チャプター5 Blind Faith

 飛行機のジェットエンジン音が聞こえた。


 意識が戻ると、寝たことのないベッドと枕の感触。目を開けると、見知らぬ女性が、わたしの隣に寝ていた。


「起きた? ハジメ」


 その台詞から、裸で寝ている彼女が未来のハルだと分かるまで、わたしは悪い夢でも見ているのだろうと、本気で思っていた。


「ここは?」


「幕張のホテルよ。ハジメ言っていたじゃない。人生一度でもいいから、わたしと高級三つ星ホテルの一番高いところに泊まりたいって」


「……そんな事を言った覚えはない」


「あるわよ……いえ、これからそう言うのよ」


「あなたは、未来のハルなの?」


「そう。今から十年後の……二十七歳の和嶋治よ」


「なんで、未来のハルがわたしと寝ているの?」


「純粋に会いたかったから。これまで、二十二回……わたしは、別のわたしの世界を行き来してきたけど、ハジメと会わなかったパターンも存在していて、十回振りなのよ、あなたと出会うのは……」


「だから、我慢できずにわたしを気絶させてから、拉致して……マッパにして……寝たと?」


「怒ってる?」


「怒ってないよ」


 ハルはヨッシャと言わんばかりのガッツポーズをした。


「って、そんな訳あるかっ! このアホ! 変態!」


「そんなー! お願い! ハジメ! クンニさせて! JKの生クンニ!」


「藪から棒に、なに、とんでもない事言ってるんだ! わたしゃ生ガキかっ!」


 未来のハルは、わたしの股に顔を突っ込むのを止めた。


「どうしたの?」


「エへへ……ハジメ、好きだよ。ずっと、ずっと……好きだったんだから」


 ハルはわたしをギュッと抱きしめる。甘い柑橘系の香りがした。きっと、ハルがわたしの好みに合わせたのだろう。何となく嬉しかった。わたしもハルを抱きしめようと思ったが、寸前のところで躊躇してまった。


「ハル……こういう場合、わたしも……って言うべきなのかな」


「それは言わなくていいよ。ただ、怖いの。わたしは、過去から未来までの様々なわたし自身をこのクソみたいな、身体と剣で……言葉も喋れない頃のわたしを斬り殺した感触を今でも……」


「やめて、ハル」


「どうしてわたしなの? 強い因果律を持っているだけというのに、どうして……どうして、わたしがこんな目に……」


 いつのまにか、わたしは右手に、ハルの真珠の銃を持っていた。


「いっそのこと、その銃でわたしを撃ち抜いて。大好きな人に、抱かれながら楽になるのも、それはそれで悪くないかも」


 ハルはわたしの持つ銃をゆっくりと動かして、銃口をハルの頭部に向ける。


「本当にやめて、ハル」


「お願いよ……ハジメ、こんな苦痛、もう嫌なの……お願い、撃って」


 ハルが握る手の力が強くなる、冷え性のハルの右手が更に、冷たくなっていき、硬くなり、ボロボロとエメラルドの欠片を落としながら、ミネラルウェアの姿へと変わっていく。わたしを見つめるハルの瞳が歯車模様トラピッチェになっていた。


「見て、この醜いわたしの姿を……ねえ……ハジメ……撃ってよ!」


「……ダメ、撃てないよ、ハル」


「うん。ハジメ、あなたがそれをやる必要はない」


 ゴリッと、未来のハルに銃が突きつけられる。十七歳のハルが、二十七歳のハルの頭部に、銃を向けていた。


「ハル! 待って!」


 ハルは発砲する。未来のハルの頭部が、緑色の粉塵を飛散させながら、ハンマーで石を叩き割るように粉々に砕かれる。残った口元の破片が、ボソッとわたしに言った。


「ハジメ、これはわたしだけじゃないの、あなたの物語でもあるのよ」


 ハルの破片にわたしが映る。わたしが、わたしを見つめていた。


「わたしは……ハジメの事だけ見てるよ」




 なんて、夢だ……いや、夢でも何でもないか。


 クビキリギスの高い鳴き声が聞こえた。わたしは再び目を覚ます。十数年間、飽きたくらいに見慣れた自宅の天井と、六畳間の自室の匂いがした。


 わたしとハルのいる世界は、偽物だとインクルージョンは言っていた。そうなると、わたしの隣で眠っているハルも、わたしにも偽物という事になってしまうのではないだろうか。マジで、なんて最悪な冗談なんだろう。


 こういう状況でも、七月の期末試験が近づいていた。中間試験の結果があまり良くなかったわたしに、ハルは特訓と称し、わたしの家にやって来ては、みっちり勉強を教え込まれる。


 お人好しな母親のせいで、いっその事、泊まっていけばと提案され、土曜日には決まって、毎週のようにハルが泊まりにやって来た。


 ハルと勉強して、ゲームして、勉強して、映画観て……を永遠繰り返していたが、これはこれで、中々楽しい。


「ハジメの家って、お母さんと二人暮らしなの?」


「ん? そうだよ。父親はわたしが小学生の頃、事故で死んじゃったの。普段カメラマンの仕事で、車とかヘリとかに乗って、危険な場所に行っていたはずなのに、スクーターでコケただけでね……ポックリよ」


「……お母さんも大変だったのね」


「ハルもでしょ。お互い様よ」


「わたしの場合はただの離婚よ。事故死と離婚。父親がいなくなる理由に対して、月とスッポン」


「ハルはわたしに、嫉妬してるの?」


 ハルは、寝ているわたしの頬をツンツンする。


「ううん、嬉しいだけ。たまたま好きになった相手が、同じ境遇なのがね」


「ふーん、同じ境遇ね……ちなみにわたしは、いつでもハルに嫉妬してるよ」


「うん、わたしはそれでも構わない」


「……そういえば、わたしたちって、これからどうなるんだろう」


「分からないわよ。でも、インクルージョンが言っていたけど、まだその時じゃないみたい」


「その時って?」


「さあ? せめて、期末試験が終わるまで、勘弁して欲しいわよね。もうしばらく、こうしていたいから……」


 そう言ってから、しばらくして、ハルはシクシクと涙を流す。


「ゴメン……ハジメ。わたし耐えられないかも……わたしがわたし自身を殺すなんて……こんな、こんな事……」


 声を嗚咽させながら、ハルはわたしの胸元に飛び込む。わたしは何も言わず、ハルを抱きしめて、背中をポンポンする。


「ありがとね……ハジメ。これで、何度目か分からないけど……」


「ううん。いいよ……いいんだよ」


 ハルは弱い子だった。未来のハルでも、今のハルでも、ハルはみんなが思っている以上に、弱い女の子だったのだ。




 次の週の事である。教室の様子がいつもよりおかしかった。


 と言っても、わたしは常に、教室で孤立しているので、「いつも」を知らない。けれど、鈍感なわたしでもすぐ感じるほど、何かが変だった。チラチラと、クラスの連中が、わたしの事を見ている気がしたのだ。存在そのものをクラスから無視されているわたしにとって、大事件である。


 体育の時間。否が応でも、アウトサイダーなわたしは、サイズが合っていないダボダボなジャージ姿の中島と組まされ、ずっとピンポンをしていた。


 ただピンポンをするだけではつまらないので、わたしはカリカリ梅を、中島はコンビニの焼き鳥を賭けて勝負する。


「はあ……そもそも、なんで鈴木さんは友達いないんですか?」


「中島は、会話のほとんどが、マジ、ウザい、ヤバイ、ウケる、の連中とツルみたい?」


「はあ……冗談じゃないです」


「でしょ? つまりそういうこと」


「わたしから言える立場じゃないけど、そんな変な所に意気地になってるから、いつまで経っても友達できなんですよ」


「余計なお世話だよ!」


 わたしの大声が、体育館にこだまする。他にピンポンをしている集団と、バレーボールをしている集団が、わたしたちの事をしばらく見ていて、ヒソヒソと何かを話してから、そしてすぐに元の球技に勤しむ。


