弄火
一箇歩兵大隊は通常四箇中隊によって構成される。では四箇中隊は一箇大隊と等価であろうか?
答えは否。断じて否。
大隊が大隊として機能するためには、大隊指揮官がいて副官を含む大隊本部があって、各中隊長、下級指揮官との間で指揮通信系統が確立しており、大隊本部は各中隊の能力を把握し、各中隊は本部の指揮を信頼できていなければならない。そうでないならば、それは大隊ではなく、中隊の寄せ集めに過ぎない。
編成によって指揮序列を確立し、訓練によって意思疎通を徹底しない限り、部隊は部隊として機能しない。
部隊を臨時に寄せ集めて機能させる、などといったことは、軍事的常識に照らし合わせて、あり得ない。不可能だ。
(ただし、帝国を除く)
かき集められた中隊長たちを前にしてカランドロは内心独りごちた。
臨時編成の戦闘団を有機的に運用する?
もし自分自身が東部戦線で目の当たりにしていなければ、空想小説の類だと一蹴したことだろう。
とはいえ、あれは飽くまで帝国での話。卓抜たる将校、選良たる参謀、野戦の洗礼を浴び切った将兵。それらが揃った上での話だ。
イルドアで同じことができるはずもなし。
カランドロは司令部付きの下級将校、先任下士官を何人か確保して司令部とすると、隷下全士官を総呼集した。
この非常時に手続きに拘っている時間はなく、指揮官の意思と作戦の目標を徹底させるにはそれしかなかった。
不安げな表情で整列する士官たちを前にカランドラは一声を発する。
「本部隊の任務は、旅団司令部ならびに友軍諸部隊の脱出時間を稼ぐことである」
遅滞作戦。
退却戦の殿軍。
史上あらゆる戦場で、最も精強とされる部隊が担う任務であるが、聞かされた各級隊長の顏色は蒼白。
恐らく、己の死を想起したのだろう。
(無理もない)
カランドロは深く同情しつつ、しかしその程度では足りないのだ、と嘆く。
隷下部隊が全滅するまで勇戦したとして、稼ぎ出せる時間はごく僅かだろう。そのくらい、帝国軍と王国軍の間の戦闘能力は隔絶している。
故に、カランドロは自殺行為を回避せねばならない。
「但し、帝国軍との直接戦闘はこれを極力回避するものとする」
赤裸様に安堵の空気が広がるが、一人カランドロだけは彼らの境遇を憐れむ。
命を捨てても間尺に合わないのであれば、それ以上の物を捨てるしかないのだ。
否。
他でもない、カランドロが。
「工兵隊。速やかに進出し、全ての橋梁の爆破を行え」
「はッ!……は?」
命令を受けた工兵将校が、一瞬間の拔けた返事をして、複雑怪奇な表情を見せる。
「こ、ここのはほとんどが……れ、歴史的遺産ですよ!?」
見れば、多くの士官が啞然としている。別の将校が口を開く。
「大佐殿、その、遅滞戦術は理解しますが……」
「分かっている」
分かっているのだ、そんなことは。
「
ああ、帝国軍人なら、東部で出会ったあの連中なら、眉一つ動かさずに命令し、躊躇うことなく実行するのだろう。
それが軍人として、戦争機械の部品として正しい様態だと分かっていても、カランドロは顏を顰めずにはいられない。
「……イルドア王国を歴史的遺産にしたくはない」
分かってもらえたとは思えないが、将校たちが口を噤んだ。
だが、本番はこれからなのだ。
「橋と並んで、鉄道も破壊する。ポイント、信号、給水施設。石炭は燃やしてしまえ。機関車はボイラーに銃弾を撃ち込み、貨車・客車には火をかけろ」
将校たちの顏は、先ほどまでとは違う意味で色を失っている。
「地雷はありったけ埋めておけ。ああ、地雷地図の作成は不要だ」
通常地雷を設置する際は埋設した地点を地図に起こし、これを地雷地図と呼ぶ。味方が被害を受けるのを避け、また後の撤去を容易ならしむるために必要なものだが、作成しなければ後始末は困難を極めるだろう。
「心配するな。処分は帝国軍がやってくれる」
専門家が埋めたわけでない即席地雷原だ。大した足止めにはならないだろうが、嫌がらせくらいにはなるはずだ。
「歩兵部隊は中隊毎に分散して、周辺住民の避難誘導を行う」
ようやく素直に承服できる命令にホッとした空気が流れるが、カランドロはそれを叩き壊す。
「住民を避難させた後、建物に火を放て」
「お待ちください大佐!」
一顧だにせず、カランドロは命令を続ける。
「食料、燃料、家畜! 何一つ帝国軍には渡すな!」
「じゅ、住民が素直に従うとは思えません……!」
「銃を突きつけてでも家から追い出せ。帝国軍の足は早いぞ。躊躇っていると追いつかれる」
「しかしそれならば、町や村と協力して戦った方が……」
そんな反駁の声に、いっそ優しげな声で「アレーヌを知っているか?」と反問すれば、何人かが反応する。
「帝国軍は民間地と言えども容赦はしないぞ。絶対に、絶対にだ、住民と一緒に戦おうなどと考えるな。連中はこちらが国際法を破った瞬間に、一切合財を焼き尽くすぞ」
国際法が適用できない状況と言って、連中が躊躇なく市街戦を行う様をこの目で見てきたのだ。
「無防備都市宣言を出すことは認めるが、その場合は食料燃料、車輛類を挑発しろ。敵手に渡すことはまかりならん」
国軍が、国民から、財産を奪うというのか。
糾弾の眼差しにカランドロは視線を逸らして応じるしかなかった。彼はまだ、帝国軍人ほどには躊躇いを捨て切れていなかった。
「これは……軍隊の所業ではありませんな」
「全ての責任は本官がとる。かかれ!」
明らかに気乗りしないのろのろとした足取りで士官らが自部隊に戻っていくのを見送りつつ、カランドロは副官に任命した中尉に命じて車を手配させる。
当然こんな命令だ。各部隊が素直に従うとは思っていない。
だから、自ら足を運んでケツを蹴飛ばして回る。
嫌な任務だ。
本当に嫌な任務だ。
「どうして……どうしてこうなった……」
我が国は、イルドアはどこで間違ったというのか。
帝国との交渉も、齟齬はあれどもそれなりに順調だったではないか。
(私が、何かを間違えたのか)
直前に電話をかけてきたレルゲン大佐のことを思う。彼もまた、国内で苦しい立場に置かれていることだろう。
手配させていた車が到着し、座席に乗り込んだところで中尉に詰め寄られた。
「大佐殿! これは……こんなやり方は間違っています!」
「ああそうだな。全く以って間違っている」
平和な時代のルールが書き換えられ、これからは戦争の、世界大戦のルールがこの国を支配することになる。
世界大戦のルール。
カランドロがあの東部で見てきた、果てしなき戦争の姿。
あれがイルドアを席巻する。
「中尉、覚悟しておきたまえ」
カランドロは表情を押し殺すのも忘れて、世界の真理を吐き捨てた。
「これからは
熾火 @0guma
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます