空想蔵書Ⅳ

『怪物たちの怪文書』

一.はじめに

 巨大犯罪組織『瑠璃の刃』壊滅後、ハリ共和国軍により各拠点に残されていた物品は全て回収された。その中には構成員による手紙や日記の類も含まれていた。この度、十年誓約により、その一部が研究機関向けに公開されることとなった。本書ではその中から特に幹部に関する資料を抜粋し、公的な資料だけでは追えない彼らの生身の姿に迫ろうと思う。

 今回の調査において、ハリ国立大学第八学部のイー・ラン教授にご協力いただいた。此処に厚く感謝申し上げる。



二.「金満家」の帳簿

[補足]

 「金満家」は毎日のように帳簿をつけ、自分の財産が増えるのを楽しみにしていたと言われている。また、その私腹を肥やすためには手段を択ばす、特に出身地である東ラスレの貴族階級に対しては非常に攻撃的であったとされる。

 彼が毎日欠かさずつけていた帳簿には、日記も同時に書き込まれている。壊滅直前に書かれたページには、幹部たちの動向が書かれており、金満家から見た他の幹部の印象が浮き彫りとなっている。


[本文]

 (前略)……双頭の蛇(注:ハリ国軍のこと)は、ついに恥を忍んでフィン国に助けを求めたようだ。会合にて『識者』が楽しそうに言っていた。頭でっかちの無能が。どうせいざとなれば、力ばかりが自慢の『選定者』に守ってもらうつもりだろうに。

 『魔導書喰い』は別のことを心配しているようだ、娘のことだろう。随分俗物になったものだと思う。しかし悪くはない。どうせ私とて金に執着する俗物だ。『人形遣い』のように達観するつもりもない。そういえば彼女は何やら熱心に、愛用のノートに何かを書き込んでいた。いつもの「シナリオ」だろうか。集団自殺などに拘らなければ、もっと効率的に殺せると思うのだが。

 『星見』はいつものように発声練習に余念がない。あの声は美しいと思うが、歌の良し悪しはわからない。歌を聞いても金にはならない。フィンの十三剣士隊には彼女の知古がいるらしい。誰だろうか。それは少し気になる。

 事の重要性をよくわかっていないのは『選定者』と『狩人』だ。特に『狩人』の愚かさには呆れ果てる。まだ前者は、そもそもの知的レベルが足らないから仕方がない。後者は判断能力を備えるだけの知能があるはずなのに、それを使役しようとしないのである。なんと勿体ない。無駄は省くべきだ。

 無駄と言えば、『怪盗』は今更何かを盗みに行くようである。人の顔が必要だ、と言っていたが何だろうか。あまり考えたくはない。会うたびに姿の違う奴なんて、親愛も何も湧くものか。

 『魔術師』は今日もいなかった。最近気が付いたが、あの小僧はもしかして時間の概念がないのではないか?


[解説]

 幹部たちは不定期に集まっては情報交換を行っていた。彼らの中に上下はなく、だからこその会合だったとも言える。

 金満家は基本的に幹部たちに良い感情は抱いていなかったようである。特に識者には辛辣とも言える評価を下している。捕縛された部下たちの証言からも、この二人は相容れぬ存在だったらしい。

 『魔導書喰い』の娘については長らくの不確定要素だったが、この日記から存在についての裏付けが取れた。消息については依然として不明のままである。



三.「選定者」の手紙

[補足]

 選定者は手紙をよく書いていたようである。彼のアジトから回収された書類のうち、半分以上は手紙であった。しかしいずれも投函された形跡はなく、また彼の手紙を受け取った者は存在しない。

 識字能力が低く、書き損じが非常に多い。以下にそれらを極力修正したものを掲載する。


[本文]

 親愛なる パパ そしてレーズンの小枝


 元気ですか。僕はげんきです。

 最近は、みんなが、何か、ざわざわします。ティカレスは、心配ないと言います。きっとそうでしょう。昔、犬のベイティー(※1)が焼かれて死んでしまった時も、ざわざわしましたが、心配はなかったです。そうでしょ、パパ。

