その13:北奥城バッティングセンター

 あたしたちが起きてすぐ、明科さんは言った。


「私は今思ってる」


 明科さんは今、思ってるらしかった。あたしは、明科さん何思ってるんだろうって、布団に女の子座りしながら明科さんの次の言葉に耳を傾ける。


「広丘さんの手料理が食べたい」


「わかったー」


 あたしは返事をして立ち上がり、共用キッチンに向かう。


「えっ」明科さんは体育座りから一瞬で膝立ちになって、あたしのパジャマの裾を掴む。「えっ、そんなに軽い感じなの広丘さん」


「えっ何が?」あたしは振り向いて明科さんを見下ろす。明科さんは自分の布団の上で、めっちゃびっくりした顔してる(あたしが起きたときには、明科さんは自分の布団に戻って寝てた。正直めっちゃ寒かったし一緒の布団で寝てほしいって思った)。「朝ご飯作ればいいんでしょ?」


「えっ、うん」明科さんはカクカクした動作で頷く。


「簡単なものしか用意出来ないけど。冷蔵庫に何入ってるかわからないし」共用キッチンには、なんか場違いに大きい大容量の家庭用冷蔵庫が置いてあったけど、これも共用だろうからあんまり中身は期待出来ない。ひょっとしたら近くのスーパーとかコンビニまで行かなきゃいけないかもしれない。それはちょっと面倒だけど、まぁ明科さんに頼まれたんだから頑張ろう! くらいにあたしは思ってる。


「えっ、そもそも広丘さん料理できんの?」明科さんはまだびっくりしてるし、なんか失礼なこと訊かれてる気がする。


「えっ、うん。あっ、でも料理できるってどのあたりからそう胸を張って言えるんだろう……。カレー作れるくらい? 煮物? 創作フランス料理?」


「カレー……?」明科さんは首を傾げながら訊く。


「カレーはね、ルーの箱の裏に書いてある手順で作ればちゃんとカレーになるよ。スパイスから作るのもね、レシピ通り作ったらちゃんとカレーっぽいのになるよ」口ぶりからして明科さん全然料理できなさそうだから、そのテイであたしは話を進める。


「なんか、大さじ一杯とか、とろ火で~とか、お好みで塩を少々とか、そういうのあんじゃん」明科さんはろくろを回してるみたいな手付きで、難しい顔で言い始める。「うん」あたしは頷く。「明言して欲しいんだよね。大さじってのは具体的に何グラム掬えるスプーンのことで、そのグラム数からちょっとでもずれたら大さじとは呼ばない、みたいな。とろ火ってのはコンロからどれくらい火が出てる状態のことを指すかって図解してほしい。まぁ、うちIHだったけど。とろ火ボタンあったけど。お好みで少々とか頭が痒くて発狂しそうになる。それは誰にとってのお好みなんだ~! って。それ初めて作って食べる料理だったら好みも何もねぇだろ! ってなる。ならない?」


「ならないよ」あたしはふるふる首を振る。


「ならないの?」明科さんはそれマジ!? って顔であたしを見上げてる。


「そんなの全部テキトーで良いんだよ。失敗したら今度作るときの参考になったねってなるし。別にそんな全部捨てようみたいな失敗もそうそうしないし。味濃く作っちゃったらご飯とかパンとかと一緒に食べて調節すれば良いし、薄く作っちゃったら、例えば塩味が欲しいな~って思ったら塩かければ良いし」


「なんか、料理できるひとみたいな言葉だ」明科さんは感心してる。


「でも、たぶん料理できるって要領の良さ? みたいなのかもしれない。あっち作ってる間にこっちの下準備して~みたいな。レシピは覚えなきゃだけど、いちいち細かなところであたふたしてたら、美味しいカレーが作れても料理できるってあんまり言わなそうだよね」あたしはまだ料理を覚えたての頃の失敗を思い出してる。サラダの盛り付けに熱中してたらカレーを鍋の底にこびり付かせちゃって、後でたわしで鍋底をゴシゴシした記憶。「お菓子だとレシピはもっと重要になるけどね」お菓子はちゃんとプロのレシピ通りに作ろう。


 というわけで、あたしは共用キッチンを共用キッチンらしく勝手に使って、あれこれ作った。幸いにも買い出しに行かなくて良いくらいには冷蔵庫に食材が入っていた。


 ご飯と、お豆腐のお味噌汁と、醤油の卵焼きと、ナムルっぽいキュウリのピリ辛浅漬け。


 食パンとトースターがあったからトーストした食パンにマーガリン塗って完成! でも良かったんだけど、料理作ってほしい! って言われてそれ出したらドン引きされるだろうなって思って、さすがにボケでも無いなと思ったからやめた。あたしだってそれくらいの空気は読めるのだ。


