チャプター7 Learning To Live
「あのね、あのね、ハジメお姉ちゃん。テントウムシがなんで、あんなに目立つ赤色かっていうと、自らを捕食者から、身を守るための警告色ってやつなんだってねー。自分がチョー不味いから、襲うなって覚えてもらうために警告していて、テントウムシ以外の不味い虫たちも、真似するように赤くなっていって、同じような模様になっていくの。それをミュラー擬態っていうんだけどさ」
眼下に、わたしの……わたしとハルが住んでいる街が燃えていた。
銃弾と砲弾と爆弾とミサイルの雨が降り注ぎ、黒いキャンバスを赤色に染めるかのように、眼下に広がる夜の街並が一瞬にして、火柱をあげながら、燃え広がる。
あの閃光の中に、どれだけの人間がいるのだろう、想像もしたくない。
「クソ不味い虫たちが、みんな同じ色になっていって、どれがどれだか分かんなくなっちゃって、結果的に自分の種を守るの……わたしは、この世を、すべてのクソEIをわたし色に染め上げたいのかも。テントウムシのように。わたしという種を守るために」
ハルは……子供のハルは、踊りながら、ルビーの斧をギターのように振り回し、テントウムシの色と柄に似ている着物をフリフリ、スタールビーの瞳をパチパチさせながら、レインボーのスターゲイザーっぽいリフを鼻歌で唄い、踊り……狂っていた。
わたしは悪夢を見ていた。わたしは、小さなハルに簀巻きにされて、飛行機の窓に押しつけられ、ハルが起こした爆撃ショーを見せつけられている。真上を見上げると、それは飛行機の天井ではなく、なにかの戦艦の砲身が、わたしに向けられていた。
砲身の奥には、ゴチャゴチャした戦闘機の翼、駆逐艦のレーダーのようなもの、多種多様なミサイル、戦車のキャタピラ……銃器と兵器がバラバラにされ、乱雑なコラージュアートか、男の子がよく考える「ぼくのかんがえたさいきょうのメカ」みたいなものが、わたしの周りを取り囲んでいる。
「こういうの好きだよね男の子って……ってか、ハルは女の子か……はあ……助けて」
かなりの高さを飛行しているせいか、寒さと酸素の薄さで、わたしの意識も薄れてきて、いっそのこと、これが悪い夢であって欲しいと、心底願っていた。いや……もう、夢みたいなものか、この惨事は。
天井がバリバリと裂け、虹色に輝く、マントを羽織った中島……とは、違うNNが、強い衝撃波を放ちながら着地する。
「うわぁおっ! スーパーヒーロー着地だ!」
ハルは嬉しそうに、ピョンピョン跳び跳ねる。
「和嶋治、あなたを
「あー……はいはい。ったく、赤に擬態していても、結局目立つんじゃ、意味ないよねー、特に人間様にはねー」
ハルが指をパッチンと鳴らす。その瞬間、鉄の山々から無数のNNが飛び出し、マント姿のNNを一斉に掴みかかる。各々のNNたちは、何か黒い箱のようなものを手にしていた。
「はーい、ドッカーン!」
強い閃光と、衝撃波が放たれて、マントのNNが、カミカゼ的な自爆を一斉にする。
「自爆させた……なんて」
「酷い? ううん、酷いのは奴ら、インクルージョンよ」
「ここまで強いなら、他のハルの一〇五を十分手に入れたのでしょ? とっとと、元の世界に帰れば?」
「うん? それはどういう……」
爆煙の中から、ボロボロに崩れたNNが、ハルに向かって矢を放つ。それをとっさにキャッチするハル。わたしを見つめたままで、意地悪そうな顔でニヤリと笑う。
「ああ……そうか……あなたたちも、騙されているのね」
「……たちも、ですって?」
ハルは斧をNNに向けて、投げつける。NNはそれをかわし、矢を数発、撃ち放つ。四肢が外れ、頭の一部が剥がれたNNを地面から引っこ抜き、矢を受け止める。
「じぐっ!」
小さな声の断末魔が聞こえた。盾にされている同胞を見て、ギョッとしたのだろうか、NNの動きが一瞬止まる。
「姉妹思いなんだねぇ」
クイッと、ハルは手首をスナップさせて、糸のようなもので斧を手元に引き戻す。斧がクルクルと回転しながら、NNの首が切断された。
「はい、一丁あがり……っと!」
ハルは飛んできた、NNの生首を巨大なルビーの腕と手でキャッチをして、わたしに見せつける。NNが、わたしをギョロッと睨む。やめて……そんな目でわたしを見ないで。
「間近でダイヤが割れる音って聞いたことがある? たぶん、この世で一番、贅沢な音だと思うよ」
「やめて……ハル……こんなこと」
NNを握る音が大きくなる。ミシミシビキビキという音が段々と……。
「で、なんの話だっけ……あっ、そうそうー、結局のところさ、茶番なわけなのよ。一〇五を奪えば、晴れて自由の身?元の平穏な生活に戻れる?はん……そんなの嘘に決まってるでしょ!結局のところ、奴ら……インクルージョンたちは、わたし、和嶋治という存在をね……」
バッキン! と、NNの生首が割れる。頭が、眼球が、鼻が、口が、舌が、耳が、ジグソーパズルのように、粉々に……。
「……粉々に消そうと、しているのよ」
「もういいわよ」
パチンと、焚き火の木片が燃えカスを飛ばす。ソウギョクは、話を遮って、新しい薪を火へと放り込んだ。
「まったく……酷い話だね。確かにその頃のわたしは、ミチが亡くなったり、親の離婚だの色々あったもんだけど、そんな事になっていたなんて。まったく、ガキって奴は……」
「ソウギョクは、何人のハルを倒してきたの?」
「そうだねえ……千は超えたと思うよ。それでも、まったく足りないと思うけど」
「千……」
「途方もない、数だよね……それでも、わたしたちは、この無意味な闘いに……」
ムクリと、ナガツキが起き上がる。
「ナガツキ……起きたかい?」
「うー」と、言って、闇夜の向こう側を指さす。
「NNかい?」
「うー」と、三本の指を立てる。
「三体……ったく、老体に堪えるねえ……鍵を」
ナガツキは、ジャラジャラと首に掛かっている無数のミネラルキーの一つをソウギョクに放り投げる。
「ガ……ガガ……ソフトシェルガガガ、ハードシェルへの相転移をガガ、ミネラル……ウェア……フラクチャーコート、ブルー・オイスター・カルトを起動」
ナガツキの体内から、壊れたスピーカーのような声が聞こえた。
バキバキと、ソウギョクの背中から、澄んだ水のような、真っ青なサファイアのロングコートが飛び出す。
「ナガツキ……距離は?」
猫の目のようなを瞳を輝かせて、指を二本立てるナガツキ。
「二キロね……そんじゃ、こんなもんかな……っと」
右手から、巨大なサファイアの槍……いや、捕鯨をする銛の大砲のようなものが現れる。
十歳のハル同様、星の瞳を輝かせて、ソウギョクは空に向かって、その銛を射出した。ほどなくして、ドン! という、遠くのほうから爆発音が聞こえた。
「少し釣りに行ってくる。ハジメ、ナガツキの見守りをお願いね」
「うー」と、ナガツキはソウギョクに手を振る。
闇夜の向こう側へ、ソウギョクが青い光を発光させながら、彼方へ消えていく。
「うー」と、ナガツキはトコトコとこちらへやって来て、わたしの膝の上に乗る。ドスンっと、ナガツキは幼い見た目の割には、すごく重い。
ナガツキはソウギョクを心配しているのか、ずっとソウギョクが向かった方角をを眺めていた。
「心配しなくても大丈夫よ……ソウギョクは……ハルは凄く強いから」
ナガツキ……五歳のハルは、わたしの腕の中で、ムーンストーンの猫の瞳を閉じながら、わたしの手を握り、ゆっくりと眠る。
少し前、こんなハルの寝顔を見たことがあった。
市営霊園行きのバスの中、わたしとハルは一緒に揺られていた。夏休みが終わり、学園祭や体育祭、写真部での活動、ハル自身との闘いなどなどが重なっているのだろう、ハルは最近よく眠る。
ハルはわたしの手を握りながら、わたしの肩を枕代わりにスヤスヤと眠っていた。わたしはそんなハルの寝顔をカメラで撮る。
そんなわたしたちを、ジーッと中島は前の座席から、顔を出して覗いていた。鳥つくねを食べながら。
「見せもんじゃないぞ、中島」
「はあ……ほんと、あなたたちって、仲がいいんですね」
「余計なお世話。なんで、着いてきたの?」
「鈴木さんがコロコロとハルに誘拐されているせいですよ。上から二十四時間、常時監視を命令されているんです」
「えっ……それって」
「はあ……人間が一番無防備になっている瞬間、つまり鈴木さんがトイレでしているときもです」
「トイレ!」
「はあ……大便のほうが良かったですかね」
「同じだろ! わたしが、ウンコしているときも監視しているというのかお前はっ! この変態!」
「はあ……人が食事中にウンコって、汚いですよ鈴木さん」
「中島が言いだしたんだろうが!第一、大便とウンコの違いってなんだよ!」
「仲がいいねーお前ら。よくもまあ、いい年したJKが大便だのウンコって……」
ハルは大きなあくびをしながら、起き上がる。
「いい雰囲気が台無しじゃないの……ったく、これから墓参りに行くっていうのに」
「はあ……誰の墓ですか」
「……厳密にはあなたの中の人よ、ノブヨ」
広大な霊園の中、大槻理の墓はすぐに見つかった。なぜなら、わたしの父親の墓のすぐ側だからだ。偶然だとしても、わたしは別に驚かなかった。
「はあ……リン酸カルシウムですか……宗教によって埋葬の仕方が異なりますが、この骨をあなたたち人間は、弔い、祈るのですね」
「単なる無機物じゃないわよ。ここには、確かにミチは眠っているし、あの世とか、神なんてものをわたしは信じちゃいないけど、魂的なものは存在すると信じている……こんな状況になってでもね」
ハル黙々とは墓石をブラシで磨き、線香を点け、花を添え、手を合わせる。
「それにノブヨの中にいるミチも言っていたわよ。あなたはわたしの思い出と光と音で出来ているんだってね……そういうものだと思うの、魂とか死って」
