トワイライト




話したこともないけれど。

目も合ったことはないけれど。

とても綺麗なその人が、彼の想い人だと知っていた。



高校に入って仲良くなって、びっくりするくらい気が合った。

進路も同じで、笑えるくらい同じ未来を思い描いていたから、大学も同じになった。

そんな男友達を好きになっていたのに気が付くのは、簡単なもので。

だけど、関係を壊すのが怖くなって…友達という箱の中にそれを閉まった。

新田幸路(アラタ ユキジ)という友人の、幸せを誰よりも願う。

そう、笑えるまでになった錆び付いたような片思いを抱えながら、彼の恋を応援していた。


「響子先輩とは、どうなってるの?」


「んー、ぼちぼち」


「そう…」


今みたいに、新田君が私を飲みに誘う時は、だいたい凹んでいる時で。

大学に入ってから染めた茶色い髪には、少しパーマをあてていた。

同じサークルで三年の響子先輩に、似合うねと言われてから余念がないらしい。

新田のこの髪型を見るようになってから、今は二度目の夏だった。


「で、今度は何に凹んでるの?」


「…響子先輩に、好きな人がいるらしい。」


「新田君かもしれないでしょ?」


「年上、って言ってた。」


「あ~…いっそ…告白しちゃえば?」


「それな~…」


「言えば、なんか変わるかも。」


「笹屋は恋してねーから分かんないかもしれないけど…!今の関係が壊れるほうがつらい。」


新田君が拗ねたようにそう言うから、苦笑した。

酷く穏やかな私の片思いを、彼は一生気が付かずに生きていくのだろう。

飲みかけのライムチューハイのグラスに目を細め、一度中の氷を動かす為にグラスを回した。


「いるよ、好きな人。」


「初耳なんですけど。」


呆気に取られたような顔の新田君にまた苦笑する。

グラスの液体に映る自分の顔を見ながら、静かに告げた。


「諦めたんだ……だから、その人が幸せになってくれたら、それでいい。」


「…俺の知ってる奴?」


「終わったことだから、いいんだよ。」


そう微笑めば、なぜか酷く傷付いた表情をされた。その後は会話はなく、10分もしないうちに店を出ることになった。

新田君の機嫌が悪くなった理由は、大方察しはついていたが、謝ろうとは思わなかった。

それからしばらく、新田君と飲みに行くことはなかった。

学内でも、話をすることはなかった。


※※


無駄に広い学内を一人でフラフラ歩いて、たまたま開いていたベンチに座った。

新田君と話をしなくなって1か月経っていた。

夏休み間近の外は暑かったが、ベンチは木陰に設置されていたので幾分か涼しい。

鞄から煙草を取り出して一服すれば、なんとなく気が紛れた。

始めにつけた煙草を吸い終えた時、少し遠くにあるラウンジに新田君と響子先輩がいるのを見つけた。

硝子張りのラウンジの中は快適そうだった。

楽しそうな二人の雰囲気に、目を細めた。

君が幸せなら、それでいいんだよ。

そう、言えたらどんなに楽だったろうか。

だけど、その台詞の重さを誰より分かっているから、私は一生口にはしないだろう。


「六実(ムツミ)さん…禁煙してたんじゃないの?」


「!……解禁した」


「体に悪いよ?」


今年の春からこの大学に通い始めた親戚の時継(トキツグ)が呆れた表情で隣に座った。

この子も、よく溜め込むと私に愚痴を零しにきたり、相談しに来る。

どうしたのか、と聞くと叔父さんと喧嘩したと言い、散々叔父さんの悪口を言って帰っていった。

叔父さん…メタボなんだ。と、ちょっと切なくなって二本目の煙草を取り出した。


「……禁煙してたんじゃないのか?」


「だから、解禁したんだってば………って、新田君か。」


声の方へ視線を向ければ久しぶりの新田君がいた。

茶髪に緩いパーマは健在だった。

不機嫌そうな顔も変わりなかった。

響子先輩とは、楽しそうに笑ってたんだけどなぁ…。

苦笑して煙草を携帯灰皿で消し、ベンチから立ち上がった。


「まだ許してくれてないなら、話をしないほうがいいよね?」


