割れたハートの行方

碧靄

割れたハートの行方

 今日は何の日だろう。

 春の日差しを間近に臨み、それでも寒さの勢いが増してくる二月も中旬。聖ウァレンティヌスが殉教された日であるから、やっぱりキリスト教徒にとっては信心深い一日なのだろうか。しかしよもやするとそんなことは忘れられて久しいのかもしれない。


 俺はかねがねこの日を戦争だと思っている。

 チョコレートという武器を片手に、菓子メーカーとマスメディアを後ろ盾に狙った獲物を射止める。

 追われる対象となった者は射られた矢につけられた空白の矢文、込められたメッセージを読解し、いかほどの重みがあるのかを想像する。しなければならない。そこから金銭的価値に置き換え、一ヶ月が経つ前に手頃な品物を見繕わなければならない。

 しかし世には義理チョコなる代物も存在する。


「義理だから。どうってことないよ」


 そんな婦女子のいかにも気にかけないふうを装った笑顔とともに渡されるチョコレート。それは額面の通りに受け取ってはいけない。

 普段助けている礼として仕方なく送り届けられたものなのか、ただ謝礼に期待するだけの勘定に入れられたか、それともその返答がどのようなものかで態度を改めるつもりなのか――考えていては埒があかない。


 そもそも現代において<義理>という言葉はあまり聞かない。NHKの大河ドラマで「義理は通す」と鎧甲冑の彫りの深い武士が告げるような場面でしか聞き覚えはない。

 それだったら現代の同姓に配るような<友チョコ>のほうが幾分か理解がしやすい。イベントに乗じてプレゼントを交換しあうという心理は友好の延長線上として考えられる。

 さらに来る一月後の三月一四日。この日はもらった相手に返礼するという習わしだ。が、心理的に見てこれはどうなのか。

 もちろん尽くされた礼は返さなくてはならない。だが複数にまたがれば自ずと友好度の違いも出るだろう。個人にあわせて物品の質を決めるのか。それとも全員同等の価格に抑えて義務だけを全うするのか。これこそ義理だと思う。


 こんな無駄な考えを巡らせているのは負け組の論理だ。そんな冷えた目線が突き刺さるような心境を感じないわけではない。

 俺だって別に好きでこのような話題を続けているわけではない。友人がことあるごとにこの日の話題を出すために自然と思考に上ってしまうのだ。

 俺自身は外見や性格もどうってことはないし、チョコレートをもらうというだけであれば例年一個は保証されている。ただ数年前は二個だったのだが、『母親と妹から』というカードを添えられて枕元に置かれるだけになってしまった。どちらの入れ知恵かわからないが無駄に賢しくなっていけない。


 さて友人の話だった。

 友人、有間充は大学入学以来の仲である。控えめだがまっすぐで行動力がある一面も見せる。仲はいいし普段からよく話す間柄だ。ただ、


「どうしてそんな消極的になれるわけさ? 日本男児たるもの積極性を持たないと。君は草食系に分類されたいのかい? 僕からしたら草食なんてカテゴライズは偽装にすぎないと思うんだよね。だってさ、恋愛に自分が関わるのが面倒だといっておきながら、彼らの消費するのは文学の恋愛であり、ゲーム的な恋愛だろう。結局主人公たるキャラクターに自己投影して疑似恋愛を楽しむわけだ。リアルかバーチャルかの違いでしかないのに、それを現実という観点から判断してしまうのはつまらないよ」


 この時折演説じみた説教がなければ。

 俺は何度もやり取りした話題に半ば辟易しながら答える。


「別に俺がどんな分類をされようが勝手だろう。理屈っぽい男は嫌われるぞ」

「それこそ僕を一面的に評価しているに違いないんじゃないかな」


 今し方俺に草食系だのと分類しておいてよくいう。


「あぁそんなことより」充が心なしか顔をほころばせて「楽しみだな、ついに明日だよ」


 二十年以上も生きていれば自分がどのように見られ、どんな結果になるのかは自ずと思い知るものだと思うのだが。充はそのような心境は味わってこなかったのかもしれない。目を輝かせて誕生日プレゼントを待ちわびる子供のように映る姿からはそう感じた。

