チャプター6 Falling Into Infinity

「あなたたちって、どこか似てるよね」


 ハジメのお母さんが、唐突にそんな事を言った。


 短いようで、わたしにとって、永遠のように長かった二年生の一学期が終わり、期末試験のハジメの成績が良かったお礼にと、わたしを鈴木家宅で寿司をご馳走になっていた。


 ハジメのお母さんは、見た目の印象だと、小さくなった大人のハジメという感じで、喋り方といい、サイドテールの髪型といい、手先の細さといい、雰囲気が何となくハジメそのものだった。


「似てるってどこが?」


 寿司と大量のガリを交互にムシャムシャしているハジメが、食べながら言う。


「んー……なんとなくかな、あなたちって、なんか姉妹っぽいよね」


「姉妹ですか……」


 わたしは苦笑いをする。一週間前、ハジメと一緒に学校をサボった事をハジメのお母さんの前で一緒に謝った。別に学校をサボった事に関してではなく、わたしがハジメのお母さんに成り済まして、学校に嘘を言ったことに怒っていた。


「二度とこんな嘘をつかないで」と、ハジメのお母さんは、真っ直ぐな目で、わたしを怒鳴る。


 わたしは悪い子だった。怒鳴られながらも、わたしは内心喜んでいたから。わたしは「いい子」を演じ過ぎていたせいか、誰かに怒られるという、当たり前の事でさえ、愛や感情というモノに飢えていた。


 面倒くさいヤツだな……わたしって。


「姉妹って……わたしが妹で、ハルがお姉さんってこと?」


「ううん逆よ。ハルちゃんが妹で、あんたがお姉ちゃんよ。頼りない姉って感じ」


「なにそれ……」


「あ、でもなんか分かります」


「でしょ? いっその事、ハルちゃんが、ウチの妹になればいいのに」


「……考えておきます」


「いや……考えるなよ!」


 一緒に笑うハジメとハジメのお母さん。わたしも、ハジメ以外と、こうやって誰かと一緒に笑うって事をしたのは、いつ以来だろう。


 鈴木家は、わたしの家にないものがあった。暖かさ?いや……そんなありきたりで、陳腐なもんじゃない。分かりやすく例えると、アレだ。


「普通」だ。




「学校の調子はどうなのハルちゃん?」


「普通よ、いつも通り」


 わたしは母に答えた。「普通」これが、わたしと母との会話でよく使うワードだった。何かあっても普通。怒っていても普通。悲しくても普通。生理の時でも普通。普通という言葉は、わたしと母との距離を保ち、ギリギリのラインで家族という枠組みを保つ、魔法の言葉だった。


 ハジメと甲府へ行ってしばらく経ち、仕事から帰国した母と銀座のレストランでディナーをしていた。結婚式場と兼用しているらしく、隣の部屋が騒がしい。


「それなら、いいのよ」


 わたしが、学校をサボったことを知っている筈なのに、何だろうその反応は。ハジメのお母さんみたいに、もっと怒ってもいいじゃないかと思っていたが、それがわたしの母なんだと、思い返してみる。


 コチのフリットを食べながら、母とわたしとの間に、気まずい沈黙が流れる。隣で行われている結婚式の喧騒が、唯一の救いだった。


「うるさいわね……ココはハズレかしら」


 酒豪でもある母は、ボトルワインをドバドバグラスに注ぎ、水のようにワインを飲み干す。母が酒を大量に飲むときは、上機嫌か、機嫌がすこぶる悪いかのどちらかで、今日の場合、飲んでいるワインがかなり高価そうなワインなので、前者のほうだろう。


「ハルちゃんも飲めば?」


 母は、空いたグラスにワインを少しだけ注ぎ、わたしに突き出す。


「……わたし、未成年なんだけど」


「そんなもん知ってるわよ。わたしもあなたぐらいの歳の頃には、隠れて飲酒ぐらいしていたし、学校サボって、友達とバカ騒ぎしたもんよ。なにを今更……」


 わたしはギクッとした。


「後藤先生から聞いたの?」


「聞いたわよ。あなたが学校サボって、鈴木さんと、甲府の会社に寝泊まりしたって」


「怒ってないの?」


「もちろん、怒ってるわよ、親だからね……でも、意外だなって思っている」


「どうして?」


「あなたはいい子すぎたから。本当だったら、あなたぐらいの歳の子だったら、もっと親とか学校とかに反抗してるものよ。反抗期がないなんて、逆に気持ち悪い。だから、意外っていう話」


「……」


「でも、学校や鈴木さんのご家族に迷惑をかけたのは事実だからね、罰として今月の小遣いは半分に減額するわよ」


「ええ? ……夏休みなのに」


「友達の鈴木さんを見習いなさいよ。あの子、自分の趣味の為にバイトしてるって話じゃないの。あなたも夏休みの間、なにかバイトしてみたら?」


「……うん、考えておく」


 隣の部屋から、バングルスの曲が流れてくる。誰もが一度は聞いたことがある定番曲。


「エターナル・フレーム……はぁー、ありきたりね」


 酔っているのか母は、フフッと笑う。そんなに、バングルスが可笑しいのかな。


「まさか、あなたが甲府の会社に行くとはね」


「そんなに意外だった?」


「さっき、あなたに反抗期はないと言ったけど、正直言うと、そういうのがあったのを思い出した」


「えっ、いつの話?」


「あなたが十歳の頃よ。わたしがアイツと離婚した辺り……そりゃあ、ヒドいもんだったわよ。あなたの母親になったのを後悔したぐらい」


「そう……」


 バングルスの曲が、式の喧騒が段々と大きくなっていく。わたしは、母が勧めた少量のワインを口にした。


「どう? おいしい?」


「うん……普通よ」


「ハルちゃん」


「なに?」


「あなた、少し変わったよね」


 わたしは、ワインをちびちび飲む手を止めた。わたしは、母の目を見ながら、ハッキリと言った。


「そう? 普通よ」


 


 期末試験が終わり、夏休みに入った。残念な事に、生徒会というものは、休みに入っても学校とは無縁というわけでもなく、「地域交流」と名ばかりの清掃ボランティアやら、サトジョのオープンスクールの手伝い、休みが明けてすぐ始まる文化祭、体育祭の打ち合わせなどなど、やる事がとにかく目白押しだった。


