第2話

「あぁ…腹減った…。」

 華奢な身体を薄汚ない壁に擦り付けながら、こつんと手の甲が力なく壁を叩く。

 最後の食事から随分と時間が立ち、リコの体力は既に限界だった。古びたビルの間にある狭い路地の空気は悪く、纏わりつく重たい空が隙間から見下げているかのようなここは、あまりいい場所とは言えない。

 今しがたKATZEカッツェを3人程始末したリコは残党の目をやり過ごす為、目立たない路地裏を移動することを余儀なくされていた。

「最後に飯食ったのいつだよまったく。報酬の割に労働時間長すぎだろクソ政府が。」

 リコはいつになく不機嫌で空腹からくる怒りで顔をしかめていた。

「イギャアァァ…」

 突如ビルの上から聞こえ漏れる女性らしき悲鳴。同時に微量ではあるが、赤い雨ともとれる鮮血がぽつんとリコの肩にかかった。

「ったく、俺のいるとこで仕事しやがって腐れ猫どもが…。」

 リコは面倒臭さそうに顔を歪め舌を打つと腰まで伸びた長い髪を素早く束ね、ビルの突起に指を掛け駆け上がる。その姿は人の次元を優に超えており先程まで空腹を嘆いてた姿はもはやそこには無い。

 下にいた時と明らかに違う強い風が、リコの肌を駆け抜ける。駆けつけた先の屋上には生々しい血の跡と異様な臭いだけが残り、悲鳴の主の姿はない。代わりに太々しくリコを睨みつける異形の男が一人、武器を手に持ち待ち構えていた。大きく見開く瞳と耳、それに尻尾以外は人の姿に近いが、明らかに異様な姿はまるで猫のようだ。

「チッ、肉はブローカー行きか?…素早いね。お前ら何匹いんだよ。」

 リコの言葉に男の耳はピクリと左右に反応し、長い尻尾が旗を振るうように大きく揺れ、開いた瞳孔が禍々しい敵意を感じさせる。

「今日俺の幼馴染が死んだんだ。お前だろ犯人は?」

 リコは男の言葉に眉頭を上げ呆れた顔とため息で答えた。

「毎日人が死んでいる。復讐で仕事してるわけでもないんだろうが、見た目といい世界が違いすぎてお互い話にならんだろ?…犯人ね、それもまたいいんじゃない。お前らにとっては良い存在でないのは明らかだ。」

「答えとみなして良さそうだな。どうやら俺は当たりをひけたようだ。あいつは良い奴で、お前は同胞殺しのクソ野郎。それにお前の首は高価そうだ。」

 男の口元からちらりと牙が覗く。

「ハハッ、安くはねぇわな。容易いようなら腹が空くまで働かされないだろうよ。まぁそれも限界なんで素早く死ね。」

 空笑うリコに激しい怒りを露わにした男が動いた。俊敏な動きにもリコは至って冷静だった。背中に背負った銃は素早く抜かれ、ヒュンッと微かな音と共に、弾は男の眉間を貫通し膝をつかせていた。バタンと倒れ伏した男を横目にリコは大きくため息を吐いた。

「威勢が良いだけってのも面倒いな。」

 パチパチパチパチ、拍手が血溜まりのある方角から聞こえてくる。

「エルか、てめぇ…か弱いレディが襲われているのを高みの見物とは、男としてどうかと思うぞ。」

 束ねた髪を解き、リコが振り返った先にはスラッとした若い男が笑みを浮かべコンクリートの段差に腰掛けている。

「よっ!久しぶりだな。俺の可愛いリコちゃんが真面目に働く姿に見惚れてたんだよ。それより見ろよ勿体無いんだぜ、仏さんえらいべっぴんさんだわ。」

 落ちていたバッグから飛び出た身分証を拾い、エルはリコの方に投げた。リコは下に落ちた身分証を拾い上げながら眉を歪ませたまま話した。

「そこに転がってるやつの幼馴染とやらを私が殺しちまったんだと。冗談じゃねぇっての。この血の量じゃ写真のべっぴんさんはこの場で解体されブローカー行き。他を喰らう連中が随分と勝手言いやがる。」

 エルはタバコに火を付け、煙を上に吐きあげる。

「分かり合える程見た目も思考も近くは無いわな。それにしても惜しいよなぁ、俺が飯食う時間削ってさえいればこの娘さんを助け出すヒーローになれただろうに。実に惜しいことをした。」

 次の瞬間、只ならぬ威圧感でエルに詰め寄ったリコはいかに空腹かを説明し食事をねだった。エルはとりあえず自分の吸うタバコをリコの口に挿し移動を促した。

 エルの提案で食事の出来る店に入った二人。この区域でオリジナルが周りを気にせず語れる場所は限られている。とある路地裏にある雑居ビルの一角にその店はひっそりと存在する。重厚な扉の前には屈強な管理人がおり、他の侵入を阻んでいる。二人のいる地区はオリジナルだけの首都からは遠く離れ、敵であるKATZEが多く現れる場所。9HEADナインヘッド

に記された二人は、移動に常に慎重にならざるおえない所でもある。

「なぁリコさんよ。同じ給料なのになんでいつも飢えてるんおまえは?一般の何倍もの額を貰ってるんだぞ俺ら。」

 エルはフォークでリコの額を突くもリコは気にせず出てくる料理を頬張っていた。その姿に呆れつつも愛しそうに見つめるエルは手を一回パチっと叩き仕切り直す。

「…まぁいつものことか、それよりBATバッドの連中が西でなにやら動いているらしい。」

 リコはビールを一気に流し込み知った口振りで返す。

「どうせラーゴのおっちゃん経由でお前は使いっ走りだろ。俺まで動かすなんてこの地区の警備を手薄にしてまでの事態が起こるのか?」

「あぁ、付き合い長いと話が早くていいね。レディにも情報はいってるらしいが今回9HEADではお前と俺、それに親父とロイドがこの案件の担当だ。」

「ロイドか…あの変態やろうには会いたくはないんだけどな。レディのばぁさんもいつまでナインに席置くのかね。」

 腹部を手でさすり、リコは満足気き息を吐く。

「あの人は生ける伝説だぜ。あの親父達すら頭が上がらないんだから敬意を示せよなまったく。」

 エルは目の前のコップに指を突っ込みリコに水滴を弾き飛ばす。

 9HEADとは人類で最も優れ選ばれた9人を指し、既に80歳を間近に控えたレディはその中で実力No.1を不動のものとしている。政府とは別の組織を配下に従え動いている凄腕で、オリジナルにとっては英雄であり敵にとっては史上最悪のターゲットなのである。

「親父もさ、どうせ自爆するならあのばぁさんを迎えに来てやりゃいいのに…。」

 リコは丸窓から覗く空を見上げながら、2年前に死んだ父のことを思い出していた。

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