「はあ……」
「ありがとう。ハジメ、ノブヨ。あなたたちがいなかったら、わたしはミチの墓参りに来る事もなかったわよ。怖かったからね……でも、やっとミチは死んだって事を思い知ったよ……だから、ありがとう」
わたしと中島は、大槻理が眠る墓に手を合わせる。
どこかでパンッ! パンッ! と、発砲音が聞こえた。瞬時にハルと中島は身構えるが、それは銃声ではなく、鳥除けの発砲音だと知ると、わたしたちは気まずい雰囲気の中、霊園を後にした。
「またね、ミチ……これから、忙しくなるわよ」
ハルは小さな声でそう囁いた。
パンッ! パンッ! ドンッ! と、闇夜の向こうから発砲音と、爆発音が聞こえた。しばらくすると、ソウギョクが、バラバラになった虹色に発光するNNの欠片をいくつか持って、スタスタと何事も無かったように帰ってきた。
銛を持ちながら、片手に狩り取ったNNを運んでくるその姿は、海女さんみたいだなと……なんとなく思った。
「お、おかえり」
「ただいま。ふー、ミネラルウェアとはいえ……この歳だと、堪えるねえ……」
サファイアのコートを脱ぎ、虫の羽のように、背中へ格納される。ソウギョクは、眠るナガツキのワンピースの……ワンピース状のフラクチャーの裾をめくる。
「ナガツキは……五歳のわたしは、カリウム……ムーンストーンのミネラルウェアで、サファイアのわたしと比べると、脆くて弱い。わたしが助けに来た頃には、ドーパント化したわたしによって両親ともども、惨殺されていてね、こうやってNNの欠片を合成し補填させてあげないと、持たない身体になってしまったのよ」
ソウギョクは、銛の先端でNNの欠片を器用に割り、銛の先にアタッチメントのように、NNが武器として用いるダイヤの矢を吸収した。合成し、欠片を小さく研磨していく……ダイヤはダイヤでしか研磨できないから。
確かルビーとサファイアって元々は、同じ鉱物だったんだよね……以前は、子供のハルが自分を強くする為に、NNを合成し、年老いたハルは子供のハルの為に、NNを合成していた。変なカンジ。
「可哀想に、この子はショックのあまり、喋れなくなちゃってね……こうやって、度々、NNを合成させてやらないと、勝手に崩れてしまう。どうしてだろうねえ……子供なんて、一度も産んだことがないのに……」
ソウギョクは、懐からゴールデンバットを取り出し、焚き火の炎を使って火を点ける。
「ソウギョク……いや、ハル。この闘いが、ハルにとって無意味なものってどう意味なの?」
「勘がいいハジメなら分かってるでしょ? わたしたちは、エンドロールのない映画の役者を永遠と演じていて、ハジメはその観客……一種のパラドックスよ」
「それは一体どういう意味?」
「分かっているだろハジメ、もう逃げないで。あなたはもう、観客じゃないのよ」
「逃げる……わたしは、逃げてるの?」
「ハジメ……あなたは、あなたが思っている以上に、ドライで寂しがり屋な女よ、その結果が……まあ、いいか、話を変えよう。なんか、明るい話をしてよハジメ」
「明るい話って……こんな時に」
「こんな時だからよ。わたしは、千ものわたし自身を破壊し続け、幾多もの一〇五を自分自身に同期させたけど、同じわたしの人生なんて、一つも無かったわよ」
「ハルは……」
「ハルは……じゃない。あなたの、ハジメの話を聞かせて。なあに、時間は沢山ある。聞かせて、ハジメの物語を……」
吸い込まれそうな、スターサファイアの瞳をわたしに向けて、ソウギョクはタバコの煙を吐き出す。わたしもため息を吐いて、ソウギョクに言った。
「……ハルと喧嘩したの」
ハルの言ったとおりだった。二学期に入った途端、わたしの学校生活は息つく間もないくらいに、忙しくなる。
わたしはというと、ハルの生徒会の手伝いをしていた。会計をやっていた子が、骨折で入院してしまい、その代わりに手伝ってくれたら、酸っぱいものと、写真部の活動経費を上げてくれるという条件付きで、わたしは渋々、サトジョの学園祭である「伏姫祭」で使われる備品の計算を行っていた。
「ハルさ……進路希望表にはなんて書いたの?」
「ん? とりあえず、有名どころの国立、私立大学を適当に書いといたわよ」
「まあ……ハルだったら言わずものがな……っていうか、まさか一年生で、進路の事を聞かれるとは思っていなかったよ」
わたしは、何も書かれていない進路希望の紙をヒラヒラさせる。ドシンと、上舘先輩が、苦悩するわたしの横に大量の書類の山を置く。
「はい、これが追加のクラス、部活の申請備品の一覧よ。一通り、エクセルで計算しておいて。一応、うちの学校はそういうの厳しいからね、早めに進路のことを聞ききたいのよ」
書類と一緒に、上舘先輩は紅茶をそっと、わたしの目の前に置いた。酸っぱいものが好きなのを知っているのか、大量のレモンシロップも置かれる。
「うへえ……これ全部、わたしがまとめるの……上舘先輩は、進路先どこか決めてるんですか?」
「えっ? わ、わたしは……ハルと同じ大学に行きたいなーって……」
上舘先輩は、少し恥ずかしそうに答える。
「あれ、意外ね。ヨシミはスポーツ推薦とかで、そっち系の大学に行くのかと」
ハルは、上舘先輩が入れた紅茶に大量の砂糖を投入し、ミルクもなみなみと注ぐ。紅茶を冒涜する飲み方だなと思った。って、わたしもか。
「行けないよ……そういうのは、本当に化け物みたいな奴か、よほど自信がある奴じゃないと」
「はあ……上舘先輩だったら、大丈夫な気がします。プライドの塊っぽいし、もったいない」
肉を餌に、中島も生徒会に呼び出され、尋常じゃないタイピングの速さで、書類をまとめていく。ある意味、わたしより適任かもしれない。
「余計なお世話よ! っていうか、なによ、その入力速度は! 来年、生徒会に入りなさいよ! ……あれ?」
「はあ……考えときますよ。色ボケピンボケ先輩」
「うちの可愛い後輩にもちょっかい出すんじゃないわよ。色ボケピンボケヨシミ」
「ちょっと! なんか、これってイジメのような気がするんだけど! っていうか、ピンボケってなによ!」
「うん、ピンボケだよなー」
上舘先輩は、壁に飾った大伸ばしした、ピンボケしたオーブだらけの心霊写真を見ながら、床にうなだれる。
「ちょ、ちょっとピンぼけですよ」
「安い同情は止めて……鈴木さん」
忙しい生徒会の合間を縫って、わたしたちは写真部の展示準備を行っていた。各自、六切りぐらいに大伸ばしした十枚の写真を、パーテーションで仕切って展示をする。
写真は、以前の夏の合宿で撮ったものや、夏休みの合間で撮った写真などから選出される。ただの展示だけじゃつまらないと、写真部の部長でもあるハルは、窓一面に黒い画用紙を張り、カーテンを閉め、電気を消して真っ暗にする。弱めな電球色のLEDで写真を照らし、空いたスペースに、プロジェクターで写真をスライドショーで上映する。音楽もゴマスが所属しているプログレバンド「海馬」から拝借しており、ドラムとベースだけの不協和音が、怪しいというか、妖艶というか。
「ハル……なんか、お化け屋敷みたいな事に……」
「だからハジメ、退廃芸術って言ってるでしょ、企画書にもそう書いたし」
展示に満足そうな顔をしたハルが、鼻息を荒くさせながら、わたしにドヤ顔をする。
「あっ、会長! こんなところに! 書類にミスがあって、急いで修正をお願いしたいんですが!」
生徒会の一人が、突然教室にやって来て、ハルを引っ張っていく。
「面倒臭いなー……すぐに戻るからね!」
ハルが去り、わたしと上舘先輩、中島が取り残された。そういえば、わたしたち三人になるのは、いつ以来だろう、また気まずくなるのかなーと、気が落ち着かない。
「鈴木さん」
「は、はい!」
「残った写真を額縁に入れるのを手伝って。中島さんもね」
わたしと中島、上舘先輩は、黙々と額縁に写真を入れ、レーザー光線の水平計を使って、壁に写真を綺麗に並べていく。
「鈴木さん、この並びでいい?」
「うーん、なるべく構図が一緒にしないほうがいいかもしれません。両端のやつを入れ替えてみると」
「……あ、ホントだ。物語みたいに流れが変わっている」
「面白いですよね。展示の並べ方を変えるだけで、印象が変わるのが。そこが写真の良いところで……」
固定が甘かったのか、グラッと、写真が落下しそうになる。それをとっさに、キャッチする上舘先輩。そのまま床に倒れそうだったので、わたしは先輩を受け止める。伊達に陸上部なだけあって、ガッシリした体格の割には、体重が軽い。
「大丈夫ですか?」
「あ、ありがと……ふふ」
上舘先輩はわたしに、抱き抱えながらクスクス笑う。
「ご、ごめんなさい!」
「いや、こちらこそごめんね……でもちょっと可笑しいかも……だって、わたしと鈴木さんって、ちょっと前だと」
「ハルの恋敵ですか? その話は……」
「ええ、もうその話はしないわよ……ハルの前ではね」
上舘先輩がそう言うと、グイッと力強く、わたしの手首を持ち上げ、顔を近づける。プロジェクターの調整をしている中島が立ち上がり、上舘先輩を制止しようとする。瞳がダイヤの模様に……プロポーショングリッドを起動させていた。
「ちょ、ちょっと待って! 中島! なにもするなよ!」
わたしは、中島を必死に止めた。
「はあ……鈴木さんがそう言うなら」
そう言って、中島はプロジェクターの調整に戻る。
「なにが、なにもするなよ……よ。鈴木さんと、中島さん、そしてハルの間で、何かわたしに黙って隠し事をしているのは分かっているわよ」
わたしはギクリとした。中島が、ゆっくり瞳を輝かせる。やめろ、やめろ、「上書き」はやめろ。
「わたしにも、ハルや鈴木さんに隠している事があるから、それについて深く聞く気はないけど……で、どうなのよ?」
