きっと二人は、この先、前を向いて歩んでいける。


 昏睡状態だった大地は、突然覚醒した。

 身体も動く。記憶もはっきりしている。どこを何度検査をしても異常なし。医師も意味不明だと言っていた。

 念のため、一週間の入院を強制された。


 止まるはずだった心臓が、まだ鼓動を続けていることには驚いたが、とくに嬉しくはなかった。今でなくとも、もうすぐこの命は朽ちるのかもしれない。

 それに、もしもまだ生きることができるとしても——。




 彩楓は、果物と花を持って、大地の見舞いに訪れていた。

 白いベッドで上半身だけ起こした大地と、傍らの椅子に座る彩楓。

 視線を合わせないまま、二人の間に何とも言えない空気が流れていた。


「全部、知っちゃった」

 クロ、もとい神様から聞いた話を、彩楓は一つひとつ確認していく。


「そっか……」

 肯定するでも否定するでもなく、大地はそれだけ答えた。


「そんなわけで、大地のその副作用ってやつは全部なくなったから」

「ああ。そっか……」

 まだ実感がわいていないのか、何もない宙を見つめている。


 その返答に、彩楓は寂寥感を覚える。別に、お礼を言ってもらいたかったわけではないけれど。魂が抜けてしまったような大地を見て、痛々しさを感じた。


 おそらく、大地は生きる目的を失ってしまったのだ。

 最愛の妻を亡くす体験をし、時間を遡ってその過去を改変した。

 信頼できる友人に彼女を任せ、美緑本人には何も告げずに、ただその幸せだけを願って——。


 そんな壮絶な道を、彼は歩き切って。これから何をすべきかも、何をしたいのかもわからず、ただ生きている状態。

 それが今の平賀大地だった。


「大地は、まだ生きられるって知って、嬉しくないの?」

「どうなんだろう。死にたかったわけではないけど……生きたかったかって言われると微妙かな」


 美緑が幸せになったことを見届けて、本当ならそこで大地の寿命は尽きるはずだった。


 美緑は優弥と幸せな結婚生活を始めて、大地は少しずつ美緑の記憶から消えていく。


 彼にとってそれは、どこまでも幸せで、ひたすらに不幸せなことだ。


「どうして……」

 もしかすると、自分は余計なことをしてしまったのだろうか。彼はそのまま死んでいた方がよかったのかもしれない。彩楓は今になってそう思い始めた。


 けれど、彩楓は大地に生きてほしいと思った。

 それは元をたどれば、彼の美緑に対する想いと同じだ。


「だって」少しでも触れれば、崩れてしまいそうな儚さをたたえて。「俺にはもう、生きてる意味なんて——」


「私が!」

 自分でも驚くくらい大きな声だった。張り裂けそうになった胸が痛い。


「私が大地の生きる意味になる!」


 一度は諦めようとした恋だった。

 それでも、好きな気持ちは消そうとして消せるものではない。

 結局、心の一番深い場所で、彩楓は大地のことを愛していた。


 昨日枯れ果てたと思っていた涙が、彩楓の目尻からこぼれた。

「なんで、そこまで……」

 虚ろだった大地の目に、わずかな光が宿る。彼は彩楓と視線を合わせて向き合った。


「その台詞は、大地にそっくりそのまま返すよ。大地が美緑のことを好きだったように、私は大地のことを好き」


 もう逃げない。

 彩楓は覚悟を決める。

 重なった視線は外さない。


「美緑のことを忘れてなんて言わない。でも、大地は大地で幸せになる権利がある。だから、私のことを見て!」


 大地以外の人間を好きになる未来なんて、彩楓には想像できなかった。

 一生をかけても振り向かせてみせる。たとえそれができなくとも、自分はずっと真っすぐに、誠実に、彼だけを愛していよう。


「俺、結構めんどくさいよ。心の底では、優弥のこと刺し殺してやりたいほど嫉妬してるし」

「うん」


「精神的には四十近いおっさんだし」

「うん」


「バツイチ、ではないかもしれないけど、結婚歴はあるし」

「うん」


「それでも、俺なんかに生きる価値があるんだったら」一瞬、間を置いて。「もう少し、頑張ってみようと思う」

「……うん」


 それは、久しぶりに見た大地の人間らしい笑みだった。

「だから、俺と一緒に生きてくれますか?」


 祈り続けた想いの先端が、ようやく届いた気がした。まだまだ道は長いかもしれないけれど。


 息が止まりそうなくらいに嬉しさがこみあげてきて、悲しみの涙が喜びの涙へと変わる。


「はい」

 差し出された大地の右の手のひらを、彩楓は優しく包み込むように握った。

 どこまでも報われなかった恋は、再び小さな火を灯して動き出す——。


 何もかもが真っすぐな恋ではないけれど、その想いは何よりも誠実だから。

 きっと二人は、この先、前を向いて歩んでいける。




 ——完――

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もう一度人生をやり直したとしても、私は君を好きになると思うよ。 蒼山皆水 @aoyama

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