ハーフ&ハーフ/ハードロック
高橋末期
チャプター1 The Glass Prison
「ハジメ……ごめんね」
そう言って、突然ハルの左腕が吹っ飛んだ。隣に座っていたカップルの男が、突然ショットガンのようなもので、ハルの左腕を吹っ飛ばしたのだ。
さっきわたしがなみなみ入れたアイスティーになにかが落ちた。それは指だった。たぶんハルの人差し指と思う。
わたしの手に触れていた指が。
わたしの唇に触れていた指が。
わたしの中へと触れていた指が……え?話が急すぎる?じゃあ、もう少し、時間を巻き戻そうか。
「わたしキャトルミューティレーションされたかもしれん」
わたしの目の前で、セミロングの眼鏡の美女はそう真顔で言い放った。美女の名前は、和嶋治。わたしはハルと呼んでいる。正直言ってわたしと付き合うにはあまりにも釣りあわない、高嶺の花のような存在。
「……は?」
ドリンクバーでなみなみ入れたアイスティーをこぼしそうになる。
「ハジメなら分かるでしょ、キャトルミューティレーションぐらい」
「うん、ハルの発言自体が、頭にチップでも埋め込まれたんじゃないかって思うよ。どうしたの?」
時計の針が深夜の十二時になる頃、ここは国道十四号沿いにある、格安のイタリアンを提供することで有名であり、貧乏学生の心強い味方であるファミレス、サイゼリ屋。
季節は梅雨に入り、しとしとと弱い雨が店内の窓からゆっくりと垂れ落ちてくる。三十分前、突然わたしはハルにここへ呼び出され、真剣な顔をした彼女から、自分はキャトルミューティレーションされたと言い放たれた。
「要は宇宙人に改造されたかもしれないって話よ」
「ハルは元々、改造された人間みたいなものでしょ。それ以上、なにを改造すればいいの」
「なにそれ嫌味?」
「嫌味だし本音だよ」
勿論、本音。わたしはハルに嫉妬するくらい彼女は完璧な女性だった。
うん、どこから話そうか、ハルとわたしの出会いを。だからまた時間を少し巻き戻してみる。
簡単な自己紹介からはじめよう。わたしの名前は鈴木一。歳は十六。千葉県市川市、江戸川を望む高台にある私立里見女子高等学校、通称サトジョの一年生だ。
数少ない友達から、ハジメとよく呼ばれてる。男の名前みたいだって? そう、わたしは「男らしい」というレッテルをよく貼られている。身長がこの歳には珍しく百七十五センチを越え、肩幅が広く、足も二十六センチもあり、なかなか似合う服と靴が見つからない。だからといって、運動が得意でもなく、インドア文化部趣味を渡り歩き、今は写真部に所属している。
ハルと最初に出会ったのは、幕張のロックフェスのときだった。
ロックと言っても、ハードロックやメタル寄りのバンドを集めたフェスで、夏に同じ幕張でやっている、リア充で明るい感じのロックを中心としたサマーフェスとは違い、春にやっているフェスに集まるメンバー達は、どこまでも、ドロドロした感じで、ボーカルからドラムまで深く重く、地獄だの悪魔だの、パブリックエネミーなアンチクライストマザーファッカーな詞を歌う。テンポは早いけれど、王道とはほど遠い、バカテクな感じの、今の世では確実に売れない音楽の類の人達が集まるフェスだ。
つまり、根暗で友達もあまりいない天邪鬼のわたしには、正にもってこいのフェスだったりもする。
人生で初の音楽フェスだったわたしは、喜びの興奮のあまり、ヘッドライナーの段階からピョンピョン飛び跳ね、ヘドバン、モッシュで激しく動き過ぎた。
そして、わたしの体力のなさ、運動不足が災いし、昼過ぎの段階で深刻な筋肉痛に悩まされていた。メインステージから少し離れた屋台エリアのベンチで一休みしていたわたしは、そこでカラオケイベントに参加しているハルを見つけてしまう。
ハルはもの凄いゴスすぎる格好をしていた。足の先から頭の先まで真っ黒クロスケなロングドレスを着こなし、ティム・バートンの映画に出てくる役者のような濃いメイクをしながら、アーチ・エネミーのネメシスを歌っている。
なんで名乗らず、原型も留めていないのに、ハルに気がついたかって?だって、こういうアングラなフェスだと、わたしと歳が同じくらいの女の子はあまりいないし、カラオケ大会の司会が「次は最年少の参加で、なんと十七歳の女子高生です!」と言われたら、嫌でも注目してしまう。
その顔には確かに見覚えがあった。眼鏡を外していて気がつかなかったけど、わたしの目の前で歌っている彼女は、一週間前、わたしが入った高校の入学式で、生徒会長として挨拶していた。
式でたまたま前のほうの席に座っていたわたしは、ハルの首下にオリオン座のベルトような、三つのホクロが並んでいるのを見つけ、珍しいなと思ったのをよく覚えていた。目の前でアーチ・エネミーを歌っているゴスJKも首下に同じ、オリオン座のほくろがあり、なんとなく彼女がハルだとわたしは確信した。
「一人はみんなのために!」という意味の、堪能な英語のデスボイスで歌っているハルを見て、わたしは驚いたというより、ハルに強く嫉妬していた。ハルは私と違い、小柄で美人であり、生徒会長という立場だから、頭もいいはずで、恐らくわたしとは比べものにならないくらい、「持っている」存在だった。
そんな「持っている」ハルが、わたしが一生出来ないような格好で、わたしと同年代ではあまりいないはずであるジャンルの音楽フェスで、わたし以上の愛をハルは見せつけている。そんな劣等感を感じたわたしは、居心地も悪くなって、その場をそそくさと立ち去った。
フェスから一週間ぐらい後、ハルと再び出会うことになるのは、わたしのほうからではなく、ハルのほうからだった。
「しつれいしまーす! ココの今月の領収書が提出されていないんですけど、どうなってるんですかー」
ハルは部室の扉を乱暴に開け放ち、そうわたしに言い放ったらしい。らしいというのは、わたしがハルには気づかず、写真現像に没頭していたからだ。
写真部室は、四畳ぐらいの広さで、モノが多く、窮屈で狭い部室でわたしは、先週のフェスの興奮が冷めないまま、レンタル店で大量に借りたCDをヘッドホンで爆音で聴いていた。
親から入学祝いで買ってもらったニコンの一眼レフで、撮った写真を部室のパソコンに取り込み、RAW現像しながら、解像度の高さを実感しようと、拡大縮小を繰り返し、「フヒヒ」と気持ち悪い笑いを浮かべ、その解像度に感動していた。
そんなわたしを見て、ハルは無言でわたしのヘッドホンを外す。ポカンとするわたし。そして振り返ったら、眼鏡の美人生徒会長がいることに驚く。
驚きのあまりイヤフォンジャックが外れ、スピーカーから大音量のハードロックバンド、トゥールの曲が流れ出し、フィストファックについての歌が大音量で流れた。わたしは慌てて、音楽を止める。
「は、は、はい。なんでしょうか」
「だから、ココの。写真部で、今月使った領収書を下さいって言ってるの。決まりでしょ」
寒いのか、ハルはスカートの下にジャージを履いていた。わたしは先週の事を思い出したのか、ハルのオリオンベルトを恐る恐る見ていた。
「あー領収書ですね。たしかこの辺に……」
わたしは、無造作に置かれたカメラ雑誌やフィルムファイルの山をかき分けて探す。領収書を探しているわたしを見ながら、ハルは何となく部室の本棚から無造作に本を一冊取り出す。それは先代の部員が好きだったのだろうか、オカルト雑誌として名高い「月刊ムー」のバックナンバーであった。ちなみに、わたしも大好きである。
「……ねえ、鈴木一さん。心霊写真って撮ったことがある?」
降霊術特集をペラペラ数ページ読みながら、ハルは突然とんでもないことを言う。というか、なんでわたしの名前を知っているのだろうか。
「はい? 心霊写真?」
「心霊写真ってね。怖いものというイメージが先行しているけど、わたしはそうじゃないと思うの。わたしは一種のロマンと感じている。だってそうでしょ、この紙一枚で、霊体と呼べるモノが存在している証明になっているのよ。死後の世界が存在しているという決定的な証拠が」
聞いてもいないのに、勝手に心霊写真について語り出すハル。
