ちぐはぐ行進曲
私の朝6時30分の日課。
制服を適当に着こなして、少し傷のついた学生カバンを右肩にかける。
少しヒールのあるローファーを履いたら、一つ深呼吸をして玄関を開ける。
「バカ女」
「うるせぇ、ヤリチン」
「別れてくれ。」
「嫌だね。」
律儀に毎朝うちの玄関前で、彼女の私と別れるために迎えに来る彼氏。
いつものように、口汚く朝の挨拶をすます。
そして、私は笑顔で右の道を進み、彼氏は苦痛な顔で左の道を行く。
学校は同じところに通っているくせに、お互い顔を見たくないから、私のほうがあえて遠回りして学校へ行っている。
この日課を知っているのは、私と彼だけ。
私達の関係を知っているのも、私と彼だけ。
付き合うきっかけも、別れるきっかけも、同じものだった。
誰にも言えずに、私は酷い女になっていく。
この日課に、みじめな意地を張り続ける。
※
付き合うきっかけ。
私の彼氏が、私のねーちゃんに惚れた。
だけど、ねーちゃんは社会人で年下に全く興味が無かった。
だから、何を思ったのか私の彼氏は、妹の私と付き合うことで、どうにかねーちゃんの関心を引く作戦に出た。
別に私にそーゆー理由で近づいてきたのは彼氏だけじゃない。
だけど、理由を知ったうえで付き合ったのはコイツが初めてだった。
昔から、何でもできて美人な姉が嫌いだった。
親や周りに愛されている、笑顔が似合う姉が嫌いだった。
姉は一番偏差値の高い高校をトップの成績で卒業して、私は真ん中辺りの高校で真ん中辺りの成績を誇ってる。成績と同じく、見た目も凡庸な妹だった。
両親は私に関心はないが、私もそんな両親に関心がなかった。
だけど、空気の読めないねーちゃんは社会人になった今も自活せず実家に居座ることで、なんとか私と両親の仲を取り持とうと頑張っている。
そんな健気なねーちゃんに胸を打たれた両親が、ねーちゃんの前でだけ見せる私への優しさが痛い。
そして、そんな無感動な私に嘆くねーちゃんの暴走も痛い。
私の反抗的な態度も、ねーちゃんみたいに美人だったら、まだ可愛げがあったのかもしれないと、たまに反省するが改める気は毛頭なかった。
『昔から耀(よう)は、あんまり笑わないね。』
彼氏に告白を受ける前日に、ねーちゃんに悲しげに言われた言葉が、付き合うきっかけだったのかもしれない。
だけど。
ほんとは。
ただただ単純に。
私にねーちゃんのことをそれとなく聞いてくる声が好きで。
宿題のみせあいをしたり、昨日のテレビの話をしたり、そんな普通の会話をしてくれる雰囲気が好きで。
お互い口が悪いけど、何でも言い合えて。
一緒にいても息苦しくなかった。
気がつけば、友達以上の何かを抱いていた。
私の彼氏は、最低な告白をするくせに…私をねーちゃんと比べることは一度もなかった。
どんなにねーちゃんの話を聞いてきても、一度だって私に同情なんかしなかった。
それが嬉しかった。
もう二度とそんな居心地のよさには出会えないだろうと思った。
だから、告白を受けた。
友達に戻れないのなら、二度と笑い会えないならば、一度でいいから…嘘でもいいから…この幸せな時間を、独り占めしたかったんだ。
大嫌いなねーちゃんを、こんな最低なことをしてまで手に入れたがるバカな男に、バカみたいな恋をした。
そして、付き合って半年経った頃。
私の家によく顔を出すようになった彼氏に、ねーちゃんが興味を持った。
『あのカッコイイ男の子は、彼氏?』
からかうみたいに聞いてきたから、素っ気なく親友と答えておいた。
男女の友情を信じている鈍感なねーちゃんは、耀らしい親友だねと微笑ましく笑った。
その次の日から、ねーちゃんがアイツに話しかけるようになった。
そして、露骨にアイツが私に別れをちらつかせるようにもなった。
約束をすっぽかしてみたり、他の女の子と遊んでみたり、私と手を繋いで帰らなくなったり。
どうにかして、私に嫌われたくなったらしかった。
彼氏の部屋で浮気現場に居合わせた時、してやったりなアイツに滅多に浮かべない笑顔で言ってみた。
「別れてやらない」
死にたくなるほど惨めな気持ちで吐いた言葉。
そんな関係に成り下がっても、まだ、もう少しだけ彼女でいたかった。