 しかも、来年からは大学受験を控えていて、塾の夏期講習にも行かなくてはいけなくなり、ハジメと出会う機会が段々と少なくなるのは、苦痛以外のなにものでもなかった。


 ここのところ、わたしの口癖は「なぁにが、夏、休みだ。クソッたれ」だった。


 だから、ハジメと部活と夏休みのデートなどの打ち合わせで、合流する約束をしたとき、わたしは一目散で電車に乗り込み、ハジメが待つゼリ屋へと、駆け足で向かっていた。


 店内へ入ると、わたしは目を丸くした。


「ハジメ……これは一体、どういう状況なの?」


「ハル……どこから、説明すればいいのやら」


 ハジメ以外に、そこには(相変わらず)ハンバーグステーキをムシャムシャ食べている中島と……なんとヨシミがいた。


 以前の甲府の件から、ヨシミとわたしの関係は……学校や生徒会での関係はビックリするぐらい、あまり変わらなかった。いや、変わらないように、素振りを見せているだけか。


「ヨシミ……なんでココにいるの? っていうか、なんでハジメと会うこの場所を知ってるのよ」


 ヨシミは黙ったままで、テーブルの上に、ポツンと白い紙が乗っていた。その紙をジーッとわたしは凝視する。


「にゅ、入部届っ! あなた写真部に入るの?」


「だからこうやって、ハルが来るまで、にらめっこおびしゃしてるわけ……わたしは反対してるんだけど」


「……鈴木さんは、部長じゃないでしょ。決めるのは、部長であるハル」


 ヨシミはボソボソと言った。コワイ。


「その一点張りでね……で、部長様であるハルの意見は?」


 わたしは頭をポリポリかく。面倒くさい。


「はぁ……ヨシミ、あなた、生徒会と陸上部も掛け持ちしていて、更に写真部へ入るつもり?」


「……写真部だったら、掛け持ちしても問題なさそうだったから……楽そうだし」


「うっわ……上舘先輩、さりげなく失礼な事言いやがった」


 ハジメはレモンシロップをレーザービームのように注入し、それをゴクゴクと飲む。


「うーん、わたしは別に構わないわよ」


 わたしがそう言うと、ハッと顔を上げるヨシミ。


「ホントに?」


「どっちにせよ、部員が三人以上いないと、部活として成り立たなくなっちゃうからね。ヨシミを入れて、一気に四人になったのは、嬉しい誤算よ」


「はあ……あのー……なんか今、四人って聞こえたんですが……もしかして、わたしも勝手にカウントされてます?」


 中島は肉の刺さったフォークを上に上げて、おそるおそる質問した。


「え? 当たり前でしょ。なにを今更」


「はあ……そんな勝手な」


「そんな事より、夏の合宿の話なんだけど」


「あ、ハルがチョイスする話だよね、場所は決まったの?」


「うん、ハジメのお母さんが手配してくれた公共宿の近くに、いい塩梅の心霊スポットが……」


「あのー?」


 居心地が悪そうな感じで、ヨシミがわたしたちの話を制止する。


「なによ? ヨシミ」


「なんか……その」


「その?」


「ほんとにいいの?わたし、ハルにあんな酷い事をしたのに」


「確かに酷かったね……それに対して、わたしもハジメもまだ怒ってるし、ヨシミを許している訳じゃないよ」


「だったら、なんで……」


「ぶっちゃけると、わたしは、ヨシミに構っているほど暇じゃないの」


「ちょっと、ハル……その言い方は」


 ハジメが、制止しようとわたしの手を握る。指にはめた、わたしのダイヤのリングと、ハジメのパールのリングが、コツンと音を立てた。


「キレイな宝石……」


 ヨシミはリングを凝視する。


「でもね、ヨシミが逃げずに、わたし達に会いに来たのは嬉しいし……ヨシミがこうやって、写真部に興味を持ってくれたのはすごく嬉しいの」


「……うん」


「だから、本当にヨシミがすまないと思うなら、今すぐ、全員分のステーキを奢って」


「うん……うん? ステーキ?」


 目を丸くするヨシミ。以前、ハジメも似たような顔をした時があった。


「あ、それ……いいかも」


「はあ……わたしもおかわりが欲しいです」


 ハジメと中島は、一緒に頷く。


「え? え? え?」


 相変わらず、困惑しているヨシミ。


「この肉で後腐れなし、この話はおしまいよ。次、またこの話をぶり返したら、ヨシミとの縁はおしまいだと思って」


 わたしは、ヨシミの小さな瞳をジーッと見つめる。


「……わかったわ」


「よし、そんじゃ、部活の話に切り替えようか……ヨシミ、カメラと三脚持ってる?」


「えっ? オヤジ……父さんのだったら持ってるけど」


「上出来よ。明後日、海の方に行くからカメラを持って、朝八時に学校近くのコンビニに集合ね。一泊するから、着替えも用意しておくように」


「ええ……って、明後日?」


「文句ある? 陸上の練習があってもサボってね。ヨシミに少しでも誠意があるなら……って、オラッ! とっとと、肉、注文せんかいっ!」


「えっ? ええ!」


 困惑しながらも、注文ボタンを連打するヨシミ。


「なんで、そんな借金取りみたいな口調なのよ、ハル」




 そして明後日の朝、絵に描いたような、蝉が大絶叫する晴天の夏の空の下、リネンのワンピース姿が超カワイイ、ハジメ。


 相変わらず、肉まんを食べながら、サイズの合わないロックTシャツ姿の中島。


 ノースリーブのシャツの上に薄手のカーディガン、わたしは出会ってから、初めてヨシミの私服スカート姿を見たかもしれない。


 三人たちは、気まずそうに、学校の前で立ち尽くしていた。


「あんたら、もう少し、かしましくしたら?女子らしく」


「女子らしくって……ハル」


「はあ……上舘先輩がいるせいですかね」


「あっ? 余計なお世話よ。それにあんたなによ。さっきから、このクソ暑い中、肉まん食いやがって」


「はあ……羨ましいんですか? よかったら、お一つどうぞ」


「羨ましくないし、いらねーよ!」


「あんたらー、喧嘩だけは勘弁しろよー。なにか問題起こしたら、責任取るのは我々なんだからねー」


 Tシャツ、ジーパン姿のラフな格好をしたゴマスが、車のキーをクルクルさせながら、わたしたちの前に、いつのまにか現れる。


「後藤先生……たしか、軽音部の顧問では? っていうか、って?」


「はーい、新入部員の上舘さん。我々……わたしは、写真部の顧問もやっているのよー……人手不足だからってねー、無償でねー、ガソリン代もわたし持ちー。なんで、好き好んで他の教職員がこんな非生産的な事しているのか本当に、意味が分からないわよー。ボランティア? 奉仕精神? はん、こちとら、安月給だというのに……」


「ゴマス、そのへんにして」


 ハジメが、ゴマスの愚痴を止める。


「も、もしかしたら、ガソリン代、経費で落ちるかも……ね? ハル」


 ヨシミが、ゴマスの負のオーラにやられて、わたしに問い掛ける。


「そうね……写真部って、たしか一学期は、ほとんど何も部活動経費は使っていないから、ガソリン代ぐらいだったら出るわよ」


「えっ? マジでー!」


 手のひらを返すように、目を爛々とさせるゴマス。


「しかも、今回はわたしとヨシミがいるから、生徒会からも少しは活動経費として、カンパすることができるかも。今日の夕飯のグレードを上げる事ぐらいはね……ね? ヨシミ?」


「え……ええ、帳簿にボランティアの備品代として適当に記入しとくわ……本当は、ダメだけど」


 それを聞いたゴマスは子供のようにピョンピョン飛び跳ねる。


「やったぜー! やっぱ、権力は正義だぜー! 上舘さんが入部して大正解だなー!」


「なんかゴマス、教師としてあり得ない事、言っている気がする」


 ハジメはゴマスに対して、呆れた顔をした。




 わたしたちは、ゴマスの車に乗り込み、千葉県の房総半島の先へと向かう。車内で、ゴマスのチョイスした洋楽でわたしとハジメとゴマスは、車内カラオケをしていた。


「あーっ! やっぱりー、ガンズは最高だなー!」


 たぶん、温泉と地酒、そして豪華な海鮮料理をゴマスは楽しみにしているのだろう、かなり上機嫌にドライブしていた。


「あ、あなたたちって、いつもこんな感じなの?」


 わたしたちのテンションに若干引き気味のヨシミが、ペットボトルのお茶をグビグビ飲む。


「そうよヨシミ。わたしらはいつもこんな感じよ」


「ってか、なんでコイツ」


「はあ……コイツじゃない。わたしは、中島のぶ代という名前があります」


「中島さんはなんでさっきから、車内でプラモ作ってるの? っていうか、のぶ代って名前なによっ!」


「あ、ソレ、ナイス突っ込みですね……中島に関しては、置いといていいですよ。マスコットみたいなものなので」


 ハジメは、中島の組み立てたプラモをまじまじ見つめる。


「はあ……マスコットってなんですか、失礼な」


「ふーん……そういえば、鈴木さんと中島さんって、ずいぶん仲が良さそうだけど……二人はどういう関係なの?」


「どういう関係って……」


「はあ……単なる幼なじみですよ」


「ふーん……幼なじみね」


 ハジメと中島との関係について、疑問に思っていそうなヨシミ。わたしは、とっさに話題を変えようとした。


「ヨシミ、言っていたカメラは持ってきた?」


「一応持ってきたけど、これからどこへ行くの?」


「海の方よ」


「海! ヤッタ!じゃあ、ハルの水着姿の……」




「写真が撮れると思ったんだけど、どこよココ……廃墟?」


 肩を落として、すごくガッカリしているヨシミ。わたしたちは南房総市の海を望む高台に建つ、幽霊が出ることで有名な廃リゾートホテルに来ていた。


「別に遊びに来たわけじゃないのよ。一応、この旅行は写真部の合宿みたいなもんだし」


「だからって、なんでわざわざ、こんな廃墟に?」


「そんなの決まってるでしょ……」


「パラノーマルエンカウント!」


 わたしとハジメ、やる気がない声で中島も一緒に叫ぶ。


「……へっ?」




「中島、例のブツは?」


「はあ……なんで、そんな物騒な言い方するんですか。持ってきましたよ赤外線デジカメ。安いジャンクカメラを分解し、ローパスフィルターを赤外線フィルターに交換した簡易的なものですけど」


「上出来よ! さすが、中島! 純正の赤外線カメラって高いのよね!」


 わたしたちは、廃墟ホテルのロビーに集合し、各々カメラを用意する。


「あのー後藤先生? いくつかお聞きしたいのですが?」


 ヨシミが、ホコリまみれのソファーに座って、液晶を大型化したPCエンジンGT(たぶん、中島が改造したのだろう)をプレイしているゴマスに質問していた。


「ここって、写真部ですよね?」


「そうだよー」


「これって、その……オカルト研究会的なやつでは?」


「そうかもねー」


「退廃芸術っていえば、大丈夫だと思うでしょ。廃墟写真だって、なんか最近流行っているし」


「でも、ハル……これって不法侵入よね?」


「警察呼ばれるか、訴える人がいなきゃ大丈夫よー。一応、わたしが顧問でありー、保護者だからねー、責任はわたしが持つよー」


 まあ、仮に面倒事が起きても、インクルージョンが上書きをするだけだと思うけどね。


「ですが……」


「ヨシミ、少しは楽しみなさい。せっかくの夏休みよ。はいこれ、持って」


「なにコレ?」


「般若心経を逆再生したものに、霊が出やすいと言われている十九ヘルツの可聴下音をサンプリングしたのをリピート再生させている携帯スピーカー」


「はっ? なにこの音楽! キモッ!」


 まるで虫のように、スピーカーをブンブン振り回すヨシミ。


「気をつけて下さいよ上舘先輩、それ、わたしの私物なんで……で、ハル、赤外線フィルムなんだけど……レンジファインダーだから、カメラの使い方の説明をするね」


 ハジメは、わたしが頼んでいた赤外線フィルムと、そのカメラの説明をする。


「ちょっと、鈴木さん……」


 ヨシミは、ハジメを睨みつける。


「は、はい……なんでしょうか?」


 なにか、ハジメにいちゃもんでもつけるのかと思ったら、カメラをハジメに突きつけた。


「わ、わたしにも……カメラの使い方を教えてよね」


 


 わたしたちはジャンケンをして、わたしとヨシミ、ハジメと中島でペアに別れ、写真を撮り始めた。思ってみれば、ヨシミと二人きりで一緒にいるのは、メダルゲームのとき以来かもしれない。


 わたしとヨシミは、ハジメに教わったばかりのカメラに悪戦苦闘しながら、何とか幽霊が写りそうなところをがむしゃらに撮り続けていた。


「ねえ、ハル」


「なんで、赤外線写真なんだというと、幽霊っていう存在は、人間や生き物とかが出す光の波長とは絶対違う存在な訳だし、赤外線だったら、普通のデジカメや銀塩カメラと比べたら、捉えやすいと思ってね。イギリスにサイモン・マースデンっていう、写真家がいて……」


「ちがう、そうじゃなくて……」


「ヨシミ、少し変わったね。そんなツッコミ役だったけ?」


「それは、こっちの台詞よ! ハルの方こそ、最近変わりすぎよ!」


「そう? ヨシミが前に言っていたよね?わたしは自分が大好きな、痛いサブカル女よ」


「うん、それは否定しない」


 それを真顔で言うヨシミ。


「否定しないのかよ」


「ううん、違うの……なんか、ハルが……いつものハルじゃないような気がして」


 ハジメといい、母といい、ヨシミも同じ事を言う。なんでだろう……なんで、みんなすぐに分かっちゃうのかな。


「そうかな……普通だよ。わたしは」


 クソ、「普通」と、いつもの口癖を言ってしまった。


「ハルは前に、わたしを救ってくれた。だからさ……ハルも、わたしをもっと頼ってもいいんだよ」


 そんな、優しい言葉を言わないで。


「なんか、いまのハルって」


「わたしって?」


「なんか、必死に生き急いでいるような気がする」


 パンッと、天井の方で、ラップ音みたいな破裂音が聞こえた気がするけど、今のわたしたちには、そんな事はどうでもよかった。




 その日の夕方、ホテルでわたしたちは写真部らしく、その日撮った写真の講評を行った。フィルムは現像しなくちゃいけなかったけど、ゴマスが「ちょっと、貸してー」と、どこかへ持って行くと、十分後ぐらいに、現像されたフィルムと、綺麗に焼かれたLサイズの写真を手品のように持ってきた。


「近くに、速くやってくれるところがあるのよー」と、言っていたが、たぶん嘘だろう。


 各自、五枚の写真を選別し、ゴマスを含めて、五点満点で採点していき、合計点を競っていく。この採点には、わたしが提案した一つの特徴があって、心霊写真的なものが写り込んでいたら、ボーナス点が加算されていくようにしている。


