おたくは記憶の夢に沈む薔薇の蕾

もちろん純粋な記憶が自ら語り出すということは無く、それは過去=記憶と現在=意識の情動が往還することによって語られていくものです。
わたしたちはこの作品で、現在が過去に手を触れ思い出を語り出すのを見ることになるのですが、かつてその様をとある哲学者はこう語りました。

「結晶化」という言葉で。

さて、この作品の中で純粋なる記憶は、「おたく」として核となります。
その結晶核に触れた媒質が結晶化していくように、記憶はその様々な情動を語られる作品群とともに結晶化させてゆきます。

結晶核(「薔薇の蕾」)は、現在のときに触れて情動とともに自らを物語り、その様は作品群が結晶化し広げられていく様のようです。

わたしたちはきっといつもこころの底、深い夢の奥底に密やかに息づく薔薇の蕾を持ち、それはときとしておたくとしての顔を持つこともあるのでしょう。
わたしたちはある日夢の底でその蕾にそっと息をかけ、語り出すのをみるのです。

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