林檎を齧ったバカな犬


私の世界は、派手で明るい馬鹿な兄に全てをぶち壊されることから始まる。

私が生まれた記念に作られたお気に入りの花壇から始まり、最近だと格下の伯爵家との縁談だろうか。

なのに、その馬鹿は、公爵家に婿入りするかもしれないという幸運を掴もうとしている。

腹が立ち過ぎて、もはやその公爵家もろともおっ死ねと思っている。

あのクソ駄犬を引き取ろうと息巻いている、頭の中がハッピークソ野郎な公爵家の跡取り娘も、たいがいだ。私が悪役令嬢だったら、一番にいじめ抜くのに。駄目だ、アイツ公爵家だから、皇女に生まれないと手が出せない。妄想でも溜飲下げれないとか、あの女への好感度どうあっても上がらねぇよ。


「ルル!」


「ご機嫌麗しゅう、お兄様。」


「あれ…機嫌悪い?」


「そう聞ける厚かましさ鈍感さに、突き抜けたような嫌悪を抱いて10年は経つかと。」


「え、なんて?」


「大嫌いですので、それ以上近づかないで。」


「嫌いなの?」


だからそう言ってんだろ。

腐っても伯爵家令嬢でして、悪し様に口汚く罵るなんて外聞の悪いこと、私が、この私がした事あって?

馬鹿でクソな兄の尻拭いをするために生まれてきたような17年間に、お前がどうやって報いてくれるわけ?あ?

今だって、婚約秒読みの二人の逢瀬から一番遠い場所、つまり、私の部屋のバルコニーなんだけど、そこで美しい景色を眺めながら最高に美味しい紅茶を飲んで現実逃避していたのよ。

分かる?なんで、バルコニーの上から、なんでもない顔で降って沸いてきたのコレ?私には、分からないわ。扉とか窓とかの意味、考えたことないのかしら。ていうか、人のプライバシーを笑顔で殺すのやめてくれない?


「……そんなに、俺が公爵家に行くのが嫌なのか?可愛いやつだな、お前は。」


「くびり殺すぞマヌケ。お前のせいで嫁ぐ予定が婿取りに代わって、リュート伯爵家との縁談がたち消えたんですのよ?今から、一から縁談探すの、どんだけ骨か分かっていらして?ねぇ?ばか?ほんと嫌い。まじめに死ね。」


ついさっきまでの体裁を気にしていた自分に反吐が出るわ。

なんだ、この生き物。


「流れるような罵倒に痺れる。」


「そのまま、呼吸不全になればよろしいかと。」


「ルル、俺は、その」


「『悪気は無かったんだ。』って、言葉で私が一体どれだけの我慢を周りから強要されたかご存知ですの?あなたの自由奔放さと天真爛漫さは、あなたが周りから愛されるために得た能力なんでしょうけど……そのせいで、私が伯爵家に養女に出された事も分かっていまして?」


「…」


「能天気なあなた方に振り回されて、17年。私、実の両親の顔を覚えるより前に、ここにやってきましたの。1歳になる前の、何も分からない赤子に、お兄様は一体なにをくださいました?」


私の言葉に黙ってしまった彼を一瞥して、私は足早に自室へ引っ込んだ。私が養女に出された理由?


『可愛いから、ほしい!』


という、当時4歳のアホの一言で、なんの力もない子沢山なだけが取り柄の傍系子爵家から、お引越しでしたわよ。


「お、お嬢様、あくまで予定とは言え時期公爵家へ行かれる立場のお兄様に、いつもの調子で話されては少々…」


「マリー、そんな瑣末な事を気にしている暇があるのなら、手伝いなさい。私は、逃げるわよ、今すぐ、逃げるわ。」


「はい?」


「まずいわ、地雷踏み抜いた。勢いで、お兄様とか言ってしまったわっ…やばいやばいやばいやばい、マリー早く早く荷造りしないと、私の必死で守り抜いた操が危うい。」


「ルルーベル様、落ち着いて下さい。マリーは、何が何やら?」


「何も気付けない鈍いマリーが、私の最後のオアシスってだけよ。いや、もう、これは自ら高級娼館へ駆け込んだ方が、まだ体が楽かしら?頭のおかしい奴相手に、修道院は喫茶並みの軽さだわ。守備力。」


知らないけど知ってるのよ、私。

アイツが、公爵家の一人娘をたらし込んだ理由。きっととんでもない裏があるの。裏がなんなのかまでは、知ろうとも思わないわ。

とにかく、多分、碌でもない理由なのよ。いつだって、そうなんだから。

あとね、この伯爵家が、代々皇族の近衛騎士団の参謀で活躍してきてる理由が、生まれ持った腹黒さにある事も、いやと言うほど知っているの。


「皇子も皇帝も宰相も、どいつもこいつも糞食らえだわ。私は、絶対に捕まらない。」


お兄様は、私を追って来られない。

なぜなら、多分、今回はまだ終わっていないから。奴は、任務から離れられない。逃げるなら、今しかないのよ!


「マリー、元気でね。風邪をひいてはダメよ?あなた、すぐ拗らせるんだから。」


私は、机の引き出しから取り出した、小さなハンドバッグを手に取って、マリーに急いで召し替えさせたシンプルなドレスとの組み合わせを鏡で確認した。

このいつも眠たそうな垂れ目が大嫌いなこと以外、別段問題はない。


「あいつ、私にお兄様って呼ばれたら、発狂する勢いで怒るのよね…」


私のことが好き過ぎて、頭のネジ全部緩んでるのよ。じゃなきゃ、こんな手使ってまで、3日後に迫ってた結納間近の妹の縁談ぶち壊さないわよ。

ていうか、私の婚約者もあの兄相手にここまで頑張ったから、なかなかの手腕と頭脳だわ。さすが、現役の宰相閣下。私より15も年上なだけあるわ。それでも、若いわ宰相にしては。


「20歳の誕生日まで逃げ切ったら、私の勝ちよ。」


あと3日。

誰の者にもならなければ、私は皇帝陛下から特別に聖女と言う名の名誉職を賜れるのだ。修道女の中でも最も位が高く、高潔なソレを私は欲しくて仕方がない。

合法的に、誰にも手を出されない存在になれるのだから。


「では、皆さまご機嫌よう。」


私は、堂々と正門から伯爵家を逃げ出した。

見つかってたまるか。

今から、人生をかけた鬼ごっこの始まりよ。




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