急・対決吸血鬼の巻
「お師匠さま、起きて下さいよぅ。もう朝ですよ」
「むう」
朝露の下りるなか、悟空に起こされ、三蔵法師はゆっくりと目を明けました。そして大きく伸びをしながら首の骨を鳴らしました。
「すごい音ですねえ」
大木が水中でへし折れるような音を聞きながら、悟空は干し肉を差し出しました。
「おお、すまんな」
三蔵は有難そうに受け取り、遠く林の向うに臨む町を見つめます。
「ついにこんなにも西にまで来たのぅ、悟空」
「はい、お師匠さま。あれこそがトランシルバニアでございます」
「おお、迷える小羊たちよ祈りなさい!」
質素な格好をした若い神父が、十字架を胸に十人あまりの村人を相手に言葉を投げかけていた。
「そうすれば、きっと神がこの困難な状況をお救いになられるはずです」
とたんに皆の間から不安のどよめきが起こります。
「またきっと、お城の領主に酷い殺され方をされるんだ」
「次はきっと家の娘じゃ」
口々に不安の声と視線を神父に投げかける。
「おお、皆さん。信仰の下、ひとつに団結し、領主に訴えるのです」
さらに声量を上げ、神父は混乱を宥めようとする。
しかし、その声は十人あまりの村人の声に掻き消されつつあり、しだいに弱弱しいものへと変わっていく。
「満月のたびにわしらはビクビクせにゃならん! いくら祈っても神さまはお救いくださらんじゃないか!」
「何人の娘が餌食になったか!」
「そうだ、何人の若者が歯向かって殺されたか!」
「逃げるしかない!」
「どこへだ!」
「田や畑を棄ててどこに逃げる!?」
すでに神父を無視して、村人は顔をつき合わせています。
「おお、神よ。私たちをお救い下さいっ」
そしてついに神父は跪き、十字架を握り締めて天を仰ぎました。
ざっ……。
「ん? おお、第一村人衆発見だぞ悟空」
村人たちは、ギョっとして振り返りました。
皆のいる広場への道の向うに異様な風体の外国人が現れ、こちらを嬉しそうに見つめているのである。こりゃビックリもする。
しかも、おまけに猿のお供まで連れているではないか。これも怪しい。
「お師匠さま、今夜は野宿をしないですみそうですね」
ザワザワザワ。
その猿が人語を話すのを知り、村人は大きく退きました。
「猿の怪人!? まさか領主の手下か!」
「み、みなさん下がって!」
神父が震える体を盾にして村人と三蔵の間に立ちはだかります。
「ん、どうしましたかな?」
三蔵はあからさまに怯える村人に首をひねった。
「な、汝信仰の敵生命の簒奪者よ、神の名のもとに命じる!」
気丈にも十字架を突き出し、震える声で頑張る神父に、三蔵は優しく微笑んだ。
「おお、キリスト教のお坊さんですか。拙僧は玄奘と申します。怪しいものではございません、こちらの猿は孫悟空といい、仏法に目覚めた仏の使途でございます」
「あ、どうも宜しくお願いします。孫悟空です」
ぺこり。
お辞儀する孫悟空につられ、村人からも「は、はぁ」と会釈する者も現れる。
「しかし、遠くまで皆様がたのお声が聞こえましたが、何かあったのですかな?」
三蔵は真摯なまなざしで神父に問い掛けた。
「そうですか、インドに経典を知りに行く旅の途中でしたか」
神父の名はスタンコビッチ=コイムナーゲといった。洗礼名はキレヂーである。
スタンコは異教徒ではあるが、同じ求道者の三蔵と悟空を教会に招きいれたのである。
「祖国にはちゃんとした経典がなく、民衆が困っております。仏教発祥の聖地である天竺に赴き、素のままの経典を持ち帰ることが私の使命と心得ております」
「それは困難な旅ですな」
「……もう十二年も旅しております」
恥ずかしそうに頭を掻く三蔵法師。
巨体を支える椅子がきしむ。
「そりゃぁ、あんな旅の仕方をしてりゃあねえ」とは悟空は言わない。思うだけである。
