友情のゆくえ 3


 2月12日、メッテルニヒが、舞踏会を催した。宮廷の殆どを招待した、大掛かりな舞踏会だ。招待されて、プロケシュも参加した。



 「ちょっと、あなた、プロケシュ少佐ね」

豪奢な衣装に身を包んだ貴族たちの中に、所在なく立っていると、若い女性が話しかけてきた。彼女は、ひどく、怒っているようだった。


 唐突にプロケシュは、家で待っている新妻が恋しくなった。


 「あなたは……?」

 ……どこかで見たような女性だけど。

 ためらいがちに、プロケシュは尋ねた。


 女性は、肩を聳やかせた。

「ナンディーヌ・カロリィよ」(※1)

 プリンスと噂のあった、ハンガリーの貴族令嬢だ。プロケシュは、彼女は彼にふさわしくないと考え、この交際に反対した。素直なプリンスは、プロケシュの言うことを受け容れ、ナンディーヌを訪問することを止めた……。

「ここで会ったが百年目。逃げようったって、そうはさせないから」

ナンディーヌは、プロケシュの首根っこを、引っ掴んだ。



 ナンディーヌは、プロケシュを、人けのない部屋に連れ込んだ。それが、口をきかないでいられる限界だった。二人きりになるなり、彼女は、喚きだした。


「モントベールの本を読んだわ。それでわかったの。あなたのせいね、彼が、私の所へ来なくなったのは! あなたが、ライヒシュタット公に、私の悪口をさんざん吹き込んだからよ! ……底が浅いとか、軽薄だとか、モーリツの友達だとか! だから、殿下は、私の家に、来なくなっちゃったんだわ!」


 モーリツというのは、同じくハンガリーの名門、エステルハージ家の子息だ。ライヒシュタット公は、どうしたわけか、この放蕩者と気が合った。モーリツもまた、公務にかこつけて、ナポリへ飛ばされてしまったのだが……。

 プロケシュは驚いた。てっきり、モントベールに彼女の話をしたことを怒っているのだと思ったからだ。

 彼は、さっそく態勢を立て直した。


「ですが私は、モントベール伯爵の前で、あなたの名前は一切出しませんでしたが。仄めかしもしませんでしたよ!」

「読めばわかるわよ! あれが私だって! 少なくとも私にはわかったわ!」

「底が浅いとか、軽薄だという辺りからですね」

「あなた……」


 険悪な目で、ナンディーヌは、プロケシュを睨んだ。だが、プロケシュも負けてはいられなかった。平然と続けた。

「少なくともあの本によって、あなたに実害はなかったでしょう? どうやら、めでたくご結婚もされたようで」

 ナンディーヌは、伯爵夫人(la comtesse)を名乗っていた。


 「結婚?」

彼女は激怒した。

「ママがしろっていうからよ! 『ほぉら、ライヒシュタット公は、あなたのところへ、いらっしゃらなくなったでしょ? あなたに気のない証拠よ。この上は、殿下にふられる前に、さっさと結婚しておしまい。そうしないと、ナポレオンの息子にふられた女、っていう不名誉だけが残るわ。あなた、一生、結婚できないわよ』って、言うから!」

「お母さまは正しいと思います。花の命は短く……」


「あんただって、結婚したじゃない! 殿下というものがありながら、殿下と同じくらいの年齢の、若い女と付き合ってたんだわ! ひどい! あんまりよ! 殿下がかわいそう……」

「ええと、ちょっと、言ってる意味がわからないんですけど」


 涙ぐみ、でもなお強気に、ナンディーヌは糾弾を続ける。


「変だと思ったのよ! 殿下ったら、あんなにうっとり私の爪を見てたり、ご自分の爪も私のと同じようにされたり。モーリツが、爪にかこつけて、彼に君の手を握らせるから、後はよろしく頼む、って言うから、期待してたのに。もちろんプリンスは、そんな失礼なことは一切なさらなかったけど」

「彼は、純潔のままでした。恐らく彼は、女性に触れることなく、墓へ行ったのでしょう。それが、私の意見です」


「きいいいいいいいいっ! 変だと思ったのよ。でも、あの本を読んでわかったわ! あんたが、彼に、余計なことを、吹き込んだせいよっ! だから彼は、私の所へ来なくなっちゃったのよっ!」