「ど、どうって……なにがですか?」
「鈴木さんの進路に決まってるでしょ?」
……なんだ、そんな事か。と、声に出そうになったけど、上舘先輩の目が本気だったので、ぐっとこらえる。
「どうして、上舘先輩がわたしの進路を気にするんですか?」
「当たり前でしょ、いいの? このままだと、ハルとわたしは同じ大学に行く事になるよ……」
「それで上舘先輩は一緒の大学にいる間に、ハルをゲット……って、そんな感じですか?」
「はあ……ありきたりですね。ほんと狭い世界」
『中島!』と、わたしと上舘先輩は同時に注意した。
「……ごめん」と、中島は小さく謝る。
「そりゃ、迷っていますよ。まだ一年だし、進路だなんて……ただ」
「ただ?」
「まだハルには言ってないんですけど、わたしは美術系の大学に行きたいと思っています。美術の学校で写真を学びたい」
「本気なの?」
「自分でも本気なのか分からないですよ。上舘先輩も言ってましたよね。よほど自信がある奴じゃないと……って」
「それは……」
「わたしも出来れば、ハルと同じ大学に通いたいけど、わたしはハルや上舘先輩ほど頭も良くないし、わたしは、わたしの選択で将来を決めたい。ハルに縛られたくはないし、ハルもそれを望んでいると思う」
「……そう」
上舘先輩は、飾られたわたしの写真をチラッと一瞥する。
「……鈴木さんなら、大丈夫だと思うかも……なんか、ハルがあなたを好きなのもなんか分かった気がするわよ」
小さな声で、上舘先輩はそう言うと。
「ちょっと、飲み物買ってくるわね……なにがいい?奢るわよ」
「えっと……じゃあ、酸っぱいので」
「はあ……じゃあわたしも、元気ハツラツなものを」
「中島さんは自分で買えっ!」
上舘先輩と入れ違いで、ハルが戻ってきた。
「あれ、ヨシミは?」
「……飲み物を買いに行ったよ」
「そう……」
ハルはしばらく、わたしの写真の前に立ち尽くしていた。
「ハルの準備は終わったの?」
「うん……あらかた、ね」
ハルの様子が少し変だった。
「ハル?」
「うん?」
「どうしたの? ボーッとして」
「えっ……いや……なんか、少し疲れているのかも」
わたしはハルの肩に手を置く。ハルはわたしの手に顔をスリスリさせた。
「見ての通り、最近、忙しいから……少し休ませて」
「ねえ……ほんとにいいの?ハルの写真を展示して」
わたしは、夏休みに撮ったハルが写る写真を指さす。
「いいのよ……どうせ、減るもんじゃないし……ねえ、ハジメ」
「なに?」
「この写真をなにか公募に出してみない?」
ハルのその一言に、わたしは少し悩む。
「まだやめて」
ハルは意外そうな表情をした。
「でも……こんなにいい写真……」
「まだ全然撮り溜めていないから」
そう言ってみたが、実のところ、このハルの写真は……わたしとハルだけのものにしたかったのだ。今回の展示でも、この写真を出すかどうか、ギリギリのところで悩んだ。
「そう……」
「ハルの手の写真は? よく撮れてると思うけど……」
ハルの写真展示は、触覚をテーマにしていて、ハル、わたし、中島、上舘先輩、ゴマスが触れる手先だけで写真を構成していた。カメラを触れるわたし。廃墟の壁に触れるハル。牛串を握る中島。陸上のバトンを持つ上舘先輩……手フェチっぽい、ハルらしい写真展示だった。特にベースを持つゴマスの手の写真は躍動感があって……。
「ハル、ゴマスのバンドのライブ行ったの?」
「いやー……行ったというか、セッションしたというか」
「セッションって……ハル、楽器演奏できたっけ……なんか臭くない?」
中島のほうを見ると、プロジェクターの調整が終わったのか、机の上でハンダゴテを持ちながら、なにかの回路板みたいなのをハンダ付けしていた。
「中島、なにをやっているの?」
「おーっ、だいぶ完成してるね!」
ハルは子供のように、ピョンピョン飛び跳ねる。
「中島、もしかしてこれって、ギター用のエフェクター……自作してるの?」
「はあ……そりゃあハルがA5ランクの和牛を買ってくれるんですから、最高の肉厚な歪みを出させますよ……肉だけに」
「どこでライブを?」
「そんなの学祭当日に決まってるでしょ。生徒会は「伏姫祭」の開会式で何か出し物をやる伝統だからね。そこでドカンと一発やろうと思うわけ……ちなみにわたしがギターとボーカル」
「はあ……わたしもドラムとボーカルです」
ハルと中島はわたしに、エヘンとドヤ顔をした。
「……だから二人とも、楽器って演奏できたっけ……あ」
「そう、プロポーショングリッドがあればね、演奏なんてお手のものよ」
ハルは虹色の瞳、中島はダイヤの瞳を輝かせながら、エアギター、エアドラムを始める。さっきまでのヘロヘロだったハルはどこに行ったのだろう。夢中にエアギターをやっている姿を見ていると、なんだか十歳の頃のハルをわたしは思い出す。
「同じハルなんだね……」
わたしはボソッとハルにそう言っていた。
写真展示の準備が終わる頃には、夜の七時過ぎになっていて、すっかり外も暗くなっていた。
「そんじゃーあらかた終わったわねー、当日はサボるんじゃないよー」
ゴマスは点呼をとりながら、わたしたちに念を押す。
「サボりたければ、サボりたいわよ。でも生憎、わたしたちは生徒会なのよゴマス」
「生徒会」のあたりでエアクォーツをするハル。
「それじゃ明日ね……ハル。鈴木さんはちゃんと考えておいてよね」
上舘先輩からも念を押されるわたし。
「なにを考えておけだって?」
「あー色々とね……」
「ふーん……ハジメ、ちょっと着いてきて」
ハルは学校の出口とは反対の方角へと、わたしの手を引っ張る。
「ハル?なにか忘れ物したの?」
「まあ、そんなもんかなー」
とある扉の前で、ハルは鍵を取り出す。
「ここって……プール?」
「学祭だから、職員室に出入りする事が多いからね。その隙にプールの鍵を少し借りてきたのよ」
「借りてきたって……どうせ、勘違いとか言って、誤魔化すんでしょ。生徒会長である和嶋治がプールの鍵を盗んで、放課後に遊ぶだなんて誰も思わないからね。わたしを除いて……」
「はあ……わたしの事も忘れていませんか」
いつのまにか、わたしたちの背後に、中島が突っ立ていた。
「まったく、幽霊みたいに着いてくるわよね、ノブヨって……まあ、丁度良いわ。あなたが必要だったのよ」
サトジョの学費が超高いと母親がぼやいている通り、サトジョの校内設備は大分充実しており、ここ屋内プールも別ではなかった。温水、冷暖房、サウナ完備と至れり尽くせりであり、上舘先輩も陸上部にもこれくらいの設備を回してほしいと、いつも文句を言っていた。
「やっほい! 貸し切りだぜ!」
ハルは風呂に入るかのように、その場で制服を脱ぎ捨てる。もう、見慣れた行動なので、別に驚きはしなかった。
「ノブヨ!」
中島は「はあ……はいはい」といった感じで、ハルにミネラルキーを投げつける。
ハルは下着姿でプールに飛び込み、鍵を回しハードシェル化、真珠の銃を自分に撃ち込むと、クラゲ……いや、ウミユリのような物々しい花のスカートを水面に広がり、浮かんできた。
わたしが驚いたのは、ハルのフラクチャードレスの姿だ。今までの闘いの……二人分のハルの一〇五を手に入れたせいだろうか、ドレスのデザインが変化……というか、成長している気がした。
「ハル……その姿」
「ハジメおいで! 一緒に泳ご?」
わたしは、どうしたのだろう。ハルが可哀想?同情?いや、そんな安っぽい感情じゃない。なにを今更。わたしは、今のハルを思いっきり抱きしめたかっただけだ。
わたしも下着姿になり、プールへと、ハルの胸元に飛び込む。
十歳のハルの一件以来、わたしとハルは、どこか麻痺していたかもしれない。他のEIとはいえ、一度、わたしの世界、わたしの街が滅ぶ光景を目撃したのだから。放課後のプールを無断で貸りるのも、わたしたちにとっては造作もない事だろうと感じた。
「ハジメ」
「なにハル?」
「キスして」
「……いいよ」
ハルはウミユリの触手を使って、わたしを包み込み、優しく口づけをした。ハルの舌がわたしの舌をコロコロと器用に回し続け、そのままゆっくりと水中へと引きずり込む。
ハルの吸い込まれそうな虹色の瞳が水中で乱反射して、すごく綺麗だ。
輝く瞳に吸い込まれながら、わたしとハルは何度も何度も、キスを続けた。息が続かないと思ったら、ゆっくりとハルは浮上する。
「どうして、わざわざ文化祭でライブをするの?」
「わたしの本気を見せたいから。学校のみんなじゃなくて……ハジメに」
「わたしに?」
ハルは背泳ぎしながら、ウミユリのスカートを細く伸ばし、クルクルとスクリュー状に回転させる。
わたしはハルのお腹にまたがり、イルカに乗ったかのように、プールを遊覧する。
「十歳のわたしと闘ってさ、なんとなく思ったのよ。わたしはいつ死んでもおかしくないって」
「ハル」
「分かってる。でもハジメだって思ったでしょ。あの世界を……わたしは、わたし自身が、世界を滅茶苦茶に出来る力を持っている。そんな力を持っているのに、わたしはいまだに現実感がない。小説とか映画を読んで観ている感じ。うん、偽物の世界だって事は承知してるよ。でもまるで……まるで、わたしがフィクションの産物かのように、始めから存在しないかのように感じるのは何故なの?」
「やめて……ハルはここにいるよ」
ハルはわたしの手を強く握る。
「そう……わたしはここにいる。だから、全校生徒の前で演奏しようが、ライブしようが」
「造作もない」
「そう。だから、本気のわたしをハジメに見て欲しいの。ハジメもわたしに……本気を見せて」
「わたしの本気……それは一体どういう意味……」
「なんでもない!」
