網州飢饉


十二月に入っても穀物が届かない。上州を抜け網州に至ればすぐに迎えの兵が待機しているというのに、彼らから穀物の到着を知らせる早馬が一向に現れない。


――なにかあった


当時の常呂太守であった閻定は憂いで胸が張り裂けそうであった。閻定はすぐさま州境に待機中の郡兵へ偵騎を発し、輸送隊の位置を知らせるように指示をだした。が、その使者が一日も経たないうちに、州境からの使いを伴って戻ってきたのである。北見を出てすぐに鉢合わせたということだった。


郡兵から報告をうけた閻定は愕然とした。北見方面の輸送隊が全滅し、穀物がすべて焼き払われたというのである。


同様のことが実は下川街道でも起こっていた。襲撃を受けた諸州の兵は、混乱するばかりでなにも有効な手立てをうてずに蹂躙され、四散し、郷里へ逃げ帰ってしまった。


穀物を焼き払った者たちは、


雄白ゆうはく


と呼ばれる賊である。雄白山を拠点に活動していた匪賊集団であるためそう呼ばれた。


雄白賊は本来、千人に満たないほどの規模であり、たびたび郷里に現れては小利を得たり、自警組織に追い散らされたりする程度の小賊だったのだが、網州の冷害による不作を受けて急激に膨張していたのである。


膨大な食料を運ぶ車列が、都を出てこちらに向かっている、という情報を得た雄白賊の長、安霍あんかくはすぐさま「募兵」を開始した。手下を網州中の諸県に派遣し、伝手つてをえて、密かにこう吹聴ふいちょうさせたのである。


「雄伯へ一時的にでも入山し、穀物を独占することができれば、親族を扶養するに十分な食料を融通するばかりか、得た利益から相当量の配当を約束する」


これを聞いた網州人はほぼ全員が一笑に付した。誰がそのような不義に力を貸すかと侠気きょうきを見せたのである。


しかしいざ襲撃予定日が近づくと、どうだろう。冷笑した網州人のほとんどが雄伯に入山した。その数はもとから匪賊であったものまで合わせて八千ほどとなった。ほくそ笑んだ安霍は補給隊の撃滅と物資の奪取を決意した。


しかし一つ大きな問題があった。補給隊がどの街道を通って網州に入るかがわからないのである。目標がどこを通るのかわからなければ計画的な待ち伏せも、効果的な兵力の配置もままならない。しかし下手に斥候を出せば、敵に見つかり、不要な警戒を招く恐れがある。


――少しの過失も油断も許されない


長い匪賊生活の経験から、今回の作戦に対してそういう思いがあった安霍は、剛毅果断な彼らしくもなく手をこまねいた。だがそれは数日のうちに杞憂きゆうに終わった。


周誕が過失をしたとすれば、ここである。彼は北見山地へ入り、網州へ援軍を要請した際、一応極秘と前置きしたものの、軍が三隊に分かれていることと、その兵力、通る街道、そのすべてを伝達してしまったのである。援軍を派遣してもらう上で必要な情報が含まれているとはいえ、情報統制に徹底を欠いたと言わざるを得ない。


――さすがにこのような機密は流布るふしないだろう


そういう甘い考えが周誕にはあったのかもしれない。


情報は欠損なく、網州三郡と一国に伝えられた。しかし軍事に長じた者だけが政治を行うわけではない。網州郡県の長達にとってこの情報は、焦燥に駆られ、居ても立っても居られない民衆を慰撫いぶするための格好の材料にしか見られなかった。


かくして、いとも容易たやすく軍事機密は漏洩した。


勝ちを確信した安霍は手勢を二等分し、北方と南方で分進していた輸送隊を、事前の作戦に則って手際よく襲撃させ、穀物に火をかけ、これを大いに打ち破った。


安霍が非凡な理由はここにある。


彼は戦略上の目標を見失わなかった。雄白賊の目的とは食料の需給がありえないほどに乖離かいりしている網州において穀物を独占し、それを「均衡価格」で売りはたくことである。


