劫火

 星が降っていた。

 次々と、次々と。

 夜明けの空を斬り裂き棚引く光が、星を降らせていた。

「急げ! 急ぐんだ!」

 士官が、下士官が、水兵が、怒声を上げロープを手繰り、水面から次々と〝星〟を引っ張り上げる。

 血に塗れるのも構わず跪いた男たちが、ベルトや止血帯を巻きつけ、人工呼吸をし、心臓マッサージを必死に繰り返す。

「軍医! 衛生兵! 誰でもいい! 早く来てくれ!」

「息をしてない!」

「しっかりしろ! 生きろ! 死ぬな!」

 真っ赤な白衣を着た軍医がぬめる甲板に足を取られながらも星星の間を泳ぎまわり、次々と黒いタグを手首に付けていく。

 統一暦一九二七年八月三一日払暁。

 帝国軍の夜間渡洋による奇襲上陸作戦は、待ち構えていた連合王国高速艦隊によって蹉跌した。

 こちらを見るや回頭して逃げを打つ帝国艦隊を、あとは海空から挟み撃ちにしてこんがり料理するだけ。上層部は既に勝利を確信していた程だ。

 それがどうだ。

 今や追撃など夢のまた夢。

 艦隊は短艇カッターを下ろし、空から降ってくる海兵魔導師の救助に奔走している。

「何が起こってるんだ⁉」

 艦橋から見上げる空は、閃光と爆炎が飛び交い、地獄の釜が抜けたかのよう。

 朝焼けの空にしゃっこうが閃く度に、一つ二つでは效かない人影がちてくる。あたかも、翼を折られ神の国を逐われた天使たちのように。

 最初のうちこそ、浮き輪や救命胴衣を投げて済ませていた艦隊も、すぐに航空支援の異常を悟り、追撃を諦めて救助に切り替える。

 一個旅団。その数およそ一五〇名に達する航空魔導師の大編隊が、僅か三分の一にも満たない帝国魔導師に、焼かれ、穿たれ、斬られ、叩き落とされてくる。

 もとより落水者の救助は国際法上の義務。しかし、墜ちてくる魔導師が何故全て友軍の魔導師なのか⁉

 見下ろせば甲板は赤黒く染まり、物言わぬむくろが累々と横たわる。その全てが、友軍の魔導師。

 帝国と開戦したとはいえ、未だ本格的な陸戦も海戦も経験していない連合王国では、殆どの将兵が初めて見る戦争の風景だった。

「これが……これが、戦争かッ。これが帝国軍か!」

 艦長とて軍人として戦況は把握しているつもりだった。協商連合を破りダキアを一蹴し、共和国と難戦しつつも劇的な勝利を收め、連邦と殴りあう帝国は、しかし所詮は陸軍国。海の上での艦隊戦であれば連合王国にかなうまい。

