七話 亡国の兄弟

 キにも劣らない大男が屋敷の中に入ってきた。チュウだった。立派なあごひげをたくわえており、目元は引き締まっている。よわいは、三十代前半といったところ。


「ただいま、到着いたした」


 大きく気持ちの良い第一声だった。張りがあり、胆力たんりょくの強さを感じさせる。


「格好だけは一丁前だな、たわけ。まず、遅参について、おびするのが筋というものだ」


 ハクが、強い口調で、その態度をとがめる。


「ぬう。確かに、兄上の言うとおりだ。遅参をお許しください、バガツール様」


 チュウは、顔をしかめて、平伏へいふくした。

 

 ――兄上。

 もうあえて言う必要もないのかもしれないが、驚くべきことに、ハク、チュウ、キの三人は、血のつながった兄弟であった。冒頓がその事実に気づいたのは、彼らを奴婢の中から、選び出したあとのことだった。ハクが一番上で、次がチュウ、一番下がキである。


 彼らは『』という国の出身だという。

 『楚』は、ここよりはるか南にあった国で、十年ほど前、しんによって滅ぼされた。楚人も元をたどれば、冒頓たちと同じ、遊牧民だった可能性もあるようだが、少なくとも、現在は農耕世界の人間と言い切れる。


 楚人であるハクたちが具体的にどういう経緯で、月氏のもとへ流れ着き、奴婢ぬひとなったのか。疑問ではある。しかし、彼らは過去について、あまり話したがらない。


 ――別に、無理やり聞き出す気もない――

 冒頓は、彼らの才を買って、抜擢ばってきしたのだ。その期待に応えてくれさえすれば、文句はない。過去の経歴など、実力のあるなしに比べれば、些細ささいな問題だった。


 ただ、彼らについて、推測できることもある。

 彼らは祖国で、それなりの地位にあったのではないか、という推測である。武勇、処理能力、礼儀作法。なんの教育も受けていない者がこれほど高い能力を有しているとは思えない。


 複数の言語をあやつるという、ハクの能力からするに、外交をつかさどる家の出ではなかったか。ハクのように話せる言語は多くないが、チュウやキですら、匈奴の言葉を、苦もなく話せるのだ。


 また、楚という国は、本来、礼法にうるさい国ではなかったはずなのだが、外交を担当する家の者なら、ハクが、これほど礼儀を重んじるのも、納得がいく。


「巡回ご苦労。あとで、極上ごくじょうの羊肉を幕舎に届けさせよう」


 冒頓は、謝罪を無視し、ただ労をねぎらった。チュウを嫌って無視したのではない。さきの謝罪を受け入れ、許すという行為そのものを嫌った。


 チュウは、はる彼方かなたの荒野を巡回していた。いかに急いだところで、冒頓たちより早く戻ってこられるはずがない。そんなことは、冒頓も、ハクも、そして、チュウ本人も重々承知なはず。であるのに、形式上はびる。何の落ち度がなくとも、目上の人間より遅れてきたことを詫びる。

 

 別に、それが悪いことだとは微塵みじんも思わない。い悪いの問題ではない。


 ――単なる文化の違いだろう――

 冒頓は、そう捉えていた。

 ハクたちの社会では、当然のことなのだ。こうすることで、人間関係が円滑に運ぶのだろう、と理解はできる。


 なら、なぜ礼儀を素直に受け取ってやらないのか。結局は、これも『農耕民の気風に染まらないため』という、どこかで見た理由が原因である。農耕民の間の作法を、わざわざ受け取る気はない。

 あくまで手段として、農業や鍛冶かじを利用するのとはわけが違う。作法や礼儀というのは、精神面に直結する。


 ちなみに、チュウの側も、いくら礼儀を尽くしたところで、それが受け取られることはないと、わかっていた。わかっているのに、なぜやめないのか。それも、『自分たちの、つまり農耕民の気風を失わないため』という、冒頓が謝罪を無視したのと、似通にかよった理由が原因であった。


 お互い、他人ひととの接し方を変えない。おのがやり方を曲げない。

 意地の張り合いに近かった。あくまで、自分は遊牧民なのだ、農耕民なのだ、という意地。この場において、そういう意地を持ち合わせていないのは、キだけだった。


 三兄弟は、年齢が離れている。楚が滅んだのは十年ほど前だから、祖国を出たとき、キは物心がつくかどうか、という歳だったに違いない。ゆえに、他のふたりと違って、自分が農耕民であるという自覚は薄い。


「それで、巡視の首尾はどうか」


 先ほどハクに対してやったのと同じように、冒頓はすぐ本題を切り出す。


「まず、すぐ北の丁零ていれいですが、領内にあっては、訓練と狩りが盛んに行われている様子。近々こちらへ攻め寄せてくるのではないか、と思われます」


 チュウは、一度頭を下げたのち、報告に入った。


 狩りというのは、いちいち組織だった動きが求められるため、兵士の調練にもってこいだ。獲物を得るのはおまけのようなもので、本来の目的は訓練、というような狩りもくさるほどあった。自分たちの手で、わざと解き放った獲物を狩らせることもよくある。狩りに軍事的な要素が含まれているのは、遊牧民だろうが農耕民だろうが同じだった。


 丁零の不穏な動きについては、

 ――だろうな――

 としか思わない。

 丁零への抑えのために、冒頓は北方へ派遣されたのだ。連中と戦になるのは、覚悟の上であった。


 ――むしろ、きたえた兵卒の力を試すのに、ちょうどよい――

 訓練をいくら重ねようと、たった一度の実戦の経験にはかなわないのだ。


東胡とうこはどうしている?」


 むしろ、気がかりなのはこちらだった。東の大族であり、戦となると非常に危険な相手である。


「そちらの動きは、あまりありませんね。東胡の王は、勢力の拡大より財貨の収集に精を出しているようです」


 朗報であった。東胡と丁零が手を組み、匈奴きょうどを攻撃する、というのが、最も恐れるべき展開だった。

 