「……今日の朝からこの様子よ。わたしなにか、変な事した?」


「はあ……たぶん、あまり良くない噂がのぼっているせいだと思う」


「良くない噂って?」


「和嶋さんと、鈴木さんとの関係よ。付き合ってるんじゃないかって」


「へえ……へっ?」


 明らかに手を抜いてるのが分かるくらい、トロトロと中島が打ち返したピンポン玉をわたしは空振りする。


「はあ……誰かが、あなたたちの関係を快くないと思っているそうですね」


「まあ……驚きはしないけどさ。一応、ハルはこの学校の生徒会長だし……わたしとハルがツルんでいる時点で、変な話なのよ」


「どうする?」


 中島が、ミネラルウェアを起動させているのか、瞳がダイヤのカットの模様になる。


「……どうするって?」


?」


 なんて、冷たい目をしているんだろう……やっぱり、腐っても人間の偽物……いや、いや、いや、そんな事を思うなんて、わたしらしくもない。


「それはやめて、ノブヨ」


「はあ……っていうか、その名前はやめてください」


「これは、わたしたちの問題だからね、勝手にあなたたちが干渉したら、許さないよ」


「はあ……どうしてですか?」


「どうしてもよ。自分たちの問題に、あんたらが干渉するのが、何となく気に入らん。ズルしてるみたいで……ねっ!」


 わたしは中島が打ち返した、ヘロヘロと飛んできたピンポンをスマッシュする。中島が立っている位置から遠くの方の面ギリギリにバウンドして、「やったぜ!カリカリ梅ゲッツ!」と思ったら、何もない所から、ピンポンが打ち返される。それも、肉眼で追いつけない速さでだ。わたしの背後の窓ガラスがパアンッ! と、風船が割れたような破裂音を立てながら、一斉にバリバリと割れる。


「はあ、強すぎた」


 なぁにが強すぎた、だ。


 何事かとザワザワと騒がしくなる体育館。誰もピンポンでやったと思わないから、呆然と立ち尽くすわたしたちには、誰も気にもしなかった。


「……おい」


「はあ……なんでしょうか」


「なんでしょうかじゃないよ! ズルしたでしょ?」


「はあ……なにをでしょうか?」


 白々しく、中島は口笛を吹いていた。


「やっぱり、あんたらには任せておかないよな……カリカリ梅に酢昆布も奢れよ」


「はあ……酷いです」


「どっちがだよ!」


 わたしは中島のほっぺたを両手でつねる。


 


 放課後、今日もハルとのテスト勉強の為、部室に向かってみると、部屋の電気が点いていた。先に、ハルが部屋で待っていたのかと思って扉を開けると、そこには見慣れない女生徒が座っていた。


 先輩だろうか。わたしほどではないけど、背が高く、日に焼けた小麦色の肌が印象的な、身体が引き締まっていて、妙に優しそうな顔をしていた。典型的な運動部女……というのが、第一印象。


「今は、試験期間中でしょ? 部室の使用は禁止されていますよ」


 運動部女は開口一番、わたしにそう言った。


「あ……すみません。待ち合わせているだけなので、合流したらすぐに帰ります」


「ふうん。待ち合わせって……和嶋さんのこと?」


 わたしは、ギクッとした。っていうか、どうしてこの女はその事を知っているのだろう。


「わたしに見覚えがない?」


 反射的に、見覚えがないと言おうとしたら、残念ながら見覚えがあった。


「副会長……上舘先輩」


 そう、上舘芳美……ハルの腰巾着みたいに、ずっとくっついてきてる、陸上部の名スプリンターであり、ハル同様、才色兼備、頭脳明晰である、わたしとは明らかに違うタイプの人間。


 で、その副会長様が、わざわざ写真部の部室にいるという事は、別に試験期間中だからといって、わたしに注意しに来ただけというわけではないだろう。


「ハル……和嶋さんの事ですか?」


「あら? わたしなにも、和嶋さんのことを言っていないのに、どうして分かったの?」


「わたしに用がある人なんて、大抵彼女の事ですよ……で、用件はなんですか?」


 上舘先輩は、コツコツと、やけに大きな足音を立てながら、壁に貼られたハルとわたしの写った写真をマジマジと見ていた。


「和嶋さんとの付き合いはどれくらいなの?」


「わたしがここへ入学してからです……だから、三ヶ月ぐらいでしょうか」


 その三ヶ月間が、わたしには恐ろしく濃くて、長かった気がする。


「それにしては、随分親密そうにしてるわね、あなたたち」


「はは……趣味が合っていたんでしょうね……」


「ふうん……」


 上舘先輩は、心霊スポットに行って、記念撮影をしたハルとわたしが写っている写真をトントンと、指で叩いていた。何か、様子がおかしい。


「あの……上舘先輩。どうかしたんですか?」


「わたし、和嶋さんが好きなの」


「……はっ?」


 上舘先輩の口から、とんでもない言葉が出てきた。わたしは一時停止し、気まずい沈黙が流れる。


「えっと……聞き間違いのような気がしたんですが。和嶋さんと、何ですって?」


「ハルと付き合ってるの」


「付き合うって?」


 落ち着けわたし。


「とぼけないで、そんなの恋人としてに決まっているでしょ」


「……はあ。わざわざ、それをわたしなんかに、教えてどうするんですか?」


「アレ? 少しは動揺したら?」


「動揺もなにも、なにがですか」


 あー、そういうことね……とどのつまり、さっきの中島の話が本当なら、わたしとハルの関係の噂を垂れ流している張本人は、この副会長様の可能性が高い事になる。鈍感なわたしでもそれくらい分かった。


 しかもわざわざ、わたしにそれを教えてあげたいくらいに、上舘先輩はわたしに嫉妬していたのだろうか。そうだとしたら、なんかカワイイ気がした。


「……だから、わたしはあなたに言っておきたい事があるの」


「ハルに部活を辞めさせたい、そして、ハルとわたしがこれ以上、付き合うのを止めろ……でしょ」


「あら? 話が早いわね」


「ちょっとの想像力がありゃね……」


「なんか言った?」


「いえ……で、どうぞ」


 副会長はわたしの言葉にキョトンとする。


「ん? どうぞって?」


「わたしがハルと付き合うのをやめろっていうなら、どうぞお好きに。でも、上舘先輩は肝心な事を忘れている」


「……なにが?」


「ハルの意見よ。上舘先輩は自分だけの立場でしか言っていないですよね? ハルの意見は? 偉そうに……あなたはハルの何を知っているというの? ハルがどうしてサブカルクソ女なのを知っている? ハルがどうして甘党なのを知っている? ハルがどうして泣き虫なのか知っている? ハルがどうして無理に強がっているのか知っている? ハルがどうしてわたしの事を……なにが、付き合ってる……だよ。ふざけんな」


「ハジメ……」


 気付くと、ハルがわたしの隣にいた。ハルはわたしの肩に手を置いて、首を横に振った。


「ヨシミ……返事は学期末の筈でしょ」


「ふふ……我慢できなかったのよ。それに、鈴木さんがどんな人だったのか、気になっただけ。でも、よく分かったわよ。ハルが好きになる訳ね」


 副会長は、またコツコツと大きな足音を立てながら、部室を立ち去っていった。


「はあああっ……ごめん」


 中島以上の、ため息をするハル。


「どうして、ハルが謝るの?」


「だって……ヨシミがね……聞いちゃった?」


「うん、何となく。でも、何となく嬉しかったの」


「嬉しかったって?」


「わたしなんかが、副会長の上舘先輩に嫉妬されている事にかな……」


「……ハジメ、相変わらず変わってるね」


「ハルもでしょ。それに……上舘先輩がハルと付き合うなんて、到底、無理な話よ」


「どうして?」


「だってハルだからよ。サブカルクソ女で、泣き虫で……もうっ! 同じ事、何度も言わせんなっ!」




 翌日、ハルが学校を休んだ。これまで、無遅刻、無欠席だったので、学校で話題にならない訳もなく、先生や生徒たちの視線の先は、昨日以上にわたしにへと向かっていた。電話やメール、LINEとかでハルに呼びかけても、返事はない。一応、既読にはなっているので、初めてハルに既読スルーされていたのが、凄くムカついていた。


「はあ……だから、上書きしましょうか?」


 中島がどこから持ってきたのか、お中元用の肉のカタログを読みながら、サラッと言う。機嫌の悪いわたしは、無言で中島を睨みつける。


「はあ……ガンとばさないで、怖いです……何でもないです」


 放課後、わたしは一目散にハルの自宅マンションに直行した。オートロック式なのでエントランスのインターホンを押してみたものの、留守なのか返事がない。


 ハルのお母さんがいたらいいのにと思ったけど、出張でインドに行っていると、ハルが言っていたのを思い出した。


 となると、他にハルがいそうな場所はどこだろう。わたしは、思いつく場所をくまなく探し回った。レンタル店、映画館、ゲームセンターに……いた。ゴスロリっぽい目立つ格好だから、すぐに分かった。ハルはかなり前の「バーチャファイター」をやっていた。


 わたしは、ハルに気付かれないよう、反対側の座席に座り、乱入対戦プレイをする。結果は、コンシューマー版でハルとやっていたように、わたしの大惨敗であった。なにをどう食って生活していれば、こんな鬼畜のようなコンボができるのか、いつも疑問に思っていた。


