7. "Rosary's" length

 家に帰りついたころには夕方の六時をとうに過ぎ七時になろうとしていた。とにかく今日は色々なことがあって疲れ切っていた。お腹が空いたし、体は冷え切っている。早くお風呂に入ってベッドに潜りたかった。

「ただいまー……」

「あぁお帰りなさいエマ。今日は遅かったわね」

「うん……」

 玄関へ入った私を、お母さんが迎えてくれる。私によく似た金髪と碧眼を持った人。お父さんは赤毛だから、お母さん似だねとよく言われる。

「どうだった学校は? もう慣れた?」

「うん、そうだね……」

 私はお母さんが笑顔で繰り出す質問へあいまいに答えた。学校で殺人があったことは話さない。ましてや自分が疑われていることなんて話せるわけがなかった。

 お母さんに心配をかけたくないという思いもあるけど、それ以前にMCPのルールとして話してはいけないことになっているのだ。捜査期間の二週間は緘口令が敷かれ、事件について校外で話すことを禁じられる。破れば罰金刑もありうると脅された。その二週間が過ぎても話せるのは文科省が公表した情報だけ。それ以外は特定機密とかいうのになってしまうらしい。

 お母さんもお父さんも、入学した蕨野高校がMCPの実験校に選ばれた当初はひどい慌てようだった。別の学校に転校させようとか、裁判所に訴えようかとか、右へ左への大騒ぎだった。MCPのルールで転校もできず裁判所へ言っても無駄だと知っても、しばらくは登校するたびに今生の別れのような大げさな挨拶をかわす羽目になった。

 それでももう三ヶ月目になるとお母さんは慣れてしまったらしい。人はいつまでも心配を心配のままではいられない。慣れないと心が壊れてしまうから。それに殺人が校内で合法になったといっても、お母さんたちは実際に見たり聞いたりするわけじゃない。眼前に迫らない脅威には、人は真剣に対応するのが難しいのだろう。

 娘に命の危機が迫っていることに慣れられるのは寂しいけど、それでいいとも思う。心配のし過ぎで体調を崩されるよりはよっぽどいい。MCPが始まってから、親兄弟が寝込んでしまったという話はいたるところで聞いた。お母さんにもお父さんにもそうはなってほしくない。

 たとえ私が死んだって。悲しみでおかしくなるくらいなら悲しまないでほしい。


 用意されていた夕食を食べ、シャワーを浴びて自室へ籠る。鞄の中から今日の課題である数学の問題集を取り出したところで、捜査期間には課題は全て免除されるルールであることを思い出した。まだ全校生徒に事件のことが周知されているわけじゃないし、明日はこの決まりが適用されるかは怪しいけど私は課題をやらないことに決めた。

 自分の容疑を晴らす理屈を考えなければいけないこともある。一回や二回課題を出し損なうことを気にしている状況でもなかった。

「でも、私に殺人が不可能な理由か……何かあるかな……」

 机に向かって、とりあえず声に出してみる。寒月はああ言ったけど、自分も少しは自分自身の冤罪を晴らす力になりたい。でも、そう都合よく思いつくようなものでもないし。

「アリバイがあればなぁ……」

 していることの証明は簡単だけど、していないことの証明は難しい。悪魔の証明……とは違うのかもしれないけど、完璧なアリバイもない以上困難なことは事実だ。

「刑事ドラマとかだったらどうするかな……」

 日本の刑事ドラマは展開が遅くてつまらないからあまり見ないけど、海外のものは好きでよく見ていた。その中には冤罪を晴らすことをテーマにしたエピソードだっていくつかあったはずだ。これは現実のドラマでレッド・ジョンも出てこないけど、大まかな方針の役には立つはずだ。

「そういえば、あの被害者の人の名前なんて言ったっけ……」

 確か田淵は被害者の名前を坂上翔太と言っていた気がする。あのとき初めて見る顔出し、学年すらわからない生徒だ。蕨野高校には生徒が千五百人もいるから、こういうことは当然起こる。

 でも、仮に私が犯人だとして、全く知らない人を殺すだろうか。どうせ殺すならせめてむかつく奴とか、恨みのある人を殺さないだろうか。見ず知らずの人を殺すのは気後れする。仇敵だったとしても躊躇いはするだろうけど、でも知らない人を殺めるよりはやりやすそうだ。

 私だったらそう……補修のとき陰口を叩いてきたあの男子生徒とか?