 この頃、夢を見ます。昔の夢です。パパと一緒に釣りをしたのが懐かしいです。でも昨日は肉を食べる予定です。

 とっても時間がたつのが早いです。この前、魔術師が変なことを言いました。あいつは皆より子供なのに、いつも僕を馬鹿にするので嫌いです。皆もあいつは嫌いだと言います。いつも何か見ています。あの目は裂けた獣の瞳だ。親指を突っ込んで抉ることが出来たら、楽しいと思う。いつだったか、インスラーク(※2)で虫取りをしましたね、パパ。あれは楽しかった。パパはおふざけをするなと言ったけれど。でも魔術師は虫ではないので、つぶせないし、食べられないと思います。あいつはこわい。

 日も夕暮れになりました。そろそろ、おしまいです。人形使いが、笑っています。楽しそうなので僕も笑ったら、金満家に怒られました。あのぶよぶよしたお腹をビリビリと裂いたら面白いと思う。ぶため。

 何か、終わってしまいそうな気がします。パパ、それが何かわかりません。この楽しい日々が終わってしまうのは、かなしい。ひどく。ティカレスはそれを「不安」だと教えてくれました。僕は不安だ不安だ不安だ不安だ不安だ不安だ不安だ不安だ不安だ不安だ幸福だ(後の文字は判別出来ず)


※1 ベイティーという犬の存在は確認出来ていない。彼が在籍していたサーカス団に五歳で事故死した同名の少女がいる。年は同じで非常に仲がよかったという証言が得られている。

※2 東ラスレにあるインスラーク県。選定者はこの地方の中等学院に十二歳から十三歳まで在籍している。この時、同級生五名が相次いで行方不明になっている。


[解説]

 彼の手紙はその殆どが、自らが手にかけた父親に向けたものである。彼は父親を尊敬し、常にその死を偲んでいたと部下は証言している。

 「識者」ティカレスにより導かれた「選定者」においては、無垢すぎるが故に残酷だとするのが広く浸透している解釈である。しかし、この手紙から感じ取れるのは、彼に内在する狂気である。

 この手紙によると「魔術師」は皆から疎んじられていたらしい。しかし、特に彼が排斥されていたとする証言は無い。また金満家の日記などからも伺える通り、他の幹部たちと比べて若い人物だったようである。



四.「人形使い」のシナリオ

[補足]

 「人形使い」は敵対組織やターゲットを集団自殺させることに強い執着を示していた。彼女はそのためにシナリオを作り、それに従って行動していたとされる。今回、公開された中には彼女が最後に書いたシナリオが含まれていた。人に読ませることを目的としていないため、わかりにくい箇所もあるが、ここでは敢えてその解説を含めずに全文を掲載する。


[本文]

 最初に一人の死を持って幕は落とされる。

 幕を切り落とすのは、十三剣士の一人(無剣が相応しい)。

 布石として、金満家と怪盗には退場願う。彼らの欲望は劇の邪魔となる。怪盗には餌を、金満家には希望を与える。扱いやすいものは、最初に削ぐべきだ。舞台は不整合の集積体である。

 金満家は空の金庫を守って死ぬ。既にそのための準備は出来ている。

 怪盗は彼から盗み出した爆弾によって死ぬだろう。


 私の根城には「疾剣」「華剣」「曲剣」が訪れる。華剣が雄叫びをあげて、部下たちの体に次々と血を咲かせるだろう。特にリィム(※1)の体は酷く損傷する。顔の半分が失われ、膝から下が砕ける。その血を疾剣が浴びる。

 リィムの死を引き金として、残りの全ての部下が舌を噛む。奥歯に仕込んだ毒薬は使わず、噛み切られて収縮した舌を喉に詰まらせて、彼らは床に転がる。二人だけ死にきれずに北と西へ頭を向けて苦しむ。近くにある棒でその下顎を貫き、眠らせる。


 最後に残った私に、華剣が迫る。その体にはいくつかの血がついている。

 振りかざした剣を両手を広げて受ける。一刀目は少し浅い。私の出方を見るためだ。しかし、下手な真似をしないように右腕の腱を斬る。曲剣が二刀目を私の首の左側から、乳房に向けて振り下ろす。そして私は、こ――(絶筆)


