ニュースを詠む

自分は時事的な歌やニュースを扱った歌をわりと多く詠む方だと思う。時事的な歌の寿命は短いかもしれない。だけどそういう歌を残すことに意味が無い、とは思わない。数十年後に振り返れば時代の貴重な記録にもなる。

そしてワタクシ、時事的な歌に、ささやかでも、時空を越えた、ニュースへの感想にとどまらない普遍的な「何か」を詠み込めないか、そんな野心も抱いてみたりする。

時事的な短歌は主に新聞歌壇に投稿している。

私の把握する限り、投稿から掲載までの期間が一番短いのが毎日歌壇の伊藤一彦さんの欄。投稿の翌々週には、ピシャッと採用、不採用が判明する。同じ毎日歌壇でも、加藤治郎さんの欄はもう少し時間がかかるようだ。

私の場合、伊藤一彦さんにはストレートに湧き上がった思いを詠んだものを、加藤治郎さんにはもう少しニュースに対して抱いた複雑な思いを少し時間がたって歌にしたものを送ることが多い。


伊藤一彦さんに採っていただいたのがこちら。


風呂場すら行くのがつらい年寄りにエルサレムより遠い避難所

介護職「単純労働」などと呼ぶ国に一体誰が来るのか

人間の虐待、そして飼い犬の虐待次々映してゆくワイドショー


怒り、ですね。怒り。年寄りが避難所に行く大変さを顧みない報道や、人間の虐待と犬の虐待を同等に扱うワイドショーの軽薄さとかに対する。ニュース見て、ぶわーっと気持ち沸き上がり、その日のうちに詠んで送ったような歌。


加藤治郎さんに採っていただいたのから三首


超小型核弾頭を肛門に詰めた少女が国境跨ぐ

人質の看守の顔が松平健に見えたら生き延びられる

ストローが上手く出せたね明日には消えてしまうかもしれない世界で


これらは怒りよりも恐怖、驚き、喪失感などを詠んだものだ。

一首目は、トランプの核の小型化発言を聞き、怒りも感じたけれど、むしろ核拡散の怖さの方を詠んだ。子どもが核の運び屋になり、肛門に挟んだ核弾頭が国境跨いだ瞬間落ちて世界が消滅するようなイメージが湧いたので。

二首目は安田純平さんが人質から解放された時の記者会見から。看守の男が松平健に似ていた、と言っているのを聞いて、なんか「この人凄いなあ」て思った。極限状態において、「敵」が自分たちと同じ人間に(しかも自分に馴染みのある人に)見えるって冷静だなって。こういう人だから生き延びれたんだって、妙に納得してしまった。

三首目は京都アニメーションの放火事件を詠んだもの。京都アニメーションの作品は、人の手の動きなど繊細に表現していたと聞き、きっと彼らは牛乳パックの側面に付いたストローを出すような細かい動きも再現していたのではないかと感じた。事件によってクリエイターの命と共に彼らが描こうとしてきた世界までが消えてしまったような気がして詠んだ。


「怒り」の感情は、一番早く言葉になりやすい。スパーンと言葉が生まれると爽快感があるが、「えもいわれぬ」思いをどうにか言葉にした歌にも愛着がある。

そしてワタクシ、これからもニュースを見て怒ったりモヤモヤしたりしながら、いろんな感情をこれからもモニャモニャ詠み続けるんだろうなあ、と思う。

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小説好きが短歌を始めた rainy @tosihisa

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