「!……なんで、俺に隠してたんだよ。」


「慰めてほしいわけでも、応援してほしいわけでも、なかったから。」


そう言えば、新田君がまた傷付いた表情をするから、私は困ってしまった。

新田君には、笑っていて欲しいのに。


「さっきの奴には、話すのか?」


「さっき……あぁ、時継のこと?時継には…」


「待て、ちょっと場所帰るぞ…!」


「はぁ…?」


突然怒った新田君が、本当に理解出来なくて…だけど、掴まれた手首が痛かったから少し怖かった。

大人しく着いて行けば、大学の近くにある新田君のアパートだった。

新田君の一人暮らしのアパートは、結構年期が入っている。

前に一度だけ遊びに来たことがあったが、その目的は引っ越しの手伝いだった。

いやぁ……色々と出てきたよ。手伝わせたのは新田君のくせに、それは触るなだとか見るなとか、注文が多かったなぁ。

大学から手を引かれたままアパートに連れてこられて、六畳の真ん中で向い合わせで座り込んでいる。

気まずい沈黙。

私からは特に話すことはないから、新田君待ちなわけだけど。

煙草吸いたいけど、新田君の部屋は禁煙なんだよね…。

ていうか、自分でも驚くほど余裕があるのは、なぜなんだろう?

……ほんとは、新田君のことそんなに好きじゃなかったのかも。

なんて心の中で嘘をついてみた。

それから5分待って、やっと話してくれた。


「……この1か月、何してたんだよ?」


「んー、色々やってたよ?」


「なんで、俺のことは未だに名字に君付けなんだ。」


「もう、それがあだ名みたいになってるしねぇ。時継、親戚で幼馴染みたいなもんだし。なに、そんなことで怒ったの?」


「う、うるさい!なんで、禁煙止めたんだ」


「なんとなくかなぁ~…?」


私に対して珍しく質問をしてきた新田君に、一つ一つ答えていく。

質問が質問だから、答えも大したものにはならなかった。

高校からの付き合いだけど、新田君はきっと、私のことなぁんにも、知らないんだろうなぁ……。

私は何時だって聞き手。

新田君は何時だって話し手。

私は君の誕生日から家族構成、初カノの名前から現在の片想いの相手の名前まで、何でも言い当てられるのに。

新田君は、私にこれっぽっちも興味がない。


「笹屋って……あんまり自分のこと話したがらないよな。」


「そうかな?」


「そうだよ。」


だって、新田君は聞いてこないじゃない。

例えば話したとして、それでどうなるの?

友達なんだから、線引きは大切でしょ。

特に、男女の友情なんて。

好き、って伝えても、君は振り返ってくれないのに。

なんでも…欲しがらないでよ。子供でもあるまいし。

そんな泣きそうな顔をしないでよ。

私がっ、悪いみたいじゃないか。


「…響子先輩となんかあったの?」


「……違う」


「じゃあ~…他になんか悩みでもあるの?」


「…違う」


「えぇ~…じゃあ、なんで私に会いに来たの?」


「悩、みが無きゃ……会っちゃダメなのかよっ」


「えぇ~…今更?新田君気づいてないの?新田君が私に会いに来るときは、大抵悩んでる時なんだよ?」


呆れてそう答えれば、新田君はまた酷く傷付いたようだった。

本当のことなんだけど、傷つく要素あったかな?

私は……一杯、傷ついてきたよ。

君が知らないところで、一杯、泣いてきた。


「俺は……笹屋のこと、何にも知らない。」


「別に、何でも知ってるのが友達ってわけじゃないでしょ?」


「ライムチューハイと煙草が好きだってことしか、知らないっ」


「新田君……なに、焦ってるの?」


「焦ってるよっ!俺ばっかり話して、お前は笑ってるだけで、話してくれない!聞いてもはぐらかされる!!好きなやつって誰だよ!俺にはっ、俺には話せないって……そんなに信用出来ないのか?」


なんて今更なことを言うんだろう。

君が知るべきは響子先輩であって、私じゃない。

私なんかにかまうなら、少しでも響子先輩を振り向かせる努力をすればいいのに…っ。

君が私を蔑ろに扱ってくれなきゃ、諦めが鈍るのに!


