エピローグ

その客もまた、風変わりな客だった。

 森村巧がユーズーに蹴りをくれてやってから、すでに二週間が経とうとしていた。

 工房の扉は未だに開かれず、龍鳴範子も、桜木真央も、スータリやサパタリアといった面々も、一度も顔を出さなかった。


 工房前にあった陥没した道路は、作業員の手により、粛々と整復されていく。

 風のように過ぎ去った数日間だった。あれは夏の日差しが見せた夢ではないかとさえ思えた。夏休みはすでに半ばを過ぎていた。

 

 先日、久しぶりに顔を見せた両親と、祖父の墓参りに行った。

 二人はシャッターが一度壊されたことに気付かなかったし、道路工事には興味も示さなかった。きっと、魔女の家のモンクスとやらが、事実を隠したからなのだろう。頭では分かっているが、それを確かめる術もない。


 範子は、追放された魔女は記憶を破壊されるのだと言っていた。

 だとすれば、祖父の墓に手を合わせている父に尋ねてみても、祖父が魔女だったことなど憶えてはいないのだろう。

 仮に巧が口にしたとしても、工房に籠りきりで頭がおかしくなってしまったと思われるか、あるいは職人としての祖父を比喩していると考えるはずだ。


 過ぎた数日間が真実だと教えてくれるのは、二足の靴と、キャリーバッグだけだ。

 尾白鷲をモチーフにしたという継ぎ接ぎの靴、足を通すと寒気すら感じるペニーローファー。そして、範子の私物である、モノクロの、革の、キャリーバッグである。


 いつごろから使い始めた鞄なのかは知らない。古い鞄なのは見れば分かる。念入りに手入れされてはいたけれど、傷が目立つ鞄だった。

 巧は夏休みの宿題をやる気にもなれず、少し修理してやろうと思った。

 鞄の中には、例のごとく、謎の薬箱やら呪い道具やらが詰められていた。併せて、どこの国の文字だか分からない書物もいくつか入っていた。


 どれもこれも見たことない国の文字で、真っ正直に読むのは不可能だった。薬や得体の知れない小道具についても、それは同じだ。

 一応はどういうものなのかを示す札がついていたが、内容は理解できない。それらは誰かを騙すと言うより、そう書き残すのが当然かのようだった。

 

 残されていた数多の資料の内で、巧が唯一読めそうだったのは、数冊のキャンパスノートだった。飛び飛びの日記となっていたのである。

 盗み読むのはダメだと思った。しかし、手は勝手に頁をめくる。最後の日付から遡ると、巧の靴を褒めちぎる文言が書きあった。字面を追うだけでもムズ痒くなる。

 また、最初の靴を発送した日からしばらくして、


『先日届いた靴に、森村靴巧房との刻印があった。これは、運命なのかもしれない』

 

 と、書かれていた。その記述に、巧は安堵の息を吐いた。

 やはり、範子は嘘を吐いていなかったのだ。巧が魔女の靴を作れるとは知らず、出品した靴を本当に気に入って、注文したのである。

 巧は疑っていた自らを恥じてノートを閉じた。

 工房のブザーは、まさにその時に鳴った。


「いま出ます!」


 と声をかけ、慌てて荷物をキャリーバッグに詰める。

 恐る恐る扉を開くと、そこには、風変わりな少女が一人、立っていた。

 盆過ぎのまだ暑い時期に、ほぼ黒一色のゴシック風の服を着て、雪のように白い肌をしていて、天然の茶髪を汗で額に張りつかせ、紫色の瞳を少し潤ませていた。


 特に変わっているのは足元で、巧が作った魔女の靴を履いていた。

 ハファールに似た少し大柄な見た目の靴で、他に類を見ない、熊の爪を思わせる白いトゥーキャップが五枚、縫いつけられていた。

 少女は長い睫毛を瞬かせ、困ったように、それでいて弾む声をなんとか押さえるようにして、言った。


「お久しぶりですわ、巧さま。私のこと、憶えていまして?」

「もちろんだよ。最初のお客さんを忘れるわけない。それに忘れもの――!?」


 範子に抱き着かれた巧は、最後まで言い切れなかった。

 日光をたっぷり集めた黒服が熱いのか。

 それとも、巧自身の躰が熱いのか。

 巧は範子の躰を抱きしめた。擦り寄せられた頬は少し火照っていて、それでも手は少し冷たかった。


「いくらなんでも、戻ってくるのが遅いよ」

「申し訳ありません。ユーズーの告発や、ヨソの魔女の家との話し合いで――」

「えぇと、その話って、この体勢で聞く話じゃないね。とりあえず、中に入ってよ」

「えぇ、是非に――とその前に。実は、今日はお願いがあって来ましたの」


 範子は悪戯っぽく瞳を輝かせ、壁の後ろから一人の少女を引っ張り込んだ。壁の影から現れた真央は、髪を短く切りそろえていた、また、それだけでなく、髪色を黒から銀へと変えていた。

 真央は目を逸らしつつ、恥ずかしそうに、輝く銀髪を撫でつけた。


「えぇと、その、久しぶりだね」

「うん。久しぶりだ。大丈夫だった?」

「え? うん。それは大丈夫だったんだけど、その――」


 何が恥ずかしいのか頬を染め、もじもじと言い淀んでいる。

 見かねたらしく、範子が横から口を出した。


「この子に、靴を一足、作って頂けまして? お代はもちろんお支払いしますわ」

「……なんかまた変わった注文なんだろうね。とりあえず、話を聞こうか?」


 巧は苦笑しつつ、二人を森村靴巧房へと招き入れた。

 夏休みは、まだ少しだけ残っていた。

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ブートレッグス~裏切りの魔女~ λμ @ramdomyu

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