 そんな俺でも充の行動力にはたびたび驚かされる。


「チョコをください!」


 面と向かって紗生の前で言い切り、上半身を直角に曲げたお辞儀を見せたあのときの驚きといったら、呆れを通り越してむしろ爽快ですらあった。

 ただいきなり目の前で頭を下げられた紗生は面くらい、大きな目を瞬かせていたが。



 紗生というのは俺たちとよく話す同輩の女子で充より遅くに知り合った。

 出会ったのは去年の秋。ディスカッションという名目で集められた総数三〇名ほどの男女の中に俺たちと紗生は含められていた。

 六人のグループに分けられ、俺と充に見ず知らずの男子、相手側は紗生と女子が二人。俺たち以外は誰もが互いに面識がなかった。

 はじめこそぎこちなく会話をしていたが、紗生は誰かの意見を聞いて細かく評価したり、自らも提案したりと気配りを見せて橋渡し役をこなした。持ち前の屈託のなさと、意外な見識の広さ、着眼点といい、ほぼ傍観者を気取っていた俺は素直に感心した。討議は彼女と人と話すのが得意な充が意見を出すことで進んでいった。


 一時間後に討議結果の発表という段になり、やはりというか紗生が発表役に抜擢された。

 運悪く俺は補佐係となって補完説明をする羽目になった。重要性も見ずにすべてがじゃんけんで決められる世の中に俺は恨みを抱く。俺はこの手の場面でじゃんけんがひどく弱い。

 そんな心境だったが、恐らく自分だけが感づいていたであろう疑念があったので諦めて引き受けることにした。

 彼女は周囲の拍手に迎えられても臆することはなく、自然な立ち振る舞いを見せた。やわらかく整えられたボブカットを揺らしてお辞儀をした。


「彼、Aさんはボランティアに参加するのにあまり意欲的ではありません。テスト前に親御さんに『勉強しなさい!』っていわれる心境ですね。Bさんは逆に前から何度も参加しているので楽しさを理解しています。やらされている側と自分からやりたい側。AさんとBさんはこんな心境です」


 彼女の朗々とした言葉操りには淀みがなく、微笑みながら語る声音は室内に透き通って聞こえた。


「ボランティアに参加した場合、Bさんはやはり幸福の度合いでいうとAさんより高いと思われます。Aさんは嫌々出ている身だからこそ、ボランティア活動に参加してもネガティブに考えがちです。わかりきったことだとは思いますが、人は楽しんでこそ幸福をつかめるものですね」


 課題内容からはそんな内容が導かれた。ほかの討論の発表も終え、ついぞ発言する機会がなかった俺はホワイトボードの傍らで仲良く立ち尽くしていた。

 講師が手を挙げたのはそのタイミングで俺は漠然と予期したものを感じていた。


「当たり前の結果ともいえますが、そうやって論理を導き出すのはいいことです。発表の内容もわかりやすくまとめられていました」そこで眼鏡をかけた人の良さそうな表情からすこし悪戯っぽい笑みに変えた。「さて、じゃあ最初の内容について意地悪な質問をしちゃいましょう」

「意地悪、ですか?」


 紗生もその態度の変容に警戒してすこし顔を強ばらせた。


「では質問です。Aさんはたしかに嫌々参加したのかもしれませんね。しかし、場合によってはAさんはBさんより幸福の度合いでいえばBさんを上回ることもあるんです。それはたとえばどんな場合でしょう?」

「えっ?」


 討議した結果とまるきり反対の結論を出され、彼女はあきらかに狼狽した。

 十数秒が経過し、彼女はうめくように頭を悩ませていたが、望まれるような答えは出てきそうになかった。

 俺は観念して右手にマーカーを持ったまま手を挙げた。

 補佐役の俺が手を挙げるのを一同は予想していなかったらしく、誰もが目を丸くして俺を眺めていた。


「梶間くん」


 名を呼ばれ、俺は黙ってAとBという文字を書いた。そこに出来事、と書いた四角の枠線を書き、AとBから出る矢印を枠に向かって付け足す。


「もしAが嫌々ならそれが逆転する場合があります。それはそのボランティアの内容が『想像以上に楽しかったとき』です。Bはいつも出来事に慣れきっているため今となっては新鮮さはありませんよね。しかしAははじめて参加するというとき、嫌々な気分だったのが意外とおもしろい体験ができた。そうなればAはマイナスから逆転、Bの幸福感よりも数値は少なくても、獲得した量ならば上回ることは可能かもしれません」