 共用スペースっぽい大勢で座れるテーブルに、なんかその辺にあったオシャレっぽい、東南アジアっぽい柄のランチョンマットを引いて、その上に料理を並べた。なんかオレンジページとかの『忙しい主婦のためのかんたん朝ご飯特集!』とかに載りそうな感じに。


 明科さんはあたしが作った料理(って言って良いのか微妙なところだ)を前にして、めっちゃびっくりした顔して料理とあたしの顔を見比べてる。


「コレ、広丘サン、ツクッタ、ホントウ?」


 明科さん、びっくりし過ぎてカタコトになってる。「ベリーベリーイエス」あたしもたぶんめっちゃカタコトな英語(英語か?)で答える。「別に大したもの作れなかったけど、召し上がれ~」あたしは両手を合わせて「いただきま~す」って言う。明科さんも思い出したように手を合わせて「いただきます……」って、まだ釈然としなさそうな顔で言ってる。


 ズズッてお味噌汁を飲みながら、お碗越しに明科さんを窺ってみる。明科さんは箸で中身を掻き混ぜながら、あたしに続いてお味噌汁をズズッて啜る。「美味い……」パって目を見開いて、明科さんはそのままズズイッてお味噌汁を半分くらいまで飲んだ。


「味噌汁って」明科さんは言う。「家庭の味ってのが結構露骨に出るじゃん。カレーの次くらいに」明科さんの言葉に、あたしは「そうなの?」って答える。あたしは余所様のお宅のお味噌汁を飲んだことが無い。「そうだよ」って明科さんは答える。「いや、普通に使ってる味噌とかダシとか。味噌って色んな種類があるし、ダシも幾つか種類があるっぽい。入れる具も違うし、同じ具でも量とかも全然違うでしょ。だから同級生の家に泊まりに行っても……、いや、お店に行っても味噌汁の味って店によって全然違うじゃん。あ、ここはカツオダシだなとか、これは見るからに白味噌だな、みたいな」明科さんの言葉に、あたしはうんうん頷く。「まぁ別にこの味噌もダシも広丘さんが厳選したものじゃないのは見てたけど、なんだろう、私は好き。うん」「別に全然凝った作り方してないけどね」あたしは答える。カツ節からダシを取るとか。その辺にあったほんダシを使ってしまった。料理ってたぶんそういう一手間がモノを言うんだろうけど、特に朝ご飯だったら時間との勝負になるわけだから、そういう一手間を惜しんでしまう気持ちはある。そんなこと毎日してられないし。


「卵焼きも、うちは甘いのが普通だったから、醤油のやつって新鮮かも。これだけでご飯のおかずになるね。美味しい」


「うちは醤油の卵焼きが普通だったよ。甘いのだとお父さんが怒るんだよね。そんなんじゃメシが進まない! って」


「浅漬けも、こんな短時間で作れるんだね。でもちゃんと漬かってる味になってるし」


「ホントはもうちょっと漬けた方が良いんだけどね。でも一応はご飯を炊く前から用意してみました。あとキュウリもただ切るだけじゃなくて叩き割りにするのがミソです」


「なるほどなぁ」明科さんはうんうん頷く。「広丘さん手順に迷いが無かったし、手慣れてるなぁって感じだった。ラインナップだけだと私にも頑張れば普通に出来るんだろうけど、そこまで手慣れてる感出すためには何日朝食を作れば良いのやら」明科さんは浅漬けをパリパリ食べながらしみじみ言う。


「料理上手は一日にして成らず、なのですよ」あたしは偉そうに言うけど、でも別にキッチンに立つのは三日に一度とかだったよ、とかは言わないようにする。余計なこと言ってね、ハードルを下げたりするとね、明科さん要領良いから普通にあたしの出番が無くなりそうだしね。「あっ」って、あたしはそう思ってみて初めて気付く。


「なんか」あたしは、今思ってることを素直に言ってみることにする。「ようやくあたしが役に立ててるって感じになった気がする」そう言ってみて、あたしはあたしの言葉がすとんと腑に落ちる。「あ、あたし負い目があったんだ。なんか明科さんにただついて行ってるだけ? みたいな状況が、やっぱり申し訳無かったんだ」