「ハジメなの?」


 ビックリしたハルがヒョッコリと、筐体の上から顔を出す。


「お、よく分かったな」


「いつも、一緒に対戦してるでしょ。分かるわよ、ハジメのプレイぐらいは……なんでココが分かったの?」


「何となくよ……それにしても、ハルが学校をサボるとはねー」


「意外?」


「ううん、意外でもなんでもないよ……で、これからどうするの?」


「どうするって?」


「ハルがただ一日、ボーッと何も考えないで、学校をサボっている訳がないでしょ」


「……ふふ、そうね……ハジメ、明日さ、学校一緒にサボらない?」


「サボる?」


「今日は、その準備をしてきたの。ちょっと温泉にでも行かない?」




 そして次の日、試験期間中にも関わらず、わたしは学校をサボった。そういえば、高校に入ってから、仮病で休んだのは初めてかもしれない。いつも通学で利用している電車に乗らず、ファミレスでドキドキしながら普段なら学校が始まる時間まで待機し、トイレで私服に着替え、錦糸町駅でハルと合流した。


 さすがに、暑いのか薄着にはなっていたが、相変わらずゴシックな服装のハルは、サラリーマンでごった返す駅の中で一際浮いていた。


「どうだった?」


「一応、やってみたよ。ハルのお母さんの声はよく分からないけどね、体調不良で休むとは言っておいたよ」


「ありがとうっ! わたしも、ちょっとドキドキしたけど、ハジメのお母さんになったつもりで、お腹痛いって言っておいたから!」


「わたしゃ、現にストレスでお腹が痛いわ……で、これからどこに行くの?」


 ハルはポケットから鍵のようなものを取り出した。ハルがいつもミネラルウェアへと姿を変える真珠の鍵ではなく、普通の金属の鍵だった。


「それは?」


「甲府の別荘の鍵よ」


「甲府? 山梨の?」


「そう、でも総武線と中央線で一直線よ!……大体、三時間掛かるけどね」


「……三時間」


 


 お茶の水から中央線に乗り換え、新宿辺りを過ぎると、一気に通勤で通う人が減り始める。わたしとハルは、空いた席に座りながら、駅のホームを忙しそうに往来する人達をボーッと眺めていた。


「こうして見ると、この世が偽物だなんて信じられないよねハル」


「偽物だろうとなんだろうと、わたしたちは、本物だし、今こうして生きていて、試験前に学校をサボっているから、勉学に励まなきゃいけないの」


 そう言ってハルは、わたしにプリントを渡す。


「……これは?」


「今度のテストに出る英単語と文法をまとめたプリントよ。ちゃんと覚えてるか立川に着いたら、テストするから」


「……こんなところでも、ちゃっかりと準備していたのね……ハル」


「当たり前でしょ。わたしは一応、生徒達の模倣となるべき、生徒会長だし、わたしの恋人であるあなたも、赤点取っているようじゃ、あまりにもみっともないからね」


「……鬼、悪魔めっ!」


「なんとでも言え。八十点以上じゃないと、なんか甘いもの奢らせてもらうからね」


「……じゃあ、わたしも八十点以上取ったら、酸っぱいものを奢ってもらうからね!」


「……上等よ」




 高尾駅で電車を乗り換えて、わたしはレモンのアイスを、ハルはバニラアイスをペロペロと舐めていた


「まさか……八十点ピッタリとはね……」


「後腐れなくて良かったじゃんハル」


「ぶっちゃけ、そんなに記憶力いいなら、なんでテストできないの」


「オタクなもんでね、脳味噌のキャパが収まらないだけ」


「わたしは大丈夫なのに……」


「それはハルだからでしょ。そのバニラちょっと食わせろ」


 ハルはバニラアイスを一口食べて、わたしに口移しをした。高尾駅から長いトンネルをくぐり、車窓は都会の景色から一気に様変わりし、青々と茂った山の景色となっていた。平日の車内は、わたしたち以外誰もいない。人目を気にする必要もなく、わたしとハルはアイスを交互に口移しする。少し肉が焼ける匂いがしたが構わなかった。ハルがくれるバニラアイスの味は……って今わたし、肉が焼けるって言わなかった?


「はあ……朝からお盛んな事で」


 わたしとハルが座る、ボックス席の反対側の席で、紐を引っ張ると肉とご飯が熱々になる牛たん弁当をムシャムシャと頬張る、男なのか女なのか分からない、ダボダボでサイズが合わない、見慣れた制服姿の子供がいた。


「……中島、いつからソコにいたの?」


 空になったアイスの容器を握りつぶすハル。


「はあ……錦糸町の辺りからです」


「ストーカーかよ……」


 わたしが、アイスの棒を中島に投げつけると、二本の指でそれをキャッチして、ジーッと棒を眺める中島。そして、ミネラルウェアを起動したと思いきや、プカプカと宙に浮かぶ黒っぽいダイヤの矢を使って、アイスの棒を器用に削り取っていく。そして、一瞬でモザイク模様のオシャレな爪楊枝みたいなものが完成し、黒いダイヤの矢の数々が、お箸のように爪楊枝をつかみ、牛たんを刺しながら、わたしとハルの手元に持ってくる。


「……こりゃ、わざわざどうも」


 わたしとハルはしぶしぶ、ホカホカの牛たんを食べる。


「はあ……わたしは、一応、あなたたちを常時監視しなきゃいけない立場なので、ストーカーと呼ばれようと、学校をサボろうと何だろうと、わたしはあなたたちの側を離れる訳にはいけないの」


「なんで、学校サボった事、あんたが知っているのよ」


 ハルはそう言って、中島の作った爪楊枝を大事そうに、ティッシュで包む。


「はあ……そう言うと思って、後藤先生からの伝言です」


「伝言? LINEとかメールで済むのに」


「はあ……こっちのほうが、手っ取り早いそうです」


「手っ取り早いって?」


「叱るのがですよ……おいっ!お前らーっ!」


 突然、中島の声や喋り方が、ゴマスそのものになった。ポカーンとするわたしとハル。


「一応さー、我々がインクルージョンとはいえねー、学校の先生でもあるのー。だからさー、みすみす学校をサボるのを見逃す訳にもいけないしー、試験前に山梨へ行こうだなんてー……ああっー! 学生って身分はいいよなーっ! 勝手に休めてよーっ! 我々も温泉に行きたーい! 信玄餅とほうとうとかを肴に、甲州ワインを飲みたーい! お土産に買ってこーい! っていうかさー……」


