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ああ。ただひたすらに、赤々と。


 このまま終わってもいいけれど、最後に、その後についての報告を少し。


 銀は、もう暴れない事と、猫として生活する事を条件に、行く当ても無いしする事も無いと言うので療養を兼ね、一番合戦さんが暫く家で預かる事になった。野良猫を拾ったという体でご両親には説明しており、めちゃくちゃ食べるしどこに行くにも付いて来ると、一番合戦さんから苦笑交じりの話を聞く。長年のれ違いも解消出来た二人の関係は良好なようで、一番合戦さんも自分が赤猫である事について、いつかはご両親に話したいと考えているそう。


 赤嶺さんは、戦いによる負傷は僕と同じく、一番合戦さんによる血で治療させて貰ったものの、魂喰たまぐらい死炎しえんを用いた代償による髪色の変化などは、どうにも出来なかった。あれは傷病ではなく呪いに近いもので、自分の血ではどうにも出来ないと、一番合戦さんも申し訳無さそうに肩を落としている。でも赤嶺さんは、「分かった上で使ったんだからあんたが気にする事じゃない」と、ばっさりとあしらった。魂喰たまぐらい死炎しえんを用いた時間もごく僅かなものだったらしく、代償も白髪になってしまったのと、視力の低下という軽度のもので済んだようで、尚の事気にするものでは無いし、「髪なんて染めればいいし、目が悪いなら眼鏡かければいいじゃない」と。


 僕も分かっていたとは言え罪悪感は感じていたけれど、気にしないで欲しいと懇願された。「覚悟を決めて生きるっていうのは、こういう事でしょ?」と。確かにそうだと、頷いた。僕だって赤嶺さんに心配されていると分かった上で、銀と戦うという危険な道を選んだんだから、お相子だ。お相子と言うか、人の事を言えた立場じゃないし、人がどう生きるかを決めるかだなんて、確かにそういう事なんだと思う。


 折角だし一緒に戦ってくれたお礼にと、僕から映画でも観に行こうとお誘いしておいた。赤嶺さんが、魂喰ノ死炎を用いた事を家に報告するのと、表には見えない代償を持って行かれているかもしれないから、病院で精密検査を受ける為に帰宅する事になったので、それが一段落したら出掛ける予定。


 町の人々に忘れられていた塗壁ぬりかべは一番合戦さんからの提案により、豊住さんと共に町の守り神――。土地神とちがみとして復帰しないかという話になっている。塗壁は、一番合戦さんは勿論、強力な豊住さんにも認識して貰えば存在し続ける事が出来るし、一番合戦さんが近々お金を出して神社を修復する予定なので、豊住さんも塗壁と一緒にそこに住めば祀られる事になり、神に成り上がった形に出来るので、もう手配書に載せられて、逃げ回る事もしなくていいと。まあ尤も豊住さんは、自分がそういう形に収まるのは面白くないらしく、今日も一番合戦さんと議論を続けている。