 まぁこれも結局ボランティアの内容によるでしょうけど、と思いついた欠点を付け加えて引き下がった。

 講師は満足そうに頷いて「そんなかんじ」とだけ告げると座席に戻った。

 そんなかんじ、というのはどういう具合なのかわからなかったが、不正解ではないことは雰囲気でわかったため安堵した。

 やれやれと思いながら俺ははやし立てる充を黙らせて席に着いた。そこで紗生に声をかけられた。

 どうやら先ほどのを恩義に感じたらしく、お茶でもおごるという申し出だった。特に異論はなかったので承諾した。今時義理堅い女子だなという印象だった。

 それに充も同行――無理矢理ついてきたともいえる――、話が合い、それからも何度か俺たちの会話に時折混ざってくるようになった。

 混ざってくるという言葉は適当ではないかもしれないが、なにせ紗生というとテニスでラリーを繰り広げていたかと思うと、その次は畳の上で正座して抹茶を頂いていたりする。何事にも興味津々で一つの場所にとどまらない。俺たちが話しているのを見かけては不意に混ざってきたりするのが常だった。


 充が妙なことを口走った先週も似たような日だ。ふらっとやってくるが否や、帰りがけに鯛焼きが食べたい、という紗生の希望で寄り道をすることになった。

 案内役は彼女が務めたが、大通りから外れ、近道だという裏路地に入り、寂れた街並みとシャッターのグレイな色合いを帯びてきた頃、さすがに俺は声をかけた。


「なぁ、おまえこんなところまで買いに来てんの?」

「うろうろと探索してたら見つけたの。白い鯛焼きって看板があったから珍しくて」


 うろうろとという言葉に似合うのは『迷う』という言葉ではないだろうか。俺は不穏当な気配を感じ取りつつも後に従った。気を紛らわせるために紗生の言葉を拾う。


「白い鯛焼きってどういう原理だったけな」


 そこで充は得意げに片笑みを浮かべる。持ち前の無駄な雑学を披露する場だとこのような表情になる。


「普通の鯛焼きより食感がもちもちとしているのをいうらしいよ。もちろん見た目も普通のより白いね。材料としてはタピオカ粉や米粉が使われたりするらしい。一時流行りになったこともあるそうだけど、まぁ僕は食べたことはないかな」

「タピオカ粉……」


 菓子作りに関心がない身分としてはにわかに想像できない物質だった。まぁ見た目は小麦粉などと変わらないのだろう。それよりも充は食べたこともないというのにどこからそんな情報を仕入れてくるのか。


「へぇ、そうなんだ」


 先頭を歩く紗生は振り向きながら感心したようだった。


「わたし白あんが入ってるから白い鯛焼きなんだと思ってた」



 果たして鯛焼きは普段食べている色合いと相違なく、ただ中身が白あんだということだった。

 充の披露した知識が合っていたのかは確かめるすべはなかったが、当の紗生は幸せそうに頬張っていたので問題はないのだと思うことにした。目を細めた笑顔は至福を絵に描いたように満足げだった。

 

「そういえばさ、甘いといえば来週くらいになんか思いつかない?」


 と充が不意に話題を投げてきた。その視線は鯛焼きに噛みついたまま静止している紗生に向かっている。

 婉曲的だな、と心中で思いながら俺は鯛焼きの頭からかぶりついた。一口目ではあんまでにたどり着かなかった。


「来週?」


 知ってか知らずか紗生は小首を傾げた仕種をする。焦らすつもりだろう。

 しかし充はおもむろに紗生のすぐそばまでつかつかと歩み寄り、そのまま勢いよく頭を下げた。


「チョコを下さい!」


 というのがあらましだった。


 一日の講義がすべて終了し、各々が帰途についた。夕方の独特な気だるげな様子の中にどこか浮ついたような気配を感じるのは気のせいだろうか。

 もしバレンタインとやらが女子から渡すものではなく、先に男から渡し、女子がお返しをするというイベントになっていたらこうも盛り上がらなかっただろうな、とふと思う。まぁそれでも盛り上がらない多数の人間はいるわけだが。