「……もういい、中島。やめろ」


 わたしは、真顔でゴマスの声を吐き出す中島の口を塞ぐ。


「はあ……わたしも同感です」


「なんかお土産でも買っておかないとね、ハジメ」


「学校サボって、先生にお土産買ってくるって話がどこにあるのよ」


「だからさ、ゴマスの機嫌損ねてるから、尚更赤点採れないよね。ほい、次は漢字と歴史の暗記ね」


「げっ! まだやるの?」


「当たり前でしょ! 甲府までまだまだ時間はあるからね!」


「鬼軍曹!」


「ハジメは厳しいわたしを嫌うでしょう。だが憎めば、それだけ学ぶ」


「なに、ハートマン軍曹みたいな事言ってるんだよ!」


「はあ……それじゃ、わたしは隣の車両にいますんで……」


 中島がいそいそと立ち去ろうとした。


「おーい、中島どこに行く?」


 ハルは中島の肩を掴む。


「はあ……一応、これでも気を使ってるんですよ。あなたたちの、恋路を邪魔するほど、野暮じゃないです」


「水臭いこと言うなよ中島ー。とりあえず、服脱げ」


 ハルは、中島の制服を脱がそうとする。


「はあ……いじめですか?」


「違うわっ! いつまでもその制服姿ってわけにもいかないでしょ。私たちまで怪しまれちゃう」


 ハルは旅行鞄から、着替えを取り出す。


「それ、前にわたしがハルと交換したヤツじゃん」


「そう、ライオットのジョニーTシャツと交換したやつ。パジャマ代わりだったんだけど、丁度いいかなーと思って」


 そう言って、ハルはKISSがプリントされたロックTシャツを、車両に他に人がいないことを確認して、せっせと中島に着せる。


「うん、似合ってるじゃないの」


「はあ……少し、大きい気がします」


 ブカブカのシャツの裾をヒラヒラさせる中島。


「元々、ハジメのだしね……大きさは我慢して。んじゃ、早速手伝って欲しい事がるんだけど」


「はあ……なんでしょうか」


「ハジメの採点手伝ってよ。あなた得意でしょ」


「はあ……面倒くさいです」


「甲州牛って知ってる? 美味しいランチのお店知ってるんだけど……」


「はあ……なにを採点すればいいでしょうか」


「あ、ハルてめえっ! 中島を食い物で買収しやがったなっ!」


「ハジメ、頭が死ぬほどファックするまでシゴいてやる!」


「はあ……そして、ケツの穴でミルクを飲むようになるまでシゴき倒します」


 ハルが分厚いプリントをわたしにグイグイと押しつける。


「ホント、試験勉強はは地獄だぜ! フハハハハー……はあ……誰か助けて」




 甲府駅に着いた頃には、わたしは身も心もボロボロになっていた。


「んじゃ、甲州牛のランチの店に行くよ! ……ハジメの奢りでね!」


「はあ……やったぜ。火力発電出来るくらい食らってやります」


「ちょっと待て! なんか陰謀を感じる! テストの難易度、急に上がってたんだけど!」


「ねえ中島、ここのお店だとローストビーフが旨いんだよね」


「聞け! つーか聞け! っていうか、いつの間に、わたしが中島の分まで、奢ることになってるんだよ!」


「はあ……ゴチになりまーす先輩」


 真顔でダブルピースをする中島。


「そこだけ後輩面するなよ!」


 甲府市街にある洋食店で、ランチ(五千円も食いやがった)を一通り済ませた後、富士山を望む眺望が自慢だという温泉ホテルへ、バスを利用して、わたしたちは向かった。


「……そんじゃ、ヨロシクね」


「ヨロシクって……ハル、なんでわたしなの?」


「そりゃあ……ねえ……中島」


「はあ……一番、大人っぽいのが鈴木さんだからです。その高身長ならば、わたしたちの保護者と言っても、違和感はないはずです」


「はっ! どうせわたしは老け顔で、ノッポさんだよバカ野郎! 無理矢理、テスト受けさせるわ、飯は奢らせるわで散々だ! もう帰る! 千葉に帰りたい!」


「ゴメン! そうじゃないの! おい、中島! 少しオブラートに包みなさい!」


「はあ……オブラート? オブラートで肉を包めば、すごく美味しそうです」


「なんだ、その際どい料理はっ!帰るっ!」


「じゃあ、分かった! ハジメ、ここはわたしが奢るから! ついでに、酸っぱそうなブドウとかも奢るから! いえ、奢らせて下さい!」


 わたしはしぶしぶ、受付で日帰り入浴の手続きを行った。未成年でしかも、学校をサボって来ているのだ。バレたらどうするのだろうと、ドキドキしながら思った。


「……思ったんだけどなぁ」


「はあ……あっさり、温泉に入れそうですね。さすが鈴木さん」


「よくよく考えたら、ランチの時、お店の人から何も言われずに黙々と食べていたもんね、わたしたち……」


「じゃあなに……わたし、心配損って事?」


「まあまあ、ハジメ……人は誰しもコンプレックスというものがあるのよ。わたしだって、冷え性だし、貧乳だし」


「はあ……わたしも、チビですし、貧乳だし」


「無理な同情はやめろっ!どうせわたしも貧乳だよ!」


 平日の昼過ぎのホテルの温泉は、ほとんど貸し切りの状態で、待ちきれないわたしたちは、軽く身体を流した後、一目散に露天風呂へと飛び込んだ。


「はあー……ナトリウム塩化物泉ですか、少ししょっぱいですね。このしょっぱさが、生身の人間にどれだけ疲労回復の効能があるのか、とても興味があります」


「中島、あなた自身が無機物の肉体なんでしょ。温泉の効能なんて効果あるの?」


「はあ……なんとなくですかね。でも、悪くはないですよ」


「悪くはない……まあ、温泉の効能って、プラシーボ効果みたいなもんだし。美肌の湯っていうのも、真珠パウダーの顔パックみたいなもんで、学術的に見たら何やってんだかっていうレベルよねー」


「……ハジメ、中島、そんな多方面から喧嘩売る話しなくていいからさ……もう少しこの雄大な富士山の眺望を楽しみながら、温泉に浸かろうよ」


 ハルはチャプチャプと軽く泳ぎながら、わたしに抱きつく。


「あー……ずっと、この時間が続けばいいのに……」


「さっき電車の時と、ランチ食べてるときでも同じ事言ってたよね、ハル」


「ハジメはそう思わないの?」


「……思っていない……わけないじゃない」


 わたしもハルを抱きしめる。ハルの引き締まったお腹をキュッと掴み、うなじと首の間の辺りに、わたしのアゴを乗せる。少しビクッとするハルが可愛い。


「そうだね……ずっと、この時間が続けばいいのにね……ハル」


 ふと、わたしの右腕にも中島が、ぎこちなく抱きつく。


「……中島、なんのマネだ?」


「はあ……和嶋さんと鈴木さんがよく抱きついているので、わたしもやってみたいと思っただけです」


「……イミテーション、真似事ってやつ?」


 明らかに嫌そうな顔をしたハルが、皮肉っぽい事を言う。


「はあ……そうかもしれません。でも……」


「でも?」


「この時間はずっと続いて欲しいとは思います……なんとなく」


 珍しく顔を赤くさせる中島。温泉のせいだろうか。


「……お前ら、少し離れろ……熱い……のぼせるだろ」


「イヤ……ハジメ、まだ、このままがいい」


「はあ……わたしもです。鈴木さん」


 景色が開けているおかげか、風が心地いい。ハルの言うとおり、ずっとこの時間が続けばいいのにと思った。それと一緒に、なんでこの世が、偽物なのだろうという疑念とかが、わたしの中でプクプクと膨れ上がったが、ハルの気持ちよさそうな顔を見ていると、泡のようにどうでもよくなっていった。




 本当にのぼせるまで、温泉に浸かったわたしたちは、バスで甲府市内まで戻り、観光がてら鉱物と宝飾品の美術館へと向かった。


「……で、甲府という場所は、水晶研磨が盛んになって、そのまま研磨技術が、他の宝石の研磨にへと応用されて、宝飾品を取り扱う産業にへと発展していくの」


 ハルは意気揚々と、わたしに、美術館の中で、わたしに宝石や鉱物などのレクチャーしていた。


 中島はさっきから、金剛石をジーッと眺めていて微動だにしない。


「……ハルのお母さんもその関係の会社だもんね」


「そう……強いて言うなら、父親と母の会社だけどね」


「……ハルのお母さんは、お父さんとどうして別れた……って、これ以上、聞いちゃダメ?」


「ううん、聞いて欲しいな。でも、つまらないもんよ。父親は別の女と浮気していたのよ……しかも、会社の金を使ってね」


「あー……」


「ね、つまらないもんでしょ。男って」


 つまらない……か、それがハルにとって、なにを意味するのだろう。ハルが異性ではなく、同姓を好きになる理由? わたしにとって、まだ意味が分からない。


 巨大な結晶の塊の前で、結晶の中にあるインクルージョン内包物を覗きながら、じっと考え込んでいた。


「ねえ、ハジメ……ペアリングしない?」


 土産売場で、割引シールが貼られた二つのシルバーリングを買ってくるハル。いつの間にか、ハルはわたしの指のリングサイズを知っていた。


「いいけどさ……ハルだったら、もっと豪華なものじゃなくていいの?」


「いいのよ……それに、これがあるし」


 ハルは鞄のポケットから、何かを取り出した。ボコボコした、真珠の塊みたいな……まさか。


「これは、わたしのミネラルウェアの一部よ」


「……それを使ってどうするの?」


 ハルはニコッと笑う。


「中島……研磨と加工できる?」


「はあ……そういう事ですか……一つ貸しですよ。後で、旨い肉でも奢ってください」


 中島はミネラルウェアを起動し、リングと、真珠の塊を軽く宙へ放り投げる。チュンッ! チュンッ! と、歯医者とかで聞いた事のあるような、何かを削る鋭い音がしたと思うと、中島が指輪をキャッチして、リングにフーッと、息でリングの塵を吹き飛ばす。


「はあ……どうぞ」


 中島が手に持っていたのは、さっきまで美術品としてショーケースに展示されていたような、複雑な幾何学模様に彫られた、高価そうな真珠のリングだった。


「……相変わらず、手先が器用ね」


「手先じゃないですよ、和嶋さん。厳密にはコイツです」


 中島は、虫のように小さな矢を宙にクルクルと回す。


「……ハジメ、わたしの誕生日って覚えてる?」


「六月……あ、誕生石ね」


「そう……偶然かもしれないけど、六月の誕生石はわたしのミネラルウェアと同じ、真珠なのよ。だからこれで、ハジメもわたしの誕生日を忘れないでしょ?」


「……忘れる訳ないじゃない、でも困ったな……お互いの誕生石でペアリングを作りたいのは分かったけど、わたしの誕生日は四月だから、ダイヤなんだけど……そんな高価なもの……」


「はあ……良かったら、わたしのいりますか?」


「へっ?」


 中島は、もう一つのリングを矢を使って加工しだす。そして瞬時に、半カラットもない小粒のダイヤが埋め込まれたリングが完成した。


 ダイヤの表面のカットを見てみると、中島のプロポーショングリッドの瞳と同様、時計のように矢が均等に配置されたラウンドブリリアントカットだった。


「いいの……中島?」


「はあ……一宿一飯の恩義とも言いますからね。これは、鈴木さんにお昼を奢ってもらったお礼ですよ。わたしは、イミテーションですから、厳密には本物のダイヤではないのですが」


