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 ローザが修復ねむりに入ってから、20年あまりが過ぎたこの頃。屋敷は大掃除で大忙し……ではなく、ひと段落ついて落ち着いたところ。Sは特にやることもなくなったので、庭に出ていつものテーブルと椅子をセットし、屋敷の使用人分のティーセットを用意する。茶葉は皆好みが違うので、それぞれに準備せねばならない。全員の好みを把握し、それを確かに用意するのは面倒なことこの上ないだろうが、もう随分前になれてしまった。誰がどの紅茶を好むかなんて、それは自らの年齢を数えるより容易なこと。

 すべてを用意し終えたSは、庭から出、ほかの使用人達を呼ぶことにした。



             【使用人たちのお暇】



 屋敷の使用人は数多くいる。といってもせいぜい数は、十数人といったところか。そのうち人の頭をもつ使用人は、メイドのQのみ。ほかは何かしらの『異形頭』である。Sのように不定形の頭はSしかいないが。なぜ彼らが異形頭なのか、なぜQだけが人の頭をしているのか。その真実はすでに、とうの昔にどこかへと置き去った。いまさらそれを知って、それを掘り起こして、どうするというのか。そんなものに意味などない。ただ今を、平和に、平穏に暮らす。それだけのこと。

 とはいってもSはこれが平穏なのだろうか、と疑問に思う節がある。Qにはローザとともにいたずらをしょっちゅう仕掛けられるし、ローザにはなぜか執拗に尻をなでられる。Tにはそこらじゅうで『頭の内容物』をこぼされ、Rには理不尽な理由で腹にストレートを入れられる。どう思い返してみても、平和、平穏には程遠すぎる。はたしてこれでよいのだろうか。いいやよくない。主にSの体調面で。考えれば考えるほど、頭部の靄はどんどん小さくなっていく。と、そこへ。


「オッ、Sでございますな」

「…Q」


 なにやら上機嫌なQが、Sに向かって骸の手刀を振り下ろす。だが間一髪、Sはその手刀をかわした。チッ、と舌打ちしながらQは話を続ける。


「なーにシケた頭してんでございますか。ついに老眼になりやがったでございますか?アッ、その前に眼っつー眼がねぇでございましたね、プププ」

「Q、あまり言葉遣いが治らないようであれば、『安置』させますが?」

「げ。なんつーことしやがるでござますか」


 Sから出た『安置』という単語に、Qはずざざっと距離を取る。

『安置』。それは屋敷の使用人たちにとって、最も聞きたくない単語だ。薬剤で麻酔され地下室に連行の後、文字通り『頭を破壊』される。破壊された頭部は胴体と切り離され、『火葬』される。のこされた胴体は地下室の一室にある『扉』の向こうへと投げ出され、あとはあずかり知らぬところ。つまりは彼らにとっての『死刑』である。それをされるということは、屋敷の主である『ローザ』から直々に、『いらない存在』と認められる、ということだ。使用人にとって、ローザからそれを下されるということは絶対のタブー。なんとしてでもそれは避けたいものである。とはいってもローザが何も言わなければ、そんなことはされないのだが。


「されたいのですか」

「いやいやいや、『ヤツ』の続きは勘弁でございます」

「…『Zゼータ』ですか。あの者を思い起こさせないでいただきたい」

「いやテメーが思い出させるようなこといったからでありましょうが」


 Sがいくらかトーンを落としていうと、QはSに指を向ける。

『Z』。数千年前、ローザより直接『安置』を下され、頭部を破壊された使用人。素行が悪かった、という言葉では片付かないほどの人物であった。とにかくローザに向けての素行が悪かった。加えてローザの就寝時への襲撃…といのは聊か語弊があるだろうが、そういうことも頻繁に行っていた。もちろん、未遂で終わっていたが。使用人たちへの態度も悪く、特にQに関してはひどいものであった。隙あらば彼女の骸の手を壊そうとしたり、彼女が普段覆い隠している顔を、おおっぴらに見ようとしたり。その都度Qは殴ったり蹴ったりで応戦していたのだが、あまりやると暴力反対などと、大声で抜かす。その素行に悪さ故、ついにローザは限界がきて、Zに『安置』を下した。