ハルは誤魔化すように、わたしをギュッと抱きしめ、水中へと再び引きずり込む。プールの底を思いっきり蹴って、ハルと一緒にプールから思いっきりジャンプする。ほんとにイルカみたいだ。
三、五メートルくらいの高さを何度もハルは飛び跳ねた。着水の衝撃を和らげる為に、ハルはウミユリのスカートの裾をわたしに被せる。
「好きだよハジメ」
「わたしもハル」
ハルとキスをしながら、ジーッとこちらを眺めている中島をスカート越しにチラッと覗いてみた。
中島が口をパクパクさせながら、なにか言っているように見える。
「やめて」
……わたしにはそう言っているように見えた気がした。
「ずっとこのままだったらいいのに」
飛ぶのに飽きたハルが、プカプカ浮きながら、いつもの口癖のように言う。ゲームの電子音が聞こえてきた。
「このままという訳にはいかないわよー」
ハルがフラクチャードレスの姿になったせいだろうか、ゴマスがワンダースワンをやりながら、プールの飛び込み台にあぐらをかいて座っていた。
「そろそろ来る頃だと思ったわよ」
「お楽しみのところごめんねー。ってか、フラクチャードレスを犬笛みたいに使うんじゃないわよー」
「それで、プールを無断で使っている事をわざわざ注意しに来たの?」
「まあーそれもあるけどー、決まったわよー」
「……次のわたしね。今度もドーパントとかじゃないわよね」
ゴマスは、ゲームをポーズする。
「それがね……よりにもよってなんだけどー、そのドーパントなのよ」
「……はっ?」と、わたしとハルは一緒に、目を点にさせる。
「とりあえず、続きを説明するから服を着ろー……なんか、和嶋さんたちって、いつも裸よねー」
ゴマスの車に運ばれて(何事も無かったように、アストンマーティンに乗っている)、わたしたちは、とあるマンションの前に降ろされた。
「ここは?」
「あー、そういえば初めてだったねー。ここが我々……わたしの家よー」
築二十年ぐらい、七階建てのありきたりで、よくある2LDKのマンションにゴマスと中島は住んでいた。
「まあー、汚くて狭いとこだけど。ゆっくりしていきなー」
インクルージョンは、共生している後藤真澄のプライベートには干渉しないのだろうか。
壁にはハードロックやメタルバンドのポスターが無造作に貼られ、床にはベース用のシールドケーブルが、なにかの生き物のように乱雑に放り出され、スタンドに置かれた無数のベースとアンプ類が、ゴマスが教師をやりながら、バンドをやっている二十代の女性というのを思い出す。
部屋が松脂とシンナー臭いのは、中島のせいだろう。彼女の部屋と思しき異空間から、積まれたプラモの箱がはみ出ていた。
「へーっ、スゴイCDの数ね……」
ハルは棚に並べられた膨大なCDをまじまじ見ていた。
「貸さないわよー、借りパクはゴメンだからねー。欲しいならデータでー……って、そうじゃなくてー」
ゴマスはテレビの電源を点ける。監視カメラの映像だろうか、粒子の荒い動画から、青いワンピース姿の小さい女の子と、同じように青く光輝くコートを羽織った、初老の白髪の女性が高架下のトンネルと思しき場所をトコトコと歩いていた。
「呪いのビデオ? 藪から棒になにを見せてるの……ゴマス」
「黙って見ててー」
二人を挟むように、マント姿のNNたちが立ち塞がる。白髪の女性が両手を上げると、映像が閃光に包まれる。煙で充満するトンネルには、二人の姿はなく、NNの残骸だけが取り残されていた。
「これが、今度の和嶋さんの相手たちよ」
「たち……って、まさか?」
「そうよー鈴木さん、今度の相手は二人組よー」
指をエアクォーツさせるゴマス。
「笑えないわよ……今度のわたしの相手は、年寄りと子供という訳?」
ゴマスは次のチャプターの画面を切り替えた。わざわざこの為に編集したのだろうか。
「ただの年寄りと子供じゃないわよー。なんせ和嶋さんだしねー」
画面に、望遠レンズで撮ったような、ポートレート風の写真画像が表示される。十歳のハルはおかっぱだったけど、もっと幼いハルはサラサラした長髪ロングヘアだった。
「これは五歳の和嶋さんよー。カリウムのミネラルウェアで
次に白髪姿の老いたハルが表示された。こうやって、テレビのスライドショーで老いたハルを観るというのも変な感じだった。
「そんで、七十歳の和嶋さんー。こいつが厄介でねー。酸化アルミニウム……十歳の和嶋さんと同じミネラルウェアでー、こっちはサファイアのフラクチャーを所持、能力は不明だけどー、十歳の和嶋さん同様……」
「
「そう、合成よー鈴木さん。我々のNNユニットを簡単に処理しているのを見ると、この二人はなにかの、NNの能力を取り組んでいると思うのー」
「……根本的な疑問なんだけどさ、ゴマス」
「なあにー? 和嶋さん」
「どうして五歳と七十歳のわたしが一緒に行動しているの? そもそも、わたしの分身たちって、互いを壊し合っているハズじゃ……」
「いい質問ねー。それなのよー……なんで、この二人が組んでいるのか、我々もよく分からないのよ」
わたしは、ゴマスの発言にカチンときた。
「よく分からない……よく分からないだって? ちょっとの想像力があれば分かるでしょ! このハルたちは……どう見ても、七十歳のハルは、五歳のハルを守っているのよ! 他のハルから聞いたよ……あなたたち、インクルージョンは赤ん坊のハルもミネラルウェアに変えてるらしいじゃないの……」
「……えっ」と、ハルはポカンとした顔をした。
「やっぱりあなたたちは……」
人ではないの?と、言いそうになる。
「どうしてそんなにも……見境なく、ハルを争わせているの?」
ゴマスは黙り込む。いつものニヤニヤした笑顔が消え、真顔になる。
「黙ってないで、答えて」
ハルも小さな声でゴマスに問い詰める。
「……見境ないわけじゃない。これは我々にとって、仕事みたいなもんだしね。全ては和嶋さんの因果律次第よ」
「また因果律……因果律って、それのせいばっかにしていて、無防備な赤ん坊にまで巻き込む理由には……」
「いいのよ……」
ハルはわたしを制止する。
「でも……」
「いいのよハジメ……赤ん坊だろうと何だろうと、結局のところわたしなんだから」
「ハルは赤ちゃんの自分を殺せるの?」
ハルは天井を凝視して、しばらく考えながら、わたしを見る。そして「……たぶん」と言った。
わたしはハルの目を見て、ギョッとする。ハルの瞳が……わたしだけをいつも見ていた瞳が……わたしではなく、虚ろに、どこか遠くの方を見ていたから。
「ハル……」
「わたしは大丈夫よハジメ」
「なにが……大丈夫よ、だよ」
しばらく、わたしとハルは沈黙する。中島がお湯を沸かしていたのか、電気ケトルからピーッと、電子音が甲高く鳴り出す。
「ま、まあー、今回に限っては、この二人と闘う必要はないと思うよー」
「……それはどういう意味なの? ゴマス」
「この二人はドーパントではあるけどー、我々から逃亡しているわけよー。向こうがこちらに干渉してこない限り、こちらからも不用意に闘う必要はないのよー。もうこれ以上、ここのEIのクラリティが悪くなるのはゴメンだからねー」
「……つまり、今回は不戦ってこと?」
わたしはホッとしたが、ハルはばつが悪そうに残念そうな顔をする。
「だけどー、十歳の和嶋さんのことがあるからねー……学祭が始まるまで、ウチで泊まっておいてー」
「えっ」と、わたしとハルはポカンとした。
「……はあっ?」と、レンチンした骨付きチキンを落とす中島。
ゴマス曰く、わたしとハルをドーパント化したハルから保護する為、土日の間だけ、ゴマスの家に泊まる事となった。
親の方には、ゴマスから連絡しておくと言ったが、インクルージョンの事なので、たぶん何かやったに違いない。家にあるはずの、着替えや歯ブラシ、化粧品などが入ったダンボールを、いつのまにかゴマスから渡される。
「なんか、災害から避難するみたいだね」
「はあ……災害みたいなものじゃないですか、ハルは」
そういえば、いつのまにか中島が、ハルの事を下の名前で呼んでいるのが少し気になった。やはり、十歳のハルとの一件からだろうか……。
わたしとハルは、ゴマスか中島の部屋どちらかに寝るのか、ジャンケンをした。
「っていうか、あんたらの部屋どちらかを貸しなさいよ!」
「いやよー、また二人っきりにして勝手にエッチされるのはゴメンだしー、わたしが中島の部屋で寝るのは嫌よー、シンナー臭いもん」
「はあ……わたしも断ります。あんな床の踏み場のない部屋……」
その結果、わたしとノブヨ、ハルとゴマスで部屋が分けられる。せっかくだからと、ハルはゴマスと一緒に、学祭での演奏の練習を始めた。
「中島はいいの? 一緒にやらなくて」
エマーソン・レイク&パーマーのアルマジロ戦車のTシャツに着替えた中島は、やれやれという顔をする。
「はあ……いいですよ、どうせプロポーショングリッドまかせですから。たぶん、ハルとセッションしたがっているのはインクルージョンのほうじゃなくて、後藤先生の意志でしょう。ああ見えて、一緒に演奏できて嬉しいみたいですよ」
中島の部屋は所狭しと、プラモデルの箱が天井まで積まれていて、ガラスケースの中に、中島が制作したプラモデルが整然と並べられていた。
「エフェクターは完成しそう?」
中島は、相変わらずハルのライブの為に製作しているエフェクターをいじっていた。
「はあ……これで理想的なアッパーオクターブが出れば、いい感じになりそう」
中島はギターとアンプの間に、自作したエフェクターを取り付け、基盤状の部品に小さなドライバーをゆっくりと回しながら、音の調整をしていた。
キーン! と、中島がギターの弦を弾くと、女性の甲高い雄叫びのようなファズが鳴り出す。
「おおっ! いいゆが……じゃなくて、