 得点が最も高い者には「好きな食べ物を奢る」ようになっているので、全員、躍起になって写真を選別していた。


 こうやって、全員の写真を見比べてみると、何となく撮った本人の性格とか内面みたいなものが、分かるような気がして中々面白い。


 中島のは監視カメラで撮ったかのようだ。全ての写真が俯瞰したように、部屋全体を見渡せるような構図だった。自作で改造した赤外線デジカメのせいなのか、何かが写っていそうで、すごく怖い写真だった。


「はあ……心霊的な写真が万が一にも偶然撮れ、なおかつ得点に加算されるのであれば、これが一番合理的だと思いました」


 子供用の浴衣姿で、鼻息を荒くさせる中島。たぶん、彼女の頭の中では、もう勝った気分でいて、なんの肉を食べようかで、思考が一杯になっているのに違いない。


「でもこれって、全部同じ構図だし……なんか、つまらないよね。しかも、心霊的な要素が一つもないし」


 ハジメが中島の写真をバッサリと切り捨てる。


「はあ……チッ!」


 舌打ちをする中島。次にわたしの写真だった。赤外線写真は、通常のモノクロ写真と比べて、白と黒のコントラストがハッキリしていて、木々や葉が雪のように白くなる「スノー効果」が現れていた。


「うん……なんか、ハルらしい写真だよね。撮りたい被写体を正面に堂々と捉えている。三点透視的な構図もいい感じ。でもちょっと……真面目すぎるかな」


 ハジメは、淡々とわたしの写真を講評している。「真面目すぎる」っていうのは、結構、わたしの心にグサッと刺さった。


「そこまで偉そうに言うなら、鈴木さんの写真を見せなさいよ」


 ヨシミがとげとげしく言う。


「そーだ! そーだ! ハジメの写真をボロクソに叩いてやる!」


 厳しく講評してやろうかと思ったが、ハジメの撮った写真は、やっぱり、始めて間もないわたしたちに比べて、とても撮るのが上手い。ハジメがよく気にしてる、近景、中景、遠景の構図で撮り分けているのは流石だし、ある一枚の写真がとても良かった。


「ごめんね……勝手に撮っちゃったんだけど」


 ハジメは恥ずかしそうにしているけど、そんな事はなかった。その写真には、壁にもたれているわたしを撮っていて、フィルムを交換している最中だろうか、少しうずくまりながら、背を向けて、壊れた窓の外を儚げに望んでいた。


 ハジメは、わたしの内面をファインダーで覗き、切り取るのが上手い。


「いい写真だよハジメ。ほんとに……わたしらしい、写真よ」




 写真の講評で、結局勝ったのは、意外なことにヨシミだった。ヨシミの父親から借りたカメラのレンズ内が、ゴミとクモリだらけだったらしい。五枚の写真全てに、オーブ、顔や手や人型のような壁のシミ、フラッシュによるゴーストフレアだらけで、心霊写真としては申し分ないくらい満点だった。心霊写真が撮れたら、ボーナス点というのが、仇になったらしい。


「まさか……ヨシミにこんな才能があるとはね」


「ちょっと待って! 全然、嬉しくないんだけど!」


「はあ……不本意で誠に遺憾ですが、肉を食べる権利をやろう」


「食べねえし! なんで、お前はそんな偉そうなんだよ!」


 ハジメ以上に、せわしなくツッコミまくるヨシミ。


「ルールはルールですからね……なにか、上館先輩の好きなのを奢りますけど、なにがいいですか?」


「まさか、わたしが勝つとは思ってなかったからね……あのさ、思ったんだけど、食べ物じゃなくてさ、別の事をお願いしたいんだけど」




 次の日、わたしたちはゴマスの車にゆられながら、海水浴場の方へと向かっていた。


「そんなに、ヨシミって海に行きたかったの? だったら、はじめから言えばいいのに……」


「こういうお願いしなきゃ、今日でさえ、心霊写真撮ろうとしていたでしょ」


「それは、間違いじゃないけど……」


「ハル、わたしら、もう高校二年生なのよ。来年は受験なんだし、せっかくだから遊ぼうよ……ね?」


「それは、わたしも賛成よー。最後の夏かもしれないしねー」


「最後の夏」で、指をエアクォーツさせるゴマス。ハンドルを切り、車を国道から、舗装されていない脇の畑の道にへと進めた。


「ゴマス、どこに行くの?」


 激しく揺れる車内で、ハジメが不安そうな顔をしながら、必死にゴマスの座席にしがみついていた。


「んー? いいところを知ってるのよー」


 制限速度を気にしていないのだろうか、車の速度は徐々に上がっていき、房総半島の下のほうでよく見かける、荒々しく、車一台通るのがやっとな幅の手掘りトンネルを猛スピードで通り抜ける。


 トンネルを抜けると、妙に綺麗に舗装された、まるでの道路を走ること五分ぐらい。道のどん詰まりに辿り着くと、その向こうは絵に描いたような、青い空と、天然の珪石砂岩がほとんど占めたような広大で、冗談みたいに白く美しい砂浜がポコンと現れた。


 ハジメとヨシミは、子供のように車を飛び出して、波打ち際のほうへと駆け出していく。


「……わざわざ作ったの?」


「まあねー、これは我々からのプレゼントだと思ってー、余計なお世話かもしれないけどー、本当にこれが和嶋さんにとって最後の夏になるかもしれないしねー」


「ふんっ、冗談じゃないわよ。そういえば、次の相手の話はどうしたのよ。いい加減、日時だけ教えてくれてもいいじゃない」


「……」


 ゴマスが珍しく黙り込む。


「ゴマス?」


「それがねー……少し、言いづらいんだけどさー」


「なにが?」


「なぜだかー、向こう側の我々とコンタクトできないんだよねー。音信不通ってやつでー……」


 大きな波の音が聞こえた。ハジメが波打ち際のほうから思いっきり手を振り、わたしを呼んでいた。




 写真部の合宿から三日経った。わたしは、ハジメの働く写真屋「レインボーアイズ」で、夏休みの間だけ短期のアルバイトをする事となった。


 初老の女性オーナーである土屋イワさんは、わたしとバイト面接するやいなや「ハジメちゃんをよろしくねぇ」と、一言だけ意味深な事を言われ、即採用される。


「そもそも、ハジメはなんで、このバイトを知ったの?」


「電柱に貼ってあったのよ」


「マジで?」


「このご時世にね……でも、好奇心に勝てず、騙されたと思って行ってみたら、ほんとにあって今に至る訳」


 ハジメはわたしに店内の業務用プリンター操作を教えながら、以前撮った、合宿の写真をプリントしていた。ゴマスの車内で、廃墟で、ホテルで、海で撮った数々の写真が、プリンターからどんどん排出される。


「……楽しかったよね、ハル」


「そうだね……ハジメ」


「次の相手の事は、ゴマスから聞いたの?」


「それがね……まだなのよ、向こう側で色々と揉めているらしくて」


「なによそれ……あっ、もうすぐ閉店だし、フィルム現像機の終わらせ方を教えなきゃ」


 ハジメは、現像機の中にあるラックを洗浄する為に、取り外そうとする。


「ハジメ」


「なに? ハル」


 わたしは、ハジメが回収したラックを取り上げ、無理矢理キスをした。ハジメは慌てて、わたしを突き放す。


「ちょっとハル! 今、勤務中でしょうが! その身体になって、脳味噌下半身に移動したんじゃないでしょうね!」


「違うわよ……それにこの時間なら、もうお客さんが来ないって言っていたのハジメじゃない……あの、その……ゴメンね」


 思った以上に、ハジメを怒らせてしまい、シュンとするわたし。


「ああっ! もう面倒くさいなー! 別に逃げるわけじゃなんだからさ!」


「でも……これが最後のキスだと思ってね、なんか切なくて」


「切なくてもなんでも、強引なキスはやめてよね……少し、ハルは慌て過ぎなのよ、こんな状況とか抜きにしてね、生き急ぎすぎ」


 ハジメはヨシミと同じ事を言った。


「そんなに、わたしって、生き急いでいるのかな……」


「うん。でも、死に急ぐよりはマシでしょ……だからさ」


 ハジメはわたしに短いキスをする。


「これで、この店でやるのは最後よ。それに、夏休みはこれからでしょ。温泉と海は行ったから、映画館に夏祭り、花火……」


「それに、水族館とか遊園地、フェスにナイターにも行かなくちゃ……これから、忙しくなりそうね、ハジメ」


「だから……とっとと働け! 働かざる者、遊ぶべからずだよ!」


 ハジメはわたしの尻を叩くように、店内の機材の使い方や、商品の説明などを教えていった。お客が誰もいない店内で、ハジメと二人きりでバイトが出来るというのも、中々乙なもので、とても幸せだった。


「それじゃ、また明日ね。生徒会だっけ?」


 お店を閉じてから帰宅する際、ハジメはこれからの予定を確認しようと、スマホを取り出す。


「そうよ。午後から塾もあるから、終わってから、またお店で合流しよ」


「いつも忙しいね……わたしなら、とっくに疲れてぶっ倒れてるよ。ちゃんと休みなよ」


「いっそのこと、ハジメも生徒会に来たら?二学期は猫の手も借りたくなるくらい、忙しくなるだろうし」


「んー……考えとくよ」




 ハジメと別れた後、わたしはすぐに帰宅し、軽く食事とシャワーを済ませた後、ハジメの言うとおり疲れているのか、すぐにベッドで横になる。


 眠っていたら、わたしの頭上に誰かの気配を感じた。窓のほうへ目線を向けると、倒したはずである、十年後のわたしが幽霊のように立っていた。わたしは、中島を呼んでみるが、中島はそこにいない。ミネラルウェアに相転移できない。


 今だったら殺られる……。


 焦っていたら。未来のわたしが、窓の向こうを指さす。


「ハジメを救って」


 何を言っているのか分からなかったが、そんな事を言っていた気がした。パチパチと瞬きをすると、未来のわたしは煙のように消えていて、頭上をかすめるヘリコプターの轟音と、パトカーや救急車、消防車のけたたましいサイレンの音で、わたしは目が覚めた。


 夜の十二時過ぎだった。何事かと、眼下の街を見下ろすと、狼煙のように、船橋市の方角にポツンと紅蓮に燃えさかる輝きと、立ち上る黒煙が見えた。火事だろうか……嫌な予感がした。あの方角は、ハジメの家の方角だからだ。


「ヤバイわねー。まさか、ドーパントとはねー」


 いつの間にか、わたしの隣にゴマスがいた。


「……アレも、わたしの仕業って訳?」


「そうよー、厳密には七年前の和嶋さんの仕業よー」


「七年前って……十歳のわたし?」


「まあ、とりあえず説明は置いておいてー、とっとと着いてきてー」


 ゴマスはわたしの手を引っ張り、クローゼットの扉を開くと、そこは通販で買った衣装がギュウギュウに詰まったクローゼットではなく、どこかの外に繋がっていた。燃え盛る住宅街と、瓦礫の山になっているコンビニだった場所。消防隊、救急隊、警察官がわたしとゴマスの周りをグルグル走り、駆け回る。自宅から戦場のど真ん中に放り出された気分だ。