「ううん、本物だろうが偽物だろうが、すごく嬉しいよ、ありがとうノブヨ」


「はあ……鈴木さん……その名前で呼ぶのは止めてください」


 普段、笑顔を見せない中島が、少しだけ照れ笑いをした。


 


 その後、わたしたちはハルの言っている別荘へと向かったが、どうしたのだろう。ハルはどんどん、甲府市街の中心へとドンドン進んでいく。


「……和嶋さん」


「なによ、ハジメ。改まって」


「確か、別荘……って言ったよね、ハル」


「うん」


「わたしの目にはギリギリ廃墟手前のビルにしか見えないんだけど」


「はあ……っていうか、大地震が起きれば、三割九分ぐらいの確率で倒壊しますね。わたしの水準器だと、かなり建物が傾いてますよ」


「そんな、好打率みたいに倒れる建物なんか入りたくない! 帰る!」


「何もしないから、少し休もうよ! ね?」


「ね? じゃねー! なんだ、そのラブホに連れ込むオッサンみたいなこと言ってるんだよ!」


「はあ……先っちょだけですから」


「中島! お前、意味分かって言ってるのか!」


 しぶしぶ、わたしはハルの「別荘」にへと足を踏み入れる。一階はフロア全てが倉庫になっているらしく、ダンボールが山積みされていた。それを横目に、階段を登ると綺麗に片づけられた事務所のような部屋へと案内された。


「中は以外と綺麗……って、会社なのココ?」


「元ね。母さんの会社だったところで、今は倉庫代わりに使っているの」


「……勝手に使っていいの?」


「いいのよ。母さんもあまりこの会社に来たがらないし」


「どうして?」


「さあ……よく分からないけど、ここが離婚した父と起業した会社だからじゃない。あ、中島、このソファー移動させるの手伝って」


「はあ……これですかね?」


 中島は片手でヒョイっと、重そうなソファーを持ち上げる。なんて、馬鹿力だ。ソファーを持ち上げた拍子に、積み上げたダンボールが崩れてしまう。


「おっと……」


 中島がとっさにミネラルウェアを起動し、複数のダイヤの矢でダンボールを受け止めるが、その衝撃でダンボールの中身がぶちまける。


「あーあ、なにやってんだよ、ノブヨ」


「しっかりしろよ、ノブヨ」


「はあ……だから……その名前は止めてください!」


 中島がガラクタを片づけると、とある写真を拾う。そこに写っていたのは、若い頃のハルのお母さんと、恐らく小学生ぐらいの頃のハル。おかっぱ頭が印象的だ。隣にいるのは、ハルのお父さんだろうか。ハルはその写真をジッと少しだけ見てから、中島から静かに取る。


「……夜、なに食べようか?」


「はあ……わたしは肉がいいです。馬肉というものに興味があります」


「中島……たまには、肉以外の事でも言ったら?」


 ソファーを繋げて、ベッドのようなものを作ったわたしたちは、夕暮れになるまで、ハルと中島からミッチリと試験勉強を叩き込まれる。


 勉強中、さっきハルの家族の写真が頭から離れられないのは何故だろう。写真にいた若い頃のハルのお母さんが、未来のハルとソックリだったからだろうか。それとも……。




 夜の六時ぐらいになった。夏本番の手前のせいか、外はまだまだ明るい。机の上に置かれたハルのスマホのバイブが鳴り出すまで、気づかなかったぐらいだ。


 チラッと、ハルのスマホを覗いてみたら、通知の件数が四十件ぐらい溜まっていた。


「……ハルってさ、お母さんには伝えたの? 今日、サボるっていうか、泊まるっていうこと」


「ううん、どうせ来週まで日本には帰ってこないから」


「そう……わたしは一応、母さんに、ハルの家に泊まるって伝えたけど、大丈夫かな?」


「大丈夫よ」


「その根拠は?」


「その時は一緒に全力で謝ってあげるから。だから、ハジメも全力で一緒に謝ってよね」


「なんだかなー、悪いことをしているハズなのに、こうやってバカ真面目に試験勉強しているのって、変な話だよね」


「ほんとに……変な話よ」




 勉強を一通り終えたわたしたちは、近所のスーパーとコンビニをはしごして、夕飯を買い込む。


 各々自由に、食べ物を買い漁る中、ハルが自販機のコーナーにいて、キョロキョロしながら飲み物を買っていた。


「あっ! この不良!」


「地方だと、酒の自販機ってまだ多く残ってるんだよねー。買い放題! 買い放題!」


「何を呑気なことを……お巡りさんとかに見つかったらどうするの……」


「ハジメは何飲む?」


「んじゃ、男梅……って、人の話を聞け!」


「はあ……わたしは生ビールがいいです。肉の脂をビールで流すと爽快だと聞きました」


「中島! おまえはもっと駄目でしょ! 小学生みたいな見た目のクセして、ビール飲む姿は絵的にアウトだろ!」




 ハルのお母さんの会社に戻り、軽い宴会のような形で、飲み食いをするわたしたち。


「あー食ったわ、食ったわ」


 おっさんみたいな事を言って、顔を少し赤らめたハルはタバコに火を付ける。


「学校をサボって、親の会社に寝泊まりし、酒を飲み、タバコを吹かす……お嬢様の生徒会長がやる事じゃないよね」


「そうやって、みんな勝手にレッテルを貼るのよ! これが本来のわたしなの! 元は、あまり無害な子でいこうとした結果なのよ……それなのに」


「ハルは器用に見えて、不器用だからね……って、中島。大丈夫?」


 肉にはビールが合うと言って、焼肉弁当を食べながら、夢中に缶ビールを数本飲んでいた中島の様子が変だ。何かが詰まったプリンターのように、ガクガクと小刻みに震えながら、気持ちよさそうな顔で、スマホからBGM代わりに流れていたピンクフロイドの曲に合わせて、見たことのない不思議な踊りをする。


 呆然とわたしとハルがその踊りを眺めていたら、中島が突然、ピタリと静止する。


「なんか、MPを吸われそうな踊りね……コンテンポラリーダンスってやつ?」


 ハルが小さく拍手をしながら、すごく甘そうなハニーハイボールをグビグビ飲む。


「だ、大丈夫? 中島……」


「あ……」と、中島が言った瞬間、バキャンッという音と共に、中島の身体が発光し、見たこともない服が現れる。


 それは、光り輝くダイヤのマントだった。ダイヤの結晶をそのまま薄く引き延ばしたかのように、まばゆい虹色の光沢のホログラムを放つマントが、中島を包み込んでいる。


「それが、中島のフラクチャー……わたしの場合、ドレスだから、中島のはマントといった感じね。ブラックダイヤモンドという名前のミネラルウェアの割には、本物みたいに綺麗じゃない」


「はあ……お酒の勢いで出てしまいました。これでも、上位グレードに比べれば、まだまだです」


「そう? ……あ、ここの部分のプリンセスカットっぽい模様……綺麗なシンメトリーね。カラーもクラリティも申し分ない」


「蝶の羽みたいですごく綺麗だよ……中島」


「はあ……二人ともそんな、ジロジロ見ないで下さい……」


 中島は恥ずかしそうに、ダイヤのマントを霧状に消す。


「……慣れって怖いわな……こんな姿の中島を目の当たりにしても、わたしは平然と酒をグビグビ飲んでいる……酔いのせいかしら」


「うん、酔っているせいかもしれないね……中島、鍵……ミネラルキーをちょうだい」


「はあ……なんでですか。ミネラルウェアの私的利用は禁止されていますよ」


「厳密には、私的利用じゃないのよ。これからのわたしたちの為でもあるの」


「はあ……それを私的利用というのでは?」


「まあ、わたしが変な事をしたと思ったら、そのミネラルウェアでわたしを止めてもいいのよ。どうせ勝てっこないし」


「ハル? いったい……何を」


「ちょっと、面白い事よ」


「はあ……ま、わたしも酔っているせいかもしれませんね。ちょっとぐらいならいいですよ。ソフトシェルを解除、ハードシェルへの相転移を開始、ミネラルウェア……はあ……以下略で」


