魔女集会で会いましょう
雷藤和太郎
全知の魔女
ここは人里離れた山の奥深く。
かつて全知の魔女と恐れられた妙齢の女性が一人、樹齢一千年を超える大樹の洞に居を構えているのでした。
全知の魔女に往年の力は無く、出来ることと言えば世界を三度崩壊させて尚生きられる程度のもの。要するに普通の人間には全く歯が立たないのですが、魔女自身、人間の世界には何の干渉もしませんから、世界は至って平和なのでした。
「あら」
全知の魔女は洞の外にある湖で湯浴みをします。
そこに見たことのないものが落ちていたので、全知の魔女はほんの気まぐれにそれを拾おうとしたのです。
「まあまあ」
それは小さな小さな、人間の子どもでした。
両腕を折られて、首はあらぬ方向に曲がり、一目で絶命していることが分かります。眼窩の覗く顔は流れた血が頬を伝ったままで固まり、地面にじわりと広がる鮮血を吸って、周囲に真っ白なキノコが生えているのでした。
「人の子が、なぜこんなところに捨てられているのでしょう」
全知の魔女は、ほんの気まぐれにその子どもを拾い上げると、フッと吐息をかけるのでした。
するとたちまち子どもの身体は魂が巡り、瞳が戻り、人間として生き返るのです。
「おはよう、坊や。生き返った気分はどうかしら?」
「生き返る……地獄でもやはり人間は生まれるのでしょうか」
子どもはそこを地獄と勘違いしたのでした。
親の政敵に反乱を起こされ、目の前で殺された父母。政敵に仕える魔法使いによって捻じ曲げられた空間に飛ばされた子ども。歪曲した空間が人間に無害であるはずがなく、子どもは身体を捻じ曲げられて、この場所に飛ばされる。
子どものつたない説明をつなぎ合わせると、そんな話なのでしょう。
「生まれ直したあなたが、ここを地獄と思うかはあなたの勝手。それよりも、私の湯浴みを手伝ってちょうだい。それからあなたの名前を決めましょう」
どんな気まぐれも、全知の魔女の思うがまま。彼女はその子どもを育てることにするのでした。
旧ノード歴一四三年、新アレッポ歴二四年の時に、国を揺るがす事件が起きた。
全知の魔女が、人間界を訪れたのである。
全知の魔女と言えば神話においてその存在が確認される人物にありながら、実在するという事実だけが連綿と国に伝えられる「災害」であった。人の形をしながら人にあらず、手を出せばその国は次の日の朝日を拝めず、人との交わりを絶ち、霊峰の深奥、枯れた世界樹の若木に居を構える者。
歴史が存在を証明する者、それが全知の魔女だった。
霊峰の麓にある小さな田舎村、そこに現れた全知の魔女は、一人の青年を連れていたという。灼眼紺髪に精悍な出で立ち、佩いた剣は濡れたような漆黒の刃、かつて王都にいたという老婆は、かつて「ノードの覇王」と呼ばれた二代目の王の面影を青年に見たという。
全知の魔女は、青年に手を貸している風であったという。
震撼したのは現国王のアレッポ王である。
「それは、魔女が作り出した偽物に過ぎない。我々は正統なる権利を前王より受けて世を統べるに至った。全知の魔女には手を出すでない。我々の正統なる権利を、自ら述べて真意を問おうではないか」
斥候を兼ねた急使が霊峰の村を訪れたときには、そこに二人の姿は無かった。
急使が村人に聞くところによると、精悍な出で立ちの青年は自らを王と称し、前王を亡き者にした現国王に神の罰を与えに行くとのことだった。
急使はその情報を早馬で王都へ届けると、アレッポ王は震えあがった。
「して、全知の魔女はどこへ?」
「捜索中であります」
「なんと……」
唇をわななかせ視線の定まらない王は、ふと急使が剣を佩いていることに気づいた。
「貴様、なぜ剣を佩いている!この王の御前に無礼であろう!」
衛兵は何をしている!と辺りに喚き散らすアレッポ王であったが、次の瞬間、その場に控えていた衛兵、側近、一人残らず煙となって消えてしまった。
「ヒッ!?」
悠然と王に向かい歩を進める急使がその頭巾を脱ぐと、前王によく似た精悍な出で立ちの青年が現れた。鞘から抜いた剣は漆黒に冴え、刃を返すと燐光のように輝く。
「覚悟――」
上段に構えた青年の剣が、現国王の金繻子織の袈裟を切り裂いた。
老人が一人、樹齢一千年を超えるという大樹の根に腰かけて、ゆっくりとその生涯を振り返ります。
遠くから聞こえる川のせせらぎに合わせて、一人の妙齢の女性が、ゆっくりと近づいてくるのでした。
「人間の一生というのは、あなたにとって一瞬のことなのでしょう」
「いいえ、全て一瞬だわ。……永遠の一瞬、それだけのこと」
そう言って、全知の魔女は微笑みます。
「そうですか。そのほんの一瞬だけでも、私はあなたを幸せにできたのでしょうか」
老人は、ほとんど失った視力で、それでも全知の魔女の顔のある方へ、目を向けるのでした。
「どうかしら?私は私の気まぐれを起こしただけ」
「私は、私の長い人生を……あなたと過ごせたことに感謝します」
杖をついても真っ直ぐに歩くことができず、全知の魔女がいなければ満足に食事をとることができず、そんな姿になっても……そんな姿になるまで、老人は全知の魔女と共に過ごしてきました。
「私はもう、地に還るようです」
「そのようね」
全知の魔女は、老人の頬をそっと撫でます。白魚のような全知の魔女の指に、老人の枯れ枝のような指が触れると、老人の頬がほんの少し、笑顔の形になるのでした。
「最後にひとつ、聞かせてくれる?」
「何なりと」
「あなたは、私と過ごせたことを誰に感謝するのかしら?」
全知の魔女の手から、青白く淡い光が吸収されていきます。それが、老人の魂の色なのです。灼眼紺髪から、鮮やかな色が徐々に失われていきます。
「誰でもありません、全てです。私の全身全霊をもって、この世界の全てに……」
それ以上、老人は何も言わなくなりました。
全知の魔女がフッと吐息をかけると、老人の姿はなくなります。代わりに、両腕と首が折れて、瞳のない子どもが一人、うずくまるように小さく小さく横たわっているのでした。
魔女集会で会いましょう 雷藤和太郎 @lay_do69
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