「……あれ?」

 そこまで考えて、私はあることに気がついた。

 あの坂上という被害者、補修のときいたっけ?

 英語の補修は一年生の落第生を対象にしたものだった。一年生を対象といっても全員はあの補修教室へ入らないので、私が受けた時間の対象者は一年一組から五組の生徒に限られている。そして、坂上はその中にいなかった……と思う。

 まさかあの直後に殺人が起こるだなんて予想していなかったから記憶はあいまいだけど、あの教室の中に坂上はいなかった。男子は私の悪口を言った数人のほかに、教室前方に何人かいた程度だった気がする。そしてその誰も、坂上とは特徴が一致しない。

 本当に被害者が補修にいなかったかは明日確かめればいいとして、仮に私の記憶が正しいとすれば、一つの疑問が浮かぶ。

「……じゃあなんで彼はあの場所で死んでたんだろう」

 坂上は補修教室に来る用事はなかったはずだ。少なくとも英語の補修以降は。あの日の補修は英語で終わりだった。しかも普段は使われていない教室。私みたいに忘れ物をしたというのでなければ、立ち寄る理由がまずない。

「あぁでも、補修教室へ来るはっきりとした理由がないなら被害者にはならないような……」

 もし坂上が忘れ物をしたといった理由で補修教室を訪れていたとしたら、今回の事件はかなり偶然に頼ったものになってしまう。もし手中の金髪が犯人の工作だとしたらかなり運任せな策だと寒月が言っていたのと同じように。衝動的な犯行とはいっても、たまたま見かけた人を殺しましたというのはないだろう。荒唐無稽もいいところだ。

 だから突発的な殺人だったとしても、被害者とあの教室で出会うところまでは計画があったのではないだろうか。会って話してこじれて殺したという筋書きの方が確かに現実味がある。殺害の動機はそこに人がいたから、なんてものよりはよっぽど。

「じゃあつまり、坂上は誰かに呼び出された……」

 あぁなんで気づかなかったんだろう。私は自分に向けられた疑いを晴らすことに一生懸命で基本的なことを見落としていた。誰かが坂上をあの教室へ呼び出したのなら、彼の携帯にその証拠が残ってるかもしれない。メールなり電話なりの痕跡が見つかれば、犯行時刻直前に彼と連絡を取った人物が怪しいということになる。同時に、坂上の連絡先を一切知らない私には犯行は不可能だ!

 きっと生徒会警察もこのことには気づいていない。目の前にいかにも怪しい人間がいたせいでそこまで気がまわらなかったのだろう。これだ。これで私の無罪を証明できるかもしれない。

「ふう、よかった……」

 とりあえずでもアイデアが浮かぶと安心できる。私は椅子にもたれかかり安堵のため息をついた。胸元に手を当てて、そして何かが足りないことに気づく。

「あれ、ロザリオ……」

 いつも首から下げているロザリオがない。手持ち無沙汰になると紐をいじる癖がついてしまったあのロザリオだ。どこへやったんだろう? あれは祖母の形見、大切なものだ。

 そう頻繁につけたり外したりするものじゃない。外すのは寝るときとシャワーのときだけだ。今日は学校にもつけていった記憶があるから、朝起きたときにつけ忘れたということはないだろう。だったらシャワーのときだ。

 部屋を出て脱衣所まで行くと、思った通りそこにロザリオがあった。シャワーを浴びる直前に外して洗面台のところへ置き、そのままにしてしまっていたのだ。私はそれを拾い上げて首にかける。ロザリオは一般的なものより少し長め。おばあちゃん曰くオールドマン家のロザリオは代々こうらしい。元々ロザリオの長さにも宗教的な意味があっただろうし、その長さを勝手に変えるのはどうかと思うけど。

「ん? これって……」

 改めてロザリオを首から下げてみて、頭の片隅に何か思いつくことがあった。私はロザリオをもう一度外し、今度は輪の両端に手をかけて持ってみる。そしてそのまま腕を交差して突き出す。ロザリオの輪でさらに輪が作られ、目の前でぶらぶらと揺れる。

「あっ、これ……」

 このロザリオ、人を絞め殺すのにちょうどいい長さだ。

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