第六十五番ターミナル駅最終便

黄鱗きいろ

「第六十五番ターミナル駅最終便」

 その夢はいつも、とある鄙びた駅から始まる。


 駅とはいっても止まるのは電車ではなく、空を行き交う宇宙船。つまり俗に言う宇宙駅というやつだ。


 現に、その駅の本当の名は「第六十五番ターミナル駅」というのだが、地元の人間はただ「宇宙駅」とだけ呼んでいた。


 さて、この宇宙駅。ターミナルと名のつく通り、とある路線の終点に当たるのだが、そんなどう時代が動こうと発展する見込みもないこの場所に、代々駅長を務める酔狂な一家が住んでいた。父、母、娘の三人暮らし。一人娘の名はアカーシャという。


 どこから話を始めたものか。本当に最初から話を始めるのであれば、アカーシャの生い立ちから始めるべきだろう。


 アカーシャの父母は駅長という職に誇りを持つ人間だった。アカーシャもその血を色濃く受け継ぎ、駅長であることを誇りに思うようになっていった。他に将来の選択肢が無いことを周囲の人間は哀れがったが、アカーシャはそれを気にもしない。それどころか、幼いころから父母の仕事を見よう見まねで覚え取り、十四の歳にはもう立派な駅長として活躍できるまでになっていた。


 さあ、本題に入ろう。アカーシャの世界が一変したあの日の話だ。


 その日、最終便を見送ったアカーシャは奇妙な出来事に遭遇した。


 本来は中型宇宙船が通るべき、塗装の剥げた重力制御装置の道に、当然といった顔で白銀の龍が滑り込んできたのだ。


 煌めく鱗に長い髭。大きく裂けた口からは鋭い牙が覗いている。


 それは本当に前触れもない出来事で、アカーシャはひどく混乱した。混乱していたのだが、所属不明の宇宙船には名を尋ねる規則になっていたので、アカーシャはいつも通り声を張り上げた。


「そこの船舶、名前は?」

「ウムルメルト。……きみは?」


 思いがけず知性的な声が龍の口から響き、アカーシャは呆然としながらそれに答えた。


「私は、アカーシャ」




  *




 チープな電子音で奏でられるクラシック音楽に、彼女の意識は浮上する。目を開けると、可動モニターが笑顔マークを浮かべながら目の前まで迫っていた。


「おはようございます、マスター」

「……おはよう」


 にこやかな挨拶には電子音が混じっている。


 広い宇宙だ。一人きりの旅で心を病んでしまう者も多い。そんな人達のために開発されたセラピーAIは、この宇宙船にも搭載されている。


 なんでも高名なセラピストの脳を移植したものだとか、そうでもないだとかとディーラーは煩く説明していたが、特に興味のなかった彼女は、詳しい内容も聞かないままこの船を中古で買ったのだった。


