【終章】そして旅路は続く

「それでこそリスティス様の後継者。王都へは僭越ながら、神殿騎士の私が一緒に同行します」

「あ、リセルさん、ルーグ。今すぐ発つなんて、無理は言わないでよ?」

 アルディシスが慌てて二人の間に駆け寄った。


「外は雪交じりの嵐だし、もう日は暮れたし、それに……」

 アルディシスはリセルの顔を見てつぶやいた。

「壁画はどうなさるんです? まだ見つかってないのでしょう?」

 リセルは小さくうなずいた。


「壁画? あ、ああ……そうだったな。リセル、あなたが「神の山」の神殿に行ったのは壁画を見るためだったな。ちなみに、何の壁画なんだ?」

「えっ」

「そうそう。良く考えたら、私、リセルさんにちっともうかがってませんでしたわ。何の壁画をお探しなのか」


 リセルは興味津々で自分を見つめるルーグとアルディシスに困惑した。


「別に……無理してみたいわけじゃないんだけど……」


 エレディーンの名を出してもきっと二人にはわからない。あの時のルーグはエレディーンが宿っていたから、自分のことをリセルに知って欲しくて壁画の話をしたに違いないのだ。


 視線を彷徨わせたリセルは、ふと暖炉の上にある小さな壁画に気をとられた。

 まるで額縁で飾られているかのように、植物のつるが絡み合った飾り枠で刻まれた小さな壁画。

 そこには立派な大樹の幹に背中をあずけて、安心しきったような、うっすらと微笑をたたえて眠っている少女の姿が彫り込まれている。


「あら、ひょっとしてこれですの?」

 リセルの視線に気付いたアルディシスが暖炉に近付いた。


「かわいらしいでしょ? 私もとても好きな壁画ですの。普段、アルヴィーズ神は甲冑を纏った女性の姿で、いつも剣を握った戦いの場面の壁画ばかりあるんだけど、この一枚だけは違うの」

「アルヴィーズ……なんだ。この子」

 リセルは自分の中に封じ込めたアルヴィーズの『半身』、ルーと壁画の少女の顔が同じである事に気付いた。


「ええ。この部屋に壁画はここしかないんだけど、さしずめアルヴィーズの少女時代ってことかしら。それで、彼女が寄りかかっている大樹が、宿っている精霊の名前を取って『エレディーンの樹』というの」

「えっ」


 リセルは突如発せられたエレディーンの名前にどきりとした。


「アルヴィーズはある日、大切なものをこの地に埋めた。その下から樹の芽が出て、やがて旅人を日差しや雨から護る大樹に育ったそうなの。この大樹には精霊が宿っていて、時々旅人と話をしたり、不思議な力で傷や旅の疲れを癒してくれたそうよ。ほら、神聖上代言語で精霊の容姿が書かれている……」

「アルディシスさん。多分これだ。ありがとう」


 リセルは暖炉の縁に書かれた小さな文字を読み取ろうとしたアルディシスを遮った。

 やはりエレディーンは土着の民のみが知る神で、永くこの地を護っていたのだ。

 リセルはなんとなく壁画に描かれた樹に見覚えがあった。『聖なる森』で神々の夢を見た時に、樹齢千年を超えようかという巨木があった。ひょっとしたら身体を失ったエレディーンはあの樹に宿り、人々と交流しながら、自分との出会いを待っていたのだろう。きっと。

 リセルは自然と微笑が浮かぶのを感じながら、再び壁画に手を触れた。



   ◆◆◆


 

 翌日、朝食を取ってから、リセルとルーグは「神の山」の神殿を出立した。昨日の荒天が嘘のように治まり、澄み渡った空がどこまでも続く美しい朝だった。


「王都でまた会えるのを楽しみにしてますわ。そろそろ冬が来るので、私も一度山を降りるつもりですの」

 神殿の通用口の前にそびえる二本の水晶柱の下で、心持ち寂しそうに巫女のアルディシスが言った。

「じゃあ、お越しの際は神殿にも寄って下さい」

 リセルはそう言ったが、隣に立つ黒髪の神殿騎士はぶんぶんと首を横に振った。


「リセル、『大神殿』は全壊して、今その瓦礫を取り除く作業をしている。仮神殿もどこにするのか決まってない」

「え……」

 ルーグはにやりと唇の端に笑みを浮かべながら、リセルの肩を軽くこずいた。


「まあ、その諸々の問題を解決するためにも、あなたが早く大神官(アーチビショップ)になってくれないと困るみたいなんだな。二ヵ月後には早速アルヴィーズに国の安寧を祈願する『降臨祭』も控えている事だし」