※1 腹心の部下、リィム・アゼルスのこと。彼女のシナリオには彼がよく登場した。年齢や外見などから、人形使いの子供と言われていたが真偽は定かではない。



[解説]

 最も不可解な死を遂げたのが、人形使いである。

 彼女は自分と部下が死ぬためのシナリオを用意して十三剣士を出迎えた。シナリオに書かれた通りの出来事が起こったことから踏まえて、彼女はある程度の事象を予測し、コントロール出来る能力があったと推測出来る。その能力を以てすれば逃げることも可能だった筈だが、彼女はそうしなかった。何故かはわからない。彼女の部下たちは全て死んでしまい、シナリオの他に平素の彼女の思考がわかるものは存在しない。

 『一次社会新聞』の記者が、当時の紙面に載せた言葉をここで引用しよう。「恐らく彼女は自分の未来すら予測出来たのである」。



五.「怪盗」の目録

[補足]

 これは死んだ怪盗が直前に書き残したとされる「目録」である。怪盗の肉体は爆発により四散し、アジトも同時に爆破されたが、暖炉の中の燃えカスに混じっていたこの目録だけは無事だった。

 怪盗は何かを盗む際に最初に目録を作っていたという部下の証言があり、これは最後に盗み出したものだと思われる。


[本文]

・金満家より全ての財宝

・ハリ共和国軍第三部隊の倉庫より爆薬

・選定者からサクランボを一つ

・魔術師より剣を一振り

・星見の部下達の目玉を三つ

・魔導書喰いから赤いリボン

・人形使いより未決のシナリオ

・識者より逃走経路

・私の墓標を刻むナイフ

・狩人よりその主人格

・怪盗に相応しいデスマスク


[解説]

 文字は癖が多いが、意図的に崩された筆跡である。難解な綴りも正確に書いていることから、怪盗は教養の高い人間であったことが伺える。

 人形使いのシナリオと一部一致していることから、これは怪盗の最後の盗品に間違いないと推測出来る。怪盗が死の間際に使用した爆薬はハリ国軍から盗み出したもののようだが、それを裏付ける資料はない。

 怪盗の盗品は、いずれも組織壊滅時に使用されたようだが、用途と行方のわからないものも多い。自ら盗みだした物もあるようだが、その他のものについては不特定多数から依頼されたと見るのが妥当であろう。しかし、もしそうだとすれば幹部たちは自分たちの終焉に気がついていたということになる。



六.「魔術師」の部下による日記

[補足]

 魔術師については直筆のものは残っていない。というよりそもそも、文字を書くことが稀だったようである。西アーシア語に慣れていないとする説が有力である。部下が書いた日記が残っているため、代わりに掲載する。


[本文]

 今日も魔術師はワインのボトルに貼られたラベルを見ている。あの人は文字が読めるのだろうか。少なくとも何かを書いたり、読んだりするところは見たことがない。最近はエイトゥ(※1)を呼び出して「瑠璃の刃は犯罪組織か」と問うていた。高度な哲学なのかと思いきや、単純に疑問だったらしい。要するにあの人は自分がしていることが善なのか悪なのかもわかっていないのである。かといって知能に問題があるようにも見えないから、生まれ育ちの問題かもしれない。

 この前手に入れたショットガン(※2)は酷く気に入ったようだ。的を撃ち抜いて、珍しくはしゃいでいた。銀色の細工彫が特にお気に召したらしい。「動く的も欲しいから、誰か裏切り者になれ」と言われたので、何人か怯えていた。剣より銃が好きだと言うので、剣術が出来るのかと思ったら、それは全く出来ないという。なら何故そんなことを言うのか。考えるのは止めておこう。どうにも常識が違う。しかしあの人の場合は殺すことに躊躇いがないので、ある意味どんな武器でも良い気がする。

 「星見」とは昨日も一緒に出掛けたようだ。気が合うのだろう。「狩人」や「選定者」はあの人のことが嫌いらしい。なのにちょっかいを掛けにいくものだから、皆気が気ではない。