 無造作に「ミネラルキー」を放り投げる中島。ハルはそれを受け取ると、すぐに鍵をわき腹に差し込み、ハードシェルの姿へと変える。


「はあ……なんですか、そんなにジロジロ見て」


「いや……中島って、もっとロボットみたいな奴だと思っていたけど、だいぶ人間らしくなったなーって思ったの」


「はあ……そりゃどうも」


 中島は恥ずかしそうに、顔をポリポリとかく。


 ハルは右手に真珠の銃を生やし、黙々とお腹を撃つ。フラクチャードレスの姿となったハルは、両手に持った銃を体内に戻し、わたしを抱きしめ、それと同時にキスをする。


 さっきまで、あんなに酒とタバコ臭かったのに、ミネラルウェアのハルの口から、嗅いだ事のない、得体の知れない口臭がした。マイナスイオンを放つと謡う、胡散臭いドライヤーの匂いに似ている。ハルはわたしの舌を執拗に絡ませて、ベロチューをしてくるが、ハルの舌は相変わらず……氷か石のように冷たい。っていうか、石なのか。


「どうしたの? ハル?」


「以前からコスプレエッチというヤツに憧れていたのよねー。ほんとは、ハジメもコスプレさせたかったけど、事態は急を要するからね」


「ん? ん? ん? どういうこと? 状況がうまく読み込めないんだけど……ハル、もしかして酔ってる?」


「酔ってないよ。ミネラルウェアは体内の毒素を除去するからね……わたしはシラフよ」


 ハルは、虹色の瞳を爛々と輝かせて、チュッチュッと魚のように、唇、ほっぺ、首もとにキスをしながら、わたしの衣服をテキパキと脱がし始める。いつのまにか、わたしのブラのバックホックが外されていた。ハルのフラクチャードレスの裾が、タコか貝の触手のようになっていて、器用にわたしのブラを外していた。


「……なんか、エロ漫画みたいな事になってるんだけどぉ……んっ!」


 ハルが、わたしの耳を甘噛みする。何とも言えない気持ちよさで、電気が走るように、全身を刺激させる。


「はあ……鈴木さんと、アブノーマルなエッチをするだけなら、わたしも茶々を入れる気は起きません……隣の部屋で肉を肴に晩酌でもしてますね」


「ち、ちょっと待て中島! おっさんっぽい事言ってないで、とっとと助けろ……あぁ……んっ! だぁから、ハル! そのキモい触手をわたしの股に突っ込むな! んんっ……んーっ! やめろっ!」


「はあ……どうぞゆっくり」


 そう言って、中島はばつが悪そうな顔をしながら、隣の部屋へと消えていく。


 ハルは自らの手でドレスを脱ぎ、わたしの目の前で、胸とアソコを露出させる。


「ハジメ……好き……大好き……愛してる」と、何度も囁きながら、わたしにベロチューをして、脱いだドレスが触手のように形を変え、わたしをゆりかごのように、優しく抱き抱え、ベッドにへと運ばれる。


 ハルのキスが止まらない。耳から、首筋へと這うように、胸元へとハルが夢中にキスを続け、アイスキャンディーのように、わたしの体中をペロペロと舐め続ける。わたしの小さな胸をハルは優しく愛撫し、カメラダイヤルをゆっくり回すように、乳首をクリクリとイジる。


「んっ……いやぁっ……ハル」


「ふふ……カワイイ……好き……本当に大好き」


 ハルの右手が、わたしのパンツの中へ、ゆっくりと手を入れる。それに応えるように、わたしもハルの唇にキスをして、ハルがわたしにしたように、耳を、首を、脇を、乳房を、乳首を、お腹を、アソコを、キスしたりペロペロと舐める。


 真珠のようなミネラルウェアであるハルの肉体の感触は、ツルツルでとても固い感触なのに、わたしがハルの肌に触れると、触れた部分だけが、本物の肌のように、手が少し埋もれる。ガラスのコップを掴んだら、そのコップが柔らかいシリコンだったような、不思議な感触。


 部屋中にわたしとハルの喘ぎ声と、一緒に舐めあうエッチな音が、互いに反響している。どうしてだろう、得体の知れない居心地の良さと、どうでもよさを同時に感じた。


「んっ……うんっ、気持ちいいよっ! ハジメっ!」


「ミネラルウェアでも、ほんとに気持ちいいの?」


「最近、コイツのコツを掴んできてね、痛覚とか刺激とがうまくコントロールできるようになったの」


「ふうん……コントロールできるってことは、感度も上げる事も出来るって事? カメラのISOみたいに」


「もちろん。ちなみにこういう事も出来るよ」


 ハルがドレスの裾の先端を尻尾のように変化させると、それがみるみるあるモノに変わっていく。


「うわっ! マジでっ!ハル、それって……」


「ディック、ディルド、ソーセージ、シンボル、ジョニー、ムスコ、お稲荷さん、暴れん坊天狗……」


「なんで、ペニスの代名詞ばっか言ってるんだよ!」


 ハルはテカテカと白光りした、真珠で出来ているイチモツの紛い物を舐めながら、わたしにゆっくりと向ける。


「……怖い? ハジメ?」


「なにを今更……さっきも言ったでしょ?もう、慣れっこよ、こんな非現実的な状況は」


「そっか……それ、聞いて少し安心したわ」


 そう言って、ハルは紛い物をわたしのアソコに入れると思った。目を閉じて、ドキドキしていたが、いつまで経っても入れる気配がない。


「うん? ……ハル?」


 目を開けると、ハルはスマホを取り出し、何かポチポチしていた。三脚で固定するかのように、ドレスの触手にスマホを持たせると、ハルはわたしの横に倒れ、わたしを強く抱きしめる。そしてハルは、スマホの画面を見るように指をさした。記念撮影でもするのかと思ったら、そのスマホの画面は、スカイプ……ビデオ通話になっていて、その相手の名前が……。


「上館……芳美……って、上館先輩だって?」


 止めようと思ったが、スマホの画面に上館先輩がデカデカと写る。


「ちょっと、ハル! どれだけ連絡したと思っている……のっ! のっ?」


 硬直するわたし。わたしにスリスリと頬擦りをするハル。わたしと、画面の中の上館先輩は、たぶん同じ顔をしていた。


「……それはなんのつもりかしら?」


 元ヤンらしく、丁寧な口調の割に、鬼のような形相となる上館先輩。


「つもりもなにもないわよ。これがわたしの答えよ、ヨシミ」


「ハル……いったい、コレは……」


 どういう状況なのだろうと、聞こうとしたら、ハルはわたしに、シッと「黙っていて」という仕草をする。


「ヨシミ……わたしたちが、なにをしているか分かるわよね?」


 上館先輩は、黙り込んでいる。


「そう、わたしとハジメは付き合っていて、こうやって、いつもエッチして寝ているの」


「……だから?」


ですって?ヨシミ……あなたらしくもない反応よね! わたしがあなたの前でわざわざ、ライブ配信して、エッチしているというのに、だからだって?」


 わたしのアソコに、ハルが造った真珠のペニスが、ゆっくりと挿入される。


「え? ちょっと……ハル……いきなりっ……んっ! あぁっ! やめぇっ……」


 まるで、本物みたいな感触だった。いや、本物なんて知らないけどさ。わたしの中で、真珠のペニスがみるみる大きくなっていくのを感じた。肥大化したペニスをハルはゆっくりと、わたしの中で動かしていく。


「んんっ! ……上館先輩が見ている前で、恥ずかしいよぉっ! ハル!」


 以前、ハルがネット通販で買ってきた大人の玩具とは比べものにならない。わたしは、情けない喘ぎ声を出しながらも、ハルを止めようとしたが、ミネラルウェアとなったハルの力はとても強く、ドレスの触手がわたしの手足を縛る。


「ず、ずいぶんとアブノーマルな事してるのね……コスプレエッチってやつ?」


 あ、よかった。上館先輩には、ミネラルウェアがコスプレだと思ってくれたらしい。


「で……わたしに、それを見せつける訳というのは?」


「ヨシミのオカズにもなろうと思ってねー」


「へえ……って、ふざけんなよっ! ぶっ殺すぞっ!」


 ガンを飛ばし、怒号を放つ上館先輩。わたしはビクッとするが、ハルは平然とした顔をしている。


「ああ……そうそう。それが、ヨシミの本性なのよねー。おーコワッ」


「前も言ったけど、これからどうなるか分かってるわよね?」


「ん? ええ……録画でも何でもしていいよー。でも、その代わりに、パソコンでこれを見てよね」


 ハルがスマホを操作して、何かを上館先輩に送信した。


「えっ……なにコレ」


「最近の一眼レフってスゴいよねー、写真だけじゃなくて、ムービーも撮れちゃうからねー、かなり鮮明にさー」


 ハルは何を言っているんだろう。上館先輩はだいぶ焦っている。


「ハ……ハル……なにを送ったの? はあっ! んんっ……っていうか、コレ……取ってくれぇないっ?」


「以前、部室にヨシミが来たでしょ? これはチャンスかもって思ってね、リモコンを使って……」


「……盗撮……した?」


「そうしたらヨシミったら、聞いてもいないのに、ペラペラと喋ってねー! マジでウケるよねー! その動画を今、このバカに送りつけてやったの!」


 あー、大体分かった。つまりハルは以前、わたしと上館先輩との会話をカメラで録画して、それを取引材料にしやがったな、この女……悪魔か。それにしても、股に突っ込んでるコレ……段々、気持ちいいのか分からなくなってきたな……マグロか、わたしは。


