《毒麦》の苦痛を

不文律の共通理解ができれば人類は争いを熾さず、理想郷が創れるのではないか。そうした理説の基に人類の意識の均質化をはかった。
それが箱庭試験であった。

これは箱庭試験に携わった数人の関係者の思索と試験の経緯を綴った、言わば本編の外譚となっています。なのでこちらの小説だけを読んで、世界観をすべてを把握することはできません。ですが「理解‐不理解」「Utopia‐dystopia」「性善説‐性悪説」についての登場人物の哲学と思索、そうして哲学的でありながら心情的な文章は、読者をこの世界観に惹きこむだけの重みがあります。

毒のある麦とは誰だったのか。最後に燃え残るはずの人類の善性とは、そもそも存在していたのか。彼の、苦しみとはなんだったのか。

……

私はこの小説を幾度も読みかえしています。これからも読みかえすでしょう。
願わくば、彼の苦しみが終わりますように。終わらぬならば、せめて報われることを願わずにはいられません。