「ここ最近、テレビで心霊写真を取り上げないのはどうしてだと思う? あ、オカルトホラーブームが過ぎたからという返答はナシでね」
「えーっと、デジカメのせい?」
ハルは机をバーンと叩く。
「そう! そのとおりっ! 霊が、一かゼロかの数字の羅列ごときで現れたりするかって話!」
「カ、カメラの画素数が高くなって、鮮明になりすぎたんですよ。よくある顔のようなものが現れるシミュラクラ現象もそれで駆逐されちゃったし。あと……フォトショですね、データだと簡単に偽物が作れちゃうし、やっぱり、天然ものを撮りたいなら、銀塩かポラロイドが一番……」
ハルが突然、わたしに顔を近づける。
「鈴木さん、なんかやっぱり面白いね君。ねえ、持ってる?」
「も、持ってるって?」
違う。わたしはあなたより「持っていない」と、言いたかった。
「カメラよ。フィルムかポラロイド」
「り、両方持ってますよ」
「ふーん、そっか。わかったわかった」
なにがわかったのだろう。わたしは疑問に思いながらハルに領収書を渡す。
「自己紹介がまだだったわね。わたしの名前は和嶋治。二年生で一応、この学校で生徒会長をやっているの。知っていると思うけど」
「はあ」
わたしは素っ気ない返事をする。
「それじゃ、忙しいから、この辺でしつれいしまーす」と、ハルは元気よく、扉を乱暴に閉める。棚に積まれたフィルムファイルがドサドサと落ちる。嵐のような勢いでハルが去っていき。ポカーンと呆然するわたし。するとハルが再び扉を開けた。
「あ、あとさっき聴いてたトゥールのアルバム、明日データでちょうだいね」
そう言ってハルは再び、扉を乱暴に閉める。平積されたムーがバサバサ落ちた。
「……えっ、明日って今、言った?」
そして次の日、ハルは写真部への入部届を提出していた。その時のわたしの顔は、いままでしたことがないくらい、嫌な顔をしていたのに違いない。そして、ハルが上級生なので、入部届を出したその日から、ハルが写真部の部長となっていた。
「生徒会長って立場って、マンガとかアニメだとなんか絶対的な権力者として描かれているけど、現実だと雑用係長という立場なのよねー。部活動経費やら学内備品、消耗品の管理、予算の帳簿合わせ、学校新聞、掲示板の監修、退屈な生徒集会のスピーチ打ち合わせなどなど……やってることは、公務員の下っ端的な事務仕事ばかり。知ってる?以前なんて、学校の石鹸の数を数えたのよ。わたしは、石鹸を数えるために生徒会長になったつもりなんてないのよっ! クソ! クソ! クソープがっ!」
ハルはよく喋る人だった。私が想像した以上によく喋る。それに口が悪い。
わたしが所属している写真部は、残りの部員全員が、今年卒業してしまい、今はわたしだけになってしまった。この流れだと入学早々、わたしが部長で「部活の備品、一人で使い放題だあっ! うぇひー!」と調子に乗っていたが、今日、ハルの電撃的入部によって、その夢は三日天下、見るも無残に打ち砕かれたのであった。
「まあ、それはともかく、さっそくだけど今日の夜。行くからね」
「い、行くって?」
今日も今日とて、解像度に対して「フヒヒ」やっていたわたしは、写真部への入部届をわたしの前に叩きつけるハルにまた呆然するしかなかった。というか、なにかの冗談というか、ハルがわたしをからかっているだけなのかと初めは思った。
「行くって……心霊写真よ。幸いにも、学校の近くにそれっぽい場所があんじゃん」
「えーっと……今はカメラないですよ。だから、幽霊撮りたかったら、フィルムとかが」
「昨日持ってるって言ったでしょ」
「だからあれは、家のほうに……」
「うん。だ・か・ら、今すぐ取りに行ってこい。そして、今日の夜十時に校門前に集合」
「……わたしに拒否権は」
「ないよ。部長命令。仮にバックレた場合、生徒会長の立場を利用して、鈴木さんを社会的に吊し上げて、将来的に抹殺してやるから」
よく分からない脅しをかけられたわたしは、否応なしに学校から総武線で二駅かけ、船橋市の実家に帰宅し、普段あまり使っていないフィルム一眼レフとポラロイドカメラのフィルムを装填する。
夕飯を済ませ、母親に友達の家に遊びに行くと適当に嘘をつき、秋葉原で買ったメーカーがよく分からない、中国製の安くて重い三脚をカメラバッグに収める。
何を言われるのが怖いせいか、わたしは集合場所の校門には、約束の時間の三十分前には着いたが、もうすでに、ハルが待っていた。いや、待ち構えていた。腕を組みながら、仁王立ちで。
「待っていたわよ!」
四月半ばとはいえ、夜はまだまだ冷える。やはり、寒がりなのか、ロングコートを着込んで、眼鏡を外したハルは、わたしを見つけるや否や、幼稚園で迎えに来た母親に駆け寄る子供のようなハイテンションさで、わたしに向かってきた。
「んで、例のものは持ってきた?」
「はあ、一応フィルムカメラとポラロイドを各一台ずつ。夜だし一応、三脚も……」
「上出来ねっ! 最近デジタルが主流だから、ハジメさんのような人は貴重なんだよねー……あ、もうハジメさんって呼んでいいよね?」
「……はい。先輩」
「もう先輩じゃなくていいよ、わたしそういうの嫌いだから、ハルって呼んでも構わないわ」
「はい、和嶋先輩……」
里見公園は、わたしの通っている高校から、歩いて五分もない場所にある。里見という名の通り、「南総里見八犬伝」ゆかりの舞台になっていて、古戦場跡ということらしいが、どちらかというと今は、バラ園とか桜の名所とか、公園としてのイメージが強い。
どこにでもあるような住宅街から少し歩くと、うっそうとした森が急にでてきて、辺りの雰囲気が一段と静かになる。街灯も少なく、夜になると独特な闇がこの公園を覆い尽くし、昼間ののどかな憩いの場からうってかわって、近所の住民やホームレスでさえも、あまり近づかない不気味スポットとして豹変する。
そして、こういう場所によくありがちな、心霊現象の噂が後を絶たない場所でもある。
正直言うと、わたしはこういう手の話は好きだけど、実際、自分から行くのは苦手なパターンの人間だ。ホラー映画は観るだけに限る。
ハルに流されるまま、ここへと来てしまったが、公園入口に着いた途端、ものすごく帰りたくなるチキンなわたしであった。
「ちょっとこれを持ってて」
ハルは唐突に、ロングコートを脱ぎ出し、わたしに預ける。わたしは目を丸くした。なんとコートの下は着物だったのだ。しかも、白装束左前である。見事なまでに、分かり易すぎるぐらいの幽霊の格好をハルはしていた。
「なんですかその格好!」
「見て分からない? ユーレイよ幽霊。ジャパニーズゴースト」
「いや……だからなんで、こんな場所でそんな格好をしてるんですか?」
「わたしね、何をするにしても形から入るタイプなのよ。心霊写真にせよ、霊現象の類に遭遇するには、それ相応の覚悟の格好というものが必要でしょ。勝負服ってやつ?いや、この場合はドレスコードってやつかな」
ハルはそう言いながら、長髪ウィッグと、三角のアレを頭に装着していた。
ワンアウト。わたしの心の中で誰かが、そう言った。ハルはもしかしたら、常識人のフリをした非常識人……つまり、サイコな奴かもしれんと、私の中の誰かが言った。
公園内は、街灯も少ないので、LEDライトを使って進んでいく。
「なんでLEDなのよ! 懐中電灯の方が盛り上がるのにー」
ハルは恐らく、霊的なものに遭遇すると、手持ちのライトが突然消える、ホラー映画とかでよく見る演出のことを言っているのだろう。そう言っておきながら、ハルは頭にキャンパーが使っていそうな、ヘッドライトを煌々と照らしていた。どこにヘッドライトを使う幽霊がいるのだろう。三角のアレがヘッドライトに挟まれていて、さっき言っていたドレスコードとはいったい何だろうかと、わたしは思ってしまう。
有名な夜泣き石や、慰霊碑、夜な夜な包丁を研ぐ音が聞こえてくる、かつて殺人事件があったらしい公衆トイレなどなどを淡々とわたしは撮影していく。霊が出そうな場所に向かって三脚を立て、長時間露光撮影と、ポラロイドを用いたフラッシュ撮影を数枚撮り続ける。
長時間露光をしながら、「なにか起きないかなー」と思ってたりはしたが、そもそも霊現象って、思いがけないときに出るもんだよなー、とふと考えだす。