「新田君が好きなのは、響子先輩。今はそっちに集中した方が、いいと思うけど?」


「俺は、お前の事も知りたいんだ!!」


「ハハッ……事も、とかオマケみたいに言われてもねぇ。…バカにしてる?」


「違っ…笹屋?」


「ごめん…新田君と、暫く話したくないっ」


中途半端にかまうなよ。

諦めたんだ、それで良かったんだ。

笑えてたんだ。

友達で良かったんだ。

どうしようもないほど好きでも、ダメだと気が付いた日から。

君の笑顔ばかり見つめて、自分の心の傷から目をそらして。

君が望む言葉を探して。自分の望む言葉を隠して。

祝福してる、とか……心にもない言葉を平気で話した。


「か、おも……見たくないっ」


君の笑顔が好きだった。

君の口から告げられる友達という言葉が嫌いだった。

男女の友情なんて、私はまったく信じてないけど……君が信じてるから、裏切りたくなかった。

ずるいよ。

君は色んな女のコを好きになるくせにっ!

私を女のコ扱いしてくれたことは、一度だってなかった!

泣き顔を見られたくなくて、無言で立ち上がる。


「笹屋っ」


「帰る」


一粒流してしまった涙を手のひらで拭いて、玄関に向かった。

しかし、私の後ろから新田君に、無理矢理引き留められた。

私の一つくくりにした長い髪を、新田君が掴んでいた。


「いったいなぁ!?つかむとこ考えてよ!?」


「この長い髪が好きだ!!」


「はあ!?」


「ストレートな長い髪形がいい。カジュアルな服装が好きだ、デートの時にジーンズをはいてくるような飾らないようなとこが見たい。化粧は薄めで、煙草吸ってても気にならないし、どっちかっていうと聞き上手な方が好きだ。マニキュアはしてないほうがいい、メールに絵文字は少ない方が好みだ。笑ったとき、目を細めるような笑顔に惹かれる。正直、笹屋に似ているとこがあれば、なんだっていい。」


「…!?」


「好きなやつの話をしながら、毎回、笹屋と比べてた。」


「新田君??」


後ろから苦しそうな声で話す彼は、本当に焦っているようだった。


「響子先輩は、長い髪に服装はボーイッシュだ。煙草も吸う。けど、表情がよく変わる。自分の事を話したがるし、俺の話をあんまり聞いてくれないっ」


新田君が掴んでいた髪を離してくれたから、私は唖然としながら振り返った。


「どんな探しても、みんなやっぱり笹屋とは似てないんだ。」


「な、にを言ってるの……」


「お前と友達になってから、漸く初めて出来た彼女だって……やっぱりお前の代わりにはならなかった。好きになる奴は、全部お前に似たやつらばっかだった。……お前は友達だ。だったら、関係が壊れないように我慢するしかないだろっ!なのに、お前と話せば直ぐに比べてるんだ!『笹屋の方が、笑顔がかわいい』とか『煙草を吸う手が綺麗だ』とか……っ比べてるんだよ!!いつだって、無理矢理そらした視線をお前が引き戻すからっ」


「何を言ってるの?」


「知りたくねぇよ、これ以上好きになったら諦めがつかなくなる。けど、知らねぇと不安で堪らなくなるっ。俺の知らないとこで、幸せになるなんて、耐えられねぇっ」


「…友達なんでしょ、私、は」


「さ、いていなんだ。俺は……最低だっ」


確かめるように聞いた声が、震えた。

新田君は……苦虫を噛み潰したような顔で私を見つめている。

今まで笑顔で押し固めていたものが、溢れてしまったかのようだった。


「今の関係が崩れるくらいならっ、友達としてお前を隣においておきたかったんだ。」


お前は、優しく笑うばかりで……俺を男として見てくれない。

そう嘆いた新田君に、思わず抱きついていた。


「代わりなんかいらない……お前がいいんだ、ずっと前から。」


抱き締め返されて、また涙が一粒流れ出た。


「好きだっ!くそ、お前の好きなやつなんて殺してやりてぇっ」


今更、譲れるか。

その悔しそうな言葉に、不覚にも笑ってしまった。


「それは、困るなぁ」


「笑うなっ!」


「死なれたら困るよ、こんなに好きなのに。」


「……、……えっ?」




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