「あなたのような方が、キリストの教えに目覚めてくれると心強いのですが」
「あいや」と、三蔵はスタンコの言葉を遮り「我らには分かるはずです。道に気付いた者の信念の強さというものを」
「……そうですな」
スタンコビッチ神父はコホンと咳払いをし、話を変える。
「実はですな」
スタンコは三蔵にありのままを話した。
「ほう、若い女性のかどわかしですか」
「悪い妖怪の考えそうなことだぜ」
悟空は腕を組んでプンスカと怒る。
「領主はかの大悪鬼であるブラド=ツェペシュの親族。つまりは、かの国王ドラクルの息子、ドラキュラ伯爵の一族……つまりは魔性の者なのです」
「聞いたことがありますぞ、その名前。確か『串刺し公』の意味合いがある名だ」
三蔵は悟空に聞かせるように呟きました。
「詳しいのですね」
「ふふふ」
いつもの含み笑いで返されます。
「ドラキュラは流血鬼といえますが、今の領主は、そう、『吸血鬼』とでも申しましょうか」
「血を吸うのか。なんと邪悪な」
三蔵はグビリと喉を鳴らします。
「しかも、手下の狼男には魔性の力が宿っておりまして、神の祝福を受けた武器か、銀の武器でしか傷を負わせることが出来ません。しかも、月の満ちとともにその魔力は増し、満月にもなればほぼ不死身ということです」
「獣も居るのか」
三蔵の腹がぐぅと鳴りました。
「ああ、これは気がつきませんでした。食事にいたしましょう。大したおもてなしも出来ませんが」
恥ずかしそうなスタンコに、三蔵はニコリと微笑みます。
「貴方に百の感謝を。宗派は違えど、民衆を思う心に違いはありません。尊敬しますぞ」
スタンコは頬を赤らめました。
深夜、教会の客間に作られた簡素なベッドの上で、三蔵と悟空は横になりながら話をしていました。
「聞いたか悟空」
「はい、ちゃんと聞いておりました」
そう、領主は毎月、満月の夜に近隣の若い女性を配下の狼男にさらわせると言う。
「邪悪なる吸血鬼、見過ごすは仏法の名折れ。キリスト教の信者であれ、なんであれ、幸せを望む民衆を救わずして何の仏教か」
「確かにそうですよね、お師匠様」
「うむ」と、三蔵は拳を突き上げます。「次の満月は明後日。拙僧に策がある」
三蔵の腹が、またひとつグゥと鳴りました。
「がおー」
夜の村に、銀の体毛の狼男がやってきました。
山の上の城から、領主に命じられて若い女性をさらってくるのが狼男の仕事です。
「ふふふ、いま巷で持ちきりの、噂の美女が教会に居るらしい。今日の獲物はそいつにしよう」
狼の顔で器用に人語を話しながら、狼男はここ数日村人が噂をしている教会の美女の下へと向かうことにしました。
異国からの旅の途中、この村で休息を取っているらしいのですが、そこが狼男にとっての狙い目でした。
「満月の日の近くに来たのが運の月夜……いや、尽きよ」
狼男は満月の下、疾風のように駆け抜けます。
「ふふふ、ここか」
寂れた教会の前に来ると、狼男はその強靭な爪の一薙ぎで門扉を破壊します。
「出ておいで、赤頭巾ちゃあ~ん!」
その瞬間、ボゥと教会内に明かりがともります。
「ここじゃ、妖怪」
「む?」
狼男は、声の方向を仰ぎ見ます。
十字架の上……いや、十字架からでした。
両手両足に杭を打ち込まれたキリストの代わりに、そこには妙に巨大な女が十字架にかけられていました。
「ぬうん!」
巨大な女子――否! 女装した三蔵法師が十字架上から飛び降ります。
「げえ、貴様何者!?」
すっかりビビった不死身の人狼。
そこで三蔵は長髪のカツラを、むんずとばかりに投げ去った。
「外道に告げる名などないわ」
「ふふふ、馬鹿なヤツ。そして何より不細工なヤツよ。エリーザベト様は貴様のような無粋な輩は好かん。殺して、食ろうてくれる」
狼男の爪が、シャキーンと伸びます。
「ほう、わしを食うとな?」
三蔵は後屈に構えます。