案の定、わたしたちはそれらしい現象を、まだ一度も遭遇していなかった。言い出しっぺのハルは、わたし以上にビビリらしく、何故かわたしを盾にするように歩いていたり、撮影の間、ずっとあたりをキョロキョロしていて、妙に落ち着きがない。
慣れというのには驚く。初めあんなにビクついていたわたしだったのに、もう恐怖というものは、完全にどこかへ吹き飛んでしまった。たぶん、わたし以上に落ち着きがないハルをなだめながら、冷静になってしまったせいだからだろう。
「な、なんでハジメさんって、こんなに平気でいられるの?」
わたしの腕に、がっちりアームロックをする幽霊がいる。
「和嶋先輩から誘ったんでしょ。しっかりしてくださいよ」
「ゴメン。やっぱりこういう場所ムリ、やっぱムリよ。わたし、テレビとかで観るのは好きだけど、実際来るのは苦手ってわかったよ……」
「奇遇ですね、わたしもそうですよ」
「じゃあ、何で平気なのよ」
「あんたのせいだよ!」と、喉元から声が出そうになったが、わたしは必死にそれをぐっと堪えた。
怖がるハルを引きずりながら、公園中央にある売店横のベンチで、わたしたちは一休みすることにした。
この売店も、横にある電話ボックスが突然鳴り出す。という怪現象が起きることで有名らしいが、いかんせん街灯が明るすぎるせいか、いままでの場所と比べると雰囲気が明るく、そして心霊スポットとしてのパンチ力も弱い。
そんな場所に安心してか、ハルはベンチにグッタリもたれかかっている。わたしは自販機で買ったマックスコーヒーをハルに差し出した。
「ん、ありがと……」
ハルはポラロイド写真をまじまじと見ていた。せめて、オーブとか顔に見えるハレーションとか写ればよかったのに……写真には、ただの石ころか、便器しか写っていなかった。ポラロイドフィルムは安いものじゃないのに、被写体が石ころと便器というのが、妙に割に合わない気がして、もったいない。
「あっ!」
突然、ハルが飛び上がる。何か見つけたのかと思いきや、便器の中からゴキブリが覗いていた。
「このクソゴキがっ!」ハルは、写真を地面に叩きつける。あーもったいない。
「……ハア。やっぱり、そう簡単に現れないものなのかなー、霊って」
「わたし、一日数百枚の写真を見ていたりしてますけど」
「うん、ハジメさん。写真屋でバイトしてるもんね」
「そういう類のものはまだ一度も見たことがないですよ。実際撮るとなると、やはり気候とか場所とかの条件が……って、いまわたしが写真屋でバイトしてるって言いました?」
わたしの問いかけると、ハルはコーヒーを一気に飲み干した。そして、少し深呼吸をする。そして、また聞いてもいないのに、突然、自分語りを始めた。
「……わたしってねー、望んでもいないのに、優等生のレッテルを貼られてるのよ、みんなから。勉強ができるってだけなのに。あ、別に自慢ってわけじゃないよ、言っておくけど。誰からも好かれるように、人当たりよくしとけば、平穏無事、無味無臭に生きていけることはハジメさんも知ってるよね」
わたしは、少し頷く。確かにわたしもその生き方には共感する。
「わたしはその能力に少し長けちゃっていてね。お陰で上っ面だけで、人と接してばかりになっちゃったの。本音を言い合ったり、一緒に遊びに行く友達もまだいない。特待生として、サトジョに入ったのが運の尽きかもね。トントンと階段を上るように、なんだかんだ今じゃ生徒会長。でも、やってることは石鹸を数えるようなことだけ。思ったのよ……これが、これがわたしが望む本当の青春ってやつかなって」
ハルはギュッとわたしの手を握る。何か嫌な予感がした。
「そんな、クソみたいな青春を少しでも紛れるかなと思ってね、先週、ロックフェスに行ったのよ。幕張でやってるやつ。そこでね、カラオケイベントがあったから、何となく思い切って参加してみたのよ。どうせ、メイクも仮装もしてるから、誰にもバレやしないと思ってね」
わたしの手から変な汗が出ているのを感じる。それはハルも一緒だった。
「そこでね、あなたを見つけたの。まあ、あのフェスだと、若い女の子はあまりいないから、ハジメさん凄く目立ってたよね。背も高いし。緊張して歌うときって観客の誰か一人に絞って、歌ってあげると緊張が無くなるって思い出してね。アレ……あなたに向かって歌っていのよ。そうしたら……」
「なんか、ゴメン……なさい」
何でわたしは謝るのだろう。確かに、わたしはあのステージに立つハルに強い嫉妬を感じて、その場を後にした。だけど、それを謝る必要はあるのかな、とわたしは思った。そんなに嫉妬に満ちた、酷い顔でもしていたのだろうか。
「ハジメさん、嫉妬に満ちてるような、酷い顔をしてたよ」
「マジでっ!」
わたしは叫ぶが、ハルは気にせず話を続ける。
「どうもそれから、あなたの顔が気になっちゃって。あの後、わたしあなたを探したの」
「うん」
「そしたら、あなたの手すごく……キレイだった」
「うん……うん?」
「フェチってやつかな。わたしって、人の手を見るのが好きでね。ライブでよくみんな手を挙げるでしょ。腕を上げて、ハンズアップ、メロイックサイン。勿論、聴くのも好きだけど、あんなに沢山、他人の手が沢山見れる機会なんてなかなかないでしょ。わたし、あなたを見つけたとき、あなたの手を。甲を。指を。爪を。手相を。第一間接から根元まで観察して思ったわ」
心の中の誰かが、ワン、ツーストライクと言っている。わたしの手を握るハルの手に力が入っている。変な汗が止まらない。
「ぶっちゃけ、わたしハジメさんのこと好きになったの。一目惚れって本当にあるんだなーって思った。気づいてた?わたし、あなたのすぐ後ろでずっと、ライブ中にいたのよ。すぐ気づくと思ってたけど、あなたずっと演奏に夢中になっていてね……まあ、ハジメさんの髪の毛の匂いとか、お尻とかを堪能しちゃったけどね。エヘヘ」
「……へー、うんうん。そうなんですかー」
はい、ツーアウト。わたしは平静を装うフリをするが、思わずハルが握った手を思わず離していていた。
「わたし神様っていうものは信じていなかったけど、あなたが同じサトジョの新入生だと知ったとき、おお神よっ!って、心から思ったわ。だからね」
「だ、だから?」
ワンストライク。心の中の黄色信号が再び点る。
「この一週間、ハジメさんの事を色々調べたわ。生徒会長だし、あなたの住所とか、どこの小学校出身とかね。でもそれだけじゃ物足りないから、あなたが放課後なにしてるか気になっちゃってね、その……後をつけたのよ。色々、知りたくてね。レンタルでなにを借りてるとか、どんな本買ってるか、どこで買い食いしてるとかね、バイトのことも……」
ツーストライク。ああ、それでさっき知ってるって話に繋がるわけね。
基本、わたしの学校はバイト禁止だ。禁止だけど、すぐバレるようなバイトはしなきゃいいと、わたしは勝手に解釈している。そもそも、わたしのカメラ趣味にはお金がかかり、さすがに親からの小遣いと、お年玉だけでやっていくにはなかなか難しい。そこでわざわざわたしは、習志野市まで自転車を漕ぎ、学校関係者なら、ほぼ知られることもないような、閑静な住宅街の中、ひっそりやっている写真屋で、こっそりとバイトをしているのだ。この事は、友達に話したことはないし、そもそもわたしには、友達と呼べる存在が、サトジョには存在しなかった。
それをハルが知っているということは、ハルはわたしの自宅から、自転車でわざわざ追いかけて来たということになる。何というか、引くというか、すげえバイタリティだな。と、むしろわたしは感心してしまう。
「ねえ、ハジメさん。わたしとあなた、とても気が合うと思うの。音楽の趣味も一緒だし、部室でもわたしのオカルト話も付いてこれるし、こうやって心霊スポットへ、一緒に撮りに行ってくれる」
「それはあなたがわたしを無理矢理、脅して連れてきたからだろ」と、また喉から出そうになる。
「こんな女の子、なかなかいないと思う。もしかしたら、一生、これから出会わないかもしれない。うん決めた……」
わたしは、次の台詞を口に出すなと思った。
