8. The detective gather "everyone"

 翌日。同じ時刻同じ場所。

 私は昨日と同じように補修教室にいた。

 被害者の死体は朝のうちに片づけられたらしく、ドラマでよく見るような白いテープの縁取りがその場に残るだけになっていた。換気も施されて室内の臭いは大分ましになった。それでも、この部屋に染みついた忌まわしい臭気は残る。

 きっと永遠に残るのだろう。被害者の無念とともに。

 教室内には昨日捜査に参加していた生徒会警察の面々が揃っていた。それに相対して私と寒月が並ぶ。そして二つの勢力を取り持つような位置に管理官が立つ。わかりやすい対決姿勢だ。

「さて、早速だが寒月さん側の主張を聞きましょうか……確か、真犯人が他にいるという話でしたが」

「ああそうだな。しかしまずはエマの無罪を先に証明してしまおう。あとからケチがついてもつまらん」

 管理官の冷めた口調に対して、寒月は尊大極まりない言い様で返す。まるで自分の推理が正しいことは前提として、とでも言いたげな態度だ。味方としては頼もしいけど、その推理の内容を全く知らないこちらとしては不安もある。本当に大丈夫かなぁ。

「じゃ、エマ。あとはよろしく」

「え? あぁはい……」

 寒月が私に話を振ると、生徒会警察の面々は意外そうな顔をする。あれだけ自信満々なのにお前が喋らないのかよと言いたげな表情で田淵がこちらを見る。

「えっと……じゃあ、私がこの事件の犯人じゃないという理由ですけど……」

 私は躊躇いがちに口を開き、自分の推理の説明を始める。自分が犯人でないことははっきりとわかっているのに、なぜだが窮地に立たされたみたいに狼狽えてしまう。でもおろおろしても仕方がない。

「いくつかあるんですけど……まず一つ目。被害者と私の関係です。被害者の名前と所属はわかりますか?」

「坂上翔太、三年三組、サッカー部所属だ」

 私の質問には伊藤が答えた。資料のようなものを何も見ずにすらすらと答え、秘書然とした雰囲気を醸し出している。

「私は一年五組の所属です。帰宅部ですし、坂上先輩と顔見知りになる機会はありません」

「中学校が一緒だったんじゃないのか?」

「いえ、坂上とオールドマンの出身中学は違います。顔見知りになる機会は確かにないかと」

 田淵の反論には私ではなく、やはり伊藤が答えた。その通りだけど、なぜ彼女が私の出身中学を知っているのだろうか。私の個人情報の行方が気になるけど、いまはそれを考えている場合じゃない。

「で? あなたと被害者が顔見知りでないことがなぜあなたが犯人ではない理由になるのかしら」

「坂上先輩にはこの補修教室へ来る理由がありません。事件当日に行われた補修にも参加していませんでした。ということはおそらく先輩は誰かに呼び出されたのであろうと考えられます。けど私は坂上先輩を知らないから当然連絡先も知りませんし、私には呼び出す手段がありません」

「なるほどねぇ。確かに呼び出せなきゃ殺せないよな」

 寒月の同意の言葉に安堵の息が漏れる。少なくとも彼女の合格点はもらえる程度の論理のようだ。味方を納得させられない主張が、反対側へ届くわけがない。

「でどうなんだ警察諸君? つぅか被害者のスマホ調べたらすぐわかっただろこれ。被害者と最後に連絡とったやつが犯人だぁ! ……ってそんなことも思いつかなかったとか? 大丈夫かこいつら」

「うるせぇ! スマホは現場に落ちてなかったんだよ! そこの金髪が持ち去ったんだろ!」

「荷物検査はもうやったんだろ? それで見つけられなかったらいよいよ生徒会警察から節穴生徒会に改名すべきだろうな」

 寒月の煽りにあっさり振り回されて、田淵が大声を上げる。けれども寒月の反論に正面から叩きのめされて田淵は目を白黒させながら黙りこくった。

「携帯使わなくても、直に会ったり伝言で呼び出すこともできるだろ」

「じゃ、じゃあ誰かがそれを見ているんですか? 私と坂上先輩が会っているという証言が?」

 田淵が撤退したあとすぐさま反論のために生徒会警察の一人が口を挟む。自分を守る論理を組み立てるのに一生懸命でそこは考えてもいない可能性だったけど、何とかそれらしい理屈をひねり出す。幸い彼らは私の主張を崩すための材料を持っていないらしく、反論してきた男子生徒は苦々し気な顔で引き下がった。