※1 「星見」の部下だが、魔術師の召喚にも応じていたようである。

※2 愛用のショットガン「スノーグース(雪の寓話)」のこと


[解説]

 魔術師は数年しかいなかったため、情報が非常に少ない。フィン国軍十三剣士隊の報告書によれば、魔術師は逃走したと言われているが、部下も同時に消えている。誰一人として欠けることなく逃走することは不可能であり、実際には殺害されているとするのが、西ラスレ法治庁の見解である。

 日記から読み取る限り、周囲とのコミュニケーション能力に少々難があったようだが、それで大きなトラブルを起こしたことはないようである。実力主義の瑠璃の刃ではその点は問題視されなかったのかもしれない。



七.「星見」の恋文

[補足]

 星見は「恋多き女」であったと部下やその関係者たちが証言している。彼女は気に入った者を見つけると、その人間に対して手紙を書くことが多かった。実際に自分で渡しに行ったという話もいくつか残っている。

 彼女は恋文をしたためる時、必ず薄青色の便せんに赤いインクで文字を書いた。筆跡は非常に美しく、その正体と推測されるアンゼリカ・メロウの物と似ている箇所もあるが、筆圧が極めて弱いために判別がつきにくい。

 彼女は瑠璃の刃が壊滅する三日前に、インデ・カーダンという男優に恋文を送った。証言によれば封筒には白い花が添えてあったという。


[本文]

 ”私の”カーダン様


 突然の不躾をお許しくださいまし。

 貴方は私を覚えているでしょうか。レンテマイトの橋で、私は貴方をお見掛けしました。緑がかった黒いコートに白と赤のカラーをつけていた貴方は素敵でした。まるで、『シーラ・ベルデット』に出てくるアインツ王(※1)がそのまま挿絵から抜け出てきたかのようでした。

 貴方は私を覚えているでしょうか。

 貴方が国立劇場にいることを知りましたので、舞台を見に行きました。あまり舞台というものは好きではありませんが、貴方に会いたい一心でございました。はしたない女だとどうか言わないで下さいませ。大いなる神の理は、愚かな女にとっては石ころのようなものなのですから。

 演目は『日陰にて輝く』でした。貴方は主役の横で佇む友人役でしたね。どうして貴方を主役にしないのかと、二階席のオーヴァルジュ(※2)で歯噛みをいたしました。この口惜しさ、わかっていただけるでしょう。金糸の入った服を着た貴方は美しかった。

 貴方は私を覚えているでしょうか。

 どうか誤解して欲しくないのですが、私は貴方と恋仲になりたいと思っているわけではないのです。ただ、貴方の深い黒い瞳に私を映して欲しかった。きっとそういう女の子は貴女には沢山いるでしょうね。

 貴方に見てほしくて、何度も足を運びました。でも貴方は私には見向きもしなかった。

 貴方は私を覚えているでしょうか。

 恋人になろうだなんて図々しいことは考えておりません。

 ただ、私は貴方が欲しいのです。欲しかったのです。止めることなど出来なかったのです。

 黒い瞳も細い鼻梁も男らしい顎も全部私のものにしたいだけなのです。それ以外のことなど望んでいません。貴方は私を覚えているでしょうか。貴方は私を覚えていたでしょうか。貴方は私を御存じでしたでしょうか。私は貴方を覚えていられるでしょうか。

 問いかける前にこのようなことになったのを残念に思います。女の顔を見て叫ぶ貴方へのちょっとした仕返しです。女性への扱いは丁寧に願います。

 素敵な顔をありがとう。大事にします。どうか貴方もお元気で。


※1『シーラ・ベルデット(原題:王女の秘め事)』はハリ国で広く親しまれる古典小説であり、亡国の姫シーラがその美貌で周囲の男たちを惑わし、狂わせていく内容となっている。登場人物の一人であるアインツ王は絶世の美男子で、物語後半で彼女の恋人となるが、最後はシーラの首飾りを飲み込んで絶命する。