「ゴマス……説明して貰おうかしら。ここって、ハジメの家から近いコンビニよね、そのコンビニがこの有様って、まさかだと思うけどさ」


「ええー……ハジメさんがまた誘拐されたのー」


 わたしは、ゴマスをぶん殴ろうと思った。


「あなた達! 下がりなさい! ここは危険よ!」


 婦警さんが、わたし達を引き下がらせようとする。


「はいー危険だよねー、お勤めご苦労様ですー」


 少し機嫌が悪そうなゴマスが、空を見上げ、パンパンと手拍子をした。すると、わたしの周りの景色が、空間が無数に分裂し、複屈折が起き始める。三次元が二次元に、立体が平面に、赤が黒に、黒が白に……パズルのように、バラバラとなっていた無数のプリズムが、組み替えられ、わたしの目の前で「上書き」される。


 けたたましいサイレンも、燃え盛る住宅街も、崩れ去ったコンビニも、わたしたちを注意した婦警さんも、どこかへ消え去り、ケラの鳴き声が響き渡る、平凡な深夜の住宅街に戻っていた。


「以前も説明したと思うけどー、ドーパントというのは、不純物の名の通り、我々のEI内のルールを破って、ミネラルウェアとフラクチャーで好き勝手やってるクソッタレのことよー……あ、ゴメン、和嶋さんの事でもあるわよねー」


 何事もなかったように、ゴマスは話を続けた。


「クソッタレはどっちだよ! また、ハジメが連れ去られるってどれだけあなた達、インクルージョンはずさんなのよ! 中島は何をしていたの……って、中島は?」


 ゴマスは黙り込む。


「……まさか、やられたの? あの、中島が?」


「本来なら、NNユニットは、という概念は存在しないのー。EIの外側でバックアップされー、すぐに再構成される筈だからねー」


「じゃあなんで、中島は現れないの?」


「彼女が拒絶している可能性が高いのよー」


「はあっ? 拒絶ですって! こんな時に、引きこもっているというの? ふざけんなっ! わたしが連れ戻して、一緒にハジメを救うわよ!」


 ゴマスは拍手をした。


「おー、やっぱり和嶋さんなら、そう言うと思っていたわよー。それじゃあ、そのリングを貸してー」


 ゴマスは、わたしのリングを指さす。ハジメと交換したダイヤのペアリングを。


「……はっ? 嫌よ!」


「いやいやー別に盗るわけじゃないわよー、それしか中島の残骸が残ってないからねー、少し借りるだけよー」


「あんたらインクルージョンのという言葉が、どれだけ信用できないか分かってるの」


 ゴマスが、珍しくプロポーショングリッドを使っていた。瞳が以前、十年後のわたしを担当していたルチルクォーツにも似ていて、針のようなインクルージョンがウネウネと動いていた。


 ゴマスは指先で中島が分けてくれた半カラットのダイヤにチョンっと、触れる。


「これでOKよー」


「……なにが?」


「ダイヤモンドっていうか、中島をしばらく見つめてねー」


 ゴマスはわたしの服をめくり、ミネラルキーをわたしの鍵穴に差し込み回す。


「そんじゃ、いってらっしゃいー」


 遊園地の係員じゃあるまいし、ゴマスはわたしに思いっきり、これからジェットコースターに乗るかのように、思いっきり手を振る。


 どういう意味だよ……と思って、わたしはダイヤをジッと見る。


 中島の瞳……プロポーショングリッドと同じ、シンメトリーが整っていて、虹色の光彩を放つ均一なラウンドブリリアントの模様を、わたしのプロポーショングリッドで覗いてみた。


 すると、中心のテーブルにある、先端キュレットにある黒い点が、徐々に大きく拡大されていく。


 いや……違う……大きくなっているんじゃない。わたしが……小さくなっているんだ。ヤバイ……わたしの視覚が、脳が、意識が、中島のダイヤの中へと、どんどん吸い込まれていく。ダイヤの模様の外側にある矢尻が、わたしのプロポーショングリッドに呼応し、グルリと時計のように反転して、集中線のようになり、ダイヤの中へとわたしを誘導する。


 わたしは落ち続けていた。点は、円となり、穴のようになった。わたしの意識は見えざるなにかによって、鷲掴みにされ、先の見えない深淵へと引きずり込まれるよう。


 わたしはまっさかさまに、落ちてゆく、落ちてゆく、降りてゆく、降りてゆく、深淵へと……。




 ドスン! と、変な夢を見て、ビクッと起きあがる筋肉の痙攣……ジャーキングにも似た衝撃で、わたしは目を覚ます。


 目の前に湯気があがるコーヒーが見えたが、よく見ると、それはコーヒーのような紅茶であり、散らかったテーブルの上にあるモノは、全て色はなく白黒であった。白と黒のコントラストが極端に濃く、以前、合宿で撮った、赤外線写真の光景そのものだった。


「ハル? 随分、久しぶりね」


 見覚えのある部屋だ。白黒であったが、目の前で座りながら、編み物をしていて中島に似ている、癖っ毛の黒髪で、純白のワンピース姿の女の子がいた。そして、その少女の姿を見た瞬間、思わずわたしの頬から、涙が流れていた。この部屋……わたしと、大槻理……ミチとよく遊んだ、前に住んでいたマンションの部屋だ。


「ミチ……あなた、ミチなの?」


「もう……相変わらず、泣き虫だね、ハルは……そうだよ。わたしは紛れもなく……ミチだよ」


「でも……ミチ……あなた……確か、もう……」


「そう、わたしはもう亡くなっているよ。十歳の時、引っ越しの道中、車の衝突でね……ここは、NNユニットのIRよ。ハルの一〇五から、わたしたちNNは生まれたからね。今のわたしはハルの思い出と光と音とかで構成されているの」


 ミチは、ギュッとわたしを抱きしめる。変な違和感。ミチから体温も感じないし、匂いも感じなかった。


「変でしょ。容量が制限されていて、最低限の情報でしか、ハルと接する事もできないの……何も感じないのよ。でも、わたしはすごく嬉しいよ、幸せだよ。ハルと出会えて、こうやってお喋りできるんだから。プルートはまだ大事にしてるの?」


 わたしは、ミチを強く抱きしめる。


「ええ……大事にしているに決まっているでしょ……会いたかったよ、ミチ……すごく会いたかった」


「まあ……感動の再会はこの辺にしておいてさ……急いでるでしょ?とにかく着いてきて」


 ミチの部屋を出ると、立ちくらみがするぐらいの、とてつもなく広大な空間が現れた。


 ゴーッと、強い向かい風がわたしに当たり、よろけそうになる。目の前には、巨大な吹き抜け……というか、巨大な縦穴のような空間だった。地下へ向かって掘り進めていく、露天掘りをしたダイヤモンド鉱山のようで、段々とした螺旋状の回廊が、吹き抜けの外壁に張り巡らされ、回廊の崖沿いに窓のない真っ黒でキューブ状の建造物が点々と建ち並んでいた。


 建造物の素材を調べてみると、プロポーショングリッドに「キンバーライト」と表示されている。


 建物の中を覗いてみると、簡易的で病院のようなベッドが整然と並べられ、そこにNNたちが眠っていた。


「ここはね、わたしたち、活動していないNNユニットを一時的に保管しているストレージ……倉庫みたいなものよ。これから活動するわたし、役目が終わったわたしも一緒にまとめて、ここに眠らせておくの」


「ミチはどうして、起きているの?」


「ハルがココに来たからよ。わたしはハルの案内係みたいなもんでね、ハルがいなくなれば、わたしも眠ることになるわよ」


 この巨大な穴はどこまで続いているのだろうか。穴の底も天井の出口も先は見えず、どこまでも、どこまでも、穴は続いていて、消失点のような黒い点しか見えない。


「まるで、墓守りね……詳しくインクルージョンから聞くのを忘れたけど、あなたたち、NNって全部で何人いるのよ?」


「聞いてないの? わたしたちは、ハルの一〇五から生まれた存在だからね、EIの数に応じて、わたしたちは存在するのよ。だから現状、観測できる今のNNユニットの総数は大体、五十六億七千万よ」


「五十……六億ですって?」


 わたしはその数を聞き、あっけにとられた。じゃあなに……他にも五十六億七千万の分裂した世界があり、わたしがいて、ミチを模倣したNNたちがいるということなの……。


「ほんと、途方もない数字だよね。インクルージョン達はどこまでも強欲なのかしら。その真実を知ってしまったせいで、マトモでいられる筈もないのに……特に、単純で純粋な子供にはね」


 ミチは悲しそうに、同情するような顔で、わたしを見つめていた。


「それって、わたし?」


「十歳のハルには、あまりにも荷が重すぎた。真っ直ぐで正義感の強いハルにはね。わたしが、事故で死んだ直後でもあるのよ。他にも理不尽な目に遭っている人間はごまんといる。だから、この力でわたしは救うんだって……」


「……ハジメを誘拐したのは、壊れた十歳の……七年前のわたし?」


「壊れたというか、アレは怒りに近いなにかね。たった一人だけの力で救える訳がないし、インクルージョンたちが、黙っているわけがない。ねえハル……お願い……ハルを止めてよ」


 ミチが歩くのを止めて、とあるキューブの建造物の方を指さす。その中には、数え切れないほどの眠るNNたちに混じって、黙々と一人で「庭」のプラモデルを組み立てているNNの少女がいた。


「……ノブヨ」


「はあ……その名前は止めてください。わざわざ来たんですね……わたしの役目は終わりましたよ。代わりの、グレーディングの高いNNユニットが派遣されますから、わたしの事は放っておいてください。これを組み立てたら、わたしは眠ります」


「放っておくわけないでしょ。ミチ……ノブヨが、このまま眠ってしまった場合どうなるの?」


「記憶のフォーマット……初期化されて、別のEIに派遣されるわよ」


「だってさ、ノブヨ」


「はあ……だってさ、と言われても、わたしは十歳の和嶋さんに……」


「水臭いな……ハルでいいよ」


 ノブヨは少しだけハッとしたような顔をしてから、はにかんでうつむく。


「は、はあ……わたしは幼いハ、ハルにやられたんですよ!もう、用済みみたいなものじゃないですか……それに……」


「それに?」


「わたしは、鈴木さん……ハジメを守ることができなかった……わたしが……わたしが、未熟なせいで……」


 悔しくて泣いているのだろうか、ノブヨは顔を覆う。


「用済みかどうかは、ノブヨの上司に聞いてみて。わたしは反対だし、たぶん、ハジメも反対するわよ」


「ですが……」


「わたしは、ノブヨがいいのよ」


 わたしは、ノブヨにキスをした。


「はあっ……い、いきなり、な、な、なにをするんですか? 下半身に脳味噌が移動でもしたんですか!」


 ノブヨはハジメと同じ事を言った。


「へえ……恥ずかしがる余裕はあるんだ」


「当たり前です!」


 モノクロだけど、ノブヨは顔を赤くさせていると思う。


「それに、あなた……ハジメの事が好きなんでしょ?」


「……えっ?」


「ノブヨがわたしの一〇五から生まれたのだから、ハジメの事を好きになるのは分かるよ。今、あなたがココで寝たら、この数ヶ月の記憶……写真部やハジメの側にいた事、わたしとの出会いなんて、ノブヨにNNにとって、その程度の事に過ぎないの?」