 うち二名がそこに属するはずだったのだが、巡り巡ってよくわからない事態となってしまった。充と俺は中庭の噴水近く、いつもの定位置で紗生を待っていた。

 腕を組み、足を鳴らし、明らかに落ち着かない様子の充を見て俺はため息をついた。


「すこしは落ち着けよ。紗生にそこまで期待するか?」

「わかってないな、紗生ちゃんはけっこう人気なんだよ? 交友も広いし女子に対しても嫌みがない。何にでも興味を持ってくれるし、どんな話題でも受け答えをしてくれる」

「そんなもんか」

「男はやっぱ女子に対して得意げに振る舞いたい生き物だろ?」


 そこまでわかっていたらもうすこし悠然と構えられないのか、そう思っているとようやく紗生の姿が出入り口から見えた。こちらの姿を見て取るや、小走りで駆けてくる。


「やっ、お待たせお二人さん」

「待ってないよ大丈夫」

「よくいう」


 すこし呼気を乱した紗生に対して軽口を交えて挨拶を交わす。


「布教活動でもしてた?」と冗談交じりの口調で訊ねる充。

「お、わかる? 日頃からいっぱい顔を出すから大変なの。でもそのぶんお返しが楽しみだよね」

「見返りを求めんな」


 得意げに威張る紗生の頭を俺は軽く小突いた。不平そうに口を曲げ、


「わたしは公平に渡しているだけだよ。梶くんに怒られるのは場違いだと思うんだけどな」

「まぁいっそそのくらいのほうが潔いか」


 とりあえずここじゃなんだから、という紗生の意見で移動することになった。

 雑談を交えながら帰り道を歩いていた。行き交う店にはこしらえたように今日を祝う看板が並ぶ。俺はあえてそれらに目を向けないようにしていた。充は普段よりどことなく口数が少ない気がした。

 人の通りが少なくなり、充がついに沈黙を破ったのはそのときだった。


「紗生ちゃん!」

「は、はいっ?」


 突然声を荒げた充に驚いて彼女は身を縮こまらせた。充はわざとらしく咳払いをし、表向きだけ体裁を整えると、


「チョコは!?」


 まったく端的に内容を伝えてきた。

 せめて紗生が自発的に動くまで待っていたほうがいいと判断していた俺はため息をついた。

 予想通り、紗生は眉根を下げて困ったような笑みを浮かべていた。


「うーん、別れ際に渡そうと思っていたんだけど……」


 逡巡するように視線をさまよわせ、やがて観念したのかベージュ色の手提げ鞄から紙包を取り出した。大きさはこぶし大といったところだ。楕円形が二つ組み合わさって緩やかな曲線を描いている。中央線を引くようにくぼんでいるその形は俗にいうハート形だった。

 俺はさすがに目を見張った。それを見透かしたように慌てて手を振り、事情を説明した。


「せっかくだから手作りってやつに挑戦しようと思ったんだけどさ。あんがい難しくてさぁ。友達に協力してもらったんだけど上手くいかなくて、結局間に合わずに買いに走ったらこれくらいしか残ってなかったの」