『──    死ね』



 見た目からは想像がつかない非常に重々しく低い声で、しっかりと紡がれたその言葉は確かに使用人たちに届き、Zはあえなく地下室へ連行された。ただ通常の『安置』の手順は踏まず、意識があるまま連行され、数百年ほど拷問を繰り返したのちに頭部を破壊、胴体は『扉の外』へとながされた。拷問の際、Zは叫びながら多命乞いをしていたが、今までの行動から見て、命を助けるわけもなく、程度を軽くするでもなく。Zはギリギリのところで意識が保たれたまま、頭部破壊がなされた。その一連の手順が済んだ後、Sは心底心をなでおろしたと同時に、ローザのあの『声』にひどく恐怖した。あまりにも、恐ろしかったと。

 そのことがあって以来、使用人たちはさらに行動に気を付けるようになり、QはZがいなくなった開放感から来たのか、言葉遣いがめちゃくちゃになった。ただそれはローザが気に入っているらしく、今でも直さないでいるが。


「あの時のお嬢さまのお声と表情…今後はきっとないでしょう」

「ほんとやべーかったでございますね。正直あん時やこっちが『安置』それるかとおもったでございます」


 ふう、とため息を一つ。Sはその後に何かを思い出したようで、Qに話す。


「そうだ。これからお茶会にしようと思っていたのですが、貴女も来ますよね?」

「そりゃもちろんでございます。ちょーどのどが渇いてたんでございます」

「ではほかの方々を呼んできてください。後は紅茶とお菓子を用意するだけなので」

「うぃー」


 了解でございます、とQは身をひるがえして、パタパタと走り去っていった。その後姿を見届けたSは、歩を本来への目的地へと進めた。



 ◇



 Sは厳重にカギがかけられた扉の前に立つ。否、厳重に閉められた扉の前に立つ。屋敷内の他の扉とは違い、作りも見た目も大きさも何もかもが異質なその扉の前に、Sはひとり、背筋をいくらかしゃんとさせて立つ。

 懐から、あの青く怪しく輝く、くの字に曲がったナイフを取り出し、それを扉の、ちょうど真ん中にある鍵穴のような場所に向けて投げる。それはまっすぐにズレずに穴へと突き刺さり、その穴を始まりとして青い光の筋が扉一面に走る。すぐにナイフはSの手のもとへ落ちていき、扉は重々しい音を立てながら、四方へ開いていく。ガゴン、と鈍い音が響き渡ると、完全に扉は跡形もなく。部屋の中をSに向けてあらわにした。Sはいくらか深く呼吸をすると、いよいよ中へと踏み込んでいった。

 中は屋敷の見た目からは似合わない、白いパイプや白いチューブが、壁一面に張りめぐらされていた。所々には茨や、白いバラの花がチューブやパイプの隙間から顔を出している。あまりにも異様とも思えるその場所を、Sはただひとり、何も考えずに最奥部を目指して歩き続ける。部屋に響くSの靴音。空気を伝わり、壁にぶつかって跳ね返るその音が、なぜだか心地よい。

 そうしてたどり着いた場所は、巨大な白い棺桶がひとつ。棺桶にはいままで壁をつたっていたパイプやチューブ、白いい薔薇の終着点になっているようだった。Sはその目の前で立ち止まり、うやうやしく腰を落として、無き頭を垂れる。


「───お嬢さま」


 Sは静かに、敬愛をこめた声音でつぶやく。その姿はまるで、眠り続けている女王にたどり着き、愛をささやく他国の王子のよう。おとぎ話の、絵本の1ページを思い起こさせる。