 閑話休題。


 セラピーAIの用意した珈琲を飲みながら、彼女は今朝の夢を思い出していた。


 彼女は夢の続きを知っている。


 白銀の龍の暫くの滞在の間に、アカーシャはウムルメルトに好意を持つ。

 だってあんなに美しくて、しかも優しい龍が成り行きとはいえ自分と会話してくれているのだ。優しさを恋愛感情と勘違いしてしまうのもよく分かる。

 年若い彼女にとっては多分初恋だったはずだ。ウムルメルトが実際どう思っていたのかは分からないが。


 だけどそれ以上には何もない。アカーシャは駅長を続け、ウムルメルトはそのまま宇宙へと旅立って、それでおしまい。


 幼い頃から何度も見た夢だ。だが、それがただの夢ではないことも彼女は知っていた。


「目標コロニーの重力場を感知。宇宙駅への入港を開始します」


 宇宙船が重力レーンに乗り、緩やかに駅へと近づいていく。目的の人物はこのコロニーにいるはずだ。





「邪魔するよ」


 立てつけの悪い戸をやや乱暴にこじ開けると、いかにも探偵然とした男が、無精髭を生やして文机に突っ伏していた。


「依頼をしたい」

「はい、依頼、依頼ね」


 慌てて履物をはいて席をすすめるこの男が本当に腕利きの探偵なのか。彼女は訝しみながらも、どうせここまで来たのだからと一枚の人相書きを取り出した。


「こんなひとを知らないか? 白銀のたてがみと鱗をした美しい龍なんだ」

「龍、龍ね、その他に情報は?」

「ない。名前がウムルメルトということしか分からない」

「最後にいつどこで見たとか、交友関係とかも?」

「ない。頼めるだろうか」


 探偵の男は人相書きをまじまじと見つめ、それから頭をがしがし掻いた。


「あー悪いなお嬢ちゃん。この依頼は受けられない」

「何故」

「いくらなんでも情報が少なすぎる。これじゃあこの世に幾万といる龍の中から一匹を探し出すのなんて不可能だ」


 彼女にもこの情報で彼を探し出すのは難しいと分かっていた。だが、改めて現実を突き付けられ、彼女は目に見えて落胆した。


「……この近くにでかい宇宙酒場がある。色んな種族の奴らが出入りしてるし、そこだったらあるいは手がかりが見つかるかもしれないぞー?」


 探偵は慌てて、子供をあやすような口調でそう言った。


「そうか。邪魔したな」


 彼女はぴしゃりと音を立てて引き戸を閉めた。

 また空振りだった。次はどうするか。

 しかめっ面で探偵事務所を後にする、彼女の名前もアカーシャという。




  *




 その夢はいつも、とある鄙びた宇宙駅から始まる。


 宇宙駅には代々駅長を務める一家が住んでおり、一家の一人娘の名はアカーシャといった。


 だが、アカーシャはアカーシャであってアカーシャではなかった。


 いや何、哲学的なことを話そうというのではない。アカーシャはかつて白銀の龍に出会ったアカーシャとは同一人物ではなく、しかしその記憶だけは何故か今のアカーシャにも受け継がれていたのだ。


 生まれ変わり、とでも言えば分かりやすいだろうか。


 それでも今のアカーシャが過去のアカーシャと別人である証拠は一つある。それは今のアカーシャは駅長の仕事を嫌っているという点だ。


 宇宙駅の周辺は端的に言って田舎だ。若者が遊ぶところもなければ、宇宙駅以外の交通手段もなく、気軽に他の小惑星に遊びに行くこともできない。そんな田舎が二度目のアカーシャは大嫌いだった。


 だけれど、そんなアカーシャにもやはり転機は訪れる。


 その出来事は、かつてのあの時のようにアカーシャが最終便を見送った後に起こった。


 突然、どずんと重い音が響き、駅舎の屋根に何かが降ってきたのだ。


 駅舎の屋根にへばりついていたのは、アカーシャの知るどの動物にも似つかない奇妙な生き物だった。目は三つ、足は八つ。ヘドロのような色。鼻につく異臭。全身に毛はなく、皺の寄った皮に包まれている。端的に言ってしまえばそれは、醜い異形の怪物だった。


 だが、それを目にした瞬間、アカーシャは叫んでいた。


「お前、ウムルメルト!」


 姿形は違っても、何故かアカーシャには確信があった。怪物は頭部から突き出た三つの眼を大きく見開いた。


「まさか、アカーシャか?」


 不思議なことにかつての姿からはかけはなれた存在になったウムルメルトにも、あの時の記憶は残っているようだった。


 それから始発便が出るまでの間、二人は無邪気に再会を喜び合った。アカーシャの家族や近所の人間が遠巻きにそれを眺めていたが、そんなことアカーシャには全く気にならなかった。


 そんなことよりもただ、かつての想い人と再会できたことだけが嬉しかったのだ。


 だがそんな時間も長くは続かなかった。


 空が白み、始発のベルが響きわたる頃、ウムルメルトは切り出した。


「行かなければならない」

「何故」

「ここにいてはきみたちの邪魔になる」


 駅舎の屋根をみしみしと踏みしめながらウムルメルトは言う。周囲の人垣から悲鳴が上がった。


 そんな様子を後目に、アカーシャは少しだけ悩んで、こう切り出した。


「私も連れていけ」

「……駄目だ。きみはまだ子供だ」

「子供だから一緒に行けないのか」

「そうだ」


 その時のウムルメルトの眼差しは小さな子供を見るそれだった。アカーシャは悔しくなって、ウムルメルトを指さして叫んだ。


「だったら約束しろ。私が大人になったら、ここに帰ってこい」

「……分かった、約束しよう」


 ウムルメルトは首らしき場所を動かしてゆっくりと頷いた。




  *




 不機嫌そうに眉を寄せながら、今日見た夢をアカーシャは反芻する。あれも幼い頃から何度も見た夢だ。結末は知っている。


 結局、ウムルメルトは帰ってこなかった。

 ウムルメルトは約束を破ったのだ。


 それが自らの体躯を思ってのことか、はたまた醜い見目を恥じてのことなのか、それとも他に理由があったのかはアカーシャには分からない。ただアカーシャのもとには、向ける相手のない苛立ちだけが残された。


