4531/30/87
また新しい1日が始まる。
ローザが目を覚ました時、いつものようにSはそばにいた。決まってローザの斜め左に。
「おはようございます、お嬢さま。本日も良い日でございます」
Sはうやうやしく頭を下げると、微笑んでいるつもりなのだろうか、頭の靄をふわふわと柔らかく動かす。ローザはじっとSを見つめる。
「早速ですがお嬢さま。お着替えを致しましょう。本日はどのようなお召し物に致しましょうか」
Sはローザに手を差し伸べ、ローザはその手をとってベッドの海から抜けだした。そしてSは、部屋に設置された小ぶりのクローゼットを開けて、ローザの服を引っ張りだす。
朝はいつも、ローザの2時間の服選びから始まるのだ。
【今日は気分を変えて】
ローザは人間ではない。では何なのかと聞かれると、それに見合うだけの答えはない。ただひとつ言えるのは、『体は陶磁器のようだが鋼のように硬い』ということだけ。だが顔のあちこちに入るヒビは未だによくわかっていない。長い間生活しているから故か、それともそれ以外の理由があるのか。いずれにせよ真実はすでに忘却の彼方。今更それを知ろうとは、SもQも、ローザ本人でさえしないだろう。
ローザは人間ではない。顔以外にもあちこちヒビが入る。それ故体は
ローザがその
だからこそ。だからこそローザは身にまとう服を熟考する。体のヒビが目立たない服を、目立たないコーディネートを。2時間も服選びに時間をかけるのは、その理由があるからであった。
「――」
「ほう、本日は『アレ』を、と」
「――」
「なるほど、気分転換にはちょうど良いかもしれませんね。かしこまりました。それでは準備を致しますので、しばらくお待ちください」
今日は結論から言えば、クローゼットにある服からは選ばなかった。その代わり屋敷の奥へ仕舞いこんでいる『あの衣装』を、とSに告げる。Sはまたうやうやしく頭を下げ、一旦ローザの部屋をあとにした。部屋に残されたローザは、寝間着のネグリジェを着たまま、書棚から本を適当に一冊取り出し、ベッドに腰掛けて読書を始めるのであった。
◆
屋敷の奥まった場所に在る扉の前に、Sは立っていた。目の前に在るだけでひときわ違う存在感を放つ扉に、Sはぐっと拳を握る。何のために?それはS本人にもわからない。ただ、なんとなく拳を握らなければ、何故か自身の体があっさりと膝をついてしまうと思ったからだ。理由がはっきりしているのかしていないのか、ひどく曖昧で、矛盾しているような気がした。
意を決したSはその扉を開く。重々しく耳障りな音を立てて、Sの前に中をさらけ出す。
「…あの衣装は確か、あの箱に閉まっていたはず」
Sはひとりごとを吐き出しながら、暗く、あまり居心地が良いとは思えぬ中を進んでいく。途中、少し生臭い匂いがつんと漂っていたが、それを気にせず進む。
そうしてたどり着いた先は、また扉の目の前であった。先ほどの扉とは違い、何の変哲もない普通の扉であった。Sはその扉についているドアノブを握りしめ、一呼吸おいたあとにぐっと扉を開けた。
開けた扉の向こうは一本道で、照明がぽつぽつと頼りなさ気についており、明るいとは言いがたいものだった。周りはコンクリートのような石で固められており、一度歩けば、かつかつと小気味いい足音があたりにこだまする。小さな照明以外には何もなく、本当に殺風景な一本道である。Sはそんな場所をたった1人で進んでいく。
長い長い道を歩くこと数分。ようやくまともに開けた場所につく。目の前には3つ目となる扉が構えていた。しかし先ほどまでの扉とはわけが違っていた。その扉はとても大きい錠前が数個ついており、だれも入れさせないという意志が顕現したかのように、固く固くとざされていた。