「ははは、見れば貴様は東洋人だな? 何も知らない馬鹿なヤツめ。いかな拳法でも人狼を傷つけることなどできんのだ!」
スタンコビッチ神父の聞いていた特徴。銀の武器や、神に祝福された武器以外では傷がつかないこと。そして今は満月の力でほぼ不死身となった狼男の自信がその言葉に如実に表れています。
「心の臓、貫いてくれる」
狼男は無造作に近づいてきます。
「死ね、坊主!」
間合いに入った刹那、狼男の左爪が突き出されます。
がし。
「ふん」
しかし、その腕を鼻で笑いながら三蔵は無造作に右手で掴みます。
「嘘ぉん!?」
間抜けな声を出す狼男の左足に、三蔵は自分の左かかとをズイと乗せる。
「へ?」
左手と左足を極められた狼男は、信じられないといった表情で一瞬呆けました。
その呆けた瞬間に彼の命運は尽きていました。
「ぬん!」
三蔵法師が放った強烈なローキックが狼男の左腿を、骨ごとまとめて粉砕します。
「ほげえ」
蹴りの勢いのまま、狼男の体はもんどり打ちながら教会の壁に激突します。狼男は左足の激痛に、まだ自分に何が起こったのか分からない様子でした。
「どうじゃ、骨を砕かれるのは地獄の痛苦であろう」
三蔵の言葉に、狼男は自分の左足を襲った蹴りが、不死身の魔力を全く無視していることに気がついたのであります。
「ななな、何故だ!?」
「ぬん!」
三蔵法師の法拳が、今度は狼男の細長い下あごにめり込みます。
骨の砕け散る鈍い音と、牙が折れ飛ぶ乾いた音が同時に響きました。
もはや悲鳴をあげても意味のない声を上げるばかりの狼男。
「『何故だ』と言ったな? ならば答えてやろう」
三蔵はズイと拳を突き出した。
「我々仏教徒は、長い年月、気の遠くなるような回数の読経と合掌を繰り返す。幾十幾百万の合掌を経たこの拳は、言わば仏法の具現! 西洋の言葉を借りるならば正にホーリーウェポン!」
完全に腰の抜けた狼男は、這うようにして出口に向かう。
ソレをゆっくり追うようにして、三蔵は言葉を続ける。
「さらに言うなれば、拙僧は焼けた砂鉄を詰めたサンドバッグを日に幾千と突く修行を経ている。そのサンドバッグにも仏のご尊顔を書き、拳に仏を宿すように修練を積んでおったのだ」
三蔵は遠い目をしながら呟く。
「ほれ、今日でもその修行をこう言うであろう? 『仏の顔もサンドバッグ』と」
狼男は血とよだれと涙を垂らしながら失禁しました。
悟空が、狼の肉を捌きながらため息をつきます。
「しかし、不死の魔力を打ち破る蹴りですか」
「うむ」
鍋に火をかけている三蔵法師が、煮干で出汁をとりながら頷きました。
「ローキックは仏法の基本だからな」
初耳であった。
「は?」
「む。悟空、ローキックとは遥か西方の英国の言葉であるが、漢字で書くとどう書くか分かるか?」
「えーっと、下段蹴りとかですか?」
自信なく答える悟空に、三蔵はやれやれと首を振ります。
「ローキックはな、『法蹴』と書く。イングリッシュと言う英国梵字で書くとこうだ」
滴り落ちた狼男の血で、石畳に『LAW KICK』と書く三蔵法師。
「このLAWとは、即ち『法』なのだ」
悟空は即座に理解しました。
「まさに仏法の蹴りな訳ですね」
「うむ」
と、三蔵は良い匂いのしてきた出汁に目を細めます。
「腹ごしらえしたら、仏法の敵である吸血鬼を戴きに参ろうか」
その城は、崖の上に聳え立つ、とても恐ろしい感じの城でした。
「や、ここがエリーザベトとやらの居城か」
「城の中には魔物がウヨウヨといるらしいです。吸血鬼の下までに、何が待ち受けていることか」
悟空は一応、そう言って心配しているフリをします。
「はっはっはっはっは、面白い」
三蔵はビュウビュウと吹く向かい風の中を元気に歩き出します。
「悪即殲! さぁ行ってみようか!」
冒険中略。
「ここか!」
ドカーン!