「はあ……これで、大体は出来上がりです。ふう……プラモデルとは違って、これはこれで中々いい経験になりましたよ」
完成した基盤を見ながら、フンフンと鼻息を荒くさせる中島。
「このエフェクターの名前は?」
「はあ……名前ですか?」
「そうよ……せっかくだから、ブライアン・メイのレッド・スペシャルのような素敵な名前を……」
「はあ……レッドですか、それじゃあこのエフェクターの名は、赤門と名付けます」
中島は、ヨダレを垂れ流しながら、千葉の有名な焼肉店っぽい名前を言い出す。
「焼き肉か……食べたいねえ」
「はあ……今度一緒に行きましょうよ」
中島は嬉しそうに、満面の笑みを浮かべた。あまり見せない、中島の笑顔にわたしは少しドキリとする。
中島の匂いがするベッドで横になりながら、わたしはエフェクター作りに勤しむ彼女の背中を眺めていた。ハルとゴマスは相変わらず、演奏の練習を止めない。
「はあ……うるさいなあ」
ピタッと例の音を消す何かを発生させる中島。そのまま、わたしが寝るベッドの中へと潜り込む。中島の匂いが更に強くなった気がした。
「そういえば、あなたたちNNって、寝る必要があるの?」
「はあ……肉体は人間に近いですから、寝ますよ。夢を見るのは贅沢な事ですし」
「ふうん……そんなものか」
「はあ……そんなものですよ」
その会話から、一時間ぐらい経つ……眠れなかった。わたしは、寝返り、中島のほうを見る。寝ているのだろうか、スースーと可愛い寝息をたてていた。
「中島……」と、わたしは小さな声で中島に言う。反応はない。
「ノブヨ」
今度は、下の名前で呼んでみた。
「はあ……その名前は止めてください」
「ありがとね、ノブヨ」
「はあ……なにがですか?」
「十歳のハルからわたしを庇ってくれたことと、わたしを救ってくれた事にまだ、お礼を言ってなかったよね」
「はあ……いいんですよ。仕事みたいなものですから」
「だとしてもだよ。身を呈してわたしを庇ったんだから……それって、立派な事なんだよ……ノブヨ、ありがとう」
「はあ……その名前は」
「どうして? ハルからはノブヨって言われてるのに、どうしてわたしじゃダメなの?」
「はううっ……それは」
ノブヨは掛け布団で顔を覆い、モジモジしていた。可愛い。
「ねえ、ノブヨ? ノブヨ、のぶよ、ノブヨ、のぶよ」
「か、からかわないでください……」
「ノブヨ、プールのとき、どうしてわたしににやめてって言ったの?」
ノブヨはハッとしたように、わたしの方へと振り返る。暗闇にノブヨのラウンドブリリアントの瞳が光輝く。
「はあ……見たのですか?」
「これでもわたし、かなり視力がいい方だから……ね?」
ノブヨは、何か考えているのだろうか、しばらくわたしの顔をまじまじ見つめていた。
「はあ……さっき、鈴木さんは」
「もう、ハジメでいいでしょ、水臭いなぁ」
「はあ……ハルと同じ事を……さっき、ハ、ハジメはわたしを立派だと言いましたが、そんな事はないです。わたしは一度逃げたのですよ」
「知ってるよ。でも、ノブヨはハルと一緒に救いにきたでしょ」
「はあ……それは結果論に過ぎません。IRにハルが来なかったら、わたしは……わたしは……」
わたしは、ノブヨの手を握る。
「ハルが言っていました。わたしにとって、生きる事の意味ってなにって」
「生きる意味……」
「はあ……正直、NNユニットであるわたしには、そんなの分かる訳ないじゃないですか、でも……」
「でも?」
「ハッキリ言って、動揺したのは確かでした。その言葉の意味を汲み取ろうと、しばらく悩んだりしましたよ……そして、わたしはハルとハジメの関係を観察していて、ある事に気付いたのです」
「ねえ……それが、ノブヨが言ったこととどういう関係が……」
ノブヨはムッとしたように、黙り込む。
「どうしたの?」
「はあ……もういいですよ。四六時中、わたしの目の前でベタベタイチャイチャしてるもんですから、ウザくなって、やめてって思わず言ったんですよ」
ノブヨはプイっと、わたしとは反対の方へと寝返りを打つ。
「はあ……明日は休日とはいえ、学祭準備とかリハーサルで忙しいんですよ。とっとと、寝ましょう」
「……分かった」
腑に落ちなかったが、わたしも睡魔には勝てず、ゆっくりと眠りに落ちそうになる。
「……わたしもハジメの本気が見てみたいです」
ノブヨは、わたしが眠る直前、そうボソッと言った。
「うん、知ってるよ」と、思わず言いそうになったが、その言葉を飲み込んで、段々とわたしは夢の世界へと誘われた。
学祭当日、写真部であるわたしとノブヨも、結局、生徒会と実行委員の手伝いをする羽目になってしまった。
体育館での開会式の飾り付けや、音響装置の設営、照明のセッティング、プログラム通りに行うようにする進行、誘導係などなど、やる事は色々だった。
「鈴木さん、この機材ってここに置いておけばいい?」
「いえ、ここだと通り道で邪魔だから、脇の方に積んで置いてください」
「鈴木さん、照明用の電球が切れちゃって……」
「またですか? 職員室横の備品置き場に確か換えがあったはずなのでそれを使ってください」
「鈴木さん、このスケジュールで合っていたっけ?」
「ここは同じ音響を使いたいからって、演劇部とダンス部を無理にブッキングしたはずですよ」
「鈴木さん……」
なぜか、同級生と上級生たちが、立て続けに、わたしばかり頼ってきて、目が回りそうだった。
「鈴木さん、スゴイわね……ほんとに、運営が初めてなの?」
上舘先輩が疲れた顔で、わたしに冷たいお茶を差し出す。
「ハジメは普段、ワンオペの写真屋バイトをやっているからね、要領も物覚えもかなりいいのよ」
ハルはメガネを外し、メイクをばっちりキメていて、格好も制服でなく、普段のわたしとのデートで着ているゴスロリの格好だった。幕張のフェスで歌っていたハルを思い出した。
「ほんとにその格好でいいのハル?」
「いいのよ、どうせハジメとヨシミにはこの格好の事はバレてるし、写真展示にだって、堂々と公開してるじゃないの。それに、今日はせっかくの学祭だし、みんな似たような格好だからね、木を隠すなら何とやらよ」
ハルはわたしが飲んだお茶を取り上げて、それを飲み干す。
「校長先生の挨拶に続いて、生徒会長からの挨拶です」
「そんじゃ、行ってくるわねハジメ、カッコイイわたしをどんどん撮ってねー!」
学祭でも写真部の活動が無いわけでもなく、生徒会が発行する学校新聞や、ホームページに載せる写真を撮るために、わたしは、学祭の模様を写真で撮りためる係をやる事になっていた。
「プロポーショングリッドを連結させておくのを忘れずにねー」
意外とゴスっぽい格好が似合っているゴマスはハルに、紫色のギブソンSG(どこにそんなもんあったんだ)を渡しながら、目元をトントンと指さす。
「はいよ、連結連結」
「はあ……連結」
「プロポーション……なんだって?」
「……楽器の事ですよ」
わたしは、何も知らない上舘先輩をごまかす。
ハルは、トコトコと壇上に上がる。わたしは、ステージの横から客席を覗いてみると、今から学祭が待ちきれないサトジョの生徒たちが、出し物での思い思いの格好をしながら、ザワザワとかしましく騒いでいた。そんな中、普段のハルから想像出来ないような、ゴスロリの格好で壇上に上がるハルを見て、サトジョの生徒たちはどういう反応をするのだろうか。
「生徒会長の和嶋治です。皆様全校生徒の絶え間ぬ努力のお陰で、第八十八回目の伏姫祭を無事開催する事が出来ました」
かしましくしていた生徒たちが、ハルの格好を見てギョッとしたのだろうか、一瞬シーンとなって、少しだけザワザワする。
「……まあ、これはさっき校長先生も言っていたんで、省略します。だって、退屈でしょ?」
さすがハルだった。ざわついていた空気が少しだけほぐれ、小さな笑いが起きる。
「持ち時間が少ないので、とっとと巻いていくけど、どうしてわたしがこういう格好をしているというと、みんながご存じのように、生徒会が続けている伝統……出し物の為であってね、今年は一曲、みんなに聴いて欲しいものがあります。この後が軽音部だから、前座みたいなものでうまく演奏出来るか分からないけど……」
「はあ……緊張する」
ハル同様、西洋人形のようなゴスロリの格好をしたノブヨのポーカーフェイスが、珍しく崩れていて、せわしなく、ドラムスティックをクルクル回していた。
「ノブヨ、緊張をほぐすいい方法があるわよ」
「はあ……教えてください」
「観客をジャガイモ……いや、肉だと思えばいいのよ。和牛百パーセントの霜降り肉だと」
「ふふ……はあ……なんですかそれ……でも、ありがとう」
ノブヨはわたしの胸元に顔を当てる。わたしの好きな柑橘系の香水の香りがした。
「はあ……ハルには内緒ですよ?」
ノブヨは人差し指を鼻に当てながら、壇上に上がる。
「ベースは後藤真澄先生が、ドラムは一年D組の中島のぶ代さんです」
プロポーショングリッドを起動させているのだろうか、ハルは真珠層の虹色の瞳。ノブヨはラウンドブリリアントの瞳。ゴマスはルチルクォーツの瞳を輝かせながら、各々の楽器のチューニングを始めた。
ギインッと、ハルがギターの弦を弾くと、とんでもない轟音のディストーションが鳴り出し、床が震える。ノブヨの奴、エフェクターだけじゃなくて、アンプも何か細工しやがったな。
「それじゃ始めます」
ノブヨが、スティックを四回叩き、ゴオオッ! という音圧がわたしに襲いかかる。いや、わたしだけじゃなかった、サトジョの生徒たちが、突然の爆音に耳を塞ぐ。
これは「演奏」と呼べるものだろうか、ハルとゴマス、ノブヨが出来るだけ、速く、重く、深く、自由な……本当に自由なリフを奏でていた。