「わたしとハルの仲を学校でバラすのは結構。でもその時は、ヨシミも一緒よ? このビデオを学校中にバラまいてやる。で、ヨシミ……答えは?」


「チッ……」


「チ?」


「チクショウ! ハルのクソったれ!」


 上館先輩は爪を噛み、捨て台詞を吐きながらビデオ通話を切る。


「さーて、やることやったし、続きでもやろっか?」


 ハルは何事もなかったように、またわたしの股に突っ込まれてる真珠のペニスを激しく動かし、わたしの体中をペロペロと舐める。……もう、どうにでもよくなれという感じ。


「おーい! ノブヨ!」


 中島が、ヒョッコリ部屋から顔を出す。泥酔しているのか、かなり顔が真っ赤だ。


「はあ……なんでしょうかぁ?」


「こっちへ、おいでー。気持ちいいぞー」


「はぁ……イヤでぇす。第一、マッパ姿の女に誘われて、ロクな目に遭うわけ……」


 ハルがドレスの触手を使って、中島を掴み、わたしとハルの間に、無理矢理ねじ込む。


「ひゃあっ? やぁ、やめてくださいっ!わたしにその気はないですぅ……」


 ハルは両手と、中島の衣服を脱がし始める。どうも、中島の調子が変だ。やろうと思えば、中島のミネラルウェアで、ハルを止める事もできるのに、なすがままに中島は、ハルに脱がされ、触手ウネウネグチョグチョな感じにエロゲーみたいな事をされている。ハルはケラケラと笑いながら、中島にキスをしたり、酒をだらしなく飲みながら、触手プレイに勤しむ。酔っているとはいえ、ほんとに悪魔かこの女……。さすがに、中島が気の毒になってきた。


「はあっ……はあっ」


「いや中島、ハアハアじゃなくてさ、少しは抵抗しようよ? ハルも、いい加減にしろ!」


「なに? ハジメ……もしかして妬いてるの?」


「違うわよっ!」


 突然、ハルのスマホが着信する。慌ててドレスの触手を引っ込めるハル。バタンと倒れる中島。


「大丈夫? 中島……」


「ひゃあっ……気持ち良かったぁです……ソフトシェルの身体っていうのも、案外悪くないものですねぇ……」


「……あ、そう」


 ハルがスマホを操作すると、少し画面が少しボケた状態で、ヨシミ先輩が出てくる。たぶん、さっきのやり取りの後、上館先輩がスマホに八つ当たりでもしたのだろう。カメラのレンズが割れていた。


「……意外と早かったのねヨシミ」


「……グスッ……分かったわよ」


 鼻水と目を真っ赤にした上館先輩が、こちらを恨めしそうに睨んでいた。


「え? 何が分かったって?」


「……わ、わたしが、ハルとハジメさんの仲を学校では何も言わないわよ!」


「うんうん、それでよろしい」


「ウウッ……まさか、ハルがこんな事をするなんて……」


「こんな事って……ヨシミ……あなた、わたしを盲信し過ぎているのよ。もう少し、わたしの本性を認めたらいいのに……そうしたら、一緒に寝てあげてもさ……」


 ハルはわたしにキスをする。上館先輩は、通話を切ろうとスマホに手をかけた瞬間。


「まだ、消すなヨシミ! いいから、見てなさい! わたしと、ハジメとのエッチをね!」


 ハルは上館先輩に怒鳴る。


「ハ、ハル……どうしたの? あっ! いきなりっ……やめっ……」


 ハルは指を使って、わたしのアソコに激しく突っ込む。まるで、腹を空かせた犬のように、ハルはわたしを激しく舐め回し、噛み付き、キスをして、アソコを舐めて……。


「やめて……ハル……」


「やめてよ……ハル……」


 わたしと上館先輩が、そう言ってもハルの動きは止まらない。


「やめない……やめる訳ないでしょ……わたしは、嫌いなの。わたしを縛るものが……だから、学校が嫌い。勉強も運動も嫌い。先生も嫌い。私にレッテルを貼る奴らも嫌い。制服も嫌い。生徒会も嫌い。親も嫌い。いい子ちゃんぶるわたしも大嫌い……ヨシミがわたしを盲信しているように、わたしはハジメを盲信しているのよ」


 ハルはわたしの両手を抑えながら、馬乗りになる。


「ハジメはね、わたしを縛らない人なの……ヨシミ、あなたと違ってね……だから、わたしはハジメが好きなの。ハジメのドライで自分に正直な性格も、瞳も、鼻も、耳も、唇も、髪も、匂いも、胸も、お腹も、腕も……そして、この綺麗な手足も……ありとあらゆるハジメのすべてが、好きなの」


「ハル……いい加減……やめて」


 画面の中の、ヨシミ先輩は大粒の涙を流していた。


「だから、ハッキリ言わせてもらうけど、ヨシミ……わたしは、あなたが嫌いよ。あなたがわたしを縛り続ける限り、わたしはあなたが嫌いであり続ける」


 ハルの頬にも涙が流れ、その涙がわたしの顔にポツポツと当たる。なんでだろう、わたしにはハルが初めて、誰かに対して「嫌い」とハッキリ言ったような気がした。泣き崩れ、嗚咽する上舘先輩が映るスマホの画面を閉じるハル。静かに泣いているハルをわたしは、そっと抱きしめた。


「ハル……」


「ハジメ……」


 しばらく、見つめ合うわたしたち。ハルのプロポーショングリッド……引き込まれそうな虹色の瞳に、わたしが映っている。わたしがわたしを見つめていた。


「でも、ハルは……縛るのが嫌いと言っておきながら、ハルはわたしを強く縛っている気がする」


「うん、知ってるよ。でも、ハジメはそれが嫌いじゃないんでしょ?」


「あー、それは、そうかもしれない……これは、新手のSMプレイみたいなものなのかな……」


 ハルはフラクチャードレスの触手を再び広げて、わたしをノロノロと、巻いていく。


「SMね……ハジメ、興味ある?」


「さあ……未経験だから、まだ何とも言えないよ」


 わたしと、ハルはキスをした。長い、長いキスを。何とも言えない感じ。また言うけど、この時間が永遠に続けばいいいのにと思った。


「SMかー、わたしも興味あるなー」


 聞き覚えのある、甲高い声が聞こえた。部屋のドアの方を見ると、ゴマスが、ゲームギアをピコピコさせながら、わたし達の事を興味津々に覗いていた。ソニック・ザ・ヘッジホッグでもやっているのだろうか、チャリンチャリンと、馴染みのあるリングの音が聞こえる。


「ゴマス……いつから、そこにいたの?」


 今からでも、ゴマスを撃ちそうな顔をするハル。


「んー、和嶋さんがフラクチャードレスになった辺りかなー……一応、規則でねー、和嶋さんがミネラルウェアとなった瞬間から、我々は常に監視をしなきゃいけない決まりなのよー……それにしても、まぁー……濃厚な修羅場を見せて貰ったわー」


 カッときたような顔をして、ハルは、真珠の銃をゴマスに撃とうとする。


「おーい、ノブヨー、いい加減にしろよー」


 フラフラの中島がハルのお腹をノックする。バチンッと、ハルのフラクチャードレスが、元の身体へと瞬時に相転移される。「うぎゃ」と、情けない声を出して、ハルはソファーにへと叩きつけられた。


「さーてーとー……どーしよーかなー」


 ゆらゆらとゴマスは、わたしたちの元へやってきて。わたしとハルに、突然ゲンコツをする。


「痛いっ! いきなりなによ! この暴力教師!」


 元の姿に戻った反動なのか、髪がボサボサになったハルが悪態をつく。


「やかましい! 学校をサボった上に、親の会社で寝泊まりー、未成年の分際で、飲酒ー、タバコー! しかも、我々のミネラルウェアを用いて、不健全な性的行為……ゲンコツだけで、済むだけでも有り難いと思いなさいー! それに、ノブヨ!」


 ゴマスは、中島にもゲンコツをするが、ゴマスの力が強かったのか、あるいは中島がダイヤの身体のせいなのか、ゴマスの石英の拳はパアンッと音を立てて、砕け散る。ポカーンとするわたし。