 北の厳しい環境で生活をしているためなのか、丁零には、人が少ない。人の数が少なければ、当然、動員できる兵の数も限られてくる。月氏や東胡は、もちろんのこと、匈奴にも兵力という点では、おくれを取っていた。

 つまるところ、丁零単独なら、どうにか抑え込めるはずなのだ。


 ――東胡王も恐れるにあたいしないかもしれん―― 

 冒頓は、なんとなく、そう思う。

 

 いざというとき、失うものが少ない、というのが遊牧民の強みである。財物をため込むというのは、その強みを自ら捨てる愚行ぐこうとしか思えない。

 目的を達成するため、蓄えるのはよい。実際、冒頓も、この集落で作った穀物や武器を、しかるべき時まで、蓄えておくつもりだ。だが、蓄えること自体が目的となってしまっては、問題である。


「次に、周辺の地形についてですが、兵を伏せられそうな場所、戦えば有利になる場所、不利になる場所などは調べ上げました。口頭こうとうでお伝えするよりは、実際に、ご自身の目で、現場を確認して頂いたほうがよいと存じます」


 匈奴きょうどという組織の中で、北に住んでいるのは冒頓だけではない。すぐ近くに、いくつか匈奴人の遊牧集団が点在している。冒頓と同じように、頭曼から土地を任された者もいれば、ずっとそこに住んでいた土着の者もいる。

わざわざ、自前で調査せずとも、地形については、そういう先住者たちに尋ねるという選択もありえた。が、結局は考え直して、独自に調べることにした。


「わかった。そういうことはすぐにでも確認しておいたほうがよい。明日の朝、すぐに案内いたせ」


「かしこまった」


明後日あさってには、丁零領へ乗り込むからな。明日のうちに、やるべきことはやっておきたい。忙しくなるから、覚悟しておけ」


 冒頓の言葉に、ハクとキは目を見開く。


「攻め込むのですか? しかも、明後日?」


 チュウが、そんな兄弟の気持ちを代弁するように、尋ねた。


「そうだ。連中は、戦支度いくさじたくをしているのだろう? どのみち、戦になるというなら、機先を制して、こちらから仕掛ける」


 三兄弟は、しばし沈黙した。

 ――まずは、防御だろう― 

 遊牧民にしては珍しく、防御施設を備えた、集落を作った。それは守りを固めるためだろう。兄弟そろって、そう思っていた。

 塁ややぐらなど、本来遊牧民が積極的に築くようなものではない。農耕世界出身の三兄弟が知恵を貸して、ようやく完成したものだった。


「なんだ? まさか臆病風に吹かれたのではあるまいな?」


 冒頓が笑った。


「恐れるなど! むしろ、今か今かと戦を待っていたのです」


 かっとなって、キが声を上げる。ハクが、またキをにらんだ。奴婢には優しいハクだが、弟にも同じように接する気はないようだった。


「せっかく、奴婢という身分から取り立てて頂いたのです。私とて、いつでも手を血で染める覚悟ではおります。しかし、あまりに急なことでございましたから。第一、御父上に許可を頂かねば」


 チュウが、もっともらしいことを言った。


「安心しろ。早馬を飛ばしてな。すでに、父から攻撃の許可は得ている」


 実は、父の了解なしに開戦してやろうか、と思いもしたのだが、さすがに自重した。自分から疑いを持たれるようなことをしても仕方がない。


「戦は大規模なものに?」


 今まで沈黙を守っていたハクが、尋ねた。

 丁零本隊との決戦。三兄弟は、そんな戦いを想像した。当然の想像だった。


「お前たちが考えているような戦いにはならん。少なくとも、今回は、な。断言できる」


 しかし、そんな彼らの考えを冒頓はあっさりと否定する。


「えっ」


 キが、頓狂とんきょうな声を出した。


「今回、我らがやるのは、略奪りゃくだつだ。場合によっては、次回も、次々回も、略奪だ。間違っても、丁零の本隊と雌雄しゆうを決しようなどと、考えるな」


 しばしの沈黙があった。


「略奪……ですか」


 そうつぶやくチュウの表情には、影があった。

 ハクもチュウと同じ気持ちらしく、居心地悪そうにしている。


「不満か? いや、その質問は浅はかだ。不満に決まっている。しかし、それが牧の民の戦だ。耐えよ」


 足りないものは奪ってくる。遊牧民にとっては当たり前のことだが、農耕民の彼らには、受け入れがたいのだろう。戦のために物資を奪うことはあっても、物資を奪うために戦をすることは、あまりない。それが農耕民の戦争だ。むろん、何事にも例外はあるが。


「私は、気にしませんよ。やれと言われたことをやるまで。どんな形にしろ、実戦であることは間違いないのです。ようやく、訓練の成果を試せます」


 自分が農耕民であるという認識の薄いキだけが、前のめりになって、そう言い放つ。


「バガツール様。略奪と一口に言いましても、奪うのは家畜や武器だけではありませんな?」


 ハクが、絞り出すような声で確認した。


「さすが、ハクよ」


 冒頓は、感心したように破顔した。


「家畜や武器も、もちろん奪う対象ではある。が、戦の主目的にはなりえない」


「では、何なら戦争の目的になりえますか?」


 チュウが恐る恐る尋ねた。それに対する、冒頓の答えはたった一言だった。


「人だ」

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