「ハジメさん。いや……ハ、ハジメ……あの……その、す、好きです。わ、わたしと付き合ってくれない?いや、ませんか?」
その台詞を聞いたとき、しばらく沈黙するわたし。遠くの方から、バイクの爆音が聞こえてくる。
「つ、付き合うって、どういう意味でしょうか?」
「そのままよ。プラトニックに……せ、性的逸脱行為をする仲になりたいの」
「わたし……女ですよ」
「うん……恋に性別なんて関係ないと思う。いや、ないわ!」
「はい! スリーストライク! スリーアウト! ゲームセット!」
わたしはやけくそにそう叫んだ。無人の公園に、わたしの絶叫が響き渡る。キョトンとするハル。そしてわたしは、ハルが飲んだコーヒーを奪い取る。
「ちょっとこの缶捨ててくるね」
わたしは、駆け足で売店の裏側にあるゴミ箱へ向かい、缶を捨てる。そして、全力でダッシュする。目指すは最寄りの駅。普段は頭の回らないわたしが、完璧な逃走ルートをシュミレートしていた。
「どこへ行くの?」
「うひゃあ!」
情けない悲鳴をあげるわたし。当然だ、幽霊の格好をしたハルがわたしの前に立ちはだかっていたのだ。どんなジャパニーズホラーだよ。
「逃げるの? ハジメさん。わたしを置いて」
「え、えっと……ちょっと、違うよ、お、お花を摘みに行こうと思ってただけ」
「あの……答えは?」
「へっ、こ、答え? えっと……今、すぐに答えなきゃダメ?」
「うん」
ハルの眼は真剣だった。いい加減な答えをすると、何をしでかすか分からないような眼をしている。わたしは、後ずさりしながら、逃走できる機会を伺っていた。とりあえず、今のわたしは、ハルと二人きりになっているこの状況から、逃げ出したかった。
「ほ、保留じゃダメなの?」
「駄目。うやむやにする気でしょ。わたしも今しかないと思ってる」
「ああ、そうか……そう、そこまで真剣に考えているのね」
わたしはしばらく考えた。確かに、ハルの言っていることも一理あったからだ。わたしもハル同様、趣味が偏っていて、友達の作り方も、付き合うことも苦手なほうの人間である。高校に入ってから、もう半月経つが、わたしはクラスで一人とも親しく話す友人はいない。このままだと、わたしは高校デビューに失敗し、孤立していくルートは確実だった。きっとハルの言う、クソみたいな青春になるだろう。こんなにも、誰かから真剣に好きだと言われたのも初めてで、戸惑いながらも、少し嬉しかった。
だから……だから、わたしが出す、答えは一つしかなかった。
「と、友達からじゃ駄目ですか?」
これしかなかった。が、ハルはそれを聞いた瞬間、泣き出した。ボロボロと涙と鼻水を情けなく、容赦なく垂れ流し、その場に泣き崩れた。
「い、いや! 友達から、徐々に親密になっていこうって話で……和嶋先輩」
「だから、ハルって呼んでよ!」
心配して駆け寄ったわたしの両膝をがっちり、レスリングのように、両手でホールドするハル。ああ……鼻水と涙で気持ち悪い。
「離してください!」
「イヤよ! ハジメが付き合うって言うまで離さない!」
ああ、どうしよう。どうやってこの場を切り抜けよう。そして、なんだろうこの有様は。端から見れば、心霊スポットで幽霊に襲われるJKのはずなんだが、かなり滑稽な光景である。数あるホラー映画でも、こんな情けない襲われ方をするJKは、なかなかいないだろう。と、現実逃避しながら、別のことを考えてみたりしているわたし。
「ハハハ……誰か助けて」
もういっそのこと、尾崎紅葉の「金色夜叉」みたいに、ハルを足蹴にして、逃走しようと思った矢先。
ジリン
と、例の電話ボックスから、電話のベルが一回だけ鳴り出した。そう、鳴ったような気がしたのだ。その音を合図に、騒いでいたわたし達はフリーズした。
「いま鳴った?」
眼を真っ赤にしたハルがおそるおそる尋ねる。
「……鳴ったと思います」
そう、霊現象とは、思いがけないときに出るもの。今がその時だった。さっきまで、安全と思っていたこの場所の雰囲気が一変した。そして……。
電話ボックスに灯っていた電気が突然、消灯したのだ。
それだけで、霊現象として十分だった。その後、わたしとハルはどうしたのだろう。たぶん、パニくりながら、「うひゃひゃひゃ」と、仲良く笑いながら公園の出口まで走り抜けていた。人間、強い恐怖を感じると、悲鳴より笑い声が出ちゃうということを、これでわたしは学習した。
「ひいひいひひひひひ」
「ひひひひ」
わたしとハルは、恐怖のあまり「ひひひ」としか言えなくなっていた。
その後、すぐに冷静になったわたしたちは、気まずい状況の中、駅までトボトボ歩いていく。この気まずい沈黙がすごく辛い。
「……幽霊って本当にいたのね」
ボソっとハルが、この気まずい沈黙を破ってくれた。
「……まだいたとは限りませんよ。幻聴かもしれませんし、電気が消えたのも、たまたま消灯時間だったのかもしれませんよ」
「でも、一緒にあの音を聞いたのは事実でしょ」
「集団ヒステリーとかは?」
「わたしたちが? はん、まさか」
「さっきまで、怖さでビクついていて、わたしに振られて、泣きじゃくりながら鼻水垂らしていた人が、なに言ってるんですか」
「そ、それは……」
ハルはまた黙り込む。一応、自分が行った非は認めて、反省しているということだろう。
ちなみに、わたしはというと、今日、起きたことを何となく思い返していた。しばらく……しばらくと言ってもほんの三分ぐらい、じっくりと考えてみた。一番、長く悩んだ三分間だったかもしれない。それから、わたしは、わたしなりに、ハルへ、今の思いを打ち明けてみた。
「ねえ、ハル?」
「えっ、ハルって言って……」
「うん。わたしハルと付き合うよ。もしかしたら、こんな面白い事が、また起きるかもしれないからね。だから……」
「……だから、キャトルミューティレーション……ああ、もうっ! 言いずらい! キャトミューされたということは、ハルはエイリアン的なヤツにアブダクションされて、穴を開けられたか、チップ的な、なにかを埋め込まれて、改造されたということ?」
「うん、そう」
ハルは真顔で答えた。時間は再びゼリ屋へと戻る。ちなみに、関東ではサイゼリ屋のことをサイゼ。関西ではゼリ屋と呼ぶらしい。わたし達は根っからの関東人だが、お互いにココをゼリ屋と呼んでいる。
わたしの通うサトジョは、進学校ということなので、中間、期末試験とは別の小テストが行われている。そのせいで、遅くまで暗記作業に追われていたわたしは、突然、ハルにメールで呼び出しを食らってしまった。
ここの国道十四号沿いのゼリ屋は、お互いの自宅からちょうど中間にある位置にあり、わたしとハルが、他愛のない話や、デート、部活の打ち合わせ、勉強とかをハルに教えてもらったりするのによく利用している。ちょうどよかった。いくつかハルに勉強のことで聞きたいことがあったので、いくつかの参考書をバックに詰め込み、強いのか弱いのかよく分からない雨の中、徒歩で十五分かけ、ココへとたどり着く。
深夜近くの店内は、いつもまばらだけど、今日は少し混んでいた。喫煙席側が混んでいるのか、やけにモクモクと煙っぽい。その煙の中、ハルがいた。珍しく着替えないで来たのか、ハルは制服のままだった。
「制服にタバコの臭いがつきますよ」
「え? ……あ、うん。そうだね」
ハルはコーヒーに大量の砂糖を入れてる。スティック七本分。一気に封を破り、一気に投入している。コーヒーフレッシュも五つ投入し、ティースプーンで全力でかき混ぜる。台風の最中の川みたいな色をした液体を見て、よく思うけれど、コーヒーを冒涜するような飲み方だなと、以前からハルにすごく言いたかった。
「っていうか、どうしてまだ制服なんですか。学校が遅かったとか」
わたしは、バックから参考書を取り出す。
「あれ? わたしがキャトミューされた話はスルー?」
「どうせ嘘でしょ。わたしの気を引きたいってそうはいかないよ。そんなことより、ここのトコを教えて欲しいんだけど」
参考書を開いて、分からないところに指をさすと、ハルが突然わたしの指を掴んだ。