 事実、連中は自分の尻尾も隠せない間抜けだった。艦隊が待ち構えるところにノコノコと姿を現した時には、艦橋には失笑さえ漏れ、帝国軍人に同情する余裕すらあった。

 それがどうだ。

 今や友軍魔導師はいいように翻弄されている。

 艦橋詰めの将兵は息を呑んで空を見上げ、甲板上では必死の救命活動が続いている。

 航空魔導戦には疎くても、状況くらいは読める。我が軍は、我が海兵魔導師は、崩壊しつつあった。

「艦長」

 砲術長からかけられた声は硬かった。

「対空戦闘部署を発令すべきでは?」

 驚いて振り向けば、強張りきった顏。信じ難い現実を前に、それでも行動をせんとする意思の光。

「しかしそれでは救助が――」

 救助にかかっているのは、ほとんどが砲術科・雷撃科の科員だ。つまり対空戦闘部署を発令すれば、救助は打ち切られることになる。

 分かって言っているのか、と目で問うに、返事は苛烈。

「……無駄かと」

 高度数千から落下する際の終端速度は時速二〇〇キロメートルに達する。その速度で叩き付けられれば、海面とてコンクリート床に等しい。

 わっと、周囲の将兵が沸いた。

「ダニエル01ロスト! パイレーツ01が指揮を継承!」

 通信士が叫ぶ。

 何事かと空を見上げれば、一時は壊乱寸前と見えた海兵魔導師が立て直しを果たし、射撃の膜を張って帝国魔導師を遠ざけていた。

 そうだ。接近され斬り込まれ乱戦となれば技量の差も影響しようが、距離をおけば数と数の勝負に持ち込めるはずだ。戦技も何もない力押しだが、戦争に綺麗汚いは関係ない。

 空を彩る両軍の火線は一層激しさを増し、遠雷にも勝る砲声が艦を叩く。

 そしてやはり、海兵魔導師が墜ちてくる。

 目を覆わんばかりの惨状。

 艦長は決断する。

「救助続行!」

「はッ」

 これだけの戦力を投じているのだ。帝国魔導師を壊滅できないまでも、撃退くらいは期待できるはず。

 艦長はギリギリまで粘る選択をする。

 艦隊は戦場直下の海域を囲むように遊弋し、必死の救助作業を展開する。

「生きてる! まだ生きてるんだ‼」

「もう駄目だ! 見込みはない!」

 救難員と軍医・衛生兵が怒鳴り合う声。

「モルヒネが足りない! 誰か!」

「酒でいい! 酒保からありったけ強い酒を持ってこい!」

 医薬品が尽き、酒すらも消毒アルコールの代用にする極限状態。

「頼む、勝ってくれ!」

 誰かの祈り。

 あるいは艦艇は、対空戦闘準備をしてこの場を離れるべきなのかもしれない。

 だがさすがに、そのような進言をするものは居なかった。

「敵が退いたぞ!」

 だから、双眼鏡を覗いていた士官が敵兵の遠ざかる様を見て叫んだ時には、一瞬の安堵が漂ったのだ。

 だが瞬転。

 高度を取って遠ざかった敵が逆落としの突撃をかけ、空に巨大な爆発が炸裂。閃光を直接目にしてしまった士官の「ギャッ!」という悲鳴に被さる通信士の声。

「パイレーツ01ロスト!」

「救助中止! 対空戦闘部署発令!」

 今度こそ艦長は迷わなかった。

 士官たちが一斉に動き出し、喇叭手が対空戦闘部署のメロディーを吹き鳴らす。

 一瞬の沈默の後、甲板上は大騷ぎになる。今の持ち場を離れられない者、それを引っ張る者、患者を蹴飛ばして部署へ走る者。大混乱だった。

 血塗れの士官が艦橋に飛び込んできて懇願する。

「艦長! どうか救助活動の継続を!」

「ならん! 海兵がやられたら次は艦が狙われるぞ!」

 そうなれば折角救助した海兵諸共海の藻屑だ。

 最善を選択しても誰かが犠牲になる冷たい方程式。

 その責任を取るのが、艦長の職責だった。

 その間にも海兵たちが雨のように海面に降り注ぎ、今や水面みなもが赤く見える。

 空を見れば、もう浮いている海兵魔導師は数えるほど。見えるのは帝国魔導師ばかり。

 脳裏に浮かぶのはダカール沖の悲劇。

 そうだ。帝国の魔導師は戦艦すら沈め得る。

「面舵! 機関戦闘出力! 第一戦速へ」

 せめて落水した魔導師たちが戦闘に巻き込まれないよう海域を離れるくらいが精一杯。

 次は我が身だ。

「対空戦闘用ー意‼」

 砲術長が叫ぶ。

 艦長は双眼鏡を帝国魔導師に向ける。

 空と海との間に視線が交錯し、戦意がぶつかり合い、一瞬睨み合う。

 来るなら来てみろ。ただでは沈まんぞ!

 緊張が張り詰め、静かになった空に集合した帝国魔導師は、しかし予想を裏切り、東へと進路を取った。

「敵、撤退します……」

 見張り員のやや呆けた声で正気に返った艦長は、矢継ぎ早に指示を出す。

「対空監視を怠るな! 僚艦と分担して救助を再開するぞ。通信士、信号用意!」

「はッ!」

 敵が去った東の空を睨みながら、帝国との戦争の困難さについて、艦長は思わずにはいられなかった。

「こんな……こんな戦争が続くというのか」

 世界大戦の炎にべられる供物が、こんな程度では済まないと、連合王国はまだ知らない――。

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