SEQUEL

 意識が戻る。そして、輝は1つ戻る。違和感は変わらない。

 おもむろに畳奥にある窓を見た。出入口の扉も窓もしっかり閉まっているのに、地面に当たってはねる雨音がカーテン越しにはっきりと聞こえる。降り方から考えて、当分止みそうにもない。

 ため息混じりに輝は、視線を少し落とす。すると「あっ」と声を漏らして、眉を上げた。


 見たことない物がある。まず、扇風機。部屋の空気ををただかき混ぜて送っていた冷風専門機器以外に、冷暖房の切り替えができる最新型が置かれていた。それに、掃除機。誰かの寄贈品だというのが一目で分かるほど黄ばんでおり、電源コードに繋がれたまま部屋の隅に立ててあった。

 前回来てからしばらく時間があったからそのどこかで揃えたんだろうな。輝はそう考えた。


 他に何か増えたのかな。輝は部室を見回す。が、すぐに動きが止まった。

 白い電子レンジの上に、片手で持てるぐらいの小さな黒い箱が乗っている。

 輝は操り人形が引っ張られるように立ち上がり、それが何なのかしに行く。

 目の前で止まると、手に取り引き寄せ、よく見た。そこには金色筆記体で“チョコレート”、深緑筆記体で“ビター”と書かれていた。

 やはり。前に愛生からもらったのと同じものだ。


 輝はそのまま見続けた。誰かが見ていたら大丈夫かと心配になるほど、ただひたすら凝視した。意識がまた12月の、だが別の日に戻る。




 輝は部室の窓についているカーテンを閉める。座っていたところに差し込む光がぶつかり眩しく、またケータイが反射してみれなかったのだ。


 今日は1人。だから、当然に無口。したがって、部室は無音。


 座ると同時に扉が開く音と「おっ、ちょうどいいところに〜」という声が聞こえ、輝は目をつむり、ため息をつく。声で誰かはすぐに分かった。


「お疲れ」


 顔を向けたそこには予想通り、大喜だいきがいた。


「輝、輝、輝~」


 名前を連呼し駆け寄ってくる大喜に、輝は「な、なんだよ?」と顔をしかめて疎む。疎みは、悪い奴ではないが空気を読まない大喜の性格を煩わしく思ったから以上に、普段は使わない妙な声色を出したという警戒心から。


 靴を放り投げるように脱ぎ捨て、畳に上がるやいなや「告白したのか?」と言った。


「まだだよ……」


 なぜ俺はこいつと酒を飲んでしまったのだろう。この話題を振られるたびに輝が3ヶ月前の第3水曜日の夜を後悔しない時はなかった。

 その時、今度は気をつけよう、と思ったはずだった。なのに、愛生に嫌いな人は誰なのかと聞かれ、またしても同じ間違いをしてしまった、と激しく後悔。4ヶ月前、「ようやく飲める年齢になった!」と、嬉しさのあまりついついはしゃいでしまった自分を戒めるべく、当分の間はアルコール控えようとまで思った。


 「なーんだよ、まだなのかよ~」つまらなそうに口を尖らせながら、輝の隣にあった座椅子に座る大喜。


「まだって……見せ物じゃないんだぞ」


「分かってるって。誰にも言わないから」


 「それも当然あって欲しいけどさ、今はそれじゃないぞ」輝はケータイをしまう。


「てかよーいい加減その引っ込み思案な性格を何とかしたらどうだ?」


 「言われて直せるなら苦労しないって」ため息まじりな輝。諦め口調だ。


「ちょっと意識してやってみろって。だいぶ変わるもんだぞ」


「そうか?」


 大喜は「実体験者が語ってんだから間違いない」と胸を張る。


「じゃあ聞くけど、何が変わったんだ?」


 すると、虚空を見ながら祈るような手の組み方をして、「ピーマンは美味しいんだ、って意識したら食えるようになった」と大喜は答えた。


「それは洗脳だよ、自己洗脳。てか、ピーマン克服と恋愛を同じ土俵に並べるなってーの」


「似たようなもんだろうが」


「どこが?」


「食わず嫌いなところ」


 そう言われてもピンと来なかった輝は、それ以上尋ねることはせず、ただ黙った。


「まあ、後で後悔しても遅いんだから、とにかく早くその誰かに告白しろって」


 大喜からの念押しに、とりあえず「分かったよ」と答えておく。


「そもそもよー誰が好きなんだよ?」


 片腕をテーブルに置き、体を輝の方へ倒す大喜に、「それだけは言わない」と輝は真一文字に口を結ぶ。


「口が裂けても?」


「口が裂け切っても」


「切り裂かれても?」


「怖いこと言うな。でも……まあそうかな……うん、切り裂かれても」


 輝の返事に大喜は少し俯き、数秒黙った。顔を上げると、輝の方へ体を少し近づけ、「……飲み行こうぜ?」と笑顔で。

 対して輝は、「何が何でも絶対ヤダでございます」と、粗暴さと丁寧さを織り交ぜた返事をした。


「てか、さっきの『ちょうどいい』ってどういう意味だ?」


 これ以上触れられぬよう、輝は話題を逸らす。ここで「逸らすなよ」ではなく、「あ、忘れてた」と想像通りに乗っかるのが大喜という人間である。もう片方の腕もテーブルに置いてさらに体重をかけ、大喜は続ける。