「ねえ、ハジメ……もしだよ、もしこれから、わたしたちの日常が突然壊れるような事が起きても、何が起きても、ハジメはわたしとずっと一緒にいてくれる?」
「と、突然どうしたの?」
「真面目に答えて」
ハルはうつむいたまま、わたしの指を離さない。指を握る手が少し震えていた。ハルになにがあったかは知らないが、ハルはわたしが思っている以上に臆病な子だった。震えているということは、別にわたしをからかっているという訳でもなさそうだ。
「ハル……うん、そうだね。っていうか、わたしたち、その日常が壊れる……非日常を探していたんでしょ。幽霊とか宇宙人とかね。何をいまさらっていう話。第一、わたしがハルとこうして付き合ってるっていう時点で、充分、非日常だと思っているしね」
「……じゃあ、付き合ってくれるの?」
「うん、付き合ってもいいよ」
「ありがとう……ところで、ハジメはここへどうやって来たの?」
ハルは突然、顔を上げ、真剣な顔でわたしに問いつめる。
「どうやって……って、普通に自宅から歩いて来たよ」
「わたしもよ。で、突然、急に大雨にならなかった?風が強い雨が」
「うん、なったよ。前が見えないくらいの雨がね。傘でなんとか防ぎながら来たから、無事だけど」
「前が見えないくらいの雨ね……ココのゼリ屋って、いつもと同じトコだっけ」
「同じトコでしょ。内装も間取りも全部、同じトコよ。なんですか、わたしらが偶然、間違った店にでも入ったとでも言いたいの?」
「家からの道順は覚えている?」
「さあ……道順って慣れちゃうと、無意識に目的地に着いちゃうもんだからね」
ハルがコーヒーを一気に飲み干し、そして、窓を指さす。
「あの窓」
「窓? 窓がどうしたって?」
「なんでさっきから、なにも見えないの?」
確かに窓の外は真っ暗だ。普段だったら、国道沿いにあるから、車のライトぐらい見えるはずなのに。街灯もなにも点いていない。
「た、たまたまじゃ……」
「ハジメが着くまでの三十分間、外を見ていたけど、なにも通らなかったし、なにも見えなかった。フフフ……奴等のやり方だわ……多分、ここも結晶化されたのね」
「何を訳の分からない事を言ってるの?」
カラン。何かが落ちた音がする。
よく見るとそれは、ゴツゴツした一センチぐらいの、渦巻模様でクリーム色の石……いや、貝殻のようなものかもしれない。前の客が食べていたパエリアの貝だろうか。イヤだなもう……と、思っていたが、その貝殻は、ハルの腕からポロポロと落ちていた。
「ハル……なにそれ、なにその腕」
「なんか思い出しちゃった。膝の裏でフジツボが育っている都市伝説は聞いたことはあるでしょ。あれって浸透圧の差で、フジツボは育つわけがないって話だけど、なんかわたしの場合違うみたい」
わたしは、ギョッとする。ハルの腕からポロポロ、貝殻のようなものが、剥がれ落ちてくる。冗談にしては手が込んでいる気がする。
「まあ、コレの場合って、フジツボというか、わたしの身体全体が、貝みたいなもんって、アイツ言ってたな。あ、ちなみに貝とフジツボはまったく別の生き物よ。貝は軟体動物。フジツボは甲殻類……つまり、カニね」
ハルは、呆然としているわたしの隣へ移動する。わたしの目の前に、鍵のようなものを置いた。その鍵は、光沢のあるクリーム色の石……まるで、象牙か真珠のような材質で作られていたような鍵だった。
「キャトミューの話に戻すけど、今から見せるね」
「え? え? ここで?」
ハルは制服の裾を上げ、わたしに右脇腹を見せる。そこには、確かに穴が開いていた。まるで、鍵穴のような、ギザギザの穴がポッカリと開いていた。
「ハル、嘘でしょ……」
「嘘だったら、いいのにね……」
「特殊メイク、まさかリスカ……」
「わたしがそんなつまらないことをする人間だと思う?」
ハルは、真珠の鍵をズブズブと穴へ挿入する。
「痛い! 痛いでしょソレ! なにやってるの! 正気?」
「大丈夫、わたしは正気よ。正気でありたいよ。こんなの……クソ……ねえ、さっき言ったこと必ず守ってよ。最後まで付き合ってよね」
「は? それと、これがどう関係してるの?」
「もうすぐ分かる。分かって欲しいから、とっととこの鍵を回してくれない? やっぱり、初めてはハジメにして欲しいから」
「一体、全体なにが起きてて、一体、なにを言ってるんだよ!」と叫ぼうとした瞬間、ハルが突然、わたしにキスをした。わたしはギョッとした。別にキスに対してじゃない。ハルの唇は氷のように冷たく、固かったのだ。まるで、石にキスしているような感触だった。
キスをしながら、ハルの瞳が、いつもの茶色ではなく、光る虹色の模様が浮かんでいるのに気がついた。
ハルのキスが終わると、店内が静まり返っている。さすがに、人前でキスしたのだから、どん引きかもしれない。
ところが、周りにいる客や店員は、驚きもしなければ、怒ってもいなかった。ただただ、無表情でわたしたちを見ていたのだ。電源の切れた玩具のように、今やっている動作を止めて、わたしたちを見つめていた。
「……えっと、ナニコレ」
「ハジメ」
「……なによ」
「ハジメ……ごめんね」
そう言った瞬間、ハルの左腕が吹っ飛んだ。隣の席にいたカップルの男がショットガンのようなもので、ハルを撃ちやがった。最初に思ったこと、そんなに女同士のキスが憎いのか、クソ強盗野郎。
っていうか、強盗? ありえない、深夜のゼリ屋で強盗だって? 格安ファミレスに、ショットガンで押し入る? それはありえない。絶対。割に合わないから。だから? そう、これははじめから、ハルだけを狙っているとしか考えられない。どうして? 分からない。
ハルの腕が吹っ飛んだとき、血まみれというわけでもなく、なにかガラスの食器が砕けたような音がした。
わたしがさっき入れたアイスティーに、吹っ飛ばされたハルの指が浮かんでいる。よく見ると、指の断面も血の赤というわけでもなく、クリーム色で虹色の模様が浮かんでいた。
「巻き込んでごめんね」
ハルは右手でわたしの左手をぐいっと引っ張り、鍵を回させた。
カチン。と、ハルの中でなにかが開いた音がしたような気がする。鍵がズブズブと、ハルの中へ入っていく。次の瞬間、ハルの右手が変化を始めた。ガチガチと、氷が割れるような音がすると、ハルの右手がブルブルと震えた。
手品みたいに、一瞬で銃のようなものに変化した。既存のスライド式ハンドガンの形に近いけど、マガジンとグリップがあるところに、巻き貝みたいなものが装着してある。そして、ハルはわたしの隣にいるカップル達に向かって、それを撃ち放った。
カシュカシュと、発砲音。
水鉄砲みたいな軽い音だったけど、ショットガンの男、前の席にいた女の頭部が突然、吹っ飛んだ。無防備なカップル女も撃つのかよ。と思ったけど、女もハンドバックの中からハンドガンみたいなやつを取りだそうとしていた。
ハルの左腕同様、カップルの頭部が吹っ飛ばされたときも、なにかが砕けたかのような音していた。カップルの頭の中身は、血や頭蓋骨、脳味噌ではなく、ガラスのような透明の結晶体のようなもので出来ていた。
カップルの頭部が吹っ飛ばされたとき、わたしの周りの客、店員が一斉に、どこから持ってきたのか分からないような、銃、銃、銃をハルに向ける。パッと見てみると、ハンドガン、ショットガン、ライフル、軽、重機関銃などなど、洋画とかじゃないと、なかなか見ることができないような銃器もろもろが、その銃口をハルに向けていた。店内で流れるカンツォーネが妙に、大きく聞こえてくる。
ここは日本でしょ? これじゃ、まるで。
「グランドセフトオート?」
ハルは眼鏡をゆっくり外し、「そう、グランドセフトオートよ……目と耳を塞いで、伏せて!」
ハルがグイッと、わたしの頭をテーブル下に押し込む。そして、言われるがまま目と耳を塞ぐ。
パァンッと、頭上で衝撃音が聞こえる。なんとなく、ハルが爆弾的なものを空中に放り投げたような気がした。
そして、それを合図のように、ドドドド! と、地面が震えるぐらいの、銃撃音が襲う。
いまの流れだと、ハルがヤツらと闘っているのは分かるけど、わたしはただただ、今の状況が飲み込めず、テーブルの下で、目と耳を塞ぐことしかできなかった。