「はあ……」


「あなたも、和嶋さんを易々と、ミネラルウェアにしない事ー!」


「はあ……ですが、ココのEI内の和嶋さんだったら、仮にドーパント化する恐れは低いかと思われますが……」


「それでもよー! 何が原因で、ドーパント化するか分からないんだからー!」


「ドーパントってなによ? 不純物だって?」


 下着を拾いながら、ハルは質問する。


「ミネラルウェア、そしてフラクチャーユニットを持つとね、中には我々に対して、反抗する輩が出てくるのよー……そんな事より、和嶋さん決まったわよー」


「なにが?」


「次の相手よー」


「……そう」


 ハルはわたしをジーッと見て、残念そうな顔をする。


「他一〇五所持者とのコンタクトは逐一、こちらの方で報告をしていくからー、覚悟するようにー」


「分かったわよ」


「あと、和嶋さんの親に連絡したからねー、学校サボっていることー」


「は……はあっ?」


「ちょっと待って……ハルのお母さんに連絡したって事は……」


「そうよー……鈴木さんの家にも連絡が行くでしょうねー。っていうか、お前等、一度、親に全力で叱られろっー!」


 親指を下におろすゴマス。ハルはポンとわたしの肩に手を置く。


「言ったよね……ハル」


「……何をだっけ?」


「とぼけんな、一緒に全力で謝ってくれるんでしょ」




 期末試験が終わり、夏休みに入った。ハルと中島の鬼特訓のお陰か、試験の結果はまずまずで、総合点では、学年で三十番内に入るという、わたしにとって前代未聞な結果を残す事ができた。


「……残せたんだけどなー」


「はあ……あの後、鈴木さんのお母さんに、しこたま怒られてましたよね」


「あんなに必死に謝っているハルの姿は初めて見たよ……いや、結局ハルが悪いんだけどね……まあ、何とかハルとわたしの関係が母さんにバレずには済んだよ」


「はあ……何で隠すんですか?」


「この国は……っていうか、この時代はね……好きな人を好きに好きって言っちゃいけない時代なのよ」


「はあ……肩身が狭いですね」


「まったくだよ……今回の一件だってハルと上舘先輩との仲違いのせいだし……って、なんで中島ココにいるの?」


 深夜十二時、小腹が減ったわたしは、家からコッソリ抜け出し、歩いて五分の所にあるコンビニでスナックや飲み物を買っていたら、バッタリと中島と出会ってしまう。お互い寝間着の格好で、しかもハルから貰ったメガデスのTシャツを着ているのが、お揃いみたいで少し恥ずかしかった。


「はあ……また、ストーカーと呼んで結構ですけど、わたしは鈴木さんの保護が目的であって、鈴木さんがフラフラと深夜にコンビニに行ったら、一応わたしも傍にいなくちゃいけないんです。それに、わたしだってコンビニへフラフラと寄りたくなるときがあるんですよ……今日は徹夜で組みたいのもあるんで」


 中島は、エナジードリンクと唐揚げ的な肉類が大量に入ったビニール袋をわたしに見せる。


「相変わらず、プラモが好きなのね……あの、器用な事が出来るダイヤの矢でチャチャッと組み立てればいいのに……」


 わたしは、ゲーム雑誌、中島はグルメ雑誌を立ち読みする。


「はあ……鈴木さん、分かってないですね……自分の手で組み立てるからこそ楽しいじゃないですか……アレ? なんか、ノイズが……」


 わたしたちの目の前に、着物姿の女の子が十メートルぐらい離れた所にいた。年齢は十歳ぐらいだろうか、コンビニの明かりに照らされて、真っ赤な着物が物々しく反射していた。夏祭りの帰りだろうか?いやいや……今は夜中の十二時だろ。


 女の子が、袖の中から何かを取り出す。ライフルによく似た、水鉄砲だろうか……やけに銃の口径が大きい……最近の水鉄砲はヤケに本格的だな……と、思っていたら、その銃口がわたしに向けられていた。女の子が顔を上げる。日本人形のように、綺麗なおかっぱ頭だ。見覚えがある顔だった。以前、甲府で見てしまった写真に映っていた幼い頃のハル……そのものだった。


「グレネード? ……鈴木さんっ!」


 珍しく、中島が叫んだ刹那、中島がフラクチャーを展開させ、蝶の羽の模様に似たダイヤのマントをわたしに被せる。そして、眩い閃光と衝撃音……訳も分からず、わたしはダイヤのマントに包まれながら、後方のドリンクのショーケースに突っ込む。マントのお陰で無傷みたいだけど、耳がキーンとしていた。


 以前のゼリ屋のように、突然爆弾でも落とされた感じ。わたしの目の前の光景は、さっきまでのほほんとしていた深夜のコンビニではなく、土煙が舞い、商品が散乱し、照明が割られ、薄暗くなった店内で、中島と幼いハルが火花と閃光をお互いに散らせながら、撃ち合っていた。


 中島は無数のダイヤの矢を放ちながら、幼いハルを仕留めようとするが、ハルは着物を脱ぎだし、着物がテントウ虫の羽根のようなものに変化して、羽根で矢をガードする。手品のように、着物の内側から、無数の銃、銃、銃が飛び出し、中島の矢を撃ち落とす。


 銃だって? 確か、今のハルしか、銃型のミネラルウェアは存在しないって、ゴマスが言っていたような気が……まさか、あれは実銃ってこと?


「ねえ、知ってる? ダイヤってさ……宝石で一番堅いっていうけどさ、それは傷に対してっていう意味なの!」


 ハルは大声で叫ぶ。無茶苦茶だった。わたしは、カートゥーンネットワークのアニメでも観ているのかな。ハルが、羽根の内側から、数え切れない数のショットガンと対物ライフルのような銃を放り出したと思うと、羽根だと思ったモノが無数の腕と手に変わり、各々銃を持ちながら、銃口を中島に……いや……私に向けている?


 雷でも落ちたのかと思うくらいの轟音がした。周りの缶やペットボトルが無数に撃ち抜かれ、シャワーのように降り注ぐ。見上げると、中島が両手を広げ、仁王立ちしながら、小さな身体でわたしを守っていた。


「ノ……ノブヨ!」


「はあ……だ、から、その名前は、は、止め、てください」


 中島にヒビ割れみたいな亀裂が生じている。


「ハ、ハ、ハジメさん……に、逃げて」


 中島の頭頂部に、斧のようなものが突き刺さる。真っ赤で半透明な物質で出来ている斧だ。まるでルビーのよう。その斧がゆっくりと中島ごと上に持ち上げる。


「やめっ……やめろぉっ!」


 わたしの絶叫を合図に勢いよく斧が下ろされ、バキバキと音を立てながら中島を粉々に砕いていく。


「はーい! 少しでも、ヒビが割れれば、このように粉々よ! ダイヤって、モース硬度的には傷は付きにくいけど、衝撃にはめっぽう弱いのよ、欠けやすいってさ」


 はだけた着物を羽織った、無邪気で邪悪で、子供らしい笑顔を浮かべた幼いハルがわたしの目の前に現れた。首元に、オリオン座のほくろ。両目には、六条の光が浮かび、星のような瞳をしていた。


「ハジメ……必ず、た、助けるから……」


 中島だった破片の一部が、ハルに向かって矢を放とうとする。


「あーっ? 死に損ないのクソ石がっ!」


 ハルはショットガンを中島の残骸に向けて連射する。「クソが、クソが、クソが、クソが」と、何度もいいながら、中島を粉々に砕いていく。


「……どうして、ハル」


「まあ……こいつらNN達は、またEIの外側からバックアップされて、コロっと出てくるから……ゴキブリみたいにさ」


 落ちているロリポップと、中島のラウンドブリリアントの眼球を拾うハル。


「それにしても、こいつも甘ちゃんだよねぇ、身を呈してお姉ちゃんを守らなければ、こんな様にならなかったのにねぇ……ほんとにカワイイ奴だよねぇっ!」


 ロリポップを噛み砕き、中島の眼球を放り投げ、クレー射撃のように、ショットガンで撃ち抜く。


「このっ……クソガキッ……どうして、こんな事を!」


「クソガキだって……そうよ、わたしはクソガキだし、インクルージョンだってクソだし、NNもクソ、この世界……EIだって、クソそのものよ。わたしはねぇ、この世をクソまみれにしたくてたまらないの」


「あなた……本当にハルなの?」


「そうよ……わたしは、和嶋治。見ての通り、十歳のハルよ。仲良くしましょ、ハジメお姉ちゃん」


 いつか見たような、悪魔のような笑顔を浮かべながら、背中から生えたルビーの手がわたしを捕らえる。なにも出来なかったわたしは、ハルと交換した真珠の指輪をギュッと握りしめた。


「助けて……ハル」


「残念、わたしがハルなの、だからさ……」


 幼いハルは、ケラケラと笑いながら、わたしに無理矢理キスをした。ロリポップのせいか、人工的なイチゴの味がした。幼いハルにキスされながら、わたしは……。


「……またかよ」


 と言って、また気を失うのであった。

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