次第に各々のリズムが合うようになり、プレイヤーをシャッフルさせたかのような演奏になる。
ヘヴィ、スラッシュ、デス、メロスピなどなどの様々なメタルのサビ部分を次々とチャネリングしながら切り替えていく。
時折、ジャズやクラシックっぽいメロディも奏でながら、まるで、どの曲が今回の演奏に相応しいのか、模索し、チューニングしているかのようだ。
赤ん坊の鳴き声のような、甲高いギターが鳴ると、演奏がピタッと止まる。ハルのギターが、スローテンポのアルペジオで神秘的なメロディを奏でる。
「諞るャア縺ェ譛」と、ハルが歌い出す。
なにかの外国語?英語ではない。
なんて言ったのかは分からない。プロポーショングリッドに表示された歌詞をそのまま謡っているのだろうか。
「郢ー繧願ソ斐&繧後k蟄、迢ャ諢溘↓謇薙■縺イ縺励′繧後↑縺後i縲√o縺溘@縺ッ縺溘□蛛ス繧翫?繧上◆縺励r貍斐§邯壹¢繧」
ゴマスとノブヨの演奏がハルのギターにテンポを追いかける。
「繧上◆縺励?蠖シ螂ウ縺ョ繧医≧縺ォ縺ェ繧翫◆縺九▲縺溘?よ。??逧ョ繧偵?縺上h縺?↓縲√o縺溘@縺ョ莉ョ髱「繧偵?∝ョケ譏薙↓縲√?縺阪◆縺九▲縺」
ハルは何故か、わたしの方を見る。そして、少し切ない顔をした。ピッキングの速度が段々と速くなり、スローテンポから、スラッシュメタルのような速く、重いリフが流れ出す。
「縺?縺九i繧上◆縺励?蠖シ螂ウ縺ィ雕翫j縲∬ク翫j縲∝多蟆ス縺阪k縺セ縺ァ雕翫j邯壹¢縺溘>?√◆縺ィ縺医%縺ョ荳悶′蛛ス繧翫〒繧ゑシ√←縺?°縲√%縺ョ譖イ繧呈ュ「繧√↑縺?〒縺上l?」
ここがサビだろうか、ハルとノブヨ、ゴマスが一緒に叫ぶようにコーラスする。
「蝗ー遯ョ縺励◆譏シ」
続いて、ノブヨが歌う。透き通った、少年のような歌声だった。ツーバスを叩きながら、歌っているのだから大した技術である。
「郢ー繧願ソ斐&繧後k逹。鬲斐↓隘イ繧上l縺ェ縺後i縲√o縺溘@縺ッ縺溘□縲∝⊃繧翫?閧我ス薙〒莉冶??r貍斐§邯壹¢繧」
ハルがノブヨの方に近づき、一緒にわたしを見る。
「繧上◆縺励?蠖シ螂ウ縺ォ謖ッ繧雁髄縺?※谺イ縺励°縺」縺溘?り憶縺?、「繧定ヲ九◆譛昴?繧医≧縺ォ縲√o縺溘@縺ョ霄ォ菴薙r縲∝━縺励¥縲∝ョ牙?オ縺輔○縺ヲ谺イ縺励>」
ハルとノブヨが互いに呼吸するかのように、止めどなく激しいセッションを始める。二人でわたしを見つめ、切なく、ニコリと楽しそうに笑みを浮かべる。
「縺?縺九i繧上◆縺励?蠖シ螂ウ縺ィ雕翫j縲∬ク翫j縲∝多蟆ス縺阪k縺セ縺ァ雕翫j邯壹″縺溘>?√◆縺ィ縺医%縺ョ荳悶′邨ゅo繧翫〒繧ゑシ√←縺?°縲√%縺ョ貍泌・上r豁「繧√↑縺?〒縺上l?」
イングヴェイのように、ハルはギターをバトンのようにグルグル振り回し、ステップを踏みながら、まるで踊るように、信じられない速さのピッキングテクニックを披露する。
動き回るハルとは対照的に、ゴマスはその場を動かずに、ハルの超速ギターを補うかのように、ベースでルートを弾き続ける。
「ねえ……これって……スゴくない?」
わたしの後ろで待機している軽音部の子が呆然とした顔で言った。
スゴいってもんじゃない、単なるスリーピースバンドの音には聞こえないし、三十年以上続けているバンドと同じような、熟練した技術を持っていた。これを二週間ぐらいで練習したなんて、誰も思わないだろう。ミネラルウェア、プロポーショングリッドの賜物だ。
わたしはやっと手に持っているカメラの事を思い出して、三人の演奏模様を写真に収める。
「邨よ忰縺ョ貍泌・丈シ」
全員のコーラス。更に速くなるハルのギター、ノブヨが自作したエフェクター「赤門」の歪み音が、肉厚で狂気の演奏を加速させていく。
「蛻?i縺帙↑縺?〒繧ケ繧ソ繝?き繝シ繝」
プログレメタルのように、変拍子を多用した、複雑なコードを奏でているせいで、いつかミスをするんじゃないかと、わたしはハラハラする。
「豌ク驕?縺ョ繝?繝ォ繧サ繝シ繝九Ι」
以前、ゴマスはミネラルウェアを無意識的願望を強化する器だと言っていた。
「騾疲婿繧ゅ↑縺?ヵ繧ゥ繝ォ繝?ャ繧キ繝「」
だとしたら、これはハルの願望の曲という事なのだろうか。
「邨よ忰縺ョ貍泌・丈シ夲シ√o縺溘@縺ッ蠖シ螂ウ縺ィ雕翫j縲∬ク翫j縲∝多蟆ス縺阪k縺セ縺ァ雕翫j邯壹¢縺溘>?」
全員のコーラスと長いソロ。ハルはわたしとエッチしている時のような、顔を歪ませながら、気持ちよさそうに笑顔を浮かべる。
幾重にも重複するヘヴィなリフが、ユニゾンではなく、バラバラなノイズとなっていくが、不思議とわたしは心地良かった。
ハル、ゴマス、ノブヨのソロパートを交互に組み替えながら、誰も聞いたことのない、完璧で調和の取れたハーモニーを産み出していた。
「縺溘→縺医?∝スシ螂ウ縺後>縺ェ縺上↑縺」縺ヲ繧ゅ?√★縺」縺ィ縺薙?縺セ縺セ縺ァ縺?※谺イ縺励>」
「ずっとこのままでいれば……」
わたしはそう思った。ずっとずっと、この演奏が止まらないで欲しいと。ゾクゾクして鳥肌とカメラの連写が止まらない。気付いたら、この演奏だけで二百枚以上の写真をわたしは撮り続けていた。
でも……どうしたんだろう。ハルたちのライブに感動しているのと、同時になにか……不思議な既視感に襲われた。なんだろう。この感情……嫉妬? わたしは、またハルに嫉妬している?
長いソロが終わり、次はゴマスが歌うのだろうか、マイクの前に立った瞬間だった。ゴマスは演奏を止めてしまう。ゴマスは体育館の遠くの方をジーッと凝視していた。
様子がおかしいゴマスに気付いたハルとノブヨも、演奏を止める。
「はー……こんないい時に、お客様かよー……覗き見はいい趣味じゃないないなー!おいっ!」
観客の反応が妙に薄いと思ったら、時間が結晶化していた。全員、ハルたちの演奏に見惚れているのか、呆れているのか、ポカーンとした顔をサトジョの生徒たちは浮かべていた。
暗い客席の向こうから、拍手が聞こえてきた。青い光を発しながら、二人の……二人のハルが歩み寄ってきた。
「そのまま続けても良かったんだよ!プログレってやつかな?いいライブだったよ!アクティブに好きなことに足を突っ込むクセして、性格が支離滅裂で自己破壊的、そして繊細で臆病。要は面倒。正にわたしの音楽ってカンジよね」
「それって、自分に言ってる事になるよね?」
ハルがいつでも闘えるように、ギターを置き身構える。
「それが事実だ。若きわたしよ」
白髪交じりで、シワだらけの年老いたハルと、後ろに隠れている小学校一年生ぐらいの小さなハルが、ステージに向かってやって来る。
「放っておいてくれないー? 我々が、手出ししないだけでも有り難いと思ったらー?」
「有り難い? ふん、偉そうに。お前たちインクルージョンは、常に自分が優位な立場であると思いこんでいるわよね。その、傲慢な態度がこの事態を招いたのを自省も対処も怠って、どの口が有り難いと言えるの?」
「それはどういう意味なの、ハル?」
わたしは、老いたハルに聞いてみた。ハルはわたしを見つけると、手を振る。
「はーいハジメ。若い頃の姿で会うのは随分と久し振りね。でも、ハル……和嶋治という名前は捨てたのよ、こんな忌まわしい名はね……とっくに捨てたわ」
老いたハルは、幼いハルの頭をポンポン撫でる。
「今はソウギョク、この子はナガツキと呼んでるわよ」
「
「それはね、わたしの力で狩り取ったNNユニットを合成させたから。気付いたらわたしと、ナガツキは停滞した時間の海を泳ぐことが出来たのよ」
「へー……興味深いねー」
ゴマスはベースをボンボン鳴らす。
「随分とお喋りじゃない。これから、ヤり合うっていうのに……何なら今すぐヤる?」
ハンッとソウギョクと呼ぶ、老いたハルは鼻で笑う。
「わたしが何も考えず、あんたらの前に現れたと思うかい? 人が密集しているココで戦えばどうなるか、あんたらなら、よく分かってる事でしょ?」
「はあ……こちらのEIに干渉してきたなら、すぐ分かるはずですが、同胞を合成し紛れていたからですか……相変わらず悪趣味ですね」
「……擬態」
わたしは、ボソッと小さく言う。
「へえ……よく知ってるじゃないかハジメ。いや……わたしが教えたのか」
「でー我々の前にー、わざわざ姿を現した本当の目的は何なのー?まさか、律儀に挨拶しに来た訳じゃないよねー」
「それがねー……本当は、スルーしても良かったんだよ……けどね」
ソウギョクはわたしをジーッとと見る。十歳の頃のハルと似たような、六条の光を放つ、スターサファイアの瞳だ。
「インクルージョンよ……なんで、ハジメを巻き込んでいるんだい?」
「ノブヨ!」
わたしに危害が及ぶと思ったのか、ハルが叫び、瞬時にフラクチャードレスの姿となり、銃を構えるハル。
「だぁかぁらっ、まだヤり合う気はないと言っているだろっ!」
ソウギョクが絶叫する。ビリビリ響くその声に、わたしはすくんだ。ナガツキと呼ぶ、小さなハルは驚いたのか両耳を手で塞ぐ。
「ごめんねナガツキ、突然怒鳴ったりして……ったく、わたしが言える立場じゃないけどさ、短気なのは良くないと思うよ」
「……ハジメをどうする気?」
ハルは銃を構えるのを止めない。
「わたしはインクルージョンに質問をしてるんだ。数多のEIを行き来してきたけど、このパターンは初めてだよ。なんせ、ハジメがこの停滞した時間を自由に動いていて、インクルージョンと若いわたし、ミチの偽者が仲良く、プログレメタルもどきのライブをやっている……興味が出ない訳がないだろう」
「それでー?」
ゴマスがベースを弾き続ける。
「ハッキリ言って、気に入らないね。青春を謳歌している所申し訳ないけど、全力で叩き潰させて貰うよ」
「鈴木さんを、我々と干渉させるのになにか不満でもあるわけー?」