あいつの目論見通り、そんな私とアイツの距離は離れて、ねーちゃんとアイツの距離は近くなっていくだけだというのに。
あいつはしたたかに、私の家までくる口実を私の親友ということから、いろいろなことをねーちゃんに相談するという口実に変えていった。
潮時だった。
『よっちゃんと、早く仲直りしなね?』
昨日の夜。
ねーちゃんが叱るようにそんなことを言ってきたから、明日の朝でこの日課を止めようと決めた。
それが、別れるきっかけ。
付き合うきっかけも、別れるきっかけも、ねーちゃんの一言だった。
※※
私の朝6時30分の日課。
だけど今日でやめるから、Tシャツにジーンズをはいて、携帯と小銭をポケットに入れた。
深呼吸の代わりに咳を一つし、玄関を開ける。
「ば、か女…?」
「どうしたクズヤロー」
「いや…お前、学校は?」
「別れてやるよ。今日は、サボる。」
私は無表情で右の道を行く。
アイツはアホ面で、玄関前から歩き出さない。
ほら…日課は終わった。
さぁ、どこにいこう。
できれば、思いっきり泣ける場所がいい。
「おい、クソアマ」
「うるせぇ、どバカ。ねーちゃんなら、今日休みだから家にいるぞ。」
「…なんで、瑠璃さんが出てくんだよ。」
「バカの親友は、何でも知っているんだよ。着いてくんな、ウザイ。」
「おい」
「ウザイ、キモイ、シネ。知らないとでも思ってたのか、アホめ。」
「…」
なんでか、私の後ろを着いてくる元カレに、できる限りの悪態をつきながら歩き続けた。
それなのに奴は、まだ後を着いてくる。
「…ごめん」
「大嫌いなねーちゃんを、お前が必死になって追っかけてたのは知ってた。だから付き合って、だから別れた。以上、終り。今からお前と私は赤の他人。だから着いてくるな変態。」
本当に言いたい言葉は、悪態なんかじゃなくて。
最低なところも全部好きなんだ。そう言えたらいいのに。
私のほうが変態みたいだ。
大嫌いなねーちゃんを、お前を通して見ることで、少しだけ好きになれた。
ねーちゃんに嫉妬してる自分を、認めることだって出来た。
大好きなやつが、大好きな人だから。
君が笑える理由に、私のねーちゃんがあるなら、嫌う理由が少しだけ減る。
君が、私を通してねーちゃんを思っていたのだって、許してしまえる。
それくらい、好きだ。
踏み台でもいい。
嘘でもいい。
一瞬でも君の笑顔を独り占めできるなら、なんだって良かった。
嫌われたくなかった、嫌いたくもなかった。
あのねーちゃんから、私に振り向かすなんて無謀なことを望まなかったのは…ただ、側にいたかっただけだから。
見えてる先の答えに辿り着くまでは、繋いでいたかった。
「耀」
「気安く呼ぶな、馴れ馴れしいぞ。」
「耀」
「呼ぶな、好きでもないくせに。嫌われたかったくせに、虫酸が走る。」
まだ後ろを着いてくるバカに振り返らず、前を睨んで歩き続けた。死んでも涙は零したくない。
どうにかして逃げたくて、適当に道を曲がってみたりしたが、奴はやっぱり着いてきた。
罪悪感で私に遠慮しているなら、本気で死ねばいい。
「耀、聞けって」
「何時だってねーちゃんと比べられてきた。大丈夫、なれてる。お前は、私じゃなくてねーちゃんを選んだ。遠慮するな、なれてる、分かってた、だから付き合ってた。早くねーちゃんに慰めてもらえ、バカ。」
慣れるわけない。
今ほど、ねーちゃんになりたかったこともない。
もう嫌なんだ。
なんでもかんでもねーちゃんに当たるのは。
だけど、二度とねーちゃんを意識せずに居られる場所なんか、手に入れられないって思うと…死にたくなる。
どんなに自分に言い聞かせても、後ろから着いてくるバカと話してるときは…笑えたんだ。
何も考えずに、ただ笑っていられたんだ。
嫉妬や嫌悪にまみれた汚い自分を、忘れられたんだ。
楽しかったんだよ、本当に。
「耀」
うるさいな。
「耀」
うるさい。
「好きだ。」
嘘はもう…沢山だ。
お互いに、一度だって言わなかった。
それが暗黙のルールみたいに、お互いに踏み出さないように。
だからこそ、今まで恋人ゴッコができていた。
手を繋いだことも、キスをしたことも、別れようと浮気したことも。
その見せ掛けの好意を暴かないように、二人で、必死にやってきたんじゃないのか?