「そ? 広丘さんが負い目に感じることなんて、何も無い気がするけど」明科さんはずっとそう言ってくれてるけど、でも、あたしはやっぱり、そう言ってもらったからってそうは思えなかったんだって強く実感する。


「あたしは、あたしが出来ることで明科さんの役に立ちたい。だって……」あたしはちょっと考えてみて、頭の中にあるこの抽象的な気持ちを何とか言葉にするために捻り出す。「……あたしは、明科さんに連れて行ってもらいたいわけじゃない。きっと。あたしも何か一つでも役に立たないと、きっと、あたしはあたしのことが許せなくなりそう」ホントは一つなんかじゃない。もっと沢山役に立ちたい。あたしが明科さんを連れて行けるようにすらなりたい。でもそれはちょっと荒唐無稽っていうか、あんまり現実的じゃないから、言葉にはしない。「広丘さんはマスコット的ポジションなんだから、大きくデーンって構えてもらっていて構わないんですぞ?」って、明科さんが本気か冗談かわからない感じで言う。「あたしマスコットはマスコットでも働けるマスコットになります!」あたしはそう言いながら、全然違うことを考えてる。「あ、広丘さん今ヘンなこと考えてる」明科さんはそれを簡単に見抜いてみせる。「マスコットとマスカットが似てるって思ったらマスカット食べたくなってきた」別に隠すことでもないやってあたしの言葉に、明科さんは「はぁ~~」って大きなため息を吐いて、ポケットをがさごそやる。「そう言うと思って、ちゃんと用意してたよ」出てきたのはマスカット味の平たいガム、8枚入り、おくちが潤うやつ。「明科さん、ガムはおかずにならないよ」あたしはキッパリ言う。「海苔みたいにくるくるってご飯を巻いて――」「明科さん」あたしは強い口調で言う。「ダメだよ」「……はい」あたしたちはそれからもくだらないことをペチャクチャ喋りながらご飯を食べた。その後は二人で洗い物をしながらマスカット味のガムを噛んだ。「思うんだけど、グレープ味とマスカット味の違いってなんだろう」あたしのどうでも良い疑問に「さぁ、香料の配分じゃない?」って、明科さんは身も蓋もないことを言った。「まぁ、色が違うだけだと思うけどね」もっと夢が無いダメ押しをされて、あたしはゴシゴシゴシゴシお茶碗を洗った。「そりゃそうだけどさー」って頬を膨らませたら、明科さんは泡まみれの手であたしのほっぺをつんつんしてきてホントにびっくりした。でも結局あたしたちはいつもみたいにわはわは笑い合って、洗い物は片付いた。


「なんか身体動かしたい」


 順番に朝シャンして着替えて荷物も整えて、よし出発するぞ! って段になって、明科さんは唐突にそんなことを言った。


「じゃあラジオ体操する?」


 あたしは頭の中でラジオ体操を流してみる。二番があやふやだってことに気付いて、やっぱりやめようって言おうと思ったら「そんなオジサンっぽいのはゴメンだね」って明科さんはキッパリ言ってみせる。


「バッティングセンターでしょ」


「そっちの方がオジサンっぽくない?」ってあたしは思ったけど、言ってた。「そ、そうかな……」って、明科さんは割と本気で面食らった顔してる。「ゴルフの打ちっ放しよりはマシかな……」って、あたしもなぜだか不安になってくる。「で、でも行きたいなら行こうよ! バッティングセンター!」あたしは気を取り直すように元気に言って、まだ自信無さそうな顔してる明科さんの背中をどんどん押してゲストハウスを出た。






 ゲストハウス『日曜日』→北奥城バッティングセンター






 自分で提案しておいて「でもバッティングセンターなんてどこにあるんだろう」なんて言う明科さんに、あたしは「あたし知ってる!」って答えて、今日はあたし結構活躍できてるんじゃない!? なんて思いながら北奥城駅から回収したチャリを漕いで明科さんを先導してあげて、辿り着きましたるは北奥城バッティングセンター。別に案内するほどの距離でも無かったけど、まぁ案内してあげたと言えないことも無い距離だった。チャリでジャリジャリ10分くらい。今にも潰れそうな寂れたこのバッティングセンターには、今でも動いてるのがビックリなゲームばっかり置かれてるゲーセンが併設されていて(別にオーナーの趣味でそうなってるわけじゃなくて、まだ動いてるから置かれてるだけだと思う)、なんだか絶妙な雰囲気になってる。