ゴマスはベース演奏を止める。
「不満だって? あんたらはわたしだけではなく、ハジメまで巻き込もうとしているのよ! この馬鹿げた茶番に!」
「茶番とは聞き捨てならないなー。これでもー、真面目に働いてるつもりなのよー」
「ここのEIのクラリティはどうだい?」
「すこぶる悪く、そして限りなく良好よー。我々の目指すべきEIに近付いている気がするわー」
「そうかい、そうかい……ちなみに、ハジメとココのわたしに、あんたらが最後に行う事について何か話したか?」
「それは何の話ー?」
まだ何か隠しているのか、このインクルージョンは。もう、驚かないけど。
「すっとぼけても無駄だ。あとでゆっくり話せばいいよ……きっと、わたしがこの子と逃げてる理由も分かるだろう」
そう言って、ソウギョクとナガツキは、体育館の出口へと向かう。
「わざわざ挨拶しに来たのは、感謝するけどー、我々は全力であんたらを潰すわよー」
「やれるもんなら、やってみろよ! なるべくグレードの高いヤツを寄越しな! 丁重におもてなしして、破壊して、わたしが合成してやるよ!」
ソウギョクは中指を立てる。
「はあ……いい歳して、その勝ち気な態度……まさにハルですね」
「ハル……いえ、ソウギョク!」
わたしはソウギョクを呼び止める。
「ハジメ! 警告しとくよ!このままわたしと関わると身を滅ぼすよ! わたしが破壊する前に、とっとと別れときな! 別れないなら、いずれ迎えに来るからね!」
「……わたしに拒否権は?」
「ないよ!」
バンッ! と、体育館の扉を思いっきり閉めるソウギョク。ゴオッと、耳に入った水が抜ける感覚がしたと思うと、時間の結晶化が解除され、演奏を突然止めたハルたちに動揺するサトジョの生徒たちのざわめき声が、段々と大きくなる。舞台のど真ん中に立ち尽くしていたわたしは、慌てて舞台袖へと引っ込む。
慌てて引っ込んだわたしを見て、ハッしたハルは、気を取り直してマイクに近づく。
「あっ……えっと、旧校舎の第三会議室にて、わたしも所属している写真部の展示をやっているので是非見に来てください……以上です」
まばらな拍手、混乱する司会者、ハルたちのバカテクな演奏に圧倒されたのか、自分たちの番を忘れる軽音部の子たち。
ハルは、早々に切り上げて、わたしの元へやって来る。
「ハル……」
突然の来客に、わたしはハルになんて言えば良かったのだろうか。
「……お疲れさま。すごい演奏だったよ」
とりあえず、それしか言えなかった。ハルはわたしをジッと見つめて、思いっきり抱きついた。
「ハ……ハル……やめてよ、こんなに人がいる所で……」
わたしは小さな声で言うと、ハルもわたしの耳元で、小さな声で囁いた。
「わたしを置いていかないで」と。
あのライブから、学祭から二週間ぐらい経った。学祭が終わるとすぐに体育祭準備が始まり、ソウギョクからの宣戦布告からしばらく経つが、わたしとハル、ノブヨは相変わらず(いつのまにか)生徒会の手伝いをさせられていた。
学祭から体育祭へと、二学期早々から忙しい毎日を送っているが、わたしとハルとノブヨしかいなかった孤独なスクールライフに小さな変化が訪れた。
「鈴木さん、学祭の写真良かったわよ」
「鈴木さん、インスタの写真で相談したいことが……」
「鈴木さん、この前の学祭で手伝ってくれたお礼にって、部活のみんなから……中島さんもね。すごい演奏だったわよ、今度部室に遊びに来てね」
などと、いつの間にか、クラスメイトや他クラス、上級生からもよく声をかけられるようになった。
オランダ家のお菓子を貰って嬉しいのか、それとも、突然他人から声をかけられてキョドっているわたしが可笑しいのか、ノブヨは終始わたしを見ながら、珍しくニコニコしていた。
「なにが可笑しいのよ」
「はあ……可笑しいじゃなくて、嬉しいんですよ。ハジメが他の人と話してるのが」
ノブヨはウキウキしながら、小動物のように、パイ菓子をムシャムシャ食べていた。
「一年D組、鈴木一さん。後藤真澄先生がお呼びです。至急、職員室に向かってください。繰り返します……」
その校内放送にわたしは耳を疑った。ゴマスから、職員室にわざわざ呼び出されるのが、初めてだからだ。ノブヨに「聞いた?」という、仕草をすると、ノブヨは肩をすくめて「さあ?」という仕草をした。
「おめでとうー! いま、出版社から連絡があってねー、鈴木さんの写真が入賞したって、連絡があったのよー!」
ゴマスもウキウキしながら、わたしに報告する。
「たいしたもんだよねー、写真部で初めての快挙じゃないかしら? わたしも顧問として鼻が高いわー。部の予算が増えたりしないかしらねー」
「……へっ?」
わたしは、ゴマスがなにを言っているのか分からなかった。
「んー? もしかして、なにも知らな……い?」
「入賞した写真ってちなみに、なんのですか?」
ゴマスがおそるおそるパソコンの画面をわたしに見せる。
「やっぱり……」
その写真は、以前わたしたちが夏休みに廃墟で撮ったハルを写したあの写真だった。
「……」
わたしは、今までそんなに感じた事のない感情が胸の奥から沸き上がってくる。なんだろう……この感情は。
「聞いたわよハジメ! おめでとう! あの写真が入選したんだって!やっぱりわたしの目に狂いはなかったんだね!」
職員室に爛々と目を輝かせたハルがやって来る。
ハルの呑気な顔を見て、やっと分かった……この感情は……怒りだ。
「ハル……」
「なに、ハジメ?」
「あの写真を公募に出すのは、やめてって言ったよね」
「……えっ?」
「失礼します」
「えっ……ちょっと、ハジメ……待って」
「ちょっと、待って! ハジメ!」
ソウギョクは飲んでいたコーヒーを吹き出す。
「なにが、そんなに可笑しいの?」
わたしはムカッとして、小枝を焚き火の中に放り込む。
「ゴメンゴメン……もしかして、わたしと喧嘩した原因って、勝手にわたしがハジメの写真を……その……ククッ、公募に出したから? それだけで?」
わたしは小さく頷く。ソウギョクはケタケタと笑う。
「笑うなよ! ハ……ソウギョク!」
「ごめん、ごめん……ハジメ!いやー、思春期の頃のわたしの話を聞くとアレだね、気持ちが若返るというか、返って毒だねー。恥ずかしいったらありゃしないわ」
「余計なお世話だよ!」
ナガツキが土遊びをしていて、白い石のようなものを掘り出し、わたしに差し出す。
「うー」と、ナガツキはわたしの指輪……ハルの真珠の指輪を指さす。
「……同じだね」
ナガツキは持っていたのは、貝殻だった。
「ここのゴルフ場も縄文時代辺りでは、海の底だったり、すぐ近くには巨大な貝塚もあったハズだからね……ちょっと土を掘れば貝殻が見つかる」
ソウギョクはゴールデンバットに火を点す。白いタバコの煙が、満天の星空に吸い込まれていく。
「綺麗な星空だね……あの星の輝きも、偽物というのが未だに信じられないよ……貝塚の話なんだけど、貝塚というのは学校では縄文人の食べた貝のゴミ捨て場だと教えられただろう?」
わたしは小さく頷く。
「実際はね……ただのゴミ捨て場じゃないの。お墓なのよ」
わたしはしばらくハルを無視し続けた。話し出すと、喧嘩しそうだったのが怖かったからだ。
学校でも、体育祭の打ち合わせでも、部室でも、移動教室でハルとすれ違ってもだ。わたしに無視されたハルは、一瞬だけ眉間にシワを寄せて、顔を伏せながら、わたしから離れる。
「はあ……ハジメ」
ノブヨは、悲しげな顔をしていた。言いたいことは、分かっている。
「ハルから謝らないと、わたしは許さないから」
わたしは迷っていた進路希望表に、何校かの美術大学を記入した。
「ハジメ……」
「……分かってるよノブヨ。わたしは分かっている」
いくらハルを無視し続けても、一緒にやっているバイト先ではそういう訳にもいかなかった。
幸運な事に、その日の「レインボーアイズ」は、気まずい雰囲気にならないくらい、客足が絶えず忙しかった。
ハルとわたしが、やっと二人きりで話せる時は、閉店間近の頃だった。
「なんでわたしがハルに怒っているのか、分かってる?」って、言いたいけど、ハルを更に傷つけてしまうのが……怖い。
……怖いって、じゃあ、はじめから無視しなきゃいい話じゃない……でも、それじゃあ、どうやって……わたしは、ハルに怒ればいいのよ……もう……面倒だな……ハルもわたしも。
「ハジメ」
わたしはギクッとした。
「……なに?」と、わたしはプリンターの点検をしながら、平静を装う。
「わたしは、ハジメの写真を公募に出して、悪いとは思っていないから」
これで何十回目だろう……ハルに驚かされてばかりだ。次の台詞も、何百回と言っている。
「それは一体どういう意味?」と。
「わたしは、ハジメの写真の良さをみんなにもっと教えたいだけなの」
「みんなって誰よ? 偽物のこの世で、EIで、みんなって誰の事を言ってるの?」
それ以上やめろ、わたし。
「わたし聞いたのよ……ハジメが美大に行くって」
「だから?」
「わたしもハジメと同じ大学に行きたい」
「どうして?」
「どうしてって……わたしは……わたしはハジメがいないと嫌だから」
やめて、ハル。やめろ、わたし。
「あー大体、分かった……要するに、ハルはわたしの写真を公募に出して受賞したら、内申点とかAO入試でも有利になると思っていたからでしょ?ハルの成績と才能だったら、美大なんてチョチョイのチョイって受かりそうだし」
嫌だ。やめて。こんな事言いたくない。まただ。わたしが。わたしを。俯瞰してる感覚がする。
「それは違うよ! ハジメ!わたしは……わたしは……」
「いっその事、その便利でチートな能力を使えば、大学受験なんて楽じゃないの?」
おいおいおいおいおい! 何を言ってるんだわたし?