Sはそれを前に足を少し開き、どこから出したのか、小ぶりの、見たこともない青く光る材質の刃でできたナイフを構えると、すっと上から下へ振り落とした。するとどうだろう。またたく間に錠前についていた鎖が、派手な音を立てて崩れ去っていく。守るものなく、顕になった扉を前にSはナイフをしまい、両手でその扉をゆっくりと開く。重々しい音を立てて扉はSの前に中身を見せる。
「…あとで錠前を直さねばな。旦那様に言われる前に」
Sはどこか面倒くさそうにつぶやくと、扉の向こうへと歩を進めた。
◆
「え?Sが戻ってこない?」
「――」
「それは変でございますね。あの野郎何してやがるでございますか」
ところ変わってローザの部屋。そこにはSの帰りを待つローザと、なかなか来ないので気になって駆けつけたQがいた。2人の会話はローザを放っておいてなかなか帰らないSの話題で持ちきりであった。ローザは当然のごとく、寝間着のネグリジェのままだ。髪の毛も当然手入れされていないのでぼさぼさだ。Qがやってもいいのだが、結果に期待してはならない。なので、いつもセットはSがやっているのだ。
「いったいお嬢さまは何を着たいと言ったのでございますか?」
「――」
「え」
その言葉に、Qが珍しく固まった。
「…『アレ』を?」
「――」
「(成る程…それならおせえのも納得だわな)」
Qは骸の手を顎の部分にあてて考えこむ。
ローザが着たいと言った衣装は、実は『屋敷の最奥部』にしまわれている。というのもその衣装は、本来ならばローザが思い出してはならないある記憶が宿っているのだ。それはQやS、そして『他の使用人』たちも、それを出すということは『禁忌』に等しいことであり、けしてローザに着させるな、という認識が一致している。
だから、Sはきっと『取りに行くのに失敗した』体で戻ってくるのだろう。代わりの服を携えて。こんなに時間をかけているのも、『失敗した』と、ローザに思い込ませるためだ。そして何より、屋敷の最奥部には―――。
「――」
「あ」
くい、とローザがQの服の裾を引っ張り、Qは思考の海から救われる。
「あー…ちょっと考え事をしてたでございます」
「――」
「Sを連れて来い、と?」
「――」
「そういや確かにお茶会の時間が近いでございますね。あの野郎をちょっと連れて来るでございます」
「――」
ふるふるとローザは首を横に振る。どうやらSを連れてほしいわけではないらしい。Qはローザに向き直って「どうしたでございますか」と声をかける。
「――」
「髪の毛をセットしてほしい…と?」
「――」
ローザは首を縦に振った。
「いいんでございますか?私がセットするととんでもねえことになるでございますよ?」
「――」
「…気分転換でございますか。ならばお嬢さまの要望にお応えして」
ふんす、とQは気合を入れ、ローザをドレッサーの前に座らせ、躯の手で櫛を拾い上げた。
◆
「あった…これでお嬢さまのもとへ戻れる…」
同時刻、S。目当てのものが見つかったようで、Sはそれを手に取る。漆塗りのされ、ひもで縛られた手箱。いかにもな古い手箱に見えるそれは、手元にずっしりと重く来る。それを手にしたことにより、どこかホッとしたのか、Sの頭部の靄もそれとなくゆらゆらと揺れる。
が、すぐにSの雰囲気はすぐに変わる。この深い深い場所ではありえない、『ひんやりとした空気』が流れてきたからだ。本来この場所では、空気の流れなどなく、ただじめっとした『空気のような何か』が漂っているだけ。ひんやりと、しかもそれが流れてくるなんてことは、『ありえない』ことなのだ。
Sは物音を殺す。ただひたすらに、じっと、静かに、動かずに。空気の流れがどこから来ているのか、それをただただ、感じ取る。
やがてSは空気の流れの始まりであろう場所にめがけ、ナイフを取り出してそれを投げる。Sの投擲術は正確で、確実に狙った場所に向かっていく。やがて鈍い音が聞こえ、ナイフはその場所に刺さったのだろうとSは認識する。そしてできるだけ靴音を殺して、その場所に近づく。
「―――!」
Sがたどり着いたその場所は――
◆
「でけたでございます」
