第2話 進藤研とマッドサイエンティスト
「という、俺先輩のありがたーい自己紹介なんだけど、……君ら聞いてた?」
俺は震えた声で抗議した。
さもありなん、自己紹介が終わるや否や、俺は三人の新ゼミ生の後輩たちに押し倒され、瞳をのぞき込まれていた。後輩たちの目がキラキラしている。酒の勢いとはいえ、さすがマッドサイエンティストの根城たる進藤研の新ゼミ生たちだ。探求心が強い。
確かに、成人を越えてもも卵のままのアニマという前代未聞の現象に興奮するのはわかる。
だがキミタチ、俺の事先輩だって知ってるよね。中学生だと思ってないよね?!
いくら居酒屋で新ゼミ生の歓迎会をやっているからと言って、あの先輩押し倒すとかやり過ぎだと思うんですけど! 外聞的にアレだし、ほんと個室の座敷席でよかったよ。あと、お、おっぱい柔らかいですね……。
「すっごーい! 本当にアニマが卵のまんまなんですね! 初めて見た~」
「ころころして可愛いたまご~。おいしそ~」
「あ、形から言って鶏卵に酷似してますね。ふふ、ちょっと触ってもいいですか」
上から降ってくるきゃっきゃとはしゃいだ声とカクテルの甘ったるい吐息。何がとは言わないけど、いいにおい。
だが全員肉食系アニマもちである。左からイリエワニ、ツキノワグマ、ホオジロザメ。それぞれが彼女たちの瞳の中、おいしそうな肉(俺)を前にしてグルグルと興奮しているのが見える。
女の子に伸し掛かられるのは役得だけど、これはちょっとアカン。このままだと、俺の眼が食われる。へ、ヘルプ……。
伸ばした手は、俺が一番頼りにしている後輩にガッチリと握られた。
「こらこら、先輩が潰れてるじゃないっすか。先輩はアニマ持ちじゃなくてパワーがないんだから、手加減してあげてほしいっす。はい、
そのまま、両手をずるずるーっと引っ張られ、俺は伸し掛かる女の子達の下から無事脱出に成功した。
女だてらに後輩の力はすごい! ……と言いたいが、これは男女かかわらずアニマ持ちなら当たり前のことで、つまるところ俺が貧弱すぎるのである。かなしい。
「だいじょぶっすか先輩。ぺしゃんこになってませんよね?」
畳に背中を擦り付けたまま見上げると、心配顔の後輩が見下ろしていた。彼女は、藤村楓ふじむらかえでという。ルーマニアからの帰国子女だ。向こうの大学で臨時で教鞭をとっていた進藤教授の研究に惚れ込み、帰国した進藤教授を追ってうちの大学に編入したパワフルな3年生である。まぁ、3年とはいえ、うちのゼミには2年生のときから出入りしているのですっかり古参ゼミ生の風格がある。
彼女の瞳にいるアニマは、全容すらうかがえない巨大なハスキー犬。いつも寝そべっているので、正確な大きさは不明だ。そのハスキー犬ときたら、俺を見下ろして、なにやってんのお前とでも言いたげにあくびをしている。ほんと何してるんでしょうね、俺……。
「あー、楓ちゃんのいけずー。せっかく進藤研のマスコットもふもふしてたのにー」
「先輩本当にちっちゃくてかわいいわ。マイナスイオンだわ」
「あー先輩のアニマ、ずっと卵のまんまだったらカワイイのに。これで先輩の研究が成功して卵がかえっても、もしハダカデバネズミのアニマとかだったら、幻滅ですよぉ。ねぇ研究辞めましょうよー」
女の子たちがぶーぶーと文句を言う。だがまて、後半のそれは聞き捨てならない。俺はむっくりと起き上がって、必死に訴えた。
「俺は、例えハダカデバネズミでもアニマが欲しいの! 免許証に『アニマ:卵』って書かれる屈辱が分かる? 居酒屋の店員に『未成年かよこいつ』的な視線で見られて酒も買えないし、どこ行っても子ども扱いされるし! ……な、なんだよ」
全員から何か言いたげな、それも生暖かい視線を感じる……!