「ハジメ!」
ハルはわたしを殴ろうとする。殴ろうとフリをしただけだが、殴ろうとしたのに変わりはないから、わたしは更にハルに腹が立った。怒りのジェットコースターが急上昇を始める。
「わ、わたしは……ハジメの為に……」
はい、ファーストドロップ開始。
「なぁにぃがぁっ! わたしの為だよ! ハル! わたしはハルの所有物じゃないっ!」
こんな筈じゃない……こんなのわたしじゃないはず……。
「一体何様のつもりだよっ!」
わたしはプリンター洗浄用の水タンクを壁に投げつける。中身が漏れて、床が水浸しになった。
なんでだろう……こんな時に、わたしは、十年後のハルと、七年前のハルの顔が浮かんでいた。なんでだろう。
「わたしにはハジメしかいないの! お願いだから……怒らないで」
「わたしは!」
あ、それも分かった。
「……わたしはっ! ハルにはっ! なれないの!」
わたしは、ハルに嫉妬していたというか、ハルになりたかったんだ。
ハルは目を丸くさせていた。そういえば、こうやってハルに怒鳴ったのは、これが初めてかもしれない。目の前で、ポカーンとした表情で、涙を流すハルを見て、わたしは罪悪感ではなく……優越感を感じていたのだ。それが……それが、嫌で嫌で……。
「なんで……ハジメ」
ハルは泣きながら、わたしに問いかける。
「なんで……ハジメは……笑っているの?」
そんなハルの泣き顔を見て、わたしは……たまらなく嬉しかったのだ。
突然、天をつんざくような轟音がした。自動ドアを突き破り、ヒビだらけ、ボロボロになったノブヨがダイナミック入店してくる。あー……また、店が無茶苦茶に……。
「ノブヨ?」
「はあ……この展開、二回目かもしれませんが、逃げて下さい!」
店の前に、巨大で黒い金属の塊を乗せたトラックが停車した。
店内に青い光を発するサファイアのコートのようなものを着たフラクチャー姿のソウギョクと、同じように、霧がかったようなシルキーブルーのワンピース姿のナガツキがトラックの助手席からヒョッコリ顔を出す。
「お取り込み中の所すまないねぇ! ハジメ!迎えにきたよ……って、本当にお取り込み中だったかい?」
ハルが涙を拭って、エプロンを脱ぎだし、ノブヨから鍵を貰い、瞬時にフラクチャードレスの姿となる。
「とんでもない待っていたのよ!」
と、どっかのアクション映画っぽい台詞を吐き出すハル。
「わたしとニ対一? それとも、そこの小さいのも入れて、ニ対ニにしようか?」
「ナガツキはハナから戦わせるつもりはないし、手を出したら、全力であんたをぶっ殺してやる。ハジメを無惨に無慈悲に非情に残酷に、あんたの前でぶっ殺してから、ぶっ殺してやる……失礼、ナガツキ? 何回わたし、ぶっ殺すって言った?」
ナガツキは助手席から降りて、指を四本立てる。
「汚い言葉だから使っちゃ駄目よ、ナガツキ」
ナガツキはこくんと頷く。
「わたしは今、すこぶる機嫌が悪いの。何なら、今ここでヤろうか?」
『ここではやめろ』
わたしと、ソウギョクが一緒に言う。ソウギョクは、わたしにニヤリとすると、懐から何かを取り出す。
銃と矢を向けるハルとノブヨ。
「おいおい、タバコだよ。タバコ」
十年後のハルも吸っていたゴールデンバットを見せつける。
「ソウギョク、当店は禁煙なんですけど」
「んっ? ……あー、ゴメンね。どっちにしても、この辺一体は、灰燼に帰す事になるよ。煙のようにね」
「それは一体どういう意味?」
本日二回目の、この台詞。
「ナガツキ、アレ貸して」
ナガツキが、リモコンのようなものをソウギョクに渡す。リモコンというか……アンテナが付いた大袈裟なスイッチみたいなものを。
「トラックの荷台に乗っているアレ分かるか?」
ノブヨが、ラウンドブリリアントの瞳をパチクリさせる。
「は……はあっ? サーモバリックだって?」
「サーモン……シャケ?」
「はあ……シャケじゃなくて、気化爆弾ですよ! 洒落にならない威力のね! どこからそんなモノを!」
ノブヨが、矢を射出しよう構えるが、ソウギョクがスイッチを突き出す。
「いいのかい?ミネラルウェアのあんたらならいいけど。ハジメはどうする?」
その一言で、銃と矢を納めるハルとノブヨ。
「それでいい……ハジメ、こっちへおいで」
ソウギョクのサファイアの手が、わたしの腕を掴む。
「そこ、滑りやすいですよ」
さっきハルと喧嘩したとき、濡れた床に足を少し滑らすソウギョク。少しの隙が生まれた。その隙をハルとノブヨが見逃す訳がなく、ノブヨの矢がスイッチを弾く、ハルとノブヨが銃を、矢を、ソウギョクに撃とうとするが、ソウギョクはわたしを盾にする。盾にしやがった。
「ハジメに当たったら、どうするつもりだよ!」
今度は、ハルとノブヨが一緒に同じ事を言う。
「ハッピーアイスクリーム! ナガツキ、スイッチを取ってくれ」
ナガツキがスイッチを拾う、濡れていたのか、スイッチを滑らせて落とす。
カチッという金属音がした。
「はあ」
「いっ?」
「うー」
「えっ?」
「お……おいおい!」
スイッチを見ると、何かが赤く点滅している。
ソウギョクが、ナガツキとわたしを脇に抱えて、一緒に後ろの方へ跳ぶ。お客様兼、従業員用のトイレのはずだが、ソウギョクは狭いトイレにわたしとナガツキを押し込む。
「ナガツキ! いつものやつ!」
猫の瞳をしたナガツキが「うー」と言って、ミネラルウェアをヒラヒラさせ、ムーンストーンのワンピースが怪しく発光する。
ハルとノブヨは互いに顔を見合わせてから、わたしの元へと一目散に飛んで来る。
「ハジメ!」
ハルとハジメが、わたしにへと手を伸ばす。
こんな時なのに、わたしは、ハルが伸ばした手を握るかどうか、一瞬だけためらった。
店の外がまばゆい光に包まれる。遮音したかのように音が途絶し、ハルとノブヨが、トイレの外で爆炎に包まれる。伸ばした二人の手が、粉々に吹き飛び、光となる。
トイレの出口と入り口の間に、切れ込みのような裂け目が現れ、トイレがそのまま「レインボーアイズ」から切り離される。インクルージョンがよくやっている移動方法と似ていた。
爆風に押し出されるように、トイレが後方へと飛ばされる。爆炎がわたしたちを追いかけるが、トイレの外が、真っ暗な空間にへと放り出され、わたしとソウギョク、ナガツキは見知らぬ、梨畑にへとトイレごと吹き飛ばされた。
静寂が再び訪れ、遠くの方からスズムシの鳴き声が聞こえてきた。
わたしは、ハルが差し出した手を、握れなかった右手をずっと見つめ続けていた。
「はじめは、起爆するつもりはなかったんだよ。ナガツキが、スイッチを落とすのが悪い」
ナガツキが、ジト目で何か言いたそうな顔をしている。
「あー……悪い、わたしが悪かったよナガツキ」
ソウギョクはナガツキの頭を優しく撫でる。「うー」と嬉しそうなナガツキ。
「えっと……で、なんの話だっけハジメ?」
ドンッ!と、遠くの方で再び爆発音がした。ナガツキが猫の瞳をしながら、音の方角にへと、鳥のように首を伸ばす。
「やっと来たかい? ナガツキ?」
頷くナガツキ。わたしたちの周辺で、次々と爆発音が響き渡る。音が四方八方から聞こえてきて、ハルとノブヨが、縦横無尽に「何か」と闘っているのだろうか。
「貝塚の話の続きだけどさ、アイヌ民族の伝承では、モノ送りと呼ばれるものがあってね、食べていた貝や動物の骨を埋葬して、黄泉の国へと送り出し、再びこの世に戻ってくる事を信じていたらしい。貝塚に人間の骨が埋葬されていたのも、つまりそういう事だ。魂は不滅であり、永遠とそれを繰り返す」
ソウギョクは、フラクチャーコートの姿となる。
「ガガガガッ! ソフソフトシェ……ガガガッ! 助けてて、相転移をををっ!」
ナガツキの身体から、再び壊れたスピーカーのような声が聞こえる。ソウギョクが、銛でナガツキの身体をゆっくり突く。
「ハードシェルへの相転移を開始。フラクチャーコート、ブルー・オイスター・カルト、フラクチャーワンピース、オーペスを起動」
ノブヨと同じ声がして、わたしはビクッとした。
「まるでこの世の理が貝塚のようじゃないか。何度も幾度も、和嶋治という存在を倒しても、壊しても、殺しても、新たに蘇ったわたしが無限のように出てくる……モノ送りを繰り返しているように」
バキバキと音を立てながら、ナガツキの腕が変形する。さけるチーズのように、細かく分割されていく。
分割され、垂れ下がった腕をくるくると回すと、蜘蛛の巣のような編み目状のドームが形成されていき……まるで、雨傘のようになっていく。
「わたしたちは一体、どこまでこんな茶番を、このEIという名の地獄で繰り返さないといけないんだろうね、ハジメ」
爆発音が一段と大きくなる。樹木やゴルフカートが近くの方に落下してきた。
ソウギョクが銛の大砲を構える。さっき、派遣されたNNを倒したものとは、比べものにならないくらいデカい。
「
ソウギョクがナガツキの手を握る。ソウギョクの手から青い血管のようなものが、ナガツキに絡みつく。
「連結、これより
銛の先が変化を始め、ダイヤとサファイアを交互に編み込んだ、ドリル状の工芸品のような銛が現れる。
「綺麗だろ? アボリジニのクーラモンのような、渦巻き模様……永遠を意味するモチーフ」
ナガツキの雨傘が広がる。風に強く吹かれて、逆に開いた傘のような形状に変化する。その形を見て、ナガツキのミネラルウェアが、傘ではなく、パラボラアンテナのようなものだと気が付いた。
ソウギョクはヒューっと口笛を吹く。口笛のエコーがゴルフ場に響き、エコーが次第に歪んでいく。
空間に裂け目が現れ、インクルージョンがよくやっていた「上書き」のように様々な、分裂した「窓」が現れる。ハル曰く、方解石でモノを見た複屈折に似ている現象。
「絢爛な紫のドレスね。ところで、パープルの語源を知ってる?」
「……パールのパープルでしょ? 貝紫からのね……」
晴、曇、雨、朝、昼、夜のゴルフ場、緑が生い茂るゴルフ場、桜が咲いたゴルフ場、雪の降り積もるゴルフ場……過去、未来、現在なのか分からない、様々な次元のゴルフ場が分裂している。その分裂した窓の中にハルがいた。
ハルは、ソウギョクが操るマント姿のNNたちと、途方もない死闘を繰り広げていた。
「ああ……わたしが教えたのね。パープル……パープル……(わたしの名前を……思い出せるか?)」
突然、ディープパープルのパーフェクト・ストレンジャーズを歌い出すソウギョク。銛が飛行機のエンジンのような、キーンという高音を放ちながら、回転を始める。
「(君の人生を飛んで、わたしは千の海を越えてきた)ナガツキ、座標番号を」
傘がメカニカルに稼働し、窓を移動させていく、銛の先端が、何も映っていない窓を狙う。
「……I70」
「(そして冷たい氷の割れ目。わたしの全ての人生、わたしはあなたの過去のエコー)」
「1V7」
窓が直列する。銛が回転を始める。地響きが起き、巨大な土煙が噴き出し、周りの樹木が宙に舞う。ハルがグルグルとわたしたちの周りを走り回っているのだろうか、狙撃されないように。
「(わたしはあの時のエコーを呼び戻す。遠くの顔たちが輝く、わたしの知っている千の戦士たち)」
「5♯」
合わせ鏡のように、幾重にも重なった直列した窓の向こうに、ハルの姿がいた。窓の向こうのハルとわたしの目が合う。虹色の瞳と目が合ったような気がした。ハルはニコリと笑う。わたしもクスリと笑った。
「(そして裂け目が現れると笑った。あなたの全ての人生は、別の日の影)」
「0……0」
ハルは手を伸ばす。わたしは、どうすればいいのか、躊躇っていた。ハルが何か口元で呟いていた。
「(わたしが風に話すのが聞こえたら、あなたは理解しなくてはならない)」
「7……ロック」
「(わたしたちは
傘の柄がハルを指し、高速で回転している銛が射出される。
ハルが呟いている事が、分かった。
「ごめんね、ハジメ」だ。
「ハルッ! 避けてぇっ! わたしはここにいるっ!」
わたしは思わず叫ぶ。銛が分裂した裂け目を、窓を通り抜け、ハルに目がけて飛んでいった。
どこまでも、どこまでも……。
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