「はあ……それは」


 ノブヨはダイヤの瞳で、わたしを真っ直ぐ見つめる。


「そんな程度だったとしたら、わたしはノブヨを許さないよ」


「それは……」


「違うの?」


「う……」


「それにしても、ここのIRはいいわよねー。誰にも干渉されず、傷つけられないで、ゆっくりと、静かに眠ることができて……スイッチを切るようにさ。ノブヨにとって、生きる意味ってなによ? それだけ、無意味なものだったの?」


「ち……」


「ち?」


「違います! ハル!」

 

 ノブヨは作りかけのプラモデルを放り投げる。


「うん、それが聞きたかったよ! ノブヨ!」


 わたしはノブヨを抱きしめる。ノブヨは、わたしの肩を犬のように頬をスリスリする。


「あなたたちって、不思議よね……初めはロボットみたいだと思ったら、妙に人間らしい所があったりして……」


「それは、ハルや鈴木さんのせいだから。わたしたちNNユニットは影響を受けやすいのよ。特にハルみたいな人間には……」


 ミチはノブヨが放り投げた作りかけの庭のプラモデルをキャッチしていて、興味津々に覗き込んでいた。


「中島……いえ、ノブヨ。上から連絡があったわ。最上位グレーディングの使用許可が通ったわよー、とっとと、準備しろー……だってさ」


「はあ……了解です」


 ノブヨはわたしを抱くのを止めて、トコトコと部屋の外へ出て行った。


「ハルも早く行きなよ」


「でも、どうやって帰るの?」


「簡単よ、そこの吹き抜けを飛び降りればいいのよ」


 ミチはわたしの唇に軽くキスをする。


「じゃあね、ハル……大丈夫、またすぐに逢えるから」


 ミチがトンと、わたしのおでこを軽く押すと、後ろの方へ体が引っ張られる。掃除機に吸われるように、みるみるわたしは、吹き抜けの穴の中にへと吹き飛ばされる。


 わたしは再び、落ち続けていた。底の見えない消失点にへと、無限のような落下を続けていた。徐々に、周りの景色が暗くなり、底の黒い点の面が大きくなっていく……水面に飛び込むように、点が完全な円となった瞬間に着水すると、そのままわたしの意識がどこかへ飛んでいく。




 ドスンッと身体が再びジャーキングする。


「でー、十二体のVSグレードで編成された上位コマンド用NNユニットが、先に向かっているけどー、全滅は時間の問題だねー」


「はあ……VSクラスがですか? しかも、十二体がかりでも止められないとなると、十歳のハルの一〇五は相当な……」


「状況を説明して」


「あ、おかえりー。NNのIRはどうだったー?」


 目を覚ますと、わたしはゴマスが運転する車内にいた。車窓の景色を見ると、市川市の南の方、湾岸沿いのハイウェイを走行していた。


 いつの間にか、わたしの姿はフラクチャードレスの姿にへと、変わっている。


「時間が無いから、簡単に説明するけど、十歳の和嶋さんは、我々のルールを破って、他一〇五所有者の和嶋さんとの戦闘を放棄……ドーパント化して、EI内の恒久的な破壊活動を行ったのー」


「はあ……一つのEI内の破壊だけなら、こちらで封じ込められるから、まだマシなんですが、十歳の和嶋さんは、想定外のミネラルウェアとフラクチャーを所持していた」


 ゴマスが、鉱物の欠片をわたしに放り投げる。ルビーのような、血のように濃い赤色の鉱物だ。


「コランダム……酸化アルミニウムのミネラルウェアよー。アンスラックスと十歳の和嶋さんは呼んでるわよー」


「アンスラックスですって?」


 離婚した父親が好きだったメタルバンドから命名してやがる。紛れもなく、そのネーミングセンスは幼いわたし自身である証拠だった。


「はあ……そのミネラルウェアの性質は、他の無機物をシンセティック……合成して、吸収する事よ。合成したNNユニットの権限を用いて、他のEIへ浸食を始めたの……あ、ヤバイ」


 ノブヨがそう言うと、ゴマスはハンドルを切り、アクセルを踏み出す。


「残りはー?」


「二……いえ、一です」


「な、なにが起きているの?」


 ゴマスはバックミラーからわたしを見る。


「和嶋さんー」


「なによ」


「BTTFって好きー? 我々は大好きよー」


 また何かの略称かと思ったが、その言葉の意味が分かったとき、わたしは思わず「まさか」と、小さな声で言った。


「そのまさかよー……中島! カウントー!」


「はあ……EIへの強制執行的干渉行為、五秒前です。ハル、準備を」


 ゴマスはアクセルを更に踏み込み、時速142キロどころか、200キロ以上のスピードでアストンマーティンを加速させていく。加速時の重力で、わたしは座席に後ろへと押しつけられる。


「ちょっと! ちょっと! ちょっと!」


 わたしは叫んだが、ゴマスは加速を止めない。


「二……一……」


 景色がパッと切り替わった。ハイウェイが妙に煙っぽくなる。霧かと思ったが、やけに焦げ臭い。当たり前だった。わたしの目の前で、わたしの住んでいる街……市川市が燃えているのだから。市川だけじゃなかった。隣の船橋や浦安、多分、都内の中心まで、空襲でもされたかのように、広い範囲で燃え広がっていた。


 向かって左の方はすぐ東京湾を見渡せるが、グルーっと京浜工業地帯、京葉工業地域が火の海になっているらしく、東京湾の外周が赤の光を放つ、一筋の線になっていた。まるで規模の大きいナイアガラ花火のよう。


「見つけました! ハジメを! マークします!」


 ノブヨはそう言うと、上を指さす。プロポーショングリッドで見ると、車の天井を透過して、黒煙と天然のものが混じった雲の向こう……。


「高度三千メートル……にハジメが?」


「あいつー……NNユニットに飽きたらず、自衛隊や在日米軍の武装を根こそぎ合成しやがったなー。ガンシップみたいになってんじゃないのー」


 ゴマスが何を言っているのか、分からなかった。雲の向こうで、雷のような轟音が鳴り響き、NNと思しき物体が隕石のように燃えながら落下し、ポッキリと折れたスカイツリー方面に墜落した。


「はあ……今のが最後のNN……次の攻撃がこちら来ます」


「上等じゃないー、中島! 上からIFグレードの使用許可が下りたよー、和嶋さんと一緒に、あのクソガキをぶっ壊してきてー!」


「いいの? あなた達は、わたし同士の戦いに干渉しないって言ってなかったけ?」


「これはー特例よー、ボーナスステージだと思ってもいいよー! なんせ、我々が束になっても勝てない相手を和嶋さんは……」


「来ます。105ミリ榴弾砲」


 空が光った。そして、目の前のハイウェイが隆起して、一瞬にして原型を留めないくらいに、爆散する。プロポーショングリッドが起動し、時間の流れがスローモーションになる。


 アスファルトの巨大な破片が、フロントガラスを突き破り、そのまま運転をしているゴマスを粉々に砕く、アストンマーティンの車体がエンジンごとひしゃげ、わたしとノブヨは車外へと放り出される。吹っ飛ばされたゴマスの右手が、ターミネーターよろしく、親指を立ててサムズアップしていた。


「はあ……容赦ないですね。挨拶もなしに撃ってくるとは、さすがハル」


「アレ? なんか、わたしの事バカにしてない?」


「はあ……事実を言ったまでですよ……相転移を開始、フラクチャーマント、ブラックダイヤモンドを起動」


 ノブヨが発光し、ガチガチという氷が割れたような音がした。そして、蝶の羽のような虹色の光沢を放つ、プリンセスカット模様のダイヤのマントが現れる。


インタナリー・フローレス内部無欠点……IFグレードユニットへのリロード」


 ノブヨの矢が、ノブヨの頭部に刺さる。刺さった矢がカチャカチャと音を立てて変形し、天使の翼をモチーフにしたティアラが出現した。


 それと、同時にマントと同じ材質で出来ているようなロングドレスが出現し、籠手、胸当て、すね当てだけという簡素な装備がドレスの上に重なる。まるで、その姿は……。


「まるで、戦場へ表敬訪問に訪れたお姫様ね……お似合いよ、ノブヨ」


「はあ……皮肉だと思いますけど、ありがとうございます。装備番号31337を申請」


 ノブヨが両手を上げると、虹色のプリズムを放ちながら、巨大な長弓がニョキっと現れる。


「ハル、時間を稼いで下さい。二分……いえ、一分だけでもいいんで」


「時間を稼ぐって……っていうか、あなたたちお得意の時間を停滞させるって事できないの?」


「はあ……出来るならとっくにやってますよ。ここは干渉できないEIなんです。十歳のハルが、わたしの仲間とインクルージョンを破壊したお陰でね……30ミリチェーンガンが来ます……頑張って」


 ノブヨが自分のマントをわたしに被せる。そして、雹が降ってきたかのような音がしたと思うと、数え切れないくらいの、敵意のこもった矢印が……弾丸のシャワーがわたしに向かってきた。


 ノブヨがくれたダイヤのマントのお陰で、着弾のダメージはなかったが、弾丸の集中砲火は留まることなく、わたしはマントを被りながら、その場を四つん這いで、踏ん張る事しかできなかった。弾幕で押しつぶされるなんて、聞いたことがない。


 この状態で、あの105ミリ榴弾砲でもくらったら、たまったもんじゃないと思っていたけど、案の定、数発わたしにぶち込まれる。


 衝撃波で、道路ごとわたしは吹っ飛び、隣の倉庫の屋上にへと落下した。


「ちょっと、ノブヨ! これじゃ、わたしの銃は豆鉄砲みたいじゃないのよ!」


「はあ……わがままですね」


 ダイヤの弓を構えているノブヨが小さな声で、そんな事を言った気がした。


 マントが、カシャカシャと音を立てながら、折り紙みたいに折り畳められ、ペアシェイプカットのような、楕円形状の巨大な盾となった。


 上空から再び、榴弾が撃ち込まれる。即座にドレスのスカートを対ショック用のアンカーにさせてから、足下を固定させ、盾を使って、わたしはバレーのように弾を打ち返した。ゴーンっと、寺の鐘みたいな音がしたと思うと、わたしの後方でクルクルと回っている榴弾が炸裂する。