「いったいなにに挑戦しようとしたんだよ」


 チョコレートで動物の像でも彫ろうとしたんじゃないだろうなと根拠もなく疑る。さすがにそれはないかと思う傍ら、紗生なら根性で実現させそうな気配も感じる。


「造形美よりは味にこだわったつもりなんだけど」

「……たとえば?」と先ほどより疑り深い眼差しとなっている充。

「甘酸っぱいのを目指してレモン入れてたら酸っぱくなりすぎたり。趣向を変えて甘辛風味を目指したら形容しがたい味に」

「……だいたいわかった」


 とにかく紗生に今後台所に立たせてはいけないということが判明した。料理サークルなどに顔を出していたはずだが味見役に徹していたんじゃないだろうか。


「んで、肝心のチョコなんだけど」


 紙包みは赤いチェック柄の包装紙にリボンのような絵がプリントされていた。

 紗央はその紙包みを胸の前に両手に持ち、次の瞬間腕に力を入れて一気に折った。乾いた音は幾分か現実感がなかった。

 硬直したまま動かない俺たちの表情を交互に見やり、紗生は包み紙から半分に割れたチョコレートを取り出して笑顔を向けてきた。


「はい、約束のチョコ」


 まさかハートをハーフにされると思わなかった俺たちは両方に差し出された裸のままのチョコレートを呆然と見つめていた。

 その内に充が我に返り、狼狽した様子で紗生に駆け寄った。


「え、って割っちゃうの!?」充は俺を指さしながら「こいつは言ってなかったんだから分ける必要はなかったじゃない!」と震えた声で告げる。

「……それはそうだが目の前で言い切るお前もどうだ」俺はそんな充に対して頭を掻いた。


 紗生はすこし斜め上を見て一考するような素振りを見せた。


「いらないならいいよ。わたしが食べるから」

「いる!」


 充は強い語調で即座に反応する。

 そのうちに俺のほうにも視線を向けられたので、苦笑い気味に受け取った手を上げた。

 とにもかくにも、たとえ半分だとしても念願のチョコを手に入れた充は満面の笑みを浮かべて満足そうだった。

 その浮かれきった表情を見て紗生は笑いを忍ばせていた。


 帰り道の途中で充と分かれ、俺たちは駅までの道のりを紗生と肩を並べながら歩いていた。

 以前より日は延び、夕方になっても幾分か空は明るかった。


「だいたい半分に折るってのはどうなんだ? ハートが割れるって失恋のイメージしかないぞ」

「まぁそのくらいがちょうどいいかなーって」

「ちょうどいい?」

「そう」


 渡されたチョコレートはもともとの包み紙を紗生から受け取って何とか包み込んだ。充はもらって数分で平らげていたから遠慮なく使わせてもらった。

 紗生はポケットから球状の小さなチョコレートを取り出した。俺はその姿に呆れがちになった。


「まだ持ってたのか」

「ん。充くんのいってた布教活動の一種だね。まだ余ってるけどいる?」

「くれ」


 俺が返事をする。するとなんの気まぐれか、包み紙を外したチョコレートを手を俺の口元に持ってくる。俺はそれを無言で手で制してから受け取った。


「おまえ、こんなこと周りにしてたんじゃないだろうな。勘違いする奴が出ても知らなねぇぞ」

「だいじょーぶ。男女とも公平に配ってきたんだから。あ、それ一粒けっこう高いんだから味わってね」

「はいはい」


 かみ砕くとラム酒の甘いようなほろ苦いような味と香りが口に広がる。チョコレートの味も甘みを抑えた仕上がりになっている。普段食べる機会もないのでいわれてなければ気がつかなかったかもしれないが。

 紗生も二つ目を取り出して包装紙を解いて口に入れていた。


「この日に自分でチョコを消費するのはどうなんだ?」

「いーのいーの。高いんだから食べないともったいないし。どうせもうあげる人もいないよ。次で最後だけどもひとついかが?」


 旨かったので俺は素直に受け取ることにした。放物線を描いて飛んでくるそれを左手で受け取る。せっかくなので帰宅してからの楽しみに取っておくためにポケットに詰めた。


「じつはさ、そのチョコ充くんにあげるつもりだったんだよねぇ」


 紗生が困ったように薄く笑った。


「小さくても味は美味しかったし、ほかのみんなにも配ろうかなって思ってさ。そう思いながらみんなにあげてたら偶然充くんに見られちゃって」右手の指で頬を掻いていう。「なんかすっごい期待されてたから同じのをあげたら残念がるかなぁって。それでちょっと困ってたんだ」

「それは気まずいな……」


 そこまで話を聞いていてふとした疑問が起こる。


「じゃあこの割れたチョコはもらってよかったのか?」


 もともと充にも俺にも渡すつもりではなかったのではないだろうか。それとも渡すつもりで渡せなかったか。紗生にも奥手なところもあるのか。ほかに渡すつもりなら俺たちに構う必要はないだろうに。

 そんな俺の疑心に紗生は含み笑うような表情を返す。


「突然のほうが幸福感は得られるらしいじゃん」俺の手で弄んでいたチョコの包装紙を見つめつつ「まぁ今はそのくらいの差かなって思うし」


 最後は小声で付け加えるような口調だった。

 幸福感というとどこかで聞いた話だな、と俺は思い返した。

 

「もしいらないなら返して」彼女は悪戯っぽく笑った。

「いる」


 即座に反応した俺を「充君みたい」と形容して紗生はくすくすと笑う。

 充と比べられるのはどことなく癪なので視線を逸らして誤魔化した。その態度にまた声を上げて笑われた。



 街灯の明かりが心許なくなってきた。日も落ちてきたようだ。そう思っていると目の前を白い燐光が通り過ぎた。ふわりと舞い踊るように結晶がちらつく。


「明日は雪だっけな」


 雪の降り積もらないこの地域では珍しいことだった。全国的にも大雪に警戒するようにというお達しが来ている。


「積もったら良いなぁ」

「寒いだろ」

「わかってないない。雪が積もるのはロマンなんだよ?」


 そんなもんだろうか、降雪の多い地域では煙たがられることだろうに。

 駅のロータリーまで歩いて、レンガ状の階段の手前で立ち止まった。俺も紗生も電車通学だが、紗生とは路線が違うためにここで別れる。


「じゃあまた」

「あぁ、ありがとな」


 屈託なく笑う彼女を見送り、階段のステップを上っていく後ろ姿を尻目に俺は背を向けた。


「梶くん!」


 上から声をかけられ、俺は見上げるような格好で踊り場に立った紗生を振り返る。


「お返し楽しみにしてる!」


 そのまま大きく手を二回振って壁の向こうに姿を消した。


(お返しね……)


 身震いするような寒さに気づき、凍える手をポケットに忍ばせた。

 視界にちらつくのは白い瞬き。ふと先週の鯛焼きを頬張っている紗生のとても幸せそうな姿を思い出して小さく笑った。


(あいつあのままだと知らないままなんだろうなぁ)


 お返しにはいささか趣向に欠ける気もしないでもないが、まぁいいだろう、とひとりごちる。


 白だし。

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