「こんなひとを知らないか? 目は三つ、足は八つ。色はヘドロで、はっきり言って臭い。毛は生えていなくて、全身がしわくちゃな怪物なんだ」


 酒場で相席になった異形に、人相書きを見せる。異形は分厚い唇でにんまり笑った。


「どうだったかなあ、お嬢ちゃんが俺に飲み勝てたら思い出すかもなあ」

「分かった。勝てばいいんだな」


 アカーシャはにやりと笑うと、グラスを手に取った。





「驚いた。まさか本当に勝負を受けるとはなあ。お嬢ちゃん、ちょっと手加減してやろうか? がっはっは!」

 注ぐ、飲む。

「お。嬢ちゃん案外いけるクチだねえ!」

 注ぐ、飲む。

「がっはっは! さあ飲めどんどん飲め!」

 注ぐ、飲む。

「はは、ちょっと酔いが回ってきたみたいだ」

 注ぐ、飲む。

「へ? なんだっれ? 酔ってない酔ってない……」

 注ぐ、飲む。注ぐ、飲む。注ぐ、飲む。

「うぐ、も、もう無理ら……。参った参った! 降参ら! 知っへることはなんれも話すから許ひてくれえ!」





「マスター、二日酔いの症状が出ているようです」


 医療用のキットをおすすめするアイコンがいくつも空中にポップアップしている。それらを鬱陶しそうに手で追い払うと、アカーシャは再び便器に顔を突っ込んだ。


 結局、宇宙酒場では、ウムルメルトの手がかりは得られなかった。その代わり、教えられたのはとある情報屋の存在だ。


「今度は情報屋か……」




  *




 その夢はいつも、とある宇宙駅から始まる。


 宇宙駅には代々駅長を務める一家が住んでおり……、いやもうこの辺りは割愛しよう。


 三度目のアカーシャには、一度目と二度目のアカーシャの記憶があった。つまりウムルメルトと出会っては別れる記憶だ。


 この時になるとアカーシャはなんとなく勘づいていた。きっと十四の歳になればまたウムルメルトはここを訪れるのだと。


 ところで、その宇宙駅の周辺はかつてでは考えられないほどの発展を遂げていた。その要因となったのは、何故かこの駅の近くにできたレジャーランドだ。


 最初は交通の便の悪さからそれほど儲かってはいなかったようだが、提携しているカートゥンが宇宙的大ヒットを飛ばしたことによって、今ではそのレジャーランドは宇宙各地に百を超える支店を持つ巨大企業となったのだ。


 こうして発展した人通りの多い駅の柱に、ある日ウムルメルトは繋がれていた。


 三度目のウムルメルトはシュルドヴィクネチカという種類の動物だった。シュルドヴィクネチカは愛玩動物として人気の高い動物だ。人語は解さないが、簡単な命令を聞き分けることはできる。忠誠心が高く、主人と認めた者には生涯尽くすとされており……。やめよう。シュルドヴィクネチカは極めて犬に近い動物なので今後は犬と呼ぶことにする。