 よく言うけど、非現実的な闘い方だなと、わたしでも自覚していた。次々と撃ち込まれる榴弾を、わたしはダイヤの盾を使って、弾き返していた。わたしと、ノブヨの周りだけが、次々と榴弾が起爆し、あっという間に爆炎と黒煙に包まれる。


「まだなの! ノブヨ!」


「はあ……もう少し……もう少しです!」


 弓を構えたノブヨの右腕が分離し、巨大な矢のような形となる。


 榴弾の砲撃がピタッと止んだ。


「……弾切れ?」


「はあ……嘘でしょ……グリフィン、ヘルファイア……」


「日本語で!」


「はあ……ミサイルです! 数は三百……五百!」


 空から無数の矢印が、納豆のように絡み合い、こちらへ向かってくる。


 わたしは、ダイヤの盾を地面に突き刺す。それを銃を固定させる土台代わりにし、わたしの両腕、スカートの触手を出来るだけ、作れるだけの狙撃銃を作り出した。


 プロポーショングリッドの情報が多すぎて、頭がクラクラするけど、それどころじゃなかった。ありったけの放散虫の弾丸をクソッタレミサイルに撃ち込んだ。


 そういえば、ハジメとまだ花火を見に行ってないなー、と思わんばかりに、ミサイルの爆発で夜空が閃光に包まれる。


 閃光の光の中、雲の向こうに、このクソッタレ爆撃をやっている張本人の姿が影絵のように浮かび上がる。その姿はまるで、巨大な……。


「テントウムシ?」


 撃ち漏らしたミサイルがノブヨに直撃し、わたしも手前にミサイルが着弾し、倉庫ごと崩れ落ちる。ダイヤの盾のお陰で、わたしにダメージは軽く、すぐにノブヨの元へと駆けつける。


「ノ……ノブヨ!」


「はあ……大丈夫ですよ。IFグレードのわたしに、あんな玩具が効くわけないでしょ……はあ……やっと、言ってみたかった映画の台詞が言えますね」


 ノブヨの右腕の矢は、細長い円錐状の矢に変化していた。キーンっと、何かが高速で回転している高い音がする。


「ノブヨまさか……地獄で会おうぜベイビーとか、陳腐な事言うんじゃないでしょうね」


「……」


 ノブヨはジーッと、こちらを睨みつける。図星だったらしい。


「はあ……ハルは気分を萎えさせる天才ですね……はあ……風速、方角、距離を確認、ほい発射」


 やる気のない台詞の後、ガシュンッ! という、耳が潰れそうな高音で、巨大なダイヤの矢が強い衝撃波と共に放たれる。その後、雲の向こうから、何回かつんざく雷鳴のような爆発音がした。


「はあ……ハル」


「なによ?」


 なにかと思ったら、ノブヨは突然、わたしにキスをした。


「こんな時になによ!」


「はあ……攻めは得意なのに、受けはからきし駄目ですか……違いますよ。わたしの瞳を見て、ハル。わたしのIRへと入ったようにね」


 わたしはノブヨの瞳を覗く。そして、ノブヨはキスを続けた。


 わたしはノブヨの瞳を覗く。ノブヨの瞳が、ラウンドブリリアントの瞳が、わたしを覗いていた。


 わたしはノブヨの瞳を覗く。ダイヤの先端の消失点に、わたしの、意識が、段々と……落下する。


 瞳にわたしが映る。わたしが、わたしを見つめていた。ノブヨが入れた舌から、静電気が流れたように少しビリッとした。


 突然、目の前が真っ暗になり。わたしの姿と、ハジメが映る。


 勉強をしているわたしとハジメ。


 映画をゲームを観たり、やっているわたしとハジメ。


 部活をしているわたしとハジメ。


 キスをしているわたしとハジメ……それを眺めるわたし……わたしは……なに、この気持ち、感情……嫉妬? 悲しみ?


「なによコレ……」


 気づくと、わたしはノブヨになっていた。いや……ノブヨがわたしになっている?


「はあ……フラクチャー合成処理を完了。キャリブレーションを確認。全チェック。モードをバイカラー二色ユニットに移行します」


 わたしの頭の中で、ノブヨの声がエコーのように響く。視界が妙にギラギラしていた。


「ノブヨ? っていうか、今のわたしが言ったの?」


「はあ……どっちもですよ。わたしとハルを合成したんです。当たり前なんですが、意識とかも同期されているんですから、しばらくの間、よろしくお願いします」


「うへえ……気持ち悪い」


「はあ……失礼な」


 わたしが頭の中にもう一人いる感覚だった。何かを考えると、もう一方でモヤがかかっている感じ。インクルージョンに「間借り」されたゴマスも、普段はこんな感じで過ごしているのだろうか。


「はあ……後藤先生は、少し違いますけどね、人間とインクルージョンですから……わたしとハル、ダイヤと真珠は相性がいいみたいです」


 わたしは、不慣れな感じに、頭に生えた翼のティアラをいじったり、材質や仕組みが未だによく分からないダイヤのマントをパタパタさせる。


「で……ノブヨはわたしと合体して、これからどうするの?」


「はあ……飛びます」


 トコトコと走ると、ハイウェイのアスファルトが水のように柔らかくなった。二歩、三歩と、どんどん足がアスファルトに膝まで沈み込む。


 ……それは、道路が柔らかくなっているんじゃなくて、わたしが力強く踏み込んでいるものだと気づいた。


「はあ……よいしょ」


 ノブヨのやる気のない声と一緒に、アスファルトがクレーター状にめくれ、わたしとノブヨは空高く飛び上がり、あっという間に、地面から遠ざかる。ダイヤのマントが、紙飛行機のように折り畳まれ、本当に蝶の羽となった。


「もう、なんでもアリね」


「はあ……今更ですね」


 ハジメが捕らわれたガンシップはすぐに見えた。ノブヨの矢の一撃で、随所に穴が空き、異臭を放つ黒煙をモクモクさせていた。


 それは、悪趣味なアルチンボルドのだまし絵のようで、銃器や戦闘機、戦車、戦艦、空母など、現代の兵器という兵器が、バラバラにされ、無秩序に寄せ集められ、コラージュされ、巨大な空飛ぶテントウムシのような飛行船となっていた。


「まるで、幽霊船ね……」


「はあ……幽霊飛行機とも言いますかね……あ、対空砲がきます」


 矢印が向かってくる。大小様々な弾丸、ロケットがテントウムシから、敵意を持って放たれた。


 わたしとノブヨは一緒にイメージした。ダイヤの翼を丸く折り畳み、巨大な矢に包まれ、テントウムシへと滑空する。


 触手から幾重にも重なったサブマシンガンを構え、ダイヤ製の方散虫の弾丸を撃ち放つ。


「はあ……器用ですね……弾丸を弾丸で弾き返すとは……なんか、映画かゲームで見たような気が」


「集中して……」


 弾幕を潜り抜けながら、テントウムシの穴の中へ突入する。ハジメが存在する方角へと、わたしと、ノブヨはがむしゃらに、雑駁とした兵器の山の中をかき分ける。


「ハジメ!」


 テントウムシの中心にある巨大な空洞へと出た。大理石の柱と無数の銃器に覆われた巨大なカテドラルのような空間だ。


 そこに、ルビーのような赤い鉱物に捕らわれたハジメと、着物姿の過去のわたしがいた。


「わー! お姫様がやってきた!もうー遅かったね!待ちくたびれたよー!ハルお姉ちゃん!」


「……話をしにきたわよ。クソガキ!」


 十歳のおかっぱヘアのわたしは、赤とオレンジが混じった、辰砂の顔料で染めたかのような着物を羽織っている。


「はあ……裸の上にですか……」


 そう、裸の上に羽織っているだけだった。だらしがない格好だと、言おうと思ったら、肌と呼ばれる箇所が。


「あなた……なんて、身体を……」


「エへへ……凄いでしょ? NNが、回復させてくれないから、無理矢理砕いて、わたしの身体を修理しているの」


 十歳のわたしの肉体は、虹色に発色していた。元のミネラルウェアであるルビーの他に、エメラルド、ダイヤ、トパーズ、アメシスト、トルマリン、オパール、ガーネット、ペリドット、トパーズ……数え切れない、鉱物の数々が歪なパズルのように、わたしの身体を合成し、補填していた。幾多の闘いから、その宝石の数々は、今まで刈り取ったわたし自身のミネラルウェアという事だろうか。


「あなたは、何人のわたしを……NNを」


「さあー、百ぐらいから、数えるのはやめたよ。他のわたしは弱すぎるのよねー」


「ハジメは関係ないでしょ? 解放してくれない?」


 気絶したハジメを十歳のわたしは、ぬいぐるみのように頬をスリスリさせる。


「いやよー。未来のわたしが好きになったものだもの。わたしのものはわたしのもの。どうせ、あなたはここでくたばるのよ」


 六条の星を放つ、スタールビーの瞳を発光させながら、十歳のわたしは、斧のようなものを取り出した。


 赤黒いルビーで出来てるかのような小さな手斧ハチェットをわたしに投げつけるのかと思った……が、彼女はそれをなんと、ギターのように構える。


「ハル!」


 ノブヨが叫ぶ。地面から、複数のNNが飛び出してくる。わたしを囲い込み、ショットガンを構えていた。


「お願い……タスケテ……」


 NNは小さな声で囁き発砲する。わたしは、スカートの触手を回転させ、NN達を足払いする。転倒したNNたちにすかさず、ヘッドショットを撃ち込む。


「えーっ! なにそれー! ズルイ! わたしも欲しいっ!」


 十歳のわたしは、ウキウキしながら、斧をギター代わりにして、キング・クリムゾンのレッドを鼻歌で唄っていた。


「なめてるわね……」


「はあ……あのミネラルウェア……キモノフラクチャーと呼ぶべきでしょうか。着物の裾から糸のようなものが延びていて、無理矢理合成させ、わたしの仲間を操っているようですね……まるで、操り人形のように……最高に悪趣味ですね」


 わたしは、十歳のわたしに向かって発砲する。操られたNNが、十歳のわたしを庇う……いや、盾にしやがった。


「はあ……このクソガキッ!」


 ノブヨが珍しく怒鳴った。


 倒しても、倒しても、わらわらと波のようにNNが這い出てくる。死んだような目で「タスケテ」と言いながら、わたしを撃つ、斬る、殴る、蹴る、掴む、投げてくる。


 わたしとノブヨは、NNの頭を、胸を、お腹を、両手を、両足を、ダイヤの矢で、拳銃で、散弾銃で、機関銃などで撃ち続け、砕き続けるが、頭を撃っても死なないゾンビのようで、NNたちは、たとえ手足だけになっても、わたしとノブヨを殺そうとしてくる。