「――」
Qがきらきらとしながら、ローザの後頭部に手鏡で写し、ドレッサーの鏡にその部分が見えるようにする。ローザの髪の毛は、思いっきり『ザ・お嬢さま』というような縦ロールがたくさん生産されていた。まるで本当に、『絵にかいたようなお嬢さまキャラ』というような髪型である。まさかこんな髪型にされるとは思っていなかったのか、ローザ本人は少しどう反応していいかわからない、と言いたげであった。
「今日はこれで決まりでございます」
「――」
「これこそが『ザ・お嬢さま』スタイル…と『
「僕をお呼びですか?」
「ゲッ」
Qがサムズアップを決めてそういったところで、突然ニュッと、Sではない『別の執事のような人ではない何か』がQの後ろに出てくる。そのものはSやQとは違い、『ティーポットの形をした頭』をしていた。注ぎ口からは白い湯気が、ゆらゆらとかすかに揺らめく。
「ゲッとは心外な。元からいたじゃないですか」
「おめーはただでさえ気配を消しすぎてわけわかんねーんでございます」
「執事はいつでもどこでも、誰もいないと思わせつつおそばにいるのが、当たり前ですからね!」
「キメェ」
「コラッ」
ティーポット頭をしたその者――
「でもいいでしょ?このスタイル」
「『ザ・お嬢さま』スタイルでございますか。いまさらながらに思うでございますが、クソダセエネーミングセンスしてやがんなでございます」
「言葉遣い!言葉遣い!」
と、言い合っているうちにまたひとり、この部屋に来たようである。
「ローザちゃん?なかなかお庭に来ないから来ちゃったけど、どうしたの…って」
「あ、
「…ローザちゃん?その髪型、正直無いと思うの」
「えーッ」
「ざまあ」
「あらあらTがセットしたの」
「いや、違ッ」
メイド服を着た『ランプ頭』の『
「フンッ」
「ゴファッ」
ひとたび食らえばTは耐えきれず息――というか中に入っていたであろう淹れたての紅茶を、注ぎ口から出してしまう。と、その時である。
「申し訳ございませんお嬢さま、何分手間取ってしまいまして」
幾分かボロボロになったSが、箱を携えてまるで瞬間移動のように帰って来たのである。しかもちょうど、Tの注ぎ口からこぼれた紅茶が、Sのスーツにかかる位置で。
「あ」
「あッ」
「あら」
「うわ」
「――」
ローザが口を開けようとしたその瞬間、Sの服からは、香ばしい紅茶のにおいが漂うことになった。
◆
「へへ、へへへ」
「……」
「ぼくちんはぁ~てぃーぽっとくんだぞぅ☆じょばー☆」
「……」
Qは哀れでしょうがなかった。先ほどの出来事により、『頭がおかしくなった』Tが。当のTは、お茶会会場である庭にてふらふらと変な踊りをしながら、おかしなことを言っている。Qは本当に哀れでしょうがなかった。
「かわいそうに」
「…ノーコメントでございます」
「『頭の内容量が減ったからこんなことに…」
「…(大体あんたのせいでしょーが)」
Tには弱点があった。Tの頭部、ティーポットの中には、淹れたての紅茶が入っているのだが、その内容量によって知能レベルが決まる。つまり、何らかの衝撃や傾きにより、その知能が外部に流出したとなると
「いえーいピロピロ~~~~」
こんな風に著しく、知能が下がってしまうのである。かわいそうなほど。後から紅茶を継ぎ足せばいいのだが、何分元の知能レベルまで引き戻すには、多量の紅茶が必要となる。その量を一気に準備することなど不可能に等しいため、数日間はこの『哀れな』状況が続くのである。もっとも、ストックが尽きていればの話だが。
「Sはどこに?」
「自分の着替えと、お嬢さまの着替えでございます」
「私が行かなくて大丈夫かしら?」
「むしろこっちにいてもらわないと困るでございます」
「大変ね」
「……(他人事みたいに言うなでございます)」
QとRは、そんな哀れな状況になったTを、『何かあったら抑える係』として、庭にいる。ストックの紅茶に関しては、Sがすべて終わったら持ってくる、とのことだった。