 あたしたちは律儀に駐輪場にチャリを止めて、店内に入る。狭い受付と、狭い休憩室みたいなスペースと、ゲーセンに行くための、高校の校舎から体育館に繋がってる通路に似た雰囲気の屋外通路。あたしは休憩室の方に行く。日に焼けまくった廉価版のゴルゴと美味しんぼが巻数バラバラに本棚に詰められてる。あたしは「ふーん」って言いながらゴルゴを一冊手に取れば「広丘さーん」って明科さんに呼ばれる。あたしは開き掛けたゴルゴを棚に戻しながら「はーいー」って答えて明科さんがいる一番手前の打席にぱたぱた向かう。


「これ」明科さんはコイン入れる機械を指さして言う。「100円玉入れても出てきちゃうんだけど」釣り銭口から100円玉を取り出して、投入口に入れる。カランカラン言って100円玉が吐き出される。「私の100円じゃ不満だってか」明科さんは握った金属バットを機械に向かって振り上げようとするので「ダメだよ明科さんちょっと待ってて!」ってあたしは言って受付に向かう。「えーっとこの辺に……」なんて言いながら受付の中に入ってがさごそやれば専用のコインがじゃらじゃら入ってる箱を見付ける。何枚か持ってきて、1枚を明科さんに渡す。


「これを入れるんだよ! 1枚300円! 24球分だよ!」


 あたしが渡したコインをしげしげと見つめる明科さん。「えっ、300円って誰に払うの?」明科さんの疑問に、あたしは首を傾げて答える。「あたし?」「いや」間髪入れずに明科さんが言う。「広丘さんここのオーナーなの?」


「あそこの」休憩室を指さすあたし。「ゴルゴと美味しんぼは読み放題だから好きに読んでも良いよ」明科さんは休憩室を睨んで、あたしに視線を戻す。「まぁ、それはそうっぽいけど」とか言いながら機械にコインを入れる明科さん。「ほら、どいたどいた! 私のスイングが鳩尾を的確に捉えるぞ!」とか言われて、あたしは慌てて打席から外に出た。


 外に出て、気付いた。「明科さーん!」


「はーいー」ガゴンガゴン鳴ってるピッチングマシンに向かってバットを構えて、こちらを振り返ることもなく返事をする明科さん。


「これ」ボフッ。飛んできた球がキャッチャー代わりのネットに吸い込まれる。


「えっ」明科さんはバットを振る素振りも見せずに固まってる。「えっ」


「これ130キロだよ! 無謀だよ明科さん!」


「そんなこと言われたって」ボフッ。「えっ、球見えないんだけど」


「明科さん野球経験は!?」


「えっ、無い」ボフッ。


「無謀だよ明科さん!」


「えっ」ボフッ。


 とかやってる内に24球投げ終わって、ピッチングマシンは大人しくなる。明科さんは最後の方ちょっと振ったりしてたけど、飛んでくるボールにかすりさえしなかった。


「明科さん、ちゃんと球速の看板見ないとダメだよ」あたしはそう言って、一番向こうの打席の手前の打席を指さす。「あれが一番遅い80キロ」


「それを最初に言ってもらわないと」明科さんはやれやれって手振りでその打席に向かっていく。「あっ」そしたら途中で立ち止まって振り返る。


「いや、私だけなんか恥ずかしいところ見せちゃって恥ずかしいから、広丘さんも130キロ? にチャレンジしてみなよ」って言いながら、あたしに金属バットを差し出す明科さん。にししって笑ってる。あたしは金属バットを受け取って苦笑いする。


「130キロ、チャレンジした方が良いのかな……?」


「そりゃそうよ! 私もなんか後ろからあれこれ言いたい! 野球のことは全然わからんけど、バッティングフォーム? を指摘したりしたい! タイミングが合ってるとか合ってないとかテキトーなこと言いたい!」明科さんはめっちゃワクワクしながら言ってるけど、「じゃあそうしてもらおうかな……」って答えながら、あたしは打席の方に入っていく。「ほら広丘さん! その機械にコインを入れるんだぞ!」って言ってる明科さんに従って、コインを入れる。ガゴンガゴン動き出すピッチングマシン。あたしは打席に立って、バットを構える。


「えっ」あたしのバッティングフォームを見た明科さんがそう言うのを聞きながら。


 カキーン!


