9. We hope to make light of them
教室へ入ってくるニイムラ先生を見た瞬間、その場にいた全員が理解した。
私がイギリス人だからといって英語が話せるわけではないというように。
ニイムラ先生が日本人のような名前をしているからといって金髪ではないとは限らないということを。
生徒同士が殺しあう教育プログラムが行われているからといって、教師による殺人が起こらないとは限らないということを。
「エマ! そいつから携帯を取り上げろ!」
「えぇ? は、はい!」
呆然とする空間に寒月の声が響いた。私はそれで正気を取り戻し、もつれた足でニイムラ先生へ半ば飛び掛かるように突っ込んでいく。突然のことに反応できないニイムラ先生の隙をつき、彼女のポケットからスマートフォンを引きずり出すことができた。
「ちょっと!? 何を……」
「ニイムラ・ミキ先生、あなたが坂上翔太殺人事件の犯人だ」
寒月の言葉で全員の視線が改めてニイムラ先生に向けられる。先生もその一言で自分のおかれた状況に気がつき狼狽え始める。
「そんな、何を根拠に……」
「被害者の手の中に金色の髪の毛が握られていた。抵抗したときに引き抜いたんだろう。この学校に金髪の人間はエマかあなたしかいない。エマが犯人でない以上あなたが犯人なのは論理的帰結だ」
「ちょっと待て、そこの金髪……エマが犯人じゃないと確定はしてないだろ!」
寒月の推理の横から田淵が口を挟む。寒月はそれを予期していたようで田淵の方を向きながら私を指さす。
「それはニイムラ先生の携帯の中身を見ればはっきりするはずだ。彼女が犯人ならその中に坂上を呼び出した痕跡があるはずだからな。携帯を使わずに呼び出した可能性は否定できないが、現場から被害者の携帯が持ち出されている以上その確率は低いだろう」
「……ちっ、どうなんだ?」
反論を受けて田淵が私を睨む。私は手元のスマホに目を落とし、中身を見ようと画面やボタンをいじってみる。
「あのこれ……パスワードかかっているみたいで……」
「じゃあ解除してもらおうかニイムラ先生? 何もやましいことがなければできるはずだよなぁ? 生徒会警察にはそういう権限もあるんだろ?」
ニイムラ先生が何かを言おうと口を開くが、その前に寒月が喋ってその反論を潰しにいく。彼女はどうあってもニイムラ先生に主導権を持たせないつもりらしい。
「……わかったわよ……」
ニイムラ先生は観念したように呟くと、私の手からスマホをひったくってパスワードを入力し始めた。
補修教室での出来事から数日後、私は校舎の一階にある小部屋の前にいた。蕨野高校では主に文化部に対して小さな部室を与えられるのだが、このような小部屋は校舎の至る所にあり余っているのが現状だ。私は生徒会警察の人たちから寒月が一階の小部屋を勝手に根城にしていることを聞き出しやってきたのだった。
小部屋の扉は金属製で、来るもの全てを拒絶するような冷たさがあった。先日まで降り続いていた雨はやみ晴れ間が見えるようになってきたが、廊下の寒々しさはまだなくならない。それでも扉の前で立ち尽くしていても仕方ないので、私は意を決して固い鉄戸をノックした。
「おぉ、入れ」
ノックが廊下に響くと、中から寒月の声が聞こえてきた。扉に阻まれてぐぐもっているが、尊大な口調は健在でいつもそんな感じなのかとつい笑みがこぼれてしまう。
「えっと、失礼しまーす……」
「あぁ、エマか。入れ入れ。どうした?」
扉から顔を出すと、車椅子に座る寒月がこちらを振り返って見つめてきていた。寒月は大仰な口調を多少和らげて、私に部屋へ入るように促してくれる。
寒月の根城は殺風景な小部屋で、壁に本棚と数脚パイプ椅子が立てかけられている程度で机すらなかった。車椅子で狭い部屋を使おうとすると机はない方が都合がいいのだろう。寒月は膝上に大きな単行本を乗せている。
「先輩、今日はこの前のお礼と報告を……」
「報告?」
「はい、事件が解決して警察の手に移ってからいろいろと分かったこともあるので……」
MCPのルールでは、生徒によって結論の出された事件は警察や検察に移されて通常通りの処理を行われることになっている。なので事件の動機や背景など、生徒の推理だけでははっきりしなかった部分はそこで明らかになる。もっとも今回の場合は補修教室での推理で動機などもほとんど明らかになってはいたけど、一応寒月にも報告すべきだろうと思ったのだ。
「はい、あのあといろいろとあったので」
「そうか、まぁ座れ。私だけ座ってるってのもおかしいからな。立つことないんだけど」
寒月はそう笑いつつそばの椅子を指さす。私はその勧めに従ってパイプ椅子を開いて寒月に相対するように座った。
「まず事件の動機ですけど、先輩の言う通り痴情のもつれがきっかけだったようです。補修教室に呼び出したのはニイムラ先生ではなく坂上先輩の方で、別れ話を切り出したらしく」
「別れ話ねぇ。ありがちな動機だな」
寒月は至極つまらなさそうに私の説明に答えた。動機が坂上とニイムラ先生の恋愛トラブルにありそうだというのは、先生のスマホを見たときに想像ができたことだからだろう。
「でもニイムラ先生からしたらただの別れ話ではなかったみたいです。生徒と教師の関係ですから……坂上先輩に食い下がったら関係を学校にばらすと脅されたようで」
「ははぁ、それでカッとなって絞殺と」
「えぇ、補修に使っていた電子辞書に付属していたイヤホンで」
坂上を殺害したあと、慌てた先生は交際がバレるとまずいと思い坂上のスマホを回収した。しかし凶器を回収することをし忘れ、また坂上が抵抗した際に自分の髪の毛を引き抜いたことには気づきすらしなかったようだ。