 アカーシャは犬のウムルメルトの横で、柱に凭れて地面を蹴った。


「帰ってこなかった」

「……」

「約束したのに」

「……すまない」


 犬のウムルメルトはそう答えた。だが、周囲の人間にはその声は犬の鳴き声に聞こえているようであった。アカーシャは目を伏せた。


「また私を置いていくのか」

「私には主人がいる。私は私の行動を自由には決められない」


 背を伸ばして座り込む「おすわり」の姿勢でウムルメルトは答えた。そうしてその後、申し訳なさそうにアカーシャの顔を見上げた。


「……すまない」


 アカーシャは涙が出そうになるのをこらえながら、言葉を絞り出した。


「ただいま、だ」

「ただいま?」

「ここはお前が帰ってくる場所なのだから、お前は「ただいま」と言うべきだ」

「……ああ、そうだな」


 アカーシャは袖で目をごしごしと拭った。


「また帰ってこい。私はここで待っているから」




  *




 薄暗い階段をアカーシャは下りていく。壁には前時代のポスターや啓蒙的文章がずらりと並び、低い天井に備え付けられた白熱電球がほのかな熱を放っている。


 突き当たりのドアを押し開けると、一人の男が机に腰掛けて待っていた。奥の壁では換気扇がからからと回っている。


「ようこそ、情報屋へ。アンタが来ることは分かっていたよ」

「……どうも」


 アカーシャは警戒も露わに情報屋を睨みつけた。


「どんなことが知りたいんだい? 必ずお望みの情報を調達しよう。……代償は大きいがね」


 アカーシャは人相書きを情報屋に突きつけた。


「こんなひとを知らないか? 茶色の毛並みでこれぐらいの大きさのシュルドヴィクネチカ、名前はウムルメルトというんだ」

「おや、随分と情報が少ないね」


 情報屋は芝居がかった仕草でそれを受け取った。そして顎に手を当てて考え出す。


「だが、ウムルメルト、ウムルメルト……。その名前どこかで……」

「知ってるのか! どこだ、どこにあいつはいるんだ!」

「まあ待ちなさい、今思い出すから……、あ。」


 何かに思い至ったのか、情報屋は間抜けな声を上げて一気に青ざめた。


「あーだめだ。お嬢さん悪いが他を当たってくれ」

「待て! あんたはウルムメルトを知っているんだろう!」


 アカーシャは情報屋の肩をつかんで揺さぶった。


「売ってはいけない類の情報もあるんでね。……頼む。分かってくれ。これを売ったら俺の命が危ういんだ」




  *




 その夢はいつも、とある宇宙駅から始まる。


 四度目のアカーシャは、とあるプライベートシップの入港に立ち会っていた。時刻は最終便間際だが、その船の入港のために定期便は全て運休だ。無数の旗に迎えられ、その宇宙船は駅へと滑り込んできた。


 最初に出てきたのは真っ黒な制服の男たち。軍人だろうか。それともボディガードだろうか。そんな男たちに守られるようにして出てきたのは白銀の髪を持つ半龍半人の男性だった。


 一目見ただけでアカーシャには分かった。


「ウムルメルト!」


 思わずといった様子で駆けだしたアカーシャは、当然といえば当然だが、すぐに周囲のボディーガードたちに取り押さえられた。


 振り返ったウムルメルトは少しだけ驚いた顔をして、アカーシャを拘束しようとする部下たちを制した。


「……いい、通してやってくれ」

「はっ、しかし」

「いいんだ」


 アカーシャは促されるままに黒塗りの車に乗せられ、この付近では最も高級なホテルの一室に通された。


 そうして護衛たちを全て部屋の外に追い出してしまってから、ウムルメルトは申し訳なさそうに微笑んだ。


「すまないな、驚かせて」

「すまない、じゃないだろ」


 ちょいちょいと指を動かして、アカーシャは促す。

 ほら、他に言うべきことがあるだろう?

 ウムルメルトはすぐに思い至ったようで、照れくさそうに笑った。


「ただいま、アカーシャ」

「おかえり! ちゃんと帰ってきたんだな!」


 アカーシャはウムルメルトの腰に抱き着いた。そんなアカーシャの頭を彼は優しく撫でた。


「今は何をやっているんだ? 今日は何をしにここへ? 今度こそ一緒に連れてってもらうぞ!」


 頭を撫でていたウムルメルトの手が止まった。


「……だめだ」


 険しい顔できっぱりとそう言うウムルメルトに、アカーシャは食い下がった。


「今度はなんだ、種族か? 年齢か! 残念ながらこっちは準備万端だ。食料も通信機もあるぞ。ちょっと古いが宇宙服だって用意したんだ。足手まといにはならない。だから……」