「何も殺すために呼び出す必要はないだろ? 坂上がここへ来た理由なんてどうでもいい。お前がたまたまこの教室にいる坂上に目をつけて不意打ちしたんだろ?」

 私の主張を一通り聞いた田淵が別の反論を繰り出してきた。偶然見かけた被害者を私が殺したという可能性。でもそれじゃ私が異常者みたいじゃないか!

「こ、殺しますか? 目に入っただけの見知らぬ人間を。私がもし人を殺すならせめて嫌いな人を殺すと思いますけど」

「恨みのある奴を殺すと足がすぐつくだろ? 見知らぬ奴を殺して完全犯罪を達成、報酬をもらってトンヅラってこともある」

「でも……」

「ま、そこは考えても仕方ないだろ。動機なんて犯人次第だし。それよりもエマ、ほかに自分が犯人じゃない理由があるような口ぶりだったけど?」

 田淵の言葉に窮する私に、寒月が助け舟を出してくれた。彼女の言う通り、ここで材料が足りないままに論戦をしていても仕方がない。一つでダメならもう一つ。理由をぶつけて相手の主張を崩していくしかない。

「もう一つの理由は、凶器のイヤホンです。これは寒月先輩が電子辞書のものではないかと推理しているんですけど……あ、ちなみに私の電子辞書のものではありませんよ」

「イヤホンなんてどこにでも転がっているでしょう? あなたの荷物にあることが無罪を証明するとはとても思えないけど」

 今度は伊藤が素早く割り込んでくる。生徒会警察の人たちはこういう推理のやり取りにも慣れているのだろうか。

「えぇ、でもおかしいですよね?」

「だから何が?」

「イヤホンを凶器に選んだ理由ですよ。首を絞めるならもっと適切なものがあるはずです。より太さがあって強く引っ張っても切れなさそうな……」

「その場になかったんでしょう? だからありあわせのイヤホンを使った……それがどうあなたの無罪を証明するのかしら?」

 伊藤は私の要領を得ない説明に苛立ったように語気を強める。英語圏の人間だからといって結論からまず話す話し方が身についているとは限らないのだ。私はしどろもどろになりながら結論にまでたどり着こうとする。

「えぇっと……だから、私はイヤホンよりももっと絞殺に適したものを持ち歩いているんです。それを使わずに細くて頼りない紐を使ったということは、つまり私ではないということになるはずです」

「適したもの?」

 寒月は私の説明を手助けするためというよりも、単純に気になったという口調で尋ねてきた。それを機会に、私は首元からロザリオを引っ張り出す。

「これです。このロザリオです。これは毎日身に着けているものです。イヤホンよりも長さも太さもありますから、私が誰かを絞め殺そうとするならこれを使うはずです」

「ロザリオって神聖なものなんでしょう? それを殺害に使うかしら?」

「それにロザリオなんて使ったらすぐに犯人が分かっちまうだろ。首にわかりやすい跡がつく」

 伊藤と田淵の反論は同時に来た。私は左右から飛来する言葉に慌てつつ、何とか体勢を立て直して言い返そうとする。

「人を殺す人がそんなことを気にしますか? それにビーズのデコボコが跡として残るとしても、その跡を調べるのは鑑識の人ではないんですから、それがロザリオによるものかはわからないでしょう? 変な跡をつけることでかえって捜査をかく乱できるかも……」

「いいや気づくね。生徒会警察を舐めるなよ?」

「道徳感情というのはけっこう不合理なものだし、殺人は容認してもロザリオを凶器に使うことには抵抗があるという場合も考えられるでしょう?」

 再びの反論も、やはり同時だった。私はどうやってそれに返答していいかわからなくなり、押し黙ってしまう。どちらの主張も、そうかもしれないと言ってしまえばそれまでだ。それを証明する根拠も否定する根拠もない。