重厚な鉄扉が外側から砕かれ四散し、石畳を鳴らしながら室内で弾けます。
「来たか、坊主」
見た目麗しい、年の頃二十台半ばの美女が空虚なホールの中央に立っていました。長いブロンドの三つ編み。その前髪をを掻き上げながら、彼女はゆっくりと三蔵に向き直ります。
「配下の者が尽くやられるとはな。しかしこのエリーザベト=バートリー、不死者の頂点の自負がある。たかが新興の教えを振りかざす者なぞ取るに足りぬわ」
「ほう」
三蔵のこめかみがピクリと動きました。
「悟空、帰り村人に吸血鬼退治の報を知らせよ」
「わかりましたー」
その言葉に、エリーザベトは眉根を寄せます。
「下賎な者め、吸血鬼の恐ろしさをたっぷりと刻み込んでやる。楽には死なせんぞ」
「面白い、ではお前には仏の教えを刻み込んでくれるわ」
三蔵は風よりも早く接近し、エリーザベトの尻たぶを無造作に平手打ちしました。
裂くような痛苦に、エレーザベトは悲鳴をあげました。
「ふむ、血とともに若さをも吸い取るということか。肌の張りがピチピチしとるわい」
エリーザベトは貴族の意地で手刀を繰り出しますが、枯れ枝で超合金を叩くように三蔵の胸板に弾き返されました。
「ふふふ、活きも良い。その悪心、豪雪を溶かすように拙者の仏棒で清めてくれるわ」
「お、おのれ!」
三蔵に腕をとられ、エリーザベトは振り解こうとしますが万力のように固められてビクともしませんでした。
エリーザベトの顎に、ニュっと三蔵の巨大な手が伸びます。
「ほう、華奢だな。見るだけで勃起するわい」
その手を下履きに伸ばし、ニュっと男根を掘り出す三蔵法師。
「きゃー!」
「その悲鳴、聞くだけで勃起するわい」
逸物が一段と強張りを増しました。
と、三蔵は石畳にエリーザベトを組み敷きました。
三蔵は吸血鬼エリーザベトの首筋に吸い付きます。
もがき暴れる女の体を抑えながら、芳しい女体の色香に目を細めます。
「この体臭、嗅ぐだけで勃(以下略)」
呟き、そのまま三蔵は腰を突き出します。
どう!
「あうううぅぅ!」
「ほう、処女か」
貫いたままぬめる血の感触を味わいつつ、三蔵は呟きました。
そして哀れむようにエリーザベトを見下ろします。
「どうじゃ、改心するか?」
仏心とでも申しましょうか、三蔵はエリーザベトに問い掛けます。
「く!」
矢庭にエリーザベトは上体を起こし、掻き抱くように三蔵の首筋にキバを打ち込みました!
パキン!
乾いた音とともに、吸血鬼のキバは僧侶の筋肉に阻まれ、折れ飛んだのです。
ああ、かわいそうに。
エリーザベトは茫然自失と顔を見上げます。
魔神も失禁しかねない形相の坊主が自分を見下ろしています。
目と目が合いました。
エリーザベトは今度こそ本当に悲鳴をあげたのであります。
「もう桜の季節ですねえ、お師匠さま」
「そうじゃのう、悟空」
西を目指す彼らは、遥かなる道を歩き続けます。
「春と言えば、卒業と同時に告白し、玉砕した後に仲間で集まって、近所のファミレスで失恋を癒しながらチョコパフェを食うのが風物詩だな」
「そうですねえ」
悟空は後ろを振り返りながら、思いついたように問い掛けます。
「そういえばお師匠さま、あの吸血鬼は仏法に目覚めたとおっしゃっていましたが、本当なのですか?」
「うむ」
三蔵は遠い雲間を眺めながら頷いた。
「仏の教えの具現としてやったわ」
「は?」
三蔵は不思議な笑みを浮かべて悟空に振り向きます。
「死ねば皆、仏じゃからのぅ」
目指すは仏の国。
仏法の道は果てしなく遠く、遠く、遠い。
「はるか西には、仏の国があるという」
「仏の国ですか……?」
「うむ。仏国こそ、天竺に違いない」
ああ、果て無き西遊記。
はるか西には仏の国。
間違いだらけの旅は、あながち間違いではない道行きを経て、ここにひとまずの完結と相成るのでありました。
<おわり>
それいけ三蔵法師オルタナティブ 西紀貫之 @nishikino_t
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