そのことを考えれば、ぎょしきれないほど多くの穀物を得たところで意味はなく、そうなれば焼くしかなかった。無理をして不要な物資を運搬すれば行軍の妨げとなるし、うかうかしていればその間に中央を進む周誕が網州の兵と合流してしまう。穀物の焼却は利点が多かった。


戦術上の効果もあった。補給隊を守備している軍は、いうまでもなく補給隊を守備するために存在するのである。その補給隊を戦闘開始早々焼かれてしまっては、戦意を喪失して、故郷へ帰るほかなかった。そもそも彼らは無理やり募兵されて周誕にこき使われていたのである。


補給隊の両翼をもぎ取った雄白は、勝利の余韻に浸る間もなく次の戦場へ急行した。周誕にこのことが知られる前に急襲をかけたかった。


いうなればこれが本戦である。今度雄白は、物資を焼くのではなく、奪わなければならなかったのだ。


安霍は南北に展開していた手勢を、そのまま中央を進む周誕軍の進路上左右を挟み込む形で布陣させた。街路わきの山に潜み、待ち伏せする構えである。安霍はというと、周誕軍進路上の右方で指揮を行っていた。


安霍から見て左方の街道上にやたらと長い軍列が現れた。縦列である。狭い山道であるから当然だった。


勝つ自信があるだけに安霍は胸の高鳴りが止まらない。しかし焦りは禁物だった。完全な勝利を期するなら敵の先頭はやり過ごし、その中間を食い破り前衛と後衛を分断しなくてはならない。


やっと思いで前衛をやり過ごした安霍は攻撃下命の時機をうかがった。


一部だけ守備兵が少なく荷駄が集中している箇所があった。安霍は、持ち前の決断力を発揮した。


突如、周誕軍の右方で喊声かんせいがあった。わぁっ、という声音とともに四千もの男たちが、山の中腹からなだれをうって突進してくる。


それを見て取った残りの雄白が今度は周誕軍の左方から襲い掛かった。


荷駄を守っていた周誕軍は、たまらず前後に逃げ散った。全軍が一丸となった雄白賊は一挙に周誕軍をせん滅すべく、もはや前衛と後衛だけとなった周誕軍を中央から波打つように押しに押した。奪取した荷駄群の中央で指揮を執る安霍は、すでに勝利を確信した。


だが安霍にはもう一つ考えなければいけないことがあった。略奪したこれらの商品を、どのように金に換えるかである。これほど鮮やかに自体が推移するとは思っていなかった安霍は、この奪取作戦以上の困難が待つかもしれない問題について、いままで考えていなかったのである。あらたな課題が見えて、勝利の酔いをよそにやり、辟易した安霍は、おもむろにそばにあった荷駄の覆いを解いた。剣に喉を貫かれた。








安霍は即死だった。一言も発さずに直立したままに絶命した。


荷駄から突然、覆いを省いて無数の兵士が出現した。


雄白賊の諸将は、わけのわからぬうちに腹を裂かれ、胸を穿たれ、首を切られた。


後方で督戦指揮していたはずの指導者を失い、後方と前方から挟撃された形となった雄白賊は、たちまちのうちに瓦解し、潰走を始めた。


ところがここで雄白は最後の抵抗を試みた。周誕軍の反撃があまりに執拗なので、窮した兵が、本当の穀物が入った荷駄隊に火をかけたのである。


これだけは予測していなかった周誕と将兵は激しく動揺した。急速に賊への注意が失われていく。


包囲陣の一角にほのかなほころびが生じた。雄白の残党はこれを見逃さなかった。すぐさま攻撃の主点をそちらに据えて、一気に突破した。


しかし開いた突破点がすぐに閉じてしまったので逃げられなかったものも多数いた


逃げ遅れたものはおよそ半数の四千人ほどで、その後、ことごとく撃殺された。


焼かれた穀物は、火が良く燃え広がったため、全体の三分の二におよんだ。周誕は天をあおぐ気持ちだったろう。


それからの雄白の所在は知れていない。構成員のほとんどが今回の作戦限りの者だったことに加え、指導層が鏖殺おうさつされたので消滅した、と考えてよいかもしれない。


さて、周誕はその後、迎えに来ていた網州軍と合流し、遠軽に到着して、住民から歓呼の声で迎えられるのだが、物資の融通のために郡府に入ると、おもわぬ凶報に接して、絶句した。