「まぁまぁ。エマの主張をまとめると被害者を呼び出す手段と凶器の選び方に疑問が残るってことだろ? そして生徒会警察はその主張を崩すだけの材料を持っていないと」

 困り果てる私へ寒月が助けに入ってくれる。ついでにまるで生徒会警察の主張に説得力がないかのように捻じ曲げながら。このへん彼女は実に如才ないと思う。

「でもその主張が正しいって根拠もないだろ!? じゃあそこの金髪が犯人だ!」

「はぁ、これだから単細胞は。ちょっと隅っこで単性生殖でもしてろよ」

 流石に田淵にはその誤魔化しを見抜かれ反論されてしまうが、寒月は怯まず煽る。寒月の言葉に田淵がだんだんふるふると震えだす。爆発寸前じゃないのだろうか。

「で、寒月にはあなたたちの主張が正しいという根拠があるのかしら?」

 伊藤は田淵と反対に冷静さを保ったまま口を開く。けれど言葉の端々に自分の思い通りにいかない不満が漏れているように感じられた。寒月もそのことに気付いたのか、にやりと口角を上げぎざぎざした歯を見せる。

「まぁな。エマの主張が正しいって根拠というより真犯人が間違いなく犯人であるという根拠があるって話だけど。でもエマ犯人説で固まってるお前らの頭をほぐす必要があるからな。お前らが主張している説でもこれだけ文句がつけられるってことをとりあえず示しておきたかったんだよ」

「そう……」

 寒月の言葉に、伊藤は言葉少なに反応する。彼女の言う通り、確かに生徒会警察のメンバーにはゆっくりとだが疑念が広がっていた。本当に私が犯人でいいのかという疑念。声高に異議を唱えるほどにはなっていないけど、けれど田淵と伊藤の主張にそのまま従ってもいいのかという困惑がそれぞれに見て取れる。

「それで寒月さん。真犯人が誰かという話はいつ聞けるのでしょうか」

 やり取りの途切れた私たちへ、管理官が口を挟んだ。いままで黙りこくっていた上に表情の変化が全くない。この男がどんなことを考えて私たちの討論を眺めていたのかが一切想像がつかない。

「まぁ焦るなよ管理官。欲しがりさんめ。もうちょっと待て」

 寒月は管理官へはっきりため口をききながら時計をちらりと眺めた。あと三十秒ほどで十八時をまわる。寒月は目を細めてシームレスに動く秒針を見つめ、針が五十のところを通り過ぎたタイミングで口を開いた。

「さて諸君、お待たせしました! エマが真犯人じゃないなら誰が犯人かって? 本人を連れてきたなら話が早いだろ?」

 寒月が大きな声で口上を述べる。不意に音量が上がり口調ががらりと変わった寒月に管理官を除く全員が驚き飛び上がった。その様子を彼女は満足げに一瞥してから手を振り、みんなの視線を教室の扉へ注目させる。

「さぁ真犯人の登場だ! どうぞ!」


 …………。

 ………………。

 誰も来ない。

「あの、先輩?」

「誰も来ねぇじゃねぇか」

「あーこれはだなぁ……」

 完全にフリをスカした先輩は、私の前で初めて困ったような顔をした。本当に大丈夫だろうか。

「言うのが早かったようだな……時間通りに来いよ全く……こちとら予定よりも早く来るかもしれないってヒヤヒヤしてたくらいなのに……」

「先輩?」

「あー大丈夫だ大丈夫! ちょっと予定がずれてるだけだから!」

 不安げに寒月の顔を覗き込むと、彼女はさっと私から目をそらした。慌てているという感じではないけど、気まずそうな感じがある。この人は思っていたよりも考えていることがわかりやすいタイプなのかもしれなかった。

「おいお前、本当は何も考えてないんじゃないの……」

 寒月の余計な演出のせいで窮地に陥る私たちへ、田淵が追い打ちをかけようとする。けれども彼の言葉が終わる前に、教室の扉が音を立てて開かれた。


 扉のそばに立っていたのは、ニイムラ先生だった。

 その髪は照明を反射し、金色に輝く。

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