 白き棺桶の中で修復ねむるローザの様子は、外からは見えない。かけらのひとつも見えない。その棺桶の中で、ローザは夢を見ることなく、邪魔されることなく、修復ねむりについている。青い薔薇の中ではなく、白い薔薇に包まれて。ローザはただただ、その時が来るまで修復ねむり続ける。Sはその時を、いまかいまかと待ち続けている。そのサイクルはもうとうの昔からあったものだけれど、いまさらどうすることもないけれど、どうしても、こうして毎日ここにきて、口癖のように『お嬢さま』と、絞り出すように呟くのだ。そこに意味があるわけがない。けれどどうしても体はそれを繰り返す。ローザが修復ねむりにつくたびに。Sはただひとり、祈りを捧げるようにそこにいた。

 やがてSは立ち上がり、踵を返して部屋を後にした。そろそろQが使用人たちを集め終わったころだろう。否、そうだといいのだが。一縷の望みを心に、Sはお茶会の会場である開けた庭へと歩を進めた。

 白い薔薇がまたひとつ、花を開いた。



 ◇



「R、Sが全員でお茶会を開くみてーでございます」

「まあステキ。いつものお庭かしら」

「多分」


 ところかわり屋敷の図書館。Qはそこで本の整列をし終えたRに、Sが開くお茶会へ誘う。Rはきゃっと年頃の乙女のような反応を見えたかと思えば、その誘いに乗る。その様子は育ちの良い乙女たちのよう。だが、『彼』の登場により、その空気は見事にぶち壊される。


「なーにぃ?お茶会?」

「オッ、T。頭の内容量はちゃんとつまってんでございますか」

「そりゃもちろん。しっかりとねッ」


 ティーポット頭のT。彼はRの背後からニュッと出てきて、2人の会話へ混じってくる。Rは突然のことだったので、さっと戦闘ポーズをとるが、Qによってどーどー、となだめられる。いまここでボディーブローが決まって、Tの頭の中身がまき散らされたら大変面倒なことになる。きっと大量の本に内容物がふりかかり悲惨なことになる。ついでにTも面倒なことになる。面倒なことはしたくないし関わりたくないし、首を突っ込みたくない。ついでにSに説教をくらいたくない。絶対に長時間星座で受けることになる。Qはそれだけは嫌だ、という一心でRを必死に抑えた。それが効いたのか届いたのか、Rはゆっくりと体勢を解く。


「(危なかった)で、他も呼びにいくでございますが、どこにいやがるでございますか?」

「んん、そうねえ。でも私たちだけでよくないかしら。ほかの子たちきっと休んでる…というか、外に出たがらないんじゃないかしらねえ」

「あー、確かにでございます。つーか使用人のほとんど引きこもりって色々とやべーでございますね、この屋敷」

「シッ」


 TはそういうQに人差し指を立てる。でも事実だね、と半ば肩を落として呟く。

 この屋敷の使用人はS、Q、T、Rだけではない。ほかに5人ほどこの屋敷にはいる。が、ほとんどが、昼間に外に出たがらない引きこもり、というおかしなことになっている。確かに今の屋敷は昼間でも4人で回せてはいるが、そもそも使用人なのになぜ働き所である昼間に部屋の外に出て、仕事をしたがらないのか。まあ一部例外もいて、その例外は仕方がないで片付けられるのだが。これにもし、『Z』が『安置』されずに残っていたとしたら、おそらく無理やりにでも部屋から残りの使用人を引きずり出していただろう。前はそうしていたのだが。

