友情のゆくえ 2
プロケシュが結婚するつもりなのは、本当だった。
相手は、音楽家一家の娘で、アイリーン・キースウェッター・フォン・ヴィーゼンブルンという、自身もピアニストの女性だ。プロケシュより、14歳年下。プロケシュが、中東での任務を終えてオーストリアへ帰ってきた頃に、知り合った。
グラーツで、ライヒシュタット公と、初めて会った頃のことだ。
そして彼は、ボローニャへ赴任になった。だが、恋は続いていた。
昨年(1831年10月)、プロケシュは、一時的にウィーンに帰ってきた。ライヒシュタット公は、ひどく喜んだが(※1)、プロケシュが、ライヒシュタット公の元を訪れる回数は、前の年より、遥かに少なかった。
ゲンツの元に通い詰めたのと、アイリーンに夢中になっていたからだ。
ライヒシュタット公は、再三、プロケシュに来てくれるよう、手紙を書いた(※2)。なかなか訪れない友に痺れを切らし、ゲンツの愛人宅にまで、プロケシュ宛の手紙を送ったこともある(※3)。
この頃、彼の、結婚の意思が固まったという。だが、再び、プロケシュは、ボローニャへ戻らねばならなかった(※4)。
出会ってから2年、結婚を仄めかしてからも丸1年、プロケシュは、アイリーンを待たせたことになる。おまけに、彼女は、彼よりずっと年下だ。
実は、プロケシュは、若いころ、婚約までいった相手から別れを告げられたことがあった。
シャーロットと言うその娘は、カロライン・ピヒラーという小説家の娘だったのだが、生憎と、一人っ子だった。両親は、娘をウィーンから出したくなく、それゆえ、どこへ赴任になるかわからない軍人とは結婚させたくなかった。やがてプロケシュが
プロケシュは、25歳だった。
それから10年。
性懲りもなく芸術家(今度は音楽家だが)のアイリーンに恋をしたプロケシュは、次の任地が決まる前、ウィーンに滞在している間に、結婚してしまうつもりだった。
*
ライヒシュタット公の伝記を書かせるから、モントベール伯爵に協力せよとの、メッテルニヒからの命令を、プロケシュは、粛々として受け容れた。
モントベールは、ライヒシュタット公の周囲の人から話を聞くことから、仕事を始めた。
プロケシュが、モントベールの最初のインタヴューを受けたのは、8月19日のことだ。
……これは、ダメだ。
型通りの質問に、すぐに直感した。
……これでは、プリンスの本当の魅力は、世の人に伝わらない。
自分が、プリンスの伝記を書きたい。
その思いはこの時、芽生えた。
さらに、初めてのインタビューから1ヶ月後、モントベールが原稿の一部を見せてくれた時、自分が書きたいという気持ちは、さらに募った。
プリンスの本当の姿どころか、自分の言いたいことさえ、伝わっていなかったのだ。
……彼のことを、よく知ってほしい。魅力を。美しさを。偉大なる父への愛情を!
遂に、プロケシュは、ペンを取った。ディートリヒシュタインら、家庭教師達も、彼を支持してくれた。彼らは、モントベールの名を聞いた瞬間から、硬い殻に身を鎖した。なんといっても、ブルボンの遺臣である。当たり障りのないこと以外、口にする気はなかった。
驚異的なスピードで、プロケシュは原稿を書き上げ、メッテルニヒに見せた。
プロケシュは、モントベールの仕事に関わっている。後からクレームが入らないよう、メッテルニヒの許可が必要だと思ったのだ。
それに、彼には、宰相に逆らう気はなかった。逆らえなかった。
宰相からは、タイトルの指示と、内容の一部について、自分はそうは思わないという意見が来ただけで(※5)、問題なく、出版許可が下りた。
“Lettre A M.***, Sur Le Duc de Reichstadt”(「ライヒシュタット公に関する手紙」)という小冊子(※6)は、モントベールの本と同時に出版された。
だが、プロケシュのこの本は、賛否両論、どちらかというと、否の方が大きかった。
プロケシュには、不運が続いた。
「君はしゃべり過ぎた!」
モントベールの本を読んだというディートリヒシュタインが、プロケシュの顔を見るなり、叱りつけてきた。
「よりによって、シャルル10世の遺臣に、なんてことを言うんだ!」(※7)
プリンスは女性を知らないままで墓に入ったのだろう……
その件に、元家庭教師は、激怒したらしい。
なにしろプリンスは、あのナポレオンの息子だ。女性関係で悪い噂が立たないよう、プロケシュとしては気を使ったつもりだったのだが。
深い失望が、プロケシュを襲った。
暖かいイタリアから寒いウィーンに帰ってきたプロケシュは、失意もあって、体調を崩しがちになった。
そんな中、彼は、慰めを、結婚に求めた。長い間彼を待っていてくれたアイリーンは、優しい伴侶だった。
年が明けると、エジプト赴任の内示が出た。単身赴任だ。これから先、軍で出世しようとするのなら、ぜひとも必要な過程だった。
出発までの間、新婚の妻との時間を大切にしようと、プロケシュは心に決めた。
……。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~
※1
9章「プロケシュの訪れ」
※2
10章「夜遊びの勧め」
※3
10章 「踊り子ファニー・エスラー」
※4
10章「束の間の軍務再開」
※5
プロケシュは、閉じ込められた精神の憂鬱が、ライヒシュタット公の死を早めた、という見解を書きました。
※6
ライヒシュタット公の友人の一人が、恐らくパリの知人宛てに書いた手紙、という形式をとっています
※7
プリンスは女性を知らないで亡くなったのだろう、というくだりに、腹を立てたものらしいです。なお、怒りが全方位に向いたディートリヒシュタインは、プロケシュだけでなく、メッテルニヒにまで噛みつきます(「登場人物のその後 3」)
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