一分……いや、たぶん三十秒ぐらいしか経っていないだろうか。急に辺りがシーンとする。さっきまでの、銃撃音が嘘みたいに、パッタリと止んだのだ。そして突然、わたしは肩を誰かに叩かれる。わたしは、ビックリして、頭をテーブルに打ちつける。
「大丈夫ー大丈夫ー、あなたに危害は加えないからー」
黒髪のサラサラロングヘアと、異様にデカイ乳を持ち、わたしがもし男で、電車の隣に座られたら、少しラッキーだなと思う容姿を持つ、肩を叩いたその人物は、わたしがよく知っている人物だった。
後藤真澄。わたしの高校での担任教師であり、写真部の顧問を務める人だ。
「ゴマス先生! なんでこんなトコにいるの?」
後藤真澄はクラスの生徒からゴマスちゃん、ゴマス先生と呼ばれている。本人が好きに呼んでいいと言ったので、いつのまにか「ゴマス」というあだ名になった。ちなみに、うっかり「ゴマスリ」と言うと鉄拳が飛んでくるので、注意が必要だ。
「ねえー、ねえー、アレってどういう意味?」
わたしの質問を無視するゴマス。
「意味って?」
「グランドセフ……なんとかっていうヤツ」
「ああ、あれは……ゲームでの話で、チートという、裏技的なやつを使うと、プレイヤー以外の、敵でもなんでもない人間が、全員一斉に、銃やら武器を持って、プレイヤーに襲いかかるというやつですよ。今の状況がそれに似ているってことだけ……」
わたしの目の前で、人間のようなにかが爆散した。ガラスのような結晶が、わたしの足下に当たる。さっき、わたしは爆散したと言ったが、不思議なことに無音に近い形で、爆散したのだ。
「えっ? なんで?」
「それはねー、ここのテーブルの下だけ、遮音フィールドを張らせてもらったのよー。逆位相ってやつで、ほら、アレ……ノイズキャンセリングヘッドホンと原理は同じよー。一応、この場所は結晶現実なんだし、音を消すぐらいなんて我々からすれば容易なことよー」
「うん。ゴマス先生が何言ってるのか全然、分からないんですけど」
「そう? だったら、我々もさっき鈴木さんが言っていた、チートのことだってよく分からないわよー」
ゴマスは、スマホのカメラを起動させ、テーブルの外に手を伸ばしてみた。そして、ハルが闘っていると思わしき場所に、カメラを向け、動画を短時間だけ撮る。
「ほれ、見てごらんー」
ゴマスはスマホで撮った動画をわたしに見せた。そこには、ありえない動きで、ありえない早さで、ありえない技で、人間のように銃を振り回すアレを倒すハルの姿だった。
カラテ、カンフー、ガンフー、ジムカタなのか、ガン・カタなのかよく分からない、非現実的で滅茶苦茶な技で、ガラスの人間を倒し続けるハル。銃で人間のようななにかをぶん殴り、そのまま殴ったヤツを盾代わりにし、反撃している。なんというか、シュールというか、現実味がない光景だ。
「……よくこういう状況で、漫画とか映画の登場人物が言いますけど」
「これは、ドッキリでもないしー、撮影でもなんでもないわよー、ってか、こんなお金がかかりそうなことしないよ、最近のテレビ局はー」
「ですよねー」
わたしは、頭を抱える。まずなにから、話せばいいのか分からない。
「それにしても、随分と落ち着いているわねー」
「そうですか?」
「うん。大方の人間なら、頭が吹っ飛んだあたりで、パニックになっていると思うよー」
「わたしはもうパニック状態なんだよ! この状況を説明しろっ! ゴマスリ!」
ゴマスの鉄拳がわたしの頭の上に飛ぶ。今、テーブルをぶつけた場所と同じところに。もういっそのこと、気絶させるか殺してくれ。
「そうだねー、まあ、この状況に巻き込んだのは、彼女……和嶋さんの希望なのよ」
「ハルの?」
「あなたに危害を加えないという条件でねー、見届けて欲しいという希望なの」
「見届けるって……なにを?」
ゴマスは、タバコに火を点ける。最後の一本だったのか、ラッキーストライクの箱を握り潰す。そしてそれを折り、銃のような形にする。
「さっきの見たでしょー。和嶋さんが変化した姿を。アレを我々は……ミネラルウェアと呼んでいるの」
「ミネラルウェア……あーイヤだ、SFはやめて! オカルトは好きだけど、SFはどうも好きじゃないのよ! 特に最近のは! 変な横文字ばっかで! そういうマジでやめてもらいます?」
ゴマスはわたしにタバコの煙を吹きかける。目がしみる。あんまりだ。
「話を真面目に聞けー! 今、重要な話をしてるのよー!」
「タバコを吹きかけるなんて……体罰よ」
「生物の授業かで習うと思うけどー、人間を構成する主要元素が、炭素、水素、窒素、酸素の他に、五パーセントの無機物……つまりミネラルで構成されているのは知ってるわよねー」
「ミネラルって、栄養とかサプリとかの話でしょ。カルシウムとか鉄とかの。体内で生成出来ないから、食べることでしか摂取できない栄養素とかなんとか……」
「へー、よく知ってじゃんー」
「教室のカレンダーに書いてありましたよ。ビタミンと一緒によくとりましょうって」
「へー、面白い」
ゴマスはわざとらしく、首を大きく縦に振る。その仕草がもの凄くムカつく。
「じゃあ、話は早いわねー。てっとり早く、簡潔に、猿でも分かるように説明すると、今の和嶋さんの身体は、ほぼ無機物で構成されているの。外部からしか摂取出来ないはずのミネラルを強制的に体内で生成するハードウェア。その結果、自らの身体をミネラル……いや、鉱物に似た形へと構造相転移させ、過酷で劣悪な環境でも適応する、新人類たる姿となったのよー。アメコミに出てくるミュータントみたいな感じでー」
「え、えーっと……それって、つまり栄養が偏った状態ってこと? 無機物を、ミネラルを偏らせたら、深海とか宇宙とかに適応できる」
ゴマスはうんうんと、頷く。
「それって死にませんか? 元の身体的に」
「死ぬわねー、今の人間では。だけど、我々では大丈夫なのよー」
と言って、ゴマスは胸を張る。わたしはというと、頭が痛くなってきた。
「我々って? いや、待って……宇宙人とか未来人とか、地底人とか、アトランティス人とか第四次元人とか、イルミナティ、フリーメイソン、三百人委員会! そういうありきたりなのはマジで勘弁だからね!」
「その全部かもー」
「いやあっ!」
あまりにも突飛で、バカバカし過ぎて、頭を抱えるわたし。ゴマスは少しムスっとした顔をする。
「なにが、いやあっ! よ、我々から見たら、あなたたちのほうも、いやあっ! なんだけどー。まあ、地底人と第四次元人というのはちょっと違うけどねー」
「じゃあ、なによ」
「我々はインクルージョンと呼んでいるよー」
「いんくる……また、横文字を……少しSF意識の高い言葉使わないで、ちゃんとした日本語喋ってよ……それで、ゴマス先生本人は、はじめからそのインクルージョンなの?」
「いいや、丸ごと間借りさせて貰っただけよー。後藤真澄という存在をねー、ただ間借りしてるだけ」
「間借りって……殺したわけじゃないの?」
「いや、我々は殺すどころか、君たち人間に干渉することは出来ない存在なのよー」
「ん? ちょっと待て。言ってる意味が分からないけど……干渉できないなら、どうしてわたしはあなたと会話できてるの?」
「だからー、話が最初に戻るけど、見届けて欲しいっていう話。あなた……鈴木一さん。あなたは、和嶋治という、一つの巨大な因果律に巻き込まれたのよー」
「うん? 因果律って……」
「まあー、細かい話は本人とゆっくり話してよ。説明ばかりだと、余計、意味が分からなくなるから、ねー? で、終わったの和嶋さんー?」
なんだか、話をはぐらかされた気がした。ゴマスが、テーブルから顔を出す。
「うんうん、終わってるー、終わってるー」
そう言って、わたしをテーブル下から出そうと、ゴマスに手を貸してもらったとき、わたしはゾッとした。ゴマスの手も、氷のように冷たかったからだ。さっきのハルの唇といい、ここに生きている生身の人間は、もしかしたらわたしだけなのかもしれない。
テーブルからおそるおそる顔を出すと、わたしは愕然とした。さっきまで、のほほんとした深夜ファミレスの雰囲気とはうってかわって、戦場のど真ん中で爆撃されたかのような有様だったからだ。