 ただ『Z』が『安置』されて久しい今、無理に引きずり出すことはしなくてもよいだろう───そんな認識が、4人の中で一致していた。


「Zかあ。懐かしいねえ。会いたくないけど」

「Sの前でその名前だしたら、明らか殺意が出てやがったでございます」

「まあ、いろいろあったものねえ。あの子ローザちゃんに対しての危害は、何が何でも排除しようとするもの」

「ヤンデレかよ」

「Qちゃんシッ」


 そんな談笑をしつつ、3人は図書館から出て会場の庭へと向かう。その途中でTがそういえば、と話を始めた。


「今Sさ、に行ってるんじゃない?」

「あー、ああ。あの部屋でございますか。飽きねーでございますね」

「それだけローザちゃんが大事なのよ」


 Sがローザのねむりの部屋で、ねむりについている彼女へ向かって、祈りにも似たそれをしていることは、使用人たちの中でも有名な話だった。ローザへの、『主』への執着心が人一倍強い彼であるからこそ、勝手に体が動くのだろうと彼らは彼らなりの答えを出していた。だがあまりにもその姿が宗教的過ぎて、Qは異常だとも思う。なんでそんなに通えるのか、なんでそんなに執着できるのか。Qは理解できなかった。確かにローザのことは主として、敬意を払っている。だがそこまでするほど『』はしていない。Sのその行動は、あまりにも『異常』。あれが続けばSはおそらく、『予想だにしない最悪の行動』をとるに違いない。そうなるのはやめてくれ、せめてほどほどにしてくれよ、とQは強く強く思う。願わくば『悪しき習慣』が止まってくれればいいのだが、きっと無理なのだろう。


「Sは全然身の危険をわかってねーでございます」

「そうかしら」

「メンタル的な意味ででございます。あれじゃそう遠くねーうちに自害するんじゃねーでございますかね。お嬢さまを思うあまり」

「うわあ容易に想像できる」

「だからでございます。いっそのこと部屋に通わせないように、セクハラかますんでございますよ」

「え」


 その提案は、背後にいたS本人を凍り付かせるには十分だった。



 ◇



 Sは凍り付いた。たまたま見かけたQに声をかけようとして、凍り付いた。彼女が言い放った、「Sへのセクハラ」を耳にしてしまったがゆえに。Sはわからなかった。なぜ彼女がそんなことを、TやRがいる前で堂々と話せるのか。というかなぜそんなことを言うに至ったのか。幸か不幸か、Sは直前の話が聞こえていなかった。だからわからなかった。突然でてきた自らへのセクハラ宣言が。どう反応すればいいのか、これから始まるお茶会でどんな態度で行けばいいのか。Sは心底動揺していた。


「…どうしろと?」


 ああ、お嬢さまがいたらなんと返してくださっただろうか。かなしいかな、答えを求めるローザは、長き修復ねむりについている。答えを求めても答えが返ってくるわけがない。いったいどうすればいいのだ。Sはぶるりと体を震わせる。なにをされるのか、たまったものではない。考えたくもない。考えただけで背筋には悪寒が走り、鳥肌が立ち、お茶会を欠席したくなる。自分で考えて自分で誘ったのに。ああ、どうしようか。


「えーすっ」

「ぅぉわっ」


 そんな時に背後から声をかけられる。振り返ってみればそこにいたのはT。先ほどまでQとRとともにいたはずだ。なぜここにいるのだろうか。まさかセクハラを仕掛けに?


「いや、君が思ってることはするつもりないし。ほんと災難だよねS」

「…」


 Tはまるで他人事のようにSに話す。Sは多少なりとも、いまここで頭の内容量を減らしてやろうかと思うが、ぐっとこらえる。面倒なことはしたくない。


「ま、まあ。セクハラに関しては僕からも言っておくからさ。とりあえず庭行こうよ。2人とも待ってるし、紅茶やお菓子の用意もまだなんでしょ?」

「…ええ。そうでした。行きましょうか」

「僕も手伝うからさー」


 Tがお気楽にSに言う。一方のSは深いため息をついて歩きだす。外はいつも通りの快晴で、青い青い薔薇がどこまでも咲き乱れている。いつもの見慣れた光景だが、今のSにとっては癒しである。今から庭へ行くが、その先で何をされるか考えるだけでもたまったものではないが、今だけはこの光景で癒されよう。Sの頭部の靄は、ゆらゆらと揺らめいていた。



 その後、庭先の会場でQがSの頭部の根本に向けて手を突っ込み、Sがあられもない声を上げて、結局セクハラを止められなかったのは別の話である。



 終

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首なし執事とお嬢さま、時々メイドさん。 サニ。 @Yanatowo_Katono

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