六話 寄って立つ場所

 守備兵がやぐらから、冒頓ぼくとつらの姿を認めたのだろう。迎えの兵が、駆けつけてくる。

 

 騎乗したまま、塁に架けられた土橋を渡った。

 集落内は、不気味なくらいに静まり返っている。今日の作業はひととおり終わったのか、奴婢ぬひたちは自分の住居へと戻ったようだ。


 奴婢の住居は、地面を掘り込んで造られた、地下式の貧相なものだった。ただし、貧相とはいっても、かまどや煙突といった最低限の暖房設備は、すべての建物に備えてある。族長の座を手に入れるには、彼らの働きが、是が非でも必要なのだ。数が減ってもらっては困る。


 そんな住居群の合間あいまうように進むと、集落の心臓部、首長の屋敷にたどり着く。他の住居と違って、地表に直接建てられていて、規模も大きい。


 入口では、首長の『ハク』が、お付きの兵と共に、膝を折って待っていた。

 

 奴婢の中から選び出した三人のうち、最後のひとりが、この『ハク』である。背も腰も低い男だった。ただ、腰が低いと言っても、びる色は一切出さないため、不快感はない。不思議な男である。媚びへつらいを好まない冒頓が、彼を気に入ったのも、その不思議さのためだった。年齢は、そこそこいっており、三十代なかば。

 

 奴婢を管理する上で、最も難儀なんぎしたのは、意志の疎通がうまくいかないという点だった。

 中国語圏の者もいれば、テュルク語圏の者もいた。作業させようにも、言葉が通じないと、苦しい。


 もちろん、冒頓も、言葉の問題には気づいており、父に頼んで、通訳のできる者を連れてきていたのだが、結局、その者は用済みとなった。ハクがいたからである。彼は、何種類もの言語を使い分けることができた。

 性格も温和で、指示は的確。人望もあり、他の奴婢からも好かれていた。だから、首長に抜擢ばってきした。


「相変わらず律儀りちぎなやつだな。まあよい。息災だったか」


 冒頓は、馬を飛び降りつつ、ハクに声を掛けた。キも冒頓に続いて、下馬する。


 そんなキを、ハクがにらえた。おおかた、目上の立場にある冒頓より長く、馬に乗っていたキを、注意したつもりなのだろう。ハクには、礼儀を重視するきらいがあった。

 一方、キのほうは、ハクのすごみなど、どこ吹く風のようだ。


 乗り手を欠いた二頭の馬は、兵卒によって、屋敷の裏へ連れてゆかれる。裏に、簡易的なうまやがあった。


「おかげさまで。さ、とにかく中へ」


 ハクは、言った。キとは対照的に、低くうなるような声が特徴である。


 屋敷の中は、簡素そのものだった。壁には、槍や剣といった武具が立てかけられていて、中央には、数人が腰を落とせる、毛皮の敷物しきものが敷かれている。そのほかに、華美かびな装飾は一切ない。


「集落の運営は、順調なのか? 最初に言っておくが、無用な強がりはするな」


 腰を下ろした冒頓は、落ち着く間もなく、本題に入る。無意味な世間話にきょうじる気は、さらさらなかった。


「残念ながら、いな、と言わざるを得ません」


 厳しい表情で、ハクは言った。


「不調なのは、穀物か、陶器か。それとも武器か」


「はっきり申し上げますと、全部です」


 ――やはりか――

 そうだろうとは思っていた。


 奴婢を生かす妙案とは、この集落のことであった。強制的に農業や鍛冶、陶器づくりなどをやらせている。モンゴル高原は、基本的には農耕に向いていない。乾燥しすぎているのだ。ただし、例外的に北部地域は、雨が多く、乾燥の度合いがマシである。だから、農耕もやろうと思えば、可能だった。


 集落造営の理由について、父には、匈奴族繁栄のため、と説明していたが、そのじつは、自分の『寄って立つ場所』を作るため、であった。


 冒頓は、匈奴きょうどという族を二分にぶんしてでも、頭曼と族長の座を争う覚悟でいる。が、なんの備えもなく、父に勝てるとは思っていない。そこまで、自分の力を過信しているわけではなかった。