 上半身だけとなった、NNがわたしの膝を掴み、わたしはバランスを崩し転倒する。すぐに、立ち上がろうとするが、十歳のわたしが、戦車でも撃つような、巨大な対物ライフルをわたしに撃ち放ち、そのまま地面に叩きつけられる。


 砕かれたNNたちが蟻のように、わたしに群がり、のしかかり、掴み、とうとう捕縛されてしまった。


「やっと! 動けなくなったわねー! 関心! 感心!」


 エアギターを止めて、十歳のわたしが近づいてくる。


「あなた、正気なの……仮にもNNは、ミチが元なのに」


「ああっ? だからよー。ミチの偽物というのが、わたしにはすごく許せないの。このクソが」


 十歳のわたしは、NNの生首を蹴りつけ、対物ライフルを発砲し粉々にする。


「はあ……反吐がでそう」


「同感よ。七年前のわたしって、こんなにヒドかったのね……母さんの言った通り」


「なに、独り言いってんの。その素敵なティアラはわたしが頂くわ」


 対物ライフルを至近距離でわたしに撃ち、ダイヤの肉体にヒビが割れる。そのヒビに、ルビーの斧が切り込まれた。斧の刃から、赤い血管のようなものが、わたしのミネラルウェアを浸食していく。プロポーショングリッドがけたたましく警告する。


「はあ……こうやって、十歳のハルは、仲間を強制的に合成していたそうですね」


「感心してないで、このままじゃヤバイでしょうが……次の手は考えているの? ノブヨ」


「考えてはいますが、少しタイミングが……」


 わたしを捕らえたNNたちの力が強くなる。ビキビキと、ヒビが割れる音がする。


「最後に言うことはない? 命乞い、悪態以外なら聞くけど。必ずわたしの最後の台詞って、このクソガキ! なんだよねー」


「あっそう。じゃあ、これでも喰らいやがれ、このクソガキ!」


 意識を取り戻したハジメが、わたしが言いたかった事を言い放ち、NNが持っていた拳銃をフルオートで発砲した。反動でハジメの手から、拳銃がすっ飛んでいくが。何発かがクソガキのわたしに着弾する。


「ああっ? このクソッタレがあっ!」


 時間を稼ぐには十分だった。ありがとうハジメ。


「クソッタレはお前だよ! このクソガキッ!」


 ノブヨが叫び、合成を解除する。二人羽織のように、ドレスの裾から、わたしが分離され飛び出し、一気にクソガキの懐に入る。


「ハーイ……悪い子には、お灸をすえないとねぇ」


「えっと……ちょっと、タンマ?」


 プロポーショングリッドに、弾数が表示される。その数五千発。十分だ。それらを一気にわたしは撃ち放った。


「踊りなさい」


 ダダダダダダダダダダダダダダダ頭をバババババ眼球をバババババ首をバババババ胸をドドドドド腹をドドドドドアソコをドドドドド肩をガガガガガ手をガガガガガ太股をガガガガガ膝をボボボボボ足をボボボボボ背中をボボボボボ全身を隈なく。


「踊れ踊れ踊れ踊れ踊れ」


 真珠の銃弾銃弾銃弾。クソガキは花火のようにスパークしバーストする。多種多様な銃声を放ちながら、クソガキの五体を集中的で均一的に、濁音の砲火を浴びせた。こういうのなんて言うんだっけ……蜂の巣風穴あきチーズ?


「タンマってぇ、いってぇいっるゥのォにぃイイィいいっ!」


 顔から足の先まで、ヒビだらけになったクソガキは、ヨロヨロと穴だらけの着物の裾で身を隠し、みすぼらしい格好で地面を這う。スタールビーの瞳がゾロリと抜け落ちて、コロコロと転がる。すごく惨めな姿だ。


「残り半分よ。正直言って、肩透かしだわ。まだ十年後のわたしのほうが……」


「ハル! うしろ!」


 ハジメが叫んだ。わたしの背中に衝撃が走る。胸に巨大なダイヤモンドの矢が突き刺さる。振り向くと、ノブヨがわたしに向かって、矢を放っていた。


「……はあっ? ハル! ち、違う……わたしじゃない」


「ひぃひィヒヒひひひぃ!」


 クソガキが、不気味にケラケラと笑う。


「だぁかぁらぁっ! タンマって言ってるでしょぉ!」


 クソガキがドロリと血溜まりのように溶ける。培養した菌糸のように広がり、ノブヨに刺さったルビーの斧にその菌糸が一斉に向かった。NNたちに捕まり、抵抗もできないまま、ノブヨは菌糸に蝕まれる。


「はあ……イヤ……ウソ、そんな……ハル……ハジメ、ハル、ハジメ……」


 ノブヨの瞳が、ラウンドブリリアントの瞳から、徐々にスタールビーの瞳にへと変化して……。


「ハルゥッ! ヒヒヒヒッ! このティアラは頂いたよぉ!」


 ノブヨの顔が、クソガキの顔になる。フラクチャーマントがドロリと血を浴びたかのように溶け出し、それが辰砂色の着物となった。加熱処理をする前の、黒い水玉模様を残したルビーのような着物の柄は、まるでテントウムシのようだ。ダイヤのティアラは禍々しく、鋭利に三日月状に伸び出し、まるで鬼の角のようになる。


「あなた、ノブヨを……無理矢理合成したの?」


「はーっ……中々の着心地……ねえ?」


 クソガキが、わたしを睨む。ヤバイ。プロポーショングリッドが警告した。


 ダイヤの柄を取り付けた斧を着物の裾から取り出し、刃の頭部分を肩に置き、まるでライフルを撃つような姿勢で、わたしに銃口を向けた。「死ね」と、クソガキは合成着色されたような真っ赤なダイヤの弓矢を発射する。わたしの銃弾で撃ち落とそうとするが、ダイヤの弓矢はわたしの弾ごと粉砕し、わたしを貫く。


 バトンのように、クルクルと斧をジャグリングしながら、クソガキは弓矢を放ち、こちらへ徐々に接近してくる。撃っても撃っても、銃弾は粉々に砕け、ダイヤの弓矢が、何度も何度もわたしを貫く。


「はーいっ! ホームランッ!」


 斧を振りかぶって、ガードしようと、わたしの左腕ごと切り裂き、そのまま吹っ飛ばす。大理石の柱に叩きつけられ、すぐに応戦しようと、銃を構えるが、ダイヤの弓矢がわたしの手を、足を、触手の数々が、杭のように弓矢が撃ち込まれ、身動きが取れない。まるで、昆虫標本にされた気分。


「ヒヒヒ! 正直言って、肩透かしだわぁ!」


 無邪気にケラケラと、笑い続けるクソガキ。ほんとに、ヤバイ……視界が段々と、暗くなってきた。


 わたしは、ふと、ハジメを見つめた。


 ハジメもわたしを見つめている。怒りも、悲しみも、恐怖とか、そんな感情を越えて、虚無の表情で、一筋の涙を流していた。


 ハジメと過ごした走馬燈がよぎる。あの……ありきたりな短い一言を……ハジメに今すぐ言わなくては。


「はあ……今日は散々ですね……あのまま眠ったほうがよかったかも」


 突然、ノブヨのエコーが聞こえる。胸に刺されたダイヤの矢から、ノブヨの声が聞こえてきた。


「ノブヨ? あなた……」


「静かに。とりあえず、今は時間を稼いで下さい。わたしに、いい考えがあります。合図しますので、そうしたら、わたしを放ってください」


 斧をブンブン振り回しながら、クソガキが、わたしに最後の一撃をお見舞いしようと、ゆっくり向かってくる。


「真珠のミネラルウェアって、どんな味がするんだろう? ホンビノス貝ぐらい、美味しかったらいいんだけどー」


「これで満足? いえ……満足な訳ないか、和嶋治様にとってはね」


 クソガキがピタッと、笑いを止める。


「ああっ? それはどういう意味だよ」


「自分が世界の中心だと思いこみやがって。あんたは、この世で自分が一番好きな、最低のクソッタレナルシストよ」


 皮肉だ。以前、ハジメの幻覚に言われた事を、今度はわたしがわたし自身に言っている。


「ミチが死んだからって、メソメソと自暴自棄になってるんじゃねえよ。どうせ、あんたもミチのことなんて、全然好きでもなんでもなくて、好きになっている自分に酔っているだけでしょ」


「……うるさい」


「これだけは言えるわ。あんたは、本気で誰かを愛する事なんてないし、あんたは誰かに愛される事もない。一生、孤独のまま死ぬのよ。情けなく、惨めに、害虫のように」


「うるさい、黙れ」


 はあ……なに、言ってるんだろ、わたし。そして、次が殺し文句。わたしが殺される文句かもしれない。


「そんなんだから、あんたは父親にも見捨てられたのよ。ハハハッ! ざまあみろだわ!」


「うるせーなっ!」


 クソガキは斧をわたしの頭に振り下ろす。


「ハルッ! 今です!」


 ノブヨは叫ぶ。刺されたダイヤの矢が、腕に手となり、ダイヤの矢を撃ち放つ。わたしとノブヨの奇襲に、あわてて斧を回転させながら、矢をガードする。何発かはクソガキに命中するが、小さな穴が空くだけで、とくに効果はなさそうだった。身体をポンポン触り、何事もなかったと分かると、ニヤリと笑う。


「ビックリしたなーもうー。こういうの何て、言うんだっけ……窮鼠猫を……」


 斧を持つ、右手が腕ごと落下した。


「噛む? イタッ……痛い?」


 クソガキは、突然うずくまる。


「ノブヨ、なにをやったの?」


「はあ……簡単です。痛覚フィルタリングのキルスイッチを内蔵した矢を放ったんです。ハルは以前の闘いで克服しましたが、十歳のハルは恐らく……」


「いたたたっ! なにコレ、いだいよぉ……痛い、いたい、イタい、いたいいたいいたいいたいいたい……いたいよおっ!」


 クソガキは、ゴロゴロと地面をのた打ち回り、口からゲロを吐き出す。虹色に輝くゲロだ。今まで、合成していた色とりどりな鉱物たちが、バラバラになり、クソガキの身体からドロリと分離する。


「なんでぇ……なんでこんな目にぃ……助けてよぉ! ミチィ! ママァ! パパァ! 痛いよぉっ! お願いっ! 助けてよぉ!」


 溶けた赤いルビーの涙を流し、嘔吐しながら転げ回り、手足が溶け、もげて、バラバラとなり、着物のフラクチャーがはだける。あまりにも、醜く無惨な姿に、わたしは目を背けた。