分かってるよ、俺が歳の割に幼く見えるのは! どうせ、俺が子供に見えるのはアニマ関係なくない? って言いたいんだろ。ぜ、絶対違うと思うけどな! 俺の童顔はアニマのせいだし多分。
「み、見てろよ! アニマが孵れば身長むくむく伸びて、高身長のイケメンになるんだからな! 可愛いとかもう言わせないからな!」
必死に言い募る先から、微笑ましい親戚の子供をみるような目で見られている。や、やめろそんな目で俺を見るな。
俺は最終手段で進藤先生に助けを求めることにした。
「どらえも、じゃなかった。進藤教授! 何とか言ってやってください!」
「……だれがドラえもんじゃ」
机に突っ伏したまま眠たげな声を出している酔いどれな女性。我らが進藤研の教授、進藤奈津子である。古風な口調だが、妙齢の美人だ。この口調は、山千海千の大学事務のたぬき爺どもと研究予算の取り合い、もとい化かし合いをしていてうつったらしい。おいたわしや……。
「まぁ、童顔はともかく、卵が孵らんと就職先にも困るありさまじゃしな。必死になるのもやむを得なかろ?」
そう言って髪をかき上げる様が色っぽい。誰かがごくりと喉を鳴らした。
「……でも、先生、アニマがいないと社会に出るのにそんなに苦労するんですか」
「一般にアニマはそれぞれ特有の能力を持つからのう。鳥類のアニマは視覚や方向感覚に優れているから、飛行機のパイロットは鳥類アニマ持ちが当たり前じゃ。お主らも3年の時分で、もうリクルートはきているんじゃろ」
顔を見合わせた女の子たちは、口々に「言語聴覚士」、「調香師」、「魚群探知機」と言った。待て、一人おかしい。
それぞれ、イリエワニは聴力、ツキノワグマは嗅覚、ホオジロザメは嗅覚・聴覚・視覚を生かした仕事だ。だからって魚群探知機は無いだろ。
「ちなみに、私は麻薬探知のお仕事が来てるっす!」
と、どや顔の藤村。褒めてもらいたいわんこのような顔だった。えらいえらい。
「というわけでぇ、ノーアニマな朝島君は就職のハードルが高くてリクルートは来ていないのじゃ! 普通のサラリーマンでさえ、アニマが卵のままだと精神的に未成熟、アニマ持ちに比べて身体的に虚弱、同種のアニマ同士で会話ができないとハンデばっかり!」
いえーい、と教授は元気よくハイボールのグラスを突き出した。酔っ払いのテンションはわからん。
「きゃー、かわいそうかわいい」
「たべちゃいたい」
「おいしそう」
「先輩の先約は私っすー」
肉食系女子は更にわけがわからんかった。なんだ最後の。
「でも大丈夫。朝島は、うちに永久就職してくれたのじゃ!」
「先生それって、け、結婚――?!」
「実験対象として、うちのラボに永久就職じゃ! バリバリ実験して、一緒に学会に革命を起こそうな~!」
「いひゃいれす、先生」
うりうりーと、進藤教授に顔を擦り付けられる俺。半分遠い目である。思い返せば、実験の一環で眼底検査されたり、レーザー当てられたり、謎の薬飲まされたり色々あった。
しかし、眼棲生物学の権威である進藤先生に身を預けて数年、いまだに瞳のアニマの卵は孵らない。そろそろ! そろそろ結果を出したい! 俺は拳を力の限り握った。
「と、いうわけで、新メンバーを迎えた進藤研、満を持して発進じゃー! おのおの方、研究死ぬ気でガンバローね!」
「「「「「おおー!」」」」」
ゼミ生一同気勢を上げる。アニマを求める俺の最後の一年が始まった。
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