道が整備されずに荒れ果てていたために道に迷ってしまった。徹夜で歩き回った彼は、ある小屋を見つけると助けを求めて飛び込んだ。

 しかしそこは革命軍のアジトの一つだった。ヨギラは変装を見破られて捉えられ、馬の尾に体を括りつけられて城までの道を引きずり回された。革命軍が王城の門を破った時、ヨギラであったものが馬の尾と一緒に揺れたという。

 言うまでもなく、山の道が整備されていなかったのは、彼自身の政策の結果である。そして得意の弁論は革命軍には何の役にも立たなかった。最も皮肉な死を遂げた人間である。


七、終わりに

 今回挙げた五人以外にも、フィン王国の終焉を招いたとされる人物は多く存在する。しかし彼らの行動を一つ一つ辿ると、この五人のいずれかに行きつくことが多い。多少の異論はあるにせよ、彼らの行動が大きく国の運命を変えたことは間違いないだろう。

 いままでこの世界では多くの国が生まれ、そして消えて行った。今あるフィン民主国とて、いつまで続くかはわからない。我々は僅か十年で転落するように滅んだフィン王国を忘れるべきではない。終焉はいつでもそこにある。大事なのはそこから目を逸らさないことだ。


[参考文献]

『王室附記』 フィン国伝承研究会編

『不協和音と共に』オーブ社 ルグド・アイエル

『最後の隊長 〜近衛隊員の証言〜』オーブ社 ミランダ・ファスナ他

『労働協名新聞総集 三版』 フィン民主国同盟新聞社編

『キハ湖の真珠はなぜ消えたのか』トラク社 クゼントル大学環境研究室

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