 プロケシュは、ほうほうの体で逃げ出した……。







 「具合が悪いの?」

家に帰ったプロケシュを抱きしめ、妻が尋ねた。

「どうして?」

確かに少し、寒気がした。ナンディーヌの毒気に当てられたのだ。


「お熱があるから」

「僕に熱があるって、君にはわかるのかい?」

プロケシュが尋ねると、妻は笑い出した。

「だってこうやって、ぎゅっとしたじゃない。あなたの体、とても熱いわ」


 それは、彼女がプロケシュを愛しているからだ。大事に思い、親身になっているから。だから、相手の変化に敏感になる。

 夫婦の間だけではない。

 恋人間は、もちろん、親子の間であっても、親しい友とのあいだ……、


「僕は……、僕は、わからなかった!」

雷に打たれたように、プロケシュの身内を、震えが走った。



 ……「プロケシュ少佐。どうかお願いですから、僕の勇敢な戦士でいてください。いつだって。どこにいたって」

 ……彼はそう言って、プロケシュの体を、強く抱きしめた。

 ……あの、最後の別れの日。(※2)



「あの時、彼は、全力で病気を隠していたんだ。彼は、具合が悪かった。高熱があった。それなのに僕は、まるで気がつかなかった。気づこうとしなかった!」


 プリンスが、胸襟を開いたのは、プロケシュにだけだった。他の誰に対しても、彼は、プロケシュにしたような、親愛の情を示さなかった。あれだけ彼に忠実だったモルにさえ、自分の体に触れさせることはなかったという……。


 プロケシュは、特別だった。

 彼しか、気づけなかったのだ。

 プリンスの高熱に。

 彼が、重病であるということに!



 静かに、プロケシュは啜り泣き始めた。


「ディートリヒシュタイン伯爵が、彼に手紙を書くのを禁じていたのをいいことに、僕は、病床の彼に、手紙を送ろうとさえ、しなかった。いずれにしろ、彼からの手紙は届かないのだから。違う! 彼は、手紙を書かなかったんじゃない! 書けなかったんだ! だって彼は、ずっと死の床にあったのだから!」

「あなたのせいじゃない。実際、あなたには何も知らされなかったんだわ」


「皇太后(ナポレオンの母レティシア)は、孫の具合が大層悪いと案じていた。それなのに僕は、新聞に書かれたことさえ、信じちゃいなかった。周囲の人は騒ぎすぎると、小馬鹿にさえ、してた!」

「仕方ないじゃない。遠くにいたのだもの」


「僕は、彼から、恋さえも奪ってしまったのかもしれない。だって、彼は最初、ナンディーヌの優しさを愛していたのだから。僕が余計なことさえ言わなければ……」

「考え過ぎよ、あなた」


「ドン・カルロスを救ったロドリーゴのように(※3)。プロイセンのフリードリヒ2世に身を捧げたカッテ少尉のように(※4)。なぜ僕は、彼を連れて、フランスへ逃げなかったのか! 息苦しいウィーンの街から出たのなら、少なくとも彼は、まだ、生きていたかもしれない!」

「あなたは彼に、機会を待つように言ったのでしょう? それは、正しかったと思う」


「今となっては、小賢しい年長者の知恵でしかない。彼に対する情熱が、圧倒的に足りていなかったんだ! 彼はあんなに強い友情を、僕に捧げてくれたのに! 教えてくれ、アイリーン。こんな僕が、彼の親友を名乗ってもいいのだろうか」


 暖かい妻の胸に、プロケシュは顔を埋めた。

 いつまでも、涙を流し続けた。








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※1

ナンディーヌ・カロリィは、8章「春は近い?」「爪がきれいだ」「楽しくお遊び、ナンディーヌ」に



※2

10章「束の間の軍務再開」



※3

せりももには、「ドン・カルロス異聞」がございます

https://kakuyomu.jp/works/1177354054887051396



※4

父と確執のあったフリードリヒを、友人たちがイギリスに逃がそうとして失敗、カッテは、フリードリヒの目の前で処刑されました








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最後までおつきあい頂き、本当に、ありがとうございました!








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ナポレオン2世 ライヒシュタット公 せりもも @serimomo

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