「はあ……だましだまし、合うはずもない他のミネラルウェアを合成していたのですから、その痛みは、想像も出来ないような苦痛ですよ……ハッキリ言って、ざまあみろです」


 胸から突き出たノブヨの手が、中指を立てる。手足に刺さった矢が溶けだし、わたしは自由となった。ゴーンッと重低音が響き渡ると、外壁がベリベリと剥がれ初め、テントウムシの幽霊船が崩壊を始める。


「お約束ってやつ?」


「はあ……ミネラルウェアのコントロールから解放された影響でしょうか、城と一緒に自爆って感じですかね……逃げましょう、ハジメと……と?」


 捕縛されたハジメの姿がいない。


「嘘でしょ!」


 ハジメは落下していた。崩落する幽霊船の破片に混じって。考える暇はなかった。わたしも、ハジメの後を追う為に、外壁を蹴破り、高度三千メートルの高さから落下する……なんか、今日のわたしって、落ちてばかりだな。


「ハジメッ! ハジメッ! ハジメッ! ハジメッ! ハジメッ!」


 崩落する銃弾、砲弾、爆弾、ミサイル、輸送機、戦闘機、装甲車、戦車、駆逐艦、空母を潜り抜け、わたしはハジメの後を追い続ける。


「ハジメェッ!」


 わたしは、ようやく辿り着いたハジメの手を掴む。気絶したハジメを抱きしめたら、後方からプロポーショングリッドが警告した。


 崩れかけたテントウムシが、こちらを向いて、砲身を向けていた。なんて……。


「はあ……なんて、しつこい。この執念、まさにハルですね」


「たわけが! ノブヨ、あのバカにプレゼントをするわよ!」


 わたしはイメージした。スカートを広げ、風船のように膨らませながら、直径一メートルを超す巨大な……巨大な真珠のクラスターを作り出す。一つだけじゃない。何個も何個も、真珠を産み続ける。


「はあ……ちょっと、ハル、それ以上クラスターを作り続けたら」


「構わないわよ! 身を砕いても、あのバカな……バカなわたしに、自分が本当の大バカでクソッタレだと思い知らせてやる! ノブヨ!あの台詞を今言うわよ! 一緒に!」


「はあっ? は、はい!」


「地獄で会おうぜベイビー!」


 ノブヨの矢がテントウムシに放たれる。わたしの巨大な真珠のネックレスと一緒に解き放たれた。


 数珠繋ぎの輪になって、テントウムシに引っかかり、そのまま起爆する。円環状に強い衝撃波が起きて、小さな爆発から連動して、巨大な爆炎となる。元々、テントウムシは兵器の詰め合わせなのだ。


「はあ……よく燃えますね。まるで、地雷撤去用の爆導策ですかね」


「クソマジメに解説してないで、着地の手伝いをしろっ!」


「はあ……了解。対ショック用、フラクチャーを展開。衝撃に備えてください」


 ガラスのように薄い、ダイヤのマントがわたしたちを包み込む。


 そういえば、ダイヤのルースって、床に落とすと、ラグビーボールみたいに、どこかへ吹っ飛ぶか分からないんだよなー。と、思い返しながら、わたしたちは高度三千メートルから地面にバウンドする。工業地帯の工場や倉庫の屋根を、鉄骨を、謎の機械を、段ボールの山へと、ボールの中に入ったハムスターみたいに、なすがままに弾み続けた。


 いくつかの工場の壁を突き破り、わたしたちはどこかの港の埠頭へと不時着する。


「だ……大丈夫?」


「はあ……これで大丈夫です……もう限界、唐揚げ食べたい」


「はっ……はははっ……す、凄かった」


 気付くと、ハジメが意識を取り戻していた。


「ハジメ! 大丈夫? ケガはない?」


「お陰様でね……ハルが来るのを信じていたから。っていうか、ハル……その身体」


 わたしはハジメを抱きしめる。ハジメもわたしを抱きしめるが、わたしに「背中」と呼ばれる箇所が無くなっているのを、ハジメに抱きしめられてから気がついた。


 背後で、複数の爆発音がした。空から、テントウムシの残骸が燃える隕石のようにバラバラになって、わたしたちの街に降り注ぎ、爆発、炎上する。わたしとハジメは、その終末的光景をポカーンと眺めていた。


「綺麗な光景ね……」


「当分……花火はいいかな、あと、遊園地ね……これで、一生分のスリルは体験したと思うから……ハル」


「一生分なんて、言わないでよハジメ、まだ……まだ、わたしたちは」


 プロポーショングリッドが警告。ノブヨがわたしたちを庇う。小さなダイヤの矢が、羽虫となって、銃弾を撃ち落とす。


「はあ……これで、弾切れ……後はヨロシク……」


 ノブヨのエコーがフッと消えた。燃える瓦礫の中から、真っ赤でグロテスクに溶け出した着物を羽織り、ヒビだらけ、穴だらけの身体を、ルビーの手足を酷使して、わたしたちに銃を構える。


「どぅしぃテッ! どぉしィって! わァタァしィがァあッ! こんなァッ! ゼッタイにィ、ユゥルゥサぁなィッ! オマエぇらぁっ!」


 それは、慟哭なのか、懇願なのか、憤怒なのか……よく分からない。いや、壊れたクソガキは、訳も分からず、ただただ叫んでいるようだ。


「ほんと、わたしって……わたしって奴は……ほんとに……はあ……ハアアアアアアルウウウウッ!」


 わたしも叫んだ。


 残った両腕を使って、わたしは虫のように、這いつくばって、クソガキの元へ向かう。


「ひィ……ヒヒヒッ! 来るなァ! くるなあああっ!」


 クソガキは、わたしに発砲する。プロポーショングリッドの警告。


 構うものか、肩の部分が欠ける、構うものか、片目が欠ける、構うものか、頭が欠ける、構うものか、構うものか、構う……。


「構うものかああああっ!」


 わたしは、クソガキの首根っこを掴みかかり、そのまま東京湾へと一緒に沈む。


 どこまでも、どこまでも、わたしたちは暗い海へと沈み、淀んだ深淵へと潜り続ける。銃が使えないと分かると、クソガキはルビーの斧を使って、わたしを叩き割ろうとするが、わたしはスカートの触手を使って、振りかざした斧ごと真珠の触手で叩き壊す。


 わたしはクソガキに頭突きをお見舞いする。スタールビーの瞳を覗き、わたしは心の中でシャウトする。


「わたしは、わたしが大嫌いよっ!」


 バキッと音を立てて、右手でクソガキの首を割る。クソガキの割れた首元から、見覚えのあるプリンセスカットの鉱物……一〇五が露出する。なんて、不純物ドーパントが多くて、傷だらけの一〇五なんだろう……わたしの意識は、そのまま一〇五の中へ……割れ目へ、山のような頂から、そのまま渓谷の底へ、EIへと……わたしの意識が、魂が沈み、落ち続けていく。




 目を覚ますと、再びIRにいた。目の前でスーツ姿の母が泣いたまま、時間が停滞していた。


「なんで……なんで、ココに来ちゃうのよ」


 そこは、駅のホームだった。この時間を、この場所をわたしは忘れる事はない。


「あの電車にパパがいるの」


 そう、この日はわたしの父親が、母と別れた日。あの遠ざかる、特急列車に父親が乗っていた。時間が結晶化していて、駅のベンチに座り、顔を覆う母親。その向こうに、父親が乗る電車を見送る、小学校の制服姿の、幼いわたしがいた。


「今回も酷い死に方よね……ほんとにヒドイ……」


 父親が乗った電車のすれ違いざまに、通過した貨物列車が脱線したのだろうか、化学薬品を積んだ貨物が、こちらに向かって飛んで来ている。


「はじめはね、この力で人助けしようと思ったのよ。アニメの魔法少女のように。他の不幸な女の子を救おうと思ってね」


「それって、ミチのこと……」


「そう。ミチのように、理不尽な目に遭う子を……そうしたら、奴ら……インクルージョンは、そんな事をしては駄目だって……それで、わたしにミチの偽物を……許せなかった」


「わたしは偽物じゃないよ」


 どこからか、ヒョッコリとミチが現れた。


「ミチ……どうしてココに」


「すぐに逢えるって言ったでしょ。あまりにも、可哀想だからね……一緒にいてあげようと思ったのよ」


 ミチは十歳のわたしをギュッと抱きしめる。


「ああっ……ミチ……ミチィ……わたし、わたしって……ミチの為に……」


「うん、分かってるよ……変わらず、泣き虫だなーハルって……ほんとに、バカよ……ハルって」


「わたし、怖いよ……死ぬのが」


「案外、それが怖くないのよ。一瞬だからね」


 ミチは、十歳のわたしの上着の裾へと手を入れる。カチリという音がすると、ミチはわたしに一〇五を放り投げた。


「受け取ってハル! これは、あなたのものよ……ねえ、ハル……十歳のハルが起こしたことは、あながち、間違いではないと思っているの」


 ギュッと、ミチは更に強く、十歳のわたしを抱きしめる。


「それはいったい、どういう事なの? ミチ」


「だって……だってこのEIたちは、インクルージョンだけのものじゃない。この現実たちは、この物語たちは……あなたの」


 時間の結晶化が終わり、脱線した貨物列車が、こちらに突っ込んでくる。今日、何度目かの爆発が起きて、ミチと十歳のわたしが抱き合いながら、炎に包まれる。二人ともやりたかったのか、わたしに向かってサムズアップをした。


 爆風に飛ばされながら、わたしも後ろのほうに強く引っ張られる。爆発の閃光が小さくなり、駅のホームからアイリス・アウトする。一〇五が、わたしの手元を離れ、わたしを矢のように強く貫く。


「ハル!」


 再び、目を覚ますと。目の前に、ハジメとノブヨ、ゴマスがいた。ハジメの膝枕の上で、わたしは辺りを見回す。


 さっきまでの、爆煙に包まれる工業地帯、燃える街並や隕石のように降り注ぐテントウムシ、油と硝煙が混じったような臭いは消え失せ、クビキリギスとケラの声が鳴り響く、わたしの……わたしたちの、街へと戻ってきたのだ。


「戻ってきたの?」


「おかえり……ハル」


「はあ……おかえりなさいハル」


 わたしを強く抱きしめる二人。そんなわたしを見下ろす、琥珀色の瞳を爛々と輝かせるゴマス、もといインクルージョン。


「……あと三つね、ゴマス」


「そう……そうよー、あと三つよー。おかえりー和嶋さん」


 そう言って、ゴマスはニタァーと笑うのだった。

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