「戦争なんだ」


 ウムルメルトはアカーシャの肩を掴んでそう告げた。アカーシャは押し黙った。


「もうすぐ戦争が始まる。私はそこへ向かうんだ。……きみを巻き込むわけにはいかない」


 ウムルメルトは苦しそうな顔でそう言った。

 それでもなお食い下がれるほど、アカーシャは子供ではなかった。何しろアカーシャは一人前の駅長だ。大人たちに交じって責任を果たせる立派な駅長だ。

 悔しくて、悲しくて、アカーシャは涙を流した。


「帰ってこい。絶対にここに帰ってこい」


 ウムルメルトは頷いた。


「ああ、約束しよう」




  *




「マスター、精神状態に乱れが見られます」


 耳元のスピーカーから安っぽいセラピー音楽が流れ出す。ポップアップしたアイコンには数値化された精神状態が反映されている。


「マスター、睡眠はベッドで取ることをおすすめします」


 空の酒瓶がそこかしこに転がっている。アカーシャは机に突っ伏したまま答えない。


「マスター、そのままでは風邪を――」

「うるさい!」


 アカーシャは声を荒げる。セラピーAIは即座にモニタの電源を落とした。


 あの後、四度目のアカーシャはウムルメルトを待ち続けた。戦争が始まり、街が焼け、攻撃的な宇宙船が飛び交い、そのうち寄りつく人も少なくなって。遂に戦争が終わっても、ウムルメルトは帰ってこなかった。


「嘘つきめ……」


 アカーシャはグラスに残った酒を一気に呷った。

 アカーシャは五度目のアカーシャだった。

 それまでのアカーシャと同様に、宇宙駅の駅長の娘として生まれ、駅長として育ち、ウムルメルトが訪れる時を待っていた。

 十四になればきっとウムルメルトは来てくれる。最初はそう信じていた。

 十四の時、アカーシャの前にウムルメルトは現れなかった。十五、十六の時はきっとそのうち現れるだろうと思っていた。十七、十八、十九と歳を重ねるごとに徐々に不安は募り、遂にアカーシャは少女とは呼べない年齢にまでなってしまっていた。


 アカーシャは待ち続けるのを止めた。


 一人前の駅長だったアカーシャには宇宙域の勢力図の知識も、宇宙船を操る技術もあった。


 まずアカーシャは代わりの駅長を探し、仕事を全て引き継ぎ、駅の付近で見つけた廃棄寸前の宇宙船を買い取った。父母はアカーシャが宇宙駅を離れることを残念がったが、ほとんど無理矢理説き伏せた。


 そうしてアカーシャは記憶を頼りにウムルメルトを探し始めた。

 だけど、それももうおしまいかもしれない。


「セラピーAI聞いてるか」

「はい、マスター」


 可動モニタが滑り寄ってきて点灯する。モニタにはシンプルな線で描かれた心配そうな表情が映っている。


「なあセラピーAI、こんなひとを知らないか?」

「はい、マスター」

「白銀のたてがみと鱗を持ってて、ヘドロ色で臭い怪物で、茶色のシュルドヴィクネチカで、白銀の髪の龍人で……」


 セラピーAIはモニタを少しだけ傾けた。


「ひどいやつなんだ」

「……」

「何度も私を置き去りにして」

「……」

「今度は遂に帰ってこなかった」


 アカーシャは椅子の上で膝を抱えた。顔を膝に埋め、彼の名前を呼ぶ。


「ウムルメルト……」






 ――ぽん。





 間抜けな音が宇宙船に響いた。顔を上げると目の前にポップアップし、ふよふよと浮かんでいる一つのアイコンが。


「なんだこれ。……ファイル名は、〇一四機密ファイル?」


 アカーシャが触れる前にファイルは勝手に展開され、膨大な光の情報の束が宇宙船に満ちた。壁に投影される数式。青白い光。


 アカーシャが次に目を開けた時には、光の文字群は消え、沈黙するセラピーAIのモニタだけがあった。


「……セラピーAI?」

「知っているとも」


 電子音でセラピーAIは答えた。だけど今までとは何かが違う。


「遅くなってすまない」

「え……」


 これは何を言っているんだ。

 まるでひとのように話すAIを茫然と見上げながら、アカーシャはこの宇宙船を買った時のことを思い出していた。


 ディーラー曰く、AIの元になったセラピストはとある企業の秘密実験で意識を取り出されたのだとか。


 事件が発覚したあと他のAIは処分されたが、このAIだけ横流しされて助かったのだとか。それはちょうど十数年前のことだっただとか。この宇宙船はどれだけAIを改修しても本来の航路から外れてあの駅の近くへと戻ってきてしまうのだとか。


「いや、違うか。こう言うべきだったな」


 アカーシャはようやく気がついた。

 声が違っても、姿が違ってもアカーシャには分かる。

 このひとは――





「ただいま、アカーシャ」





(了)

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