「ぼーくーはーていーぽっとぉ~」
「あら歌い始めたわ」
「ぼーくーはーちょうゆーしゅー」
「刺激が足りなかったかしら」
「やめろください」
「うーへへーのへー」
Rがもういっかい、拳をぐっと握ればすかさずQが羽交い絞めにする。Tを抑えるためにここにいるのに、なぜ同僚の怒りを抑えるために仕事をしなけらばならないのか。Qは心底不満しかなかった。
そうこうしているうちに、着替え終わったSとローザが、Tの頭の中身である紅茶を持って庭にやってくる。Qはこっそり胸をなでおろすが、Rを羽交い絞めにしたままである。今この状況でRを離せば、絶対にもう一回殴って、ただでさえ少ない『知能』を流失し、とてもとても目の当てられないことになりそうであったからだ。
「お待たせいたしました」
「S、さっさといれろでございます」
「わかりました、QはそのままRを抑えていて下さい」
言われなくとも、とQはさらにRを抑える力を強める。その隙にSはTのティーポットの蓋をあけてゆっくりと丁寧に、紅茶を淹れる。中身が入ってくと同時進行で、Tの動きもだんだんとおさまっていく。すべてを淹れ終わるころには、Tはすっかり落ち着きを取り戻していた。
「T、
「ええ。Sですね。それが何か?」
「お嬢さまのお名前をフルで言えますか?」
「ローザ・ブルー・アムネジア様です」
「本日のお茶会のメニューは?」
「本日1回目のお茶会は、レディグレイにじっくりと焼いたバウムクーヘン、そして小さくカットした、キュウリ入りのサンドイッチ。2回目はダージリンに4日ほど前に煮込み、食べごろになったマーマレードをセットにしたスコーン、3回目は」
「大丈夫ですね。元に戻りました」
そのまましゃべり続けるTを制し、Sはほっと胸をなでおろす。そのころにはRも落ち着きを取り戻していたようで、Qも開放する。
そして、先ほどからずっと待っていたローザを迎え入れる。
ただ、ローザの服は今までとは形式の違うものだったようで、Rが感嘆の声を上げる。
「あら…そのお召し物は」
「はい、東洋の衣装――『袴』にございます」
「とっても良く似合っているわローザちゃん。髪型もステキね」
「簪を使用してみました。いかがでしょう」
「まあ、粋ね。いつもとは違った感じでとってもいいわ」
「Sグッジョブ」
「とてもとても…おきれいですね」
「――」
「青い薔薇が控えめに描かれているのもステキだわ」
口々に皆が感想を口にする。ローザはうれしいのか照れているのか、すすす、と後ろに下がる。そしてSの後ろに隠れてしまった。その様子に、Rはたまらなかったようで、ローザを捕まえてぎゅっと抱きしめ頭をなでる。
「ローザちゃんたら照れちゃって、かわいいわ」
「――」
「もうそんなこと言って…とってもかわいい」
「――」
「R、それ以上撫でてしまうと、髪型が崩れてしまいます」
「あっ、ごめんなさいねローザちゃん」
「――」
「Rは本当にお嬢さまを妹のようにかわいがっているでございますね」
「うふふっ。ついね?」
Rはパッとローザを離す。ローザはすこしばかり髪型を整えると、Tが引いた椅子に座る。そして目の前には、淹れたてのレディグレイが置かれた。紅茶の香りがほんのり漂う。
「さて。遅くなりましたが。本日1回目のお茶会を始めましょう」
Sのその言葉を皮切りに、記念すべき1回目のお茶会が始まるのだった。
◆
――――さかのぼること、数時間前。
Sが『求められた服』を探しに、というよりあえて『時間をかけて失敗した』ように見せかけているとき。Sはそこで感じ取った『冷たい空気』の始まりを探して、その場所を見つけたとき。Sはその『奥』を見てしまった。
そして知ってしまった。
『知ってはいけない真実』を。
おわり
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