※2 直訳すると「ヤマシギの巣」。席と席の間を示す用語であり、舞台関係者の特別席のことを示す。符丁であり、劇団関係者でなければ殆ど使われることはない。


[解説]

 この手紙が届く前日に、インデ・カーダンは「事故」で病院に運び込まれた。顔の皮が全て剥がされて、乾いた眼球は両方とも失明していたという。インデは手にナイフを持っていて、そこには顔の皮膚が付着していたが、剥がされた顔の大部分は見つからなかった。状況から見て自分で自分の顔を剥いだと見られる。インデは「女が顔を剥げと命じた」とだけ言い残して死亡した。

 恐らく、星見は仮面の下の顔をインデに晒し、それが原因で殺害に至ったと考えられる。彼女の持つ、歌で人を操る能力を以てすれば容易なことだっただろう。

 星見から恋文を貰った者は大部分が生存しているが、殺害されたのはインデのみである。彼女の素顔を見たのが原因であることは間違いないようだが、一体彼女の素顔はどのようなものだったのであろうか。

 恋文の中に頻繁に書かれている「貴方は私を覚えているでしょうか」というフレーズを彼女は好んで使っていたが、これは彼女が一方的に相手を恋慕していたためだとされる。当初から自分の力で相手を操れば良かった気もするが、彼女なりのこだわりがあったのだろう。



八.「識者」の懺悔

[補足]

 幹部の中で最も多くの手記、直筆の記録を残したのは「識者」である。元聖職者であった彼は、その高潔な性格を破壊した事件の前から、多くの書を読み、執筆を行った。瑠璃の刃が公的な発言を発信する際には、彼がその一切を引き受けていた。

 彼は「シスカ・マーダー」として殺害した十五人の犠牲者に対して、懺悔の気持ちがあったようである。彼のアジトから発見された「懺悔の書」の数がそれを物語っている。但しその内容は、通常の懺悔とは違う狂気に満たされている。彼の遺した懺悔書では「アリッサへの懺悔」が有名であるが、今回は新たに公となった「ホーリィへの懺悔(※1)」を取り上げる。


[本文]

 天の神よ、地の神よ、懺悔いたします。

 私がこの手に掛けた者たちのことを、再び悔い改める時が来ました。今宵はホーリィの番です。夢の中で彼女は私の第二座(※2)に腰を下ろして微笑んで居りました。改悛の時を与えてくれたことを神に感謝いたします。

 ホーリィはとても清らかな少女でありました。私は彼女には畏懼しておりました。神の御心のまま、ホーリィは全てのものに愛情を注ぎ、誰にでも優しい少女でありました。

 しかしそんな彼女を私は殺めなければいけなくなったのです。今でも考えます。もっと別の道はなかったかと。十四人は留保つきながらも殺めましたが、彼女のことだけはどうにか救うことが出来たのではあるまいか、と。

 彼女のことを殺さねばならぬと理解したのは、朝日の美しき夏の朝のこと、小鳥のさえずる音が白茶を淹れたカップに染みるような日でした。その日、朝の奉仕活動を終えたホーリィが私の家にやってきました。草むしりをした手は青々とした匂いがしました。私が彼女を労い、飲み物がいるかと尋ねると、彼女は少し悩んでから水を求めました。嗚呼、神よ。その時の絶望をどう言い表せば良いのでしょうか。私は彼女を殺さねばなりませんでした。とても狼狽したのを覚えています。あの時、神に告白すべきだったでしょうか。しかし、あの時の私は神や聖典からは程遠い、虚無の中にいたのです。

 私のこの告白について、下賤な新聞社はインクと紙を無駄にした記事を作りました。そんな暇があるのであれば、少しでも多くの金銭を孤児院に寄付すべきです。子供達に一つでも多くのパン、そしてミルクが渡ることを私は望んでいるのです。

 私がホーリィに恋愛感情を抱いていた、と梼昧なる記者は書きました。しかし神よ。私がそんなことで彼女を殺したのではないことは理解いただけるでしょう。それに彼女の名誉のためにも明確に否定いたします。私が彼女に抱いていたのは、肉欲的なあるいは利己的な愛情ではなく、親愛と敬愛でした。少なくともそのつもりでした。しかし彼女は水を貰う時に躊躇った。それが私の中にある酷くおぞましい事実に焦点を当てたのです。