モクモクしていたタバコの煙が、銃撃の硝煙へと変わり、床に、テーブルに、皿に、椅子に、天井に、壁に、無数の人間のパーツらしきものが、転がっていたり、ぶら下がっていたりしている。ガラスの人間じゃなかったら、更に戦慄の光景が広がっていたのに違いない。
そのガラスの死体の中、ハルは戦い疲れたのか、テーブルの上に、ぐったりと座っている。正直、生きてるのが不思議としか思えないぐらい、ハルはボロボロに崩れていた。
無数の銃弾を受けて、全身は穴だらけ。制服はボロ雑巾のようになっていたが、服の下は肌色ではなく、固そうなクリーム色の肌が露出し、その風穴から、さっき飲んでいた台風の川みたいな色のコーヒーがポタポタと落ちていて、白い制服を茶色に染めている。
銃痕だろうか、壁の中になにか光っているものが陥没していた。足下にも、空薬夾に混じって、それが転がっていたので、わたしはそれを拾い上げる。
それは真珠だった。
「和嶋さんは炭酸カルシウムの無機物に相転移したのよー。体内で高密度のカルシウム弾を生成させ、銃のようなもので超高速射出する……うんうんー、素晴らしいー」
銃撃を受けて、穴だらけのドリンクバーで、コーヒーを入れるゴマス。
「カルシウムって……つまり、ハルは全身骨人間になったということですか?」
「そうだねー、骨は骨でも、高密度に圧縮されたカルシウムだから、厳密に言うと、この時代ではアラレ石……そう、アラゴナイトとか、真珠に近い結晶構造をしてるわねー骨人間と言うより鉱物人間よ。ミネラルだけにー」
ゴマスは「ミネラルだけにー」というところで、カニにみたいに両手ピースをチョンチョンさせる。アメリカの映画でよく見る仕草だ。どうして、こんなにも嬉しそうなのだろう。そう思った矢先、ゴマスの頭部が吹っ飛ぶ。ズラが強風に飛ばされたみたいに、ゴマスのロングヘアがグルングルン吹っ飛んでいく。ハルがゴマスに銃口を向けていた。
「ハル?」
「片腕のお返しよ! 嬉しそうに説明して……クソムカツク!」
ハルはフラフラと立ち上がる。
「大丈夫なの?」
「大丈夫……じゃないね、コレって」
「痛みは?」
「少しだけ」
「少しだけだって? おかしいなー……幻視痛ってやつかなー、調整が必要かもねー」
ゴマスは嬉しそうにコーヒーをすすり、タバコをスパスパ吸っていた。鼻から上が吹っ飛ばされても、インクルージョンにとっては、どうでもいいことなのだろう。タバコの煙が、割れたガラスの頭蓋骨の裂け目から、モクモクと排出している。
「あんた、グロキモイよ」
ハルは若干、引き気味の顔をする。
「グロイキモイだってー? いやいや……せっかく、ここまで準備したのに、それはないよー。それにしても、ここの世界の挨拶は、突然人の頭を銃で吹っ飛ばすことなのー?」
「あんたに言われたくない! 突然、人の腕を吹っ飛ばしておいて……ってか、コレ、元に戻れるの?」
ゴマスは、煙草の火を自分の頭蓋骨に押し当てて消した。自分の頭を灰皿のようにして。
「ああー、そういえば忘れていたー……チュートリアルは終了ね。あなたの実力はよーく分かったわー」
ゴマスがパン! パン! と、手拍子をすると、ハルにバラバラにされた人間のような破片が、カタカタと、ひとりでに動き出し、ビデオを逆再生したかのように、元の持ち主の身体に戻っていく。壁や床を天井を高速で這っていく様は、まるで虫のようで、かなりキモイ。
「ゴキブリかよ……」と、わたし。
「ターミネーターにこんなのいたよね」と、ハル。
わたしは、その非現実な光景に再び頭を抱える。
「こいつらは、イミテーションと呼ばれるユニットでね、君たちのコピー、ただの人形に過ぎないのー」
「これを使って、わたしを試したということ?」
ハルは戻っていこうとする手首を踏みつける。
「試したというか、チュートリアルと言っているでしょー。和嶋さんと、ミネラルウェアの相性をキャリブレーション……つまり、最適化したのよ。いやー、結果は大満足よー。初めての戦闘にしては、充分過ぎるくらいに、あなたは我々の期待に応えられそうねー」
ハルは、手首を踏み砕く。砕けた破片がまた元に戻ろうと、虫のようにワラワラ動きだす。
「初めての戦闘って……わたし自身でも考えれない動きをしていたのはどういうこと?格闘技もなにもやっていないわたしが、どうしてあんな動きを……」
「プロポーショングリッド」
「は?」
「戦闘時、和嶋さんの網膜に、解読不能の文字情報やグリッド線とかが表示されていたわよねー。それを我々はプロポーショングリッドと呼んでいて、和嶋さんの戦闘を補助、誘導するソフトウェアなのよー。和嶋さんのミネラルウェアは銃型だから、網膜に表示される情報も射撃管制と格闘補助のハイブリッドねー、いわば、プロポーショングリッドは、無意識下で……えーっと、例えて言うなれば、子供でも戦闘機を、補助輪付きの自転車に乗るかのように、ほぼ無意識で、操縦技能から癖までもを完全に模倣することができるソフトウェアなのよー。あ、カメラで例えたほうが分かりやすかったかなー? カメラの機能にプログラムオートモードってあるでしょ、それを使えば、子供でもプロのように……」
テレビショッピングの家電を紹介するかのように、ペラペラと、ゴマスは説明する。無意識に模倣するソフトだって? なにかのSF映画で見たかのような、ふざけたご都合主義の設定だな……と、わたしはうんざりした。
「え? プロポーショングリッドの力を借りたにせよ、なんでこんなに、よく動けたかってー?」
『聞いていない』
わたしとハルが同時に突っ込む。
「要はイメージだよー。ミネラルウェアは自身のイメージを直接具現化させるの」
ゴマスは自分の頭をコンコン叩く。いつのまにか、ゴマスの頭部も元のままに戻っていた。
「現象的意識とか、クオリアとか……まあ、脳味噌のそういうお話は省いておいて、ミネラルウェアは持ち主の脳が作る無意識的願望を叶える……いや、強化する器に過ぎないのよー。無機物への相転移とはいえ、別に人型である必要もないしねー。その姿も、銃も、あなたの無意識が作り出したイメージの結果。無意識的無機物と言ってもいいかなー。いわば夢の産物であり、物質化なの。きっと、うまく闘えたのも、映画やゲームをよく見て、やっていたせいなんじゃないー?」
「そんな曖昧で単純な理由なの……」
ハルも今の話で、わたし同様、頭を痛そうにしている。
「世の中、結構曖昧で単純なもんなのよー、それに……」
ゴマスは、わたしをジッと見て、そして、ニヤっと笑う。
「はい?」
「うん、なによりも和嶋さんが、守りたいものがあるからかなー」
突然、恥ずかしいことを言うゴマス。顔を少し赤らめるハル。
「まあ、それはそうと……これから、紹介したい奴がいます」
ゴマスが、また手拍子をすると、奥のほうの席から、妙に髪が白っぽい、癖っ毛の男の子なのか、女の子なのかよく分からない容姿の子供が、トコトコとやって来る。
不思議なことに、その子供はハルとわたしと同じ、サトジョの制服を着ていた。
「紹介するわ、NNユニットよ。あなたたちの監視役兼、補助を担当するイミテーション」
NNと呼ばれる子供は、ハルに歩み寄ると突然、お腹のあたりをコンコン、ノックするように叩く。
「ハードシェルを解除、ソフトシェルへの相転移を開始します」
NNがそう言うと、ハルの身体が再び振動し始め、瞬きをする暇もなく、ハルは元の身体……肌の色の姿へと変化していた。銃撃を受けて失った片腕と、穴だらけの身体は風が吹いたかのように復元されている。ハルがNNに少しだけノックされただけで、元の人間の姿に、跡形もなく、瞬時に元に戻ったのだ。
ハルのお腹から、ポンッと、真珠の鍵が飛び出てくる。それをNNは抜き出し、ゴマスに渡した。
「監視役ってことは、こいつがわたしたちの子守ってこと……」
ハルは元に戻った身体をぎこちなく、ストレッチしている。
「子守というか、保険みたいなもんよー。あ、ちなみに、別に和嶋さんのミネラルウェアは元通りに消えた訳じゃなくて、人間の肉体に近い形で相転移してるだけだから。それを我々はソフトシェル、ハードシェルって呼んでいるのー」