――われら以外全滅だと


分進していたほかの隊から失った穀物を補填しようと考えていた周誕は、当初、虚報であるとして現実から逃避した。しかしのちに間違いはないと確信した。各方面隊の定期報告が途絶えていたからである。


周誕の目に絶望の色が広がった。


たかだかこれだけの物資では紋別郡(郡府が遠軽)はおろか、遠軽の腹さえも満たせない。命を果たせなかったというべきである。


――もはや、どうにもならぬ


周誕は、残った物資と、もともと守備隊用の糧秣を可能な限り郡府へ引き渡すと、手勢を引き連れ早々に豊平へと帰還してしまった。兵馬も穀物を消費する。これが周誕にできる最大限の配慮だった。




さて、困窮したのは官民含めた網州の人々である。郡府は最初、かん口令を官関係の諸曹に発し、混乱の波及を最大限に押しとどめようとしたが、焼け石に水であった。雄白に参加していた網州人から情報が流れたからである。


恐慌が網州を覆った。


もうひと月分のたくわえもないのである。食物をめぐっての私闘なども、多くはないが徐々にみられるようになってきた。


閻定はこの事態を過小評価しなかった。民心の乱れと朝廷への不信は、必ず良い結果を生まないからである。


閻定は最後の手段に訴えた。


延元八年の道東では、歴史的な不作であるとして、皇帝から特別に免租めんそしょうが下っていたのだが、この段階で閻定は、郡内から定率で穀物を徴収して、それを配給する形をとることで被害を最小限にとどめようとしたのである。


ところが、ただでさえ限りある食料を徴収するといわれた郡民はこれに激昂。食糧輸送に失敗した朝廷への不信感も相まって暴徒化し、郡府に詰め寄り始めたのである。


――これまでか


観念した閻定は門を開き、猛る郡民の中へ自らを投げ出し、はげしく打擲された末に、果てた。


郡府は焼かれ、軍用に蓄えてあった糧秣さえ持ち出された。その穀類までもが次の私闘の種となって多くの死者を出したのであるから、救いがなかった。


このありさまを伝え聞いた網州の他郡県の長達は皆、恐懼して庁府の門を固く閉ざし、ろくに対策も講じずに引きこもってしまった。その時点で網州の人々の命運は定まったというべきであろう。


やがて、穀物を奪う気力も、飢えによって奪われ、体力の無い者から死んでいくようになった。


寒さに震えながら、餓死した親の肉にかじりつく子供や、涕泣しながら子を刺し殺し、その恩恵にあずかる者。飢えで倒れた母親の、乾いた乳首を口にふくみ続ける赤子など、見るに堪えない光景が網州中で散見された。


一寸先の希望さえ見えない、現世の地獄であった。


この網州飢饉で亡くなった人は結局、老若男女合わせて網州人全体の五分の一に及んだ。経験した危機の割に数が少ないのは、根州と釧州がこの惨状を憐れんで、朝廷から二州用にあてがわれた穀物と種もみの一部を網州へ融通させたからである。この三州の住民はもともと民族の祖先が共通しており、ごく自然で連帯的な協力関係が構築されていたのだ。


朝廷は網州への穀物輸送の失敗と、当地の惨状への責任を取らせるために、周誕を処断した。そして三公のうちの司空であった黄融こうゆうを、冷害を理由に罷免し改元を行うのである。朝廷はこの一年で有能な臣下と庇護すべき臣民を、同時に犠牲にしてしまった。延元九年は、承興元年となった。


自責の念が強い宣帝は、泣いていたであろう。

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