 私はホーリィを見下しておりました。否、見下すというよりも彼女を自分と比較して自分がより優れた者であるという優越感を得ていたのです。それは幼い頃に兄と比較されていたせいかもしれませんし、私が生来持っていた気質かもしれません。後者であることを冀求いたします。

 ホーリィはあの時、朝から草むしりをして疲れていました。私は起きてはいたものの、まだ部屋の掃除を終えた程度で、彼女に比べれば全くと言って良いほどの為体でした。

 そんな私に対して、彼女は水を求めたのです。その時に白茶や酸味水を求めたとしても、当然の権利があったにも関わらず。彼女は私を気遣って、一番簡便に済む水を求めたのでしょう。

 その時の銷魂は私の心に大きな鉄槌を振り下ろしました。私は自分を守らなければならなかった。私の中にある様々な想いを寄せ集め、精神で出来た盾を作りました。しかしそのために、それまで無意識に隠していた心を見てしまうことになったのです。

 彼女と比べて自分が実に愚かで、傲慢で、そしてそれを悪いとも思っていない自分を知ってしまいました。だから私は、ホーリィを殺さねばならなかった。神の御名のもとに私は私の思う聖職者であらんとしたのです。神の与えたもうた試練を、私は越えることは能わなかった。だから今ここで懺悔をするのです。

 大いなる神よ。私を譏笑して下さい。願わくば全ての民に幸あらんことを。


※1 ホーリィ・エル・ビーガルは最後の犠牲者である。彼女はシスターであり、死に際に犯人に繋がるメッセージを書き残した。なお彼女は識者の姪である。

※2 識者は犠牲者の夢を度々見ており、いずれの場合も黒いテーブルと黒い椅子が置かれた部屋に犠牲者がいる描写が懺悔書に書き添えられている。「第二座」とはその部屋の中の二つ目の椅子を指す。


[解説]

 識者は本来は真面目で勤勉な聖職者であったが、この懺悔の書から読み取れるのは「混乱した自我」である。彼には正常であったころの記憶は残っており、しかしそれを上回る「性格の変化」のために殺人鬼へと変貌した。しかしその人生の半分以上を聖職者、または清廉な信者として生きて来た彼は、その全てを捨てることは出来なかったと考えられる。

 彼にとって懺悔をすることは、かつての自分と今の自分を妥結させるために必要な儀式であったのかもしれない。しかし彼が平素、それに苦しんでいたかと問われれば我々は答えを保留するしかないだろう。瑠璃の刃において彼が起こした罪は、懺悔の数など遥かに超えてしまっているからである。彼が本当にかつての罪に苛まされていたとするのなら、ハリの国土は懺悔書で埋まっていた筈だ。


九.終わりに

 今回悔やむのは、「魔導書喰い」と「狩人」についての手記が手に入らなかったことである。彼らの手記は発見には至っていない。特に前者については絶望的ではないかと思う。彼女の全貌を記録している魔導書は、壊滅時に失われてしまったからだ。しかしもし何かしらの資料が手に入れば、すぐに続編にとりかかろうと思う。

 『瑠璃の刃』についてはまだまだ謎が多い。壊滅に至った経緯も、彼らが何を目的としていたのかも、わかっていないままである。最近の研究では「金満家」が生前に作っていた『システム』のことが明らかになってきた。彼は他の幹部に比べると能力が劣っていると見做されていたが、実際には彼が幹部達のまとめ役であったのかもしれない。また「魔導書喰い」の娘がフィン民主国で目撃されたという話もある。彼女は今何処にいるのだろうか。

 『瑠璃の刃』は壊滅して二十年経った現在も、数多の人々の興味を惹き付けてやまない。それは彼ら全員が、純粋なまでに「悪」であったからだと思う。中途半端な善行や躊躇いが彼らには存在しない。だからこそ彼らには謎が多く、それが魅力的に映るのに違いない。


『怪物たちの怪文書』 クライス・ルトバール著

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