ゴマスは自分の豊満な乳を揺らしている。ソフトシェルを体言したいらしいが、貧乳のわたしに対する嫌がらせと捉えた。さっきハルがやったみたいに、ゴマスの巨乳を撃ち砕きたかった。
「あー、またわたしを撃とうと思ったでしょー」
それは、ハルも同じだったようで、ハルは指鉄砲を作っていた。
「NNがいる理由もそういうことー、まあ、これもフィクションでよく描かれているけど、過度な力を得た人間ってね、ロクな事に使わないからねー。スカートめくりから、殺し諸々、無駄で非生産的なエントロピーが貯まっていく一方なので、NNという存在がいるのー。ネームレス・ネゲントロピー。それがNNの意味よー」
ゴマスは、持っている真珠の鍵をチェーンに通し、ネックレスにする。それをNNの首にかけた。
「鍵はしばらく、NNに預けておきまーす。今後、ハードシェルに相転移するときは、それが必要なときだけよー。我々の許可なく、相転移するのは固く禁じまーす」
「信用されてないのね」
ハルはぺっと、唾を吐く。
「あなたたちの事は信用はしてるよー。けど、我々はこの世界の人間を信用していないだけー」
ハルはNNを指さし「もし、ハードシェル化して、NNから奪ったら?」
「無理ー、それは出来ないよー。出来るわけがない。言っておくけど、NNはすごーく強いから」
NNが突然、強い光を放ちながら変身する。アニメの魔法少女ものみたいに、発光してカッコよく変身するみたいな感じだ。ハルは地味なのに、なんだその格差は……。NNの瞳にも、ハルのときと同じように、なにかの模様が見えた。万華鏡を覗いたような、左右対称の模様……わたしは、その模様を以前、見たことがある気がした。
「NNは、炭素のミネラルウェア……要はダイヤモンドねー。言わずもがな、破壊はほぼ不可能。しかも、鍵を使わずに即時に相転移が可能よー。これだけの説明で大体分かるでしょ?」
NNがカタカタ震える。それから、何が起きたか分からなかった。周りで再生を続けていたイミテーションの頭部が、突然吹っ飛んだ。しかも全員。ほぼ同時に。
NNの指先を見てみると、矢尻のようななにかが、十本の指先すべてから、剣山のように飛び出ている。それを使って、NNはわたしたちの肉眼で捉えられない早さで、三十人ぐらいの頭部を瞬時に撃ち抜いたのだ。
「NN、和嶋さんの戦闘を観察したと思うけど、和嶋さんが勝てる確率は?」
「はあ……三千七百万分の一です」
NNがさらっと言う。スターウォーズのドロイドか、コイツ。
「ドロイドなのそいつ」
ハルも、同じ事を言う。
「ドロイドー! 我々もスターウォーズ大好きなのー!」
ゴマスの豹変にポカンとするわたしと、ハル。
「……えっと、それはともかく、NNを倒すのは不可能って分かったでしょ。あ、もういいよーNN」
NNが、元の姿に戻る。あっさりと、一瞬で。
「こんなもの見せてアレだけどー、別に我々は、あなたたちに危害を加えようと毛頭ないよー。拉致したりとか、拷問して解剖したりとか、脳味噌グチュグチュいじったりとか、エネルギーに転換しようとか、卵を植え付けて、大量生産して世界征服しようとかそんな気は別にないからー」
「うわ……ゴマス先生。それ、完全に信用できない奴が言う台詞だよ」
「解剖されて、脳味噌グチュグチュしたのは、間違いないしね」
ハルは指をグルグル回しながら、頭をいじる。
「はあー……わたしも自分で言っててそう思ったよー。でもこれは、和嶋さん自身を救うことでもあるの」
「それは、どういう意味?」
「だーかーらーあとで、和嶋さん本人に聞いてよー」
ハルはうつむきながら「面倒な話よ……」と、ボソッと言う。
今のところの役目を終えたのか、NNがペコリと一瞥して、わたしたちから離れようとする。
「ちょっと待てーNN」
ゴマスの一言に、ビクっとするNN。さっきまでやっていた事を考えると、以外な反応だった。
「はあ……なんでしょう」
「うん、NN。服を脱げ」
「はあ……は?」
「いやいや……は? じゃなくてー、服脱げって言ってるのー。今すぐキャストオフしろって言ってんのー」
「イヤです。あなたのを貸せばいいのでは?」
「イヤよー。恥ずかしいじゃないーバカじゃないのー」
「はあ……」
「脱がないと。あなたのグレーディング下げるぞー」
「はあ……マジですか」
「マジよー。マジマジのマジもんよー」
グレーディングがなにか分からないけど、インクルージョン同士でも、なにか上下関係があって、パワハラ的なものがあるかもしれないな、とわたしは思った。
嫌々、制服を脱ぐNN。恥ずかしいのか、脱ぐとき、自分の身体をダイヤモンドに変えて、不自然にブラとパンツの部分を煌々と光らせていた。なんだか、規制の入った深夜アニメみたいだ。
さっきまでNNに感じていた迫力というか、凄みが、段々と薄れていった気がする。
「はい、これに着替えて和嶋さん。いつまでも、ボロボロの制服っていう訳にもいかないでしょー。ここから外に出たら、あなた警察に補導されるわよー」
「心遣い大変、ありがたいんですが、これ小さいんですけど……」
ハルも嫌々、小さな制服を着ようとする。
「うん、我慢して。あなたの制服まで用意してる暇はなかったのよー」
壁の後ろに隠れて、恨んでるような目で、こっちを睨みつけるNN。怖い。一瞬で、わたしたちを撃ち殺しそうだ。決闘前のイーストウッドみたいな眼をしてる。
「あれは、気にしないでいいよー。特に和嶋さんが、さっき言ったことを守っていれば、特に害はないし、好きに使っちゃってもいいわよー。あなたたち、同姓で付き合ってるんだし、抵抗ないと思うけど、NN、好きに抱いてもいいわよー」
サラッととんでもないこと言ったぞ、この女教師は。
「いいえ、わたしロリに興味ないんで」
ハルさん、その答えだとロリ以外なら抱いてやらんこともないということかなー。
ミシミシと、NNの触れている壁に段々と亀裂が入り、今にも崩れそうだ。マジで怖い。
「……言っておくけど、我々は、どちらかというと全員バイだしー、せっかく受肉してるのにー……まあいいか、その話は……ともかく、あなたたちはもう帰っていいよー。ここでは、我々の簡単な自己紹介のつもりだけだったしねー。詳しい詳細は、後ほど学校とかで教えるわー。ああ! 面倒くさい! この後始末!」
一方的に、ゴマスから放り出される形で、ゼリ屋を後にする私とハル。
「ひとつだけ聞きたいのですが、結局のところ、あなたたち……インクルージョンは、何が目的なんですか?」
帰る間際、わたしはゴマスに尋ねてみた。ゴマスはニッコリと笑い。
「我々はこの時代の……いや、この世界のクラリティを良くしたいだけよー」
何度目だろう、そう訳の分からないことを言って、ゴマスは店内へ戻っていった。ゴマスがいなくなったと同時に、ハルが膝をついてヘナヘナと座り込む。
「あー……緊張したー」
「……それはわたしが言う台詞なんだけど」
「ハジメは緊張しなかったの?」
「いやー、緊張したって言うか、未だに現実かどうか分からないの。コレが……」
そう言って、ゼリ屋を振り向くと、そこにゼリ屋はなく、ただのコインパーキングになっていた。なんだか、狐か狸に騙された気分。
「うん、現実だ」
わたしはそう、ハルにポツリと言う。さっきまで、雨が降り続いていた夜空には、満月が浮かんでいるほど、晴れていた。
「ねえ、ハジメ……家に来ない?」
「今から? でも、いいの?」
「うん、今日も親帰って来ないみたいだし。勉強教えてあげるよ。っていうか、はじめからそのつもりだったでしょ?」
その後、ハルの家に泊まったわたしは、今回の出来事の話題をあまり振らずに、ハルから勉強を教えてもらった。ハルの家に向かうとき、手を繋いで歩いたとき、勉強を教えているとき、ペンを握るハルの手は、ずっと震えていた。
翌朝、同じベッドで一緒に寝ていたわたしは、ハルの手が震えていないのを見て、少しだけ、ほんの少しだけだけど、安心したのだった……。
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