 月氏げっしからの支援も取り付けているが、月氏王は狡猾こうかつな人であり、手放しに信用すると、必ず痛い目を見る。

 というわけで、頭曼にも月氏にも依存しない、独自の勢力基盤を構築したいのだ。そのための集落である。


「まず、あわきびなどの穀物ですが、今年はまったくと言ってよいほど、収穫できませんでした。土がせていて、作物が育ち切らずに、枯れてしまうのです。これでは、奴婢に食わす量すら獲れません」


 密約どおり、月氏王から、ひそかに食糧が送られてきてはいた。奴婢を食わせてゆくのに、十分な量である。

 もちろん、大っぴらに支援を受けているわけではない。そんなことをすれば、さすがの頭曼も異変に気がつくだろう。だから、月氏の息がかかった商人に、食糧の運搬を担当させていた。あくまで、『たまたまやってきた商人から、格安で食糧を買い付けているだけ』、という形を見せる。


 しかし、

 ――せめて、奴婢に食わすくらいは月氏に依存することなく、できるようにしておきたい――

 と思っていた。


「次に、陶器や武器の生産ですが、現状、すじの良い者がおらず、質の高いものは、生産できていません。奴婢に身を落とす前、職人であった者に、技を伝授させてはいるのですが、まだまだ、時が掛かります。また、そもそもの話、穀物を育てるのにも、武器を作らせるのにも、人手が足りていません」


 つまるところ、農作だろうが、鍛冶だろうが、まともに機能させるには時間も人も足りていない、ということだった。


「土とは、そのように大事なものか。土は、時間を掛ければ、肥えてゆくものなのか」


 農業についての知識が貧相な冒頓には、まず、土が痩せるという感覚が分からない。だが、詳しく聞きたいとも思わない。時さえかければ、収穫量は上がるのか。それだけを、はっきりさせればいい。単に、面倒だから聞かない、というわけではない。


 ――あまり農耕民の気風に染まりたくはない――

 と、思っているからだった。遊牧民は遊牧民だからこそ強いのだ、という確固かっこたる信念がある。

 

 農業や鍛冶という概念を取り入れておいて、その気風には染まりたくないとは、一見、矛盾している。

 しかし、ことは精神面の話である。外面そとづらは、農耕民と同じことをしていても、精神は遊牧民であらねばならない。わかりにくい話だが、そういうことだった。


「作物を育て続けていれば、土は肥えてゆくはずです。そして、土さえ育てば、おのずと収穫は増えます。どれほど立派な建物を建てても、基礎がしっかりしていなくては、すぐに崩れてしまいます。どんな植物でも、根が大地をがっちりつかめていなければ、花を咲かすことすらままなりません。農作における、土づくりもそれと同じだとお考えください」


 ――基礎、根、土か――

 冒頓にとっては、集落そのものが、欲望をかなえるための基礎であり、根であり、土台であった。だから、おろそかにしてはならない、という考えは理解できた。


「よし、わかった。待とう。土づくりと職人の育成は、引き続き、お前に一任する。人手の不足については、こちらで対処する」


 結局、余計な手出しはせず、ハクと奴婢たちに、ほとんどを任せることにした。


「ありがたきお言葉。時さえ頂ければ、必ずや、持って余りあるほどの穀物や武具をご覧に入れましょう。しかし……」


 ハクは、そこで言いよどむ。


「いかに、人手の不足を解消しようというのか、か?」


 そんなハクの考えを先読みするように、冒頓は言った。


「はっ、恐れながら」


 顔を少し赤くして、ハクは頭を下げる。


「その件に関しては、チュウが来てからだ。軍事に大きく関わることだからな」


 冒頓がそう言いつつ、出された水をすすったときだった。集落内が、にわかに慌ただしくなった。

 兵が、出迎えの準備をしているらしい。冒頓とキがやって来たときも、きっとこうだったのだろう。ハクは、兵をよく教育している。


「噂をすれば、ご到着のようですね」


 今まで、冒頓の後ろで黙りこくっていたキが、嬉しそうに口を開いた。

 さきほどまでの話には、関心がなかったらしく、一切口を挟んでこなかった。聡明そうめいではあるのだが、いくさにしか興味がない。それがキという若者だった。

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