 リセルはげっそりとして思わず嘆息した。

 自分で決めたこととはいえ、はやその現実から逃げ出したくなる。


「がんばって下さいね。リセルさん。いや、ハイ・プリースト=リセル様。立派になったあなたに会いに必ず参りますから」

 柔らかな金髪を風に靡かせながら、アルディシスが手を振った。


「ありがとう。努力してみます。いろいろお世話になりました」

 リセルはアルディシスに頭を下げて、山を下る道を歩き出した。

「アルディシス。何かあったらすぐに連絡を寄越すんだぞ。か弱い女が一人きりで、こんな山奥に籠ってるんだから」


 ルーグの言葉の後に、アルディシスのかん高い声が響き渡った。


「だったら私にも護衛の神殿騎士を寄越して頂戴!」


 それもそうだ。リセルは内心そう思った。何か起きてからでは絶対間に合わない。

 王都についたら早速誰か、アルディシスの護衛を手配しよう。


「そういえば……リセル」


 隣を歩くルーグに話しかけられて、リセルは妙な感覚を覚えた。いや、死んだはずの彼が隣にいる事自体、そもそもおかしいのだが。

 まあいい。この問題は『降臨祭』の時、国の安寧を願うついでに、喚び出したアルヴィーズ神へ直に訊ねてみることにする。


「何だい? ルーグ」


 黒髪の神殿騎士は、リセルの分の糧食や水筒が入った革の鞄を肩から下げていた。どうしても自分が荷物を持つと言ってきかなかったのである。


「あなたは魔法使い、なんだよな」

「それが、何か問題でも?」


 ルーグの言いたい事がよくわからず、リセルはいぶかしみながら彼の顔を覗いた。視線が合うとルーグは唇を歪めながら、右手を頭に当てて眼を伏せた。


「その、魔法使いなら、『飛べる』という話をきいたんだ。ひょっとしたら、あなたも王都まで一気に『飛ぶ』ことができるのかなと……ふと思って」

「……」

 リセルは足を止めた。ルーグも立ち止まる。


「そりゃ、できないことはないさ。何たってわたしは、神を喚ぶことができる魔法使いなんだからな」

「それなら!」


 ルーグのきりっとした眉の下で、青灰色の瞳が大きな期待に輝いた。

 だがリセルはその瞳を見つめたまま、素早く右足を引いて、ルーグの左足の臑を蹴り飛ばしていた。


「ぐはぁ! 一体何をする!」


 黒髪の神殿騎士は前かがみに腰を折り、リセルに蹴飛ばされた臑を両手でさすった。

 骨に直に伝わる痛みは自分もよく知っている。

 痛がるルーグの反応に懐かしさを覚えながら、リセルは両腕を組んだ。


「魔法は楽をするためにあるんじゃない。それに『飛翔』の呪文は人数と距離があればあるほど疲れるんだ。とにかく、王都へは歩いて帰る」

 リセルは未だ臑をさするルーグを放置して、木々の緑が眩しい山道を下り始めた。


『リーちゃんって意外とケチなのね。力を出し惜しみするなんて。あんたほどの魔力なら連れが一人増えたって、雑作もなく王都まで飛べるのに』


 リセルは一つの三つ編みに編んだ長いセピア色の髪を背中に放り投げながら、ルーの言葉に笑みを浮かべた。


「出し惜しみじゃないよ。わたしはただ……もう少しだけ旅をしたいんだ」


 再びこの地で出会ったあの黒髪の神殿騎士と。

 今度はちゃんと彼のことを知って、そしてできたらこれから待っている新しい生活において、力になってくれる存在であって欲しい。勿論、自分もそうありたいと思う。


「リセル! ちょっと待ってくれ!」


 リセルは振り返り、仕方なく立ち止まった。ルーグが左足を引きずりながら山道を下ってくるのが見える。


「……ただ、わたしの知っている『ルーグ』は、もっと頑丈だったんだけどな」


 小さくそう呟いて、リセルはルーグの方に歩み寄った。

 取りあえず、哀れな神殿騎士に自分の肩を貸してやるために。





『邂逅の森』 ―完―

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邂逅の森 天柳李海 @shipswheel

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