六話 寄って立つ場所
守備兵が
騎乗したまま、塁に架けられた土橋を渡った。
集落内は、不気味なくらいに静まり返っている。今日の作業はひととおり終わったのか、
奴婢の住居は、地面を掘り込んで造られた、地下式の貧相なものだった。ただし、貧相とはいっても、かまどや煙突といった最低限の暖房設備は、すべての建物に備えてある。族長の座を手に入れるには、彼らの働きが、是が非でも必要なのだ。数が減ってもらっては困る。
そんな住居群の
入口では、首長の『ハク』が、お付きの兵と共に、膝を折って待っていた。
奴婢の中から選び出した三人のうち、最後のひとりが、この『ハク』である。背も腰も低い男だった。ただ、腰が低いと言っても、
奴婢を管理する上で、最も
中国語圏の者もいれば、テュルク語圏の者もいた。作業させようにも、言葉が通じないと、苦しい。
もちろん、冒頓も、言葉の問題には気づいており、父に頼んで、通訳のできる者を連れてきていたのだが、結局、その者は用済みとなった。ハクがいたからである。彼は、何種類もの言語を使い分けることができた。
性格も温和で、指示は的確。人望もあり、他の奴婢からも好かれていた。だから、首長に
「相変わらず
冒頓は、馬を飛び降りつつ、ハクに声を掛けた。キも冒頓に続いて、下馬する。
そんなキを、ハクが
一方、キのほうは、ハクの
乗り手を欠いた二頭の馬は、兵卒によって、屋敷の裏へ連れてゆかれる。裏に、簡易的な
「おかげさまで。さ、とにかく中へ」
ハクは、言った。キとは対照的に、低く
屋敷の中は、簡素そのものだった。壁には、槍や剣といった武具が立てかけられていて、中央には、数人が腰を落とせる、毛皮の
「集落の運営は、順調なのか? 最初に言っておくが、無用な強がりはするな」
腰を下ろした冒頓は、落ち着く間もなく、本題に入る。無意味な世間話に
「残念ながら、
厳しい表情で、ハクは言った。
「不調なのは、穀物か、陶器か。それとも武器か」
「はっきり申し上げますと、全部です」
――やはりか――
そうだろうとは思っていた。
奴婢を生かす妙案とは、この集落のことであった。強制的に農業や鍛冶、陶器づくりなどをやらせている。モンゴル高原は、基本的には農耕に向いていない。乾燥しすぎているのだ。ただし、例外的に北部地域は、雨が多く、乾燥の度合いがマシである。だから、農耕もやろうと思えば、可能だった。
集落造営の理由について、父には、匈奴族繁栄のため、と説明していたが、その
冒頓は、
というわけで、頭曼にも月氏にも依存しない、独自の勢力基盤を構築したいのだ。そのための集落である。
「まず、
密約どおり、月氏王から、ひそかに食糧が送られてきてはいた。奴婢を食わせてゆくのに、十分な量である。
もちろん、大っぴらに支援を受けているわけではない。そんなことをすれば、さすがの頭曼も異変に気がつくだろう。だから、月氏の息がかかった商人に、食糧の運搬を担当させていた。あくまで、『たまたまやってきた商人から、格安で食糧を買い付けているだけ』、という形を見せる。
しかし、
――せめて、奴婢に食わすくらいは月氏に依存することなく、できるようにしておきたい――
と思っていた。
「次に、陶器や武器の生産ですが、現状、
つまるところ、農作だろうが、鍛冶だろうが、まともに機能させるには時間も人も足りていない、ということだった。
「土とは、そのように大事なものか。土は、時間を掛ければ、肥えてゆくものなのか」
農業についての知識が貧相な冒頓には、まず、土が痩せるという感覚が分からない。だが、詳しく聞きたいとも思わない。時さえかければ、収穫量は上がるのか。それだけを、はっきりさせればいい。単に、面倒だから聞かない、というわけではない。
――あまり農耕民の気風に染まりたくはない――
と、思っているからだった。遊牧民は遊牧民だからこそ強いのだ、という
農業や鍛冶という概念を取り入れておいて、その気風には染まりたくないとは、一見、矛盾している。
しかし、ことは精神面の話である。
「作物を育て続けていれば、土は肥えてゆくはずです。そして、土さえ育てば、おのずと収穫は増えます。どれほど立派な建物を建てても、基礎がしっかりしていなくては、すぐに崩れてしまいます。どんな植物でも、根が大地をがっちり
――基礎、根、土か――
冒頓にとっては、集落そのものが、欲望を
「よし、わかった。待とう。土づくりと職人の育成は、引き続き、お前に一任する。人手の不足については、こちらで対処する」
結局、余計な手出しはせず、ハクと奴婢たちに、ほとんどを任せることにした。
「ありがたきお言葉。時さえ頂ければ、必ずや、持って余りあるほどの穀物や武具をご覧に入れましょう。しかし……」
ハクは、そこで言い
「いかに、人手の不足を解消しようというのか、か?」
そんなハクの考えを先読みするように、冒頓は言った。
「はっ、恐れながら」
顔を少し赤くして、ハクは頭を下げる。
「その件に関しては、チュウが来てからだ。軍事に大きく関わることだからな」
冒頓がそう言いつつ、出された水をすすったときだった。集落内が、にわかに慌ただしくなった。
兵が、出迎えの準備をしているらしい。冒頓とキがやって来たときも、きっとこうだったのだろう。ハクは、兵をよく教育している。
「噂をすれば、ご到着のようですね」
今まで、冒頓の後ろで黙りこくっていたキが、嬉しそうに口を開いた。
さきほどまでの話には、関心がなかったらしく、一切口を挟んでこなかった。
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