 あたしが打った打球は、緑色のネットの、『ホームラン』って書かれた場所に吸い込まれていった。


 24球打ち終わって、あたしは「えへへ……」って言いながら打席の外に出る。


 明科さんは絶句していた。そうだろうなって思った。から「えへへへ……」って言いながら明科さんの横をすり抜けて休憩室のボロボロの茶色い皮のソファに座った。


「広丘さん、プロの方ッスか」


 明科さんはなんか中学生の野球少年みたいな口調で言う。


「え、違いますよ~。あたしは普通の女子高生ですよ~」


 あたしは手に取ったゴルゴで顔の上半分を隠しながら答える。


「普通の女子高生は130キロ? の球を打てないと思うんッスけど」


「130キロくらいなら打てますよ~。150キロはキツイですけど~」


「言ってることの次元が違うんだよなぁ」


 って言いながら、あたしの隣に腰掛ける明科さん。


「えっ、なに広丘さんは野球少女だったの?」本題って感じで言い始める明科さん。なんか、すごーい! って感じじゃなくて、ちょっと引いてる感じ。だからいきなり130キロはちょっとどうかなぁって思ったんだけど……。


「野球少女ではないんだけど」あたしは渋々答える。「お父さんが休日によくこことか別のバッティングセンターにあたしと弟を連れてきて、だからここも知ってたんだけど。弟がリトルリーグに入ってたからその練習だったんだけどね、なんかあたしの方が筋が良いって言われてお父さんにめっちゃバッティングフォームを叩き込まれて……」明科さんは返事をするでもなく聞いてる。たぶんあたしが微妙な顔してるから、ちゃんと全部言ってねってことだと思うんだけど。うーんって考えて、別に変なことでもないし言うかーってあたしは思う。「……お父さんとね、あんまりあたし親子仲良くなかったんだけど、バッティングセンターに来るときだけは、ちゃんとお父さんあたしの話聞いてくれるし、ちゃんと話せてるって感じてたから、なんかそれがちょっと嬉しくて、だからそんなことしてる内に150キロも打てる女子高生になってました……」


「150キロ打てるんじゃん」明科さんは言って、「ちょっと打ってみせてよ」って言われたからあたしは渋々打席に入ってコインを入れて、さすがにホームランは打てなかったけど大体打てたから今日はそこそこ調子良いなぁって打席から出てきたら明科さんすごい微妙な顔してるし、あたしはやっぱりボーリングとかにしておくんだったなぁなんて思ってる。


「いや、でもこれは僥倖だよ」って、明科さんはタオルでごしごし顔を拭くあたしに言う。「えっ、何が?」


「だってせっかくなら打ちたいじゃんね。私は野球なんて授業とか行事とかでしかやったことないから全然わからんけど、経験者に教えてもらったらさすがにあれ」明科さんは80キロの打席を指さす。「あれくらいは打てるようになるかもわからん」


 なるほどってあたしは思った。し、また明科さんに気を遣わせてしまったのかもしれないとも思った。でも、明科さんは別に何も言わなかった。その代わりにコーチをしろってことなのかもしれなかった。ギブアンドテイク……なのかな。別に断る理由も無かったし、その方が面白いと思ったから、あたしは「わかりました!」ってビシッて答えて立ち上がった。


 ということで、あたしは明科さんのバッティングコーチをすることになった。


「もっとね、腰を落としてね」「こう?」「そうそう。で、脇を閉めるんだよ。身体を閉じるイメージ」「これ振りにくくない?」「腕で振り始めるからそう感じるんだよ。初動は左足のかかと。右脚から左脚に体重をシフトして、腰と腕の回転に繋げるの」「こう?」ビュン、ビュン。「さっきよりは良くなってるけど、今度はバットのヘッドをね、こう、打点に最短距離で持ってくるイメージ」「……ん? こう?」ビュン「うーん……、なんだろう。もっと引き付けるんだよ。こう! こういう感じ!」「こうか?」ビュンビュン「そうそう! そのイメージを忘れないように一回やってみよう!」あたしはコインを入れて打席の外に出る。ピッチングマシンがガゴンガゴン言い始めて、80キロの球が飛んでくる。


 カキーン!


 明科さんが打った球は『ホームラン』の下あたりに吸い込まれる。


「イイ感じ! そしたらもっと打球を上げてみよう! たぶんホームランできるよ明科さん!」


「こうか!?」


 カキーン!


 明科さんが打った球は『ホームラン』に吸い込まれる。


「やったよ明科さん!」


「やったぜ広丘さん!」


「随分楽しそうですね」


 えっ、って、あたしは、あたしでも明科さんでもない声にびっくりして横を向く。


 陰キャが、いつの間にかあたしの隣に立っている。


「わたしも混ぜてくださいよ、広丘さん」


 80キロの球が打ち返されることなく、ネットに吸い込まれる。

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あたしと明科さんとシカトする世界 八神きみどり @yagami_kimidori

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