もう嫌だ。本当は…嫌なんだ、傷つくのは。
「いらねぇんだよ、嘘も同情も懺悔も!!そんなもん、聞き飽きてんだ!!くそくらえ!!!」
「!?」
「私の気持ちなんか分かる気ないくせに!!彼氏面してんじゃねぇよ…!殺すぞ!!」
「違っ…俺は、ほんとに」
「五月蝿いっ…顔も見たくない。さっさといなくなれ。」
好きなんて、言えるわけないだろ。
次は、同情でお前を縛り付けろとでも言うのか?
ふざけるな。
私が欲しかったのは…そんなものじゃない。
「聞けよ!!」
「触んな!見るな!死ね!」
力強く肩を引かれて、よく分からない路地の真ん中で、向き合う形になった。
好きなんて言ってない。
だから、この涙に意味なんかないんだ。
「耀、聞け。」
「何を?バカなお前が私と友達になった理由か?私に告白した理由か?そんなの知ってる、私とねーちゃんが並んで歩いていたのを見たからだ。ねーちゃんに惚れたお前が、どうにかしてねーちゃんにちかづきたかったからだっ。知ってる、バカにすんな…私は、いつだって!!金森瑠璃の妹でしかないっ!!」
「違う!!!」
私の言葉に、目の前の奴が怒鳴った。
嘘をつくなよ。
お前が、それを否定するな。
なんで…お前が、泣きそうなんだ。
「違う…お前は金森耀で、俺の彼女だ。毎朝、お前にあんなふうに言い出したのは、今更引っ込みがつかなくなったのと…お前の『別れたくない』が聞きたかったからで…」
「はぁ?次はどうしたい?私とまた親友でもやるのか?じゃないと、ねーちゃんが悲しむもんなっ…お前の作戦が、ばれちまうもんな!」
「違う、あの人はもうどうだっていいっ…気付いたんだ、今更になって気付いたんだっ…お前に『別れてやらない』って、笑いながら言われた時…あんな笑い方させた時。」
「うるさい、聞きたくない、もう…嫌だ。」
「瑠璃さんと仲良くなれた時…瑠璃さんが『耀は、最近よく笑うようになった』って言った。それにわけもなく嬉しくなって、なんでか腹がたった。俺といるから笑ってくれてんだと思った。耀の笑えない理由に、何も気づかない瑠璃さんの鈍感さに腹がたった。そう思った時…、お前に一度だって好きだって言われてないことに気づいた。」
もう嫌だ。
期待なんてしたら、生きていけないくらい傷つくのに。もう、どれが本当か分からない。
なんで…お前まで、泣くんだよ。
「最近ずっと、最低な告白が、お前にばれてんじゃないかって…びくついてた。だけど、本気の告白だと信じてくれてるなら…俺の気持ちは結局一方的で、不安になった。でも、縋り付いてる自分がかっこ悪くて、試すようなことばっかした。約束を破れば怒ってくれるかもしれない、他の女と遊べば嫉妬してくれるかもしれない、浮気を…それを知ったら、お前は、興味のない俺でも傷付いてくれるかもしれない。泣いて、くれるかもしれない。最低だった…」
涙を流しながら、必死で話すバカな男に、私は何も言えなくなった。
「知らなかったんだ。お前の瑠璃さんに対する傷の深さも…お前のあんな笑いかたを見るまで、俺がどれだけお前を傷つけてきたのか。だけど、それでもお前から『好き』の一言が聞きたくて、毎朝迎えに行った…!」
全てのキッカケは、結局同じだったのかもしれない。
「許してくれなんて言えない…だけど、嫌わないでくれっ」
なんてバカな男なんだろう。
なんてバカな男に惚れてしまったんだろう。
だけど、素直に好きだなんて言えやしないから。
だから、私は義近(ヨシチカ)の右手を、自分の左手にからめとった。
「学校、行かなくていいのか?」
「耀と一緒がいい…!」
「…奇遇だな、私も義近と一緒にいたい。」
「!?」
涙が止まらなくてうざったいけど、私は義近の手を引いて歩き始めた。
「耀」
「なんだ?」
「死ぬほど好きだ」
返事の代わりに、繋いだ手に力を込めた。
終
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