第3話 バイオハザード・花粉症クライシス
と、決意を新たにしたのが半月前。
――そして今月、早々にうちの大学は滅んだ。これはひどい。
休講だらけの寂れたキャンパスには、眼を抑えつつティッシュ片手に研究室へ避難する生徒たち、そしてバイオハザードの対策に走り回る教授たち。
いや事は大学だけではない。
都内の地下鉄は運休し、それでも会社に通勤する人々ですら足取りもおぼつかず、よろよろと歩いている。座り込む人すら現れた。
その空を防災無線が響きわたっている。
『ただいま花粉警報発令中。アニマの暴走に注意し、市民の皆様はなるべく屋内に避難してください。繰り返します――』
4月、今世紀最大のバイオハザードが発生した。アニマの天敵『花粉症』である。
□□□
進藤ゼミ、研究室。
後輩たちはこの騒動で軒並み自宅待機だ。
此処にいるのは這ってでも論文を書きたい俺と、呻いてでも研究発表のパワポを作りたい藤村だけである。
しかし、症状がひどすぎて動けないので、二人そろって机に撃沈していた。例のごとく二人とも花粉症だった。特に今年は非常事態宣言が出されるほど酷い。アニマ持ちにとっては地獄である。俺はせいぜい鼻水とくしゃみと目のかゆみが普段の100倍になったくらいだが。
「しぇんぱい、しぇんぱいはどうして平気なんれすか?」
眼をぐるぐるさせた藤村が、頭を押さえながら息も絶え絶えに尋ねる。ティッシュをたぐる手も弱弱しい。
さもありなん、藤村の瞳の中、巨大なハスキー犬が狂ったように吠え孟っていた。明らかに尋常ではない。
天敵たる花粉に、アニマが拒絶反応を起こしているのだ。
その吠え声が頭の中に残響を伴ってわんわんと響くらしい。アニマは情報を司る共生生物である。そのアニマの暴走は頭を掻きまわされるほどの混乱を生む。人によっては立ち上がれないほどめまいを引き起こすらしい。そして花粉症の有病率は4人に1人。都内は患者で死屍累々である(死んでいない)。現に都市機能は麻痺しつつあった。
藤村も例にもれず、すっかり涙目でぐったりしている。
一方で、俺の症状はそれに比べればずいぶん軽かった。
「いや、俺も平気ではないんだけど、ずずっ、卵のままだとアニマのアレルギー反応は起こらないらしい。くしゅっ。ふ、普通のアレルギーは起こるみたいだけど。べっくしゅ」
「しぇんぱい、アニマ持ちだと春になるたびにキツイですから、いっそ卵のままでいるって手もあるっすよ。わたひ、きつすぎて、もう、やら……」
そういってめそめそと泣く。藤村が可哀想でいたたまれなかった。
……な、なんか気をそらした方がいいんだろうか。一発ギャグでもやれば少しは苦痛も忘れるか? いやでも……。
混乱した俺はずんずんと実験台の上の水槽に向かった。いくつか並んでいるそれぞれの水槽の中では、アフリカツメガエル、オオヒキガエル、ニホンヒキガエルが数匹ずつのんきに泳いでいる。
俺はニホンヒキガエルをむんずと掴むと、両手でカエルの手足をピーンとひっぱってまっすぐにし、その真っ白いおなかを自分の目に当てた。
「ほ、ほら、藤村見て見て。ヒキガエルひんやりシート~」
「……ははっ……」
お世辞にしてはおざなりすぎる笑いである。むしろ嘲笑?
しかし、俺は気付いた。……一発芸にしてはこのヒキガエルひんやりシート、気持ちよくてなかなかいいんじゃないだろうか。なんか天才って感じ?
俺はなにか言いようのない興奮に包まれた。妙にヒキガエルから目が離せない。眼に押し当ててるので当たり前だが。
市販の目元ひんやりシートはアニマ持ち花粉症患者たちに根こそぎ買い占められている。在庫はゼロだ。一方でカエルはたくさんいるのだ。……いや、俺にはもうカエルしかいないかもしれない。
「藤村、コレ結構いいかもしれない。お前もやってみないか」
「せんぱい、ばかなこと言ってないで、さっさと論文書くっす。いくら花粉症でも締め切りは待ってくれないっすよ。下手すると地獄の大学事務部を敵に回すことになるっす」
そういって、藤村は突っ伏したままパソコンの電源を入れた。へろへろなのにパワポを造り始めるらしい。お前、頑張るなぁ……。
まぁ、冷酷無比の大学事務は確かに怖い。
俺も自分のパソコンに電源を入れ――、ようとしてはたりと気づいた。
「どうしよう、藤村。カエルひんやりシートは両手使うから、電源入れられないや」
「おばかなこと言ってないで、カエルさんを水槽に戻してあげるっすー!」
そんな殺生な! 俺のカエルひんやりシートが!
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