「さっきある情報を仕入れてな、お前に会ったら教えてやろうと思ったんだ」


 「そしたら、俺がいたと?」と輝が眉を上げると大喜は「そゆこと」と頷き、続ける。


「なかなか踏み出せずにいるお前への励みになるんじゃないかって思ってね」


「励み、ね……」


 ありがた迷惑な予感が発言の中に漂っていた。その何倍も嫌な予感が輝の身体中を駆け巡った。


 「どう? 聞きたい??」大喜は不敵な笑みを浮かべてきた。


 「……何?」輝は恐る恐る訊いた。聞かないほうがいい——胸の奥でそうざわめいていた。今までにない経験であった。これを虫の知らせとでも言うのだろうか。だが、好奇心は恐ろしい。それらの感情を全て押しやるか、殺してしまうのだから。


高城たかしろのことなんだけどな」


 輝は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。


「愛生がどうかしたのか?」


「なんと……告白されたんだ」


 輝の中で何かが倒れた。


「……お前が?」


「輝、お前は何を聞いてたんだ? 高城に決まってんだろうが」


 輝の目が泳ぐ。「……誰に?」


裕介ゆうすけ


 何か音がした。


「あの?」


「あの」


 大きく長い裂ける音だ。


「……で?」


「そりゃ、付き合ったよ」


 そして割れた。心が、割れた。


「……いつ?」


 輝の言葉が乾いてることに気づかず、「確か……火曜の夕方だったから一昨日、かな?」と、大喜は虚空を見て、記憶を辿った。


「裕介から告って、見事に成就。正直いけ好かなくてあんま好きじゃないから手放しで喜べない感はあるけどさ、裏を返せばあんな性格のヤツでも上手くいくってこった」


 「そうだな」ぼんやりと相槌を打つと、輝の頭は重力に負け始めた。


「まあさ、性格よし顔まあまあよしのお前なら絶対大丈夫だって。だからな、不安がらずに告って……どした?」


 輝は手を細かく擦りながら、「そろそろ時間だから行くわ」と何もなかったように顔を上げた。


 「え?」と大喜は壁時計を見て、「まだ大丈夫だろ?」と止めようとする。


「今日ゼミ発表だからさ、全員分のレジュメ印刷する前にちょっと確認しておきたくてな」


 「にしてもだろ」大喜は不満そうに口を突き出す。


「配った後に恥ずかしい間違いに気づいたらヤだろ?」


「そうか?」


 「そうだ。少なくとも俺は」輝はパンパンのリュックサックを背負う。


「そうか……それじゃあまあ、とにかく頑張ってな」


 「ありがと」輝は精一杯の笑みを浮かべる。別に嫌いになったわけじゃない。大喜はそういう奴なのだということは前から知っている。だから、複雑な笑みになってしまった。


「じゃあな」


「おう」


 足早に部室を出た輝は薄暗い廊下をとぼとぼ歩いていた。


 音が聞こえた。外に近づくにつれ大きくなっていく。次第にそれが、最近は耳にしてなかった久しぶりな現象によって発生したものだと輝は気付いた。


 外に出た。コンクリでできた出っ張りの日よけから少し顔を出し、見上げる。いつの間にか空は雲で覆われ、大量の細かな雨を地面に叩きつけさせていた。12月はそこまで雨が降る季節ではない。なのに、夏の夕立のように降っている。季節外れの、突然の豪雨。


 輝は右肩のリュック紐を外し、前に持ってくる。ジッパーを開けて、中から折りたたみ傘を探す。だが、なかなか見つからない。


 ふと思い出す。今日は荷物が多かった。正直折りたたみ傘が邪魔であった。天気予報で晴れだと言っていた。だから、家に置いてきたのだ。視線をもう一度外へ。雨は酷い。輝はリュックサックのジッパーを閉め、再び背負うと、外へ駆け出した。


 土砂降りの中、ひたすらにがむしゃらに走りながら輝は切に願った。この雨が、記憶を、思い出を、何もかもを洗い流してくれる雨であることを。




 どれほど見ていたか、輝は分からなかった。気づいた時には、そこだけ掃除機で吸われてしまったように、ごっそりと記憶が抜け落ちてしまっていた。だが、傘からポタポタと滴った水滴が地面を相当に濡らしていたのを不意に見た時、結構な時間が経ったということだけは分かった。


 輝は“押す”と書いてあるところを親指で押し、予め付けられていた切り取り線に沿って開けていく。いびつで角ばったYの字の切り取り線を辿るように、ゆっくりと丁寧に、そして綺麗に開けていく。中から、誰のか分からないチョコが姿を現す。相変わらず黒々としている。


 別に食べたいわけじゃなかった。けど輝は中から1つ引っ張り出し、口に放る。表情は変わらない。


 唇は閉じたまま、顎が動く。まだ表情は変わらない。


 歯にチョコの食感が、舌にチョコの苦味が伝わってくる。それでも表情は変わらない。


 溶けて崩れ丸みを帯びたチョコが喉を通る。ごくりと音が鳴る。口の中から無くなった。輝はおもむろにパッケージの側面を再度見る。やはり間違いなく“ビター”と記されていた。


 輝は虚空を見上げる。そして、鼻をすすり、強く瞬きをする。何度も何度も繰り返した。空に息に吐きつけた。肺から空気がなくなるのを感じながら、顔を正面に戻す。


 別に食べたいわけじゃない。輝は中からもう1つ手に取り、口に1つ投げ入れた。


 苦味はもう、感じなかった。

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BiTTER 片宮 椋楽 @kmtk

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