ニイムラ先生による犯行は誰かに罪を擦りつけるどころか、誤魔化すようなこともほとんどしていなかった。結果として私に疑いの目が向けられたのはほとんど偶然の産物だったのだ。
「なるほどねぇ。ニイムラ先生が金髪だったのは単なるおしゃれだったのかねぇ?」
「いえ、金髪は私と同じで自毛みたいです。ニイムラ先生は日系三世のアメリカ人だったんですよ。曽祖父が日本人なんですけど、両親祖父母はみんなアメリカ人でその血が色濃く残っているという……」
「あぁそういえば英語の教師に外国人を雇うみたいなくだらない政策があったな。ニイムラ先生は今年から赴任してたから、あれでか」
「はい。ニイムラ先生の国籍はアメリカなので」
「四月に赴任して六月で別れ話、しかも殺人か。私の言えた義理じゃないけどどういう神経してるんだ……まぁその辺の感覚がまともならそもそも教え子と付き合おうなんてしないか」
「そう……でしょうね」
寒月は迷惑な話だとひとりごちて、ため息をついた。確かに、危うく濡れ衣を着せられるところだった私としては迷惑極まりない。
「先輩」
「なんだ?」
「……ありがとうございました。おかげで疑いも晴れて、こうしてまた学校に通えます」
「あぁそのことか、お礼っていうのは。別に気にするなよ。私が解決しなくてもお前の容疑は晴れてただろうから」
寒月は鼻の頭を掻きながら、大したことではないように言った。
「それは……どういう?」
「もし仮に生徒会警察がお前を犯人として告発しても、お前が裁かれることはない。MCPを運営するお役所は監視カメラで事件の一部始終を記録しているから、誰が犯人かなんてわかりきってるんだよ」
「か、監視カメラぁ!?」
「あぁ、火災警報器に偽造してな。あまり大っぴらに設置すると犯行を妨げるから」
私は思わず天井を見上げる。天井に設置された火災警報器に不審なところはないように見えるが、言われてみれば年季の入った校舎にしてはやけに新しいような気もする。MCPを始める直前の春休みにでも取り換えたのだろうか。
「知りたくなかった……」
「知らずに恥ずかしいところ見られるよりいいだろ? まぁだから、私があのとき割って入らなくても別によかったんだよ。別に恩を感じる必要はない」
「そう、ですか……」
寒月はそっぽを向きながら、ぶっきらぼうな口調になるように努めて言っている。いまならそれが照れ隠しの入った態度だとはっきりわかった。
「でも、結局先輩は割って入ってくれましたよね? 放っておいても問題ないってわかっていたのに」
「んー、まぁなぁ……」
私にそう言われて、寒月は少し困ったような顔をした。正面切って問われたことはあまりないことなのだろうか。
「ほら、昨日も言っただろ? 間違ったことを自信満々に言ってるような馬鹿を馬鹿にするのが私の趣味だって」
「間違ったことを……」
「そう。お前も経験あるだろうけど、私みたいなのはぱっと見のイメージからでたらめなことをよく言われるだろう? 車椅子に乗ってると可愛そうだとか健気だって思われるけど、私はそんな人間じゃない。この足だって数年リハビリに専念したらある程度歩けるようになるのに、サボってるからこうなんだ」
「……そうですね」
私も同じような経験はある。英語がうまいだとかなんとか。そういうことを言われたときの感情を真剣に考えたことはなかったけど、言葉にすると寒月の言うように「むかつく」になるのかもしれない。
「だからあの割り込みは私のためだったんだよ。私の納得のためだ。お前はその巻き添えを食ってうまい具合に助かっただけ」
「それでも感謝してますよ、先輩。巻き添えでも助かったのは事実ですから」
「……勝手にしろ」
寒月が投げ捨てるように言った瞬間、突然大音量で校内放送が流れ始める。私は驚き、校舎にいる生徒の習性としてスピーカーがあるだろう天井を見上げてしまうが、この小部屋には設置されていなかった。廊下に流れる放送が鉄戸越しにはっきりと聞こえるのだ。
「な、なんですかこれ……」
「あぁ、殺人放送だろうなぁ」
「殺人放送!? なんですかその物騒な……」
「お前は坂上殺しのときは失神してたんだろう? じゃあ知らないか……校内で殺人があると全校生徒にそれを知らせる放送が流れるんだよ。事件発生を知らないと捜査なんてできないからな」
殺人放送の不吉な響きに狼狽える私に、寒月は淡々と説明してくれる。最初の事件のときは全校集会で知らされ、二度目の事件である坂上殺しのときは私は意識を失っていた。三度目となる事件で私は初めてこの放送を聞いたのだ。
「じゃあ、また殺人が……」
「そうだな。三か月でもう三件目……いや坂上殺しの犯人は先生だからノーカンなのかな? ともかく不愉快なことだがMCPはそこそこうまくいってるというわけだ」
「そんな……」
嘆息する私を横目に、寒月は車椅子の向きを反転させる。そして部屋の扉を開いた。
「さてと、行くか……」
「先輩?」
「あ、お前もついてくるか? エマ?」
寒月の行動の意図がくみ取れずに疑問の声を上げる私に、彼女は振り向いて笑いかけてくる。
「生徒会警察にちょっかいかけに行くんだよ。間違ったことを自信満々に言うような馬鹿の鼻っ柱をへし折りにな。ついてくるか?」
「……はいっ」
脱ゆとり教育殺人計画 金色の糸 新橋九段 @kudan9
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