「いいってだから。柄じゃないよ神様なんて」


 公園のベンチに掛ける豊住さんは、鬱陶しそうに手を振った。


 怪我はもうよくなったのか、今日も着ている黒いワンピースから伸びた手足からは、包帯が外されている。


「土地神なんかになったら、町の外に出られないじゃない」


 明日に終業式を控えた一番合戦さんは制服のまま、豊住さんの隣に掛けて訴えた。


「……確かに出られはしなくなるが、悪い話じゃないだろう? 土地神になれば、お前も堂々とまたここで暮らせるし、手配書からも私から申請して、削除する事が出来でき

「こんな退屈な所で一生を過ごすなんて無理無理無理」

「……お前元々は農家のしもべだったじゃないか」

「知りません。もう全国を旅する生活に慣れました」

「指名手配犯の間違いだろ……」

「指名手配犯と言えば聞いたけれど、明暦の大火、起こしたの一番合戦さんなんだって? 何でまたお上に喧嘩を売るような事」

「喧しい喧嘩を売ってきたのは向こうの方だ。……別に飼われてはなかったけれど、よくしてくれた人が、幕府に殺されたんだよ」

「それで江戸を燃やすって、もうその人に飼われてると思うけれど」

「違うわ馬鹿」

「はあおっかないねー女の執念は」

「お前だって四〇〇年も大昔の事ネチネチ引き摺って来ただろうが」

「聞き捨てならないんだけれど。そもそも百鬼の時間感覚は、人とも獣とも違います。大妖怪になろうと所詮は野良猫の感覚が染み付いておられるようですね」

「喧嘩売ってんのかお前」

「勝てると思ってるの?」

「鬼討として戦えば火が使えなくても余裕だこのタコ」

「斬れなかったくせに大きな口を叩くじゃない」

「…………」

「…………」


 暫く二人は睨み合うと、示し合わせたように同時に吹き出す。


 笑いが治まってきた所で、豊住さんは言った。


「馬鹿みたい」


 手を口元にやったままで、まだ肩は揺れている。


 皮肉っぽい言葉なのに、全く嫌な気持ちはしなかった。


「だな」


 中々治まってくれない笑いに、一番合戦さんも困りながら返す。


「何なんだろうね。長かった。ここまで来るのに。何十年も歩いて来た気分」

「まだ二年が経ったばかりだろ」

「体感的にだよ。全く野暮なんだから」

「酔狂なつもりなんだがな」

「それは言えてる。あなたは物好き。分かってたくせに、こんな厄介者を受け入れるなんて」

「それにほだされたお前は、全くちょろい女だ」

「かもね。もう顔も思い出せなくなったあの人の言葉を、四〇〇年も柱にして、生きてきたんだから。優しい人なら、案外誰でもよかったのかもしれない。これは別に、あの人への裏切りではなくて、単なる方向転換だと分かったよ。生きていく内に変わる事は、全てが罪ではない」

「成長と言うんじゃないのか。そういうの」

「確かに大人になると子供の頃の感覚が、寂しくなったり懐かしくなるっけ」

「きっとそんなもんさ」

「あなたは変わらないでいて欲しいけどね」

「ん?」

「独り言。それじゃあ、そろそろ行くよ」


 豊住さんは腰を上げると、一番合戦さんから離れる。


 そのまま歩き去るつもりだったのか、最初からそうするつもりだったのか。どちらとも見れる足取りを止めると豊住さんは、一番合戦さんへ振り返った。


「ねえ一番合戦さん。私達、友達じゃないよね?」


 呼びかけられた瞬間応えようとした一番合戦は、開きかけていた口を閉じる。


 そしてほんの少し、考えるような、噛み締めるような顔をした。然しその表情は穏やかで、最初から決まっている返事を、ただ奥から引っ張り出してきたようで。


「……そうだな。友達じゃない。気の毒だとは思ってるけれど、私はお前のやった事を許さないよ。当然割り切れなかった、私の弱さも」


 豊住さんも同じような、安心したような顔で応える。


「私もあなたを許さない。赤猫であったとしても、鬼討としての責務を情で蔑ろにした事と、何にも知らないで偉そうに、何とか私を救おうとしていた事を。過ちと分かっている上で犯そうとしている罪を、裁くはまだしも引き止めようとするなんて、傲慢にも程がある」

「そうありたいと、そいつが願ったんだもんな。叶おうが破れようが、果たせなくともそういたいと。何を失うかなんて、そんなの全部分かった上で」

「そういうちゃんと覚悟を決めてる悪は、黙ってぶった斬ればいいんだよ。この期に及んで問答なんて、粋じゃないにも程がある」

「お前は悪のカリスマか」

「まあ確かに、ラスボス的な位置に憧れはあるけれど」

「洒落にならん」

「天下の常時帯刀者の赤猫様が、一体何を言うんだか。ねえ九鬼くん?」


 バレてたか。


 公園の入り口に立って、二人を見守っていた僕は苦笑する。


「気付いてたんなら、混ぜてくれてもよかったんじゃない?」


 僕の軽口に、豊住さんは笑った。


「冗談。私、一番嫌いなのはあなただから。去年はまあ見事に邪魔をしてくれて」

「君の事なんて知らないよ。あの時は、一番合戦さんの事さえよく知らなかった」

「女の喧嘩に横槍だもんね。君も相当な物好きだよ」

「それぞれ生きたいように生きてただけさ。どう生きるかなんて、人の顔色を伺って決めるような事じゃない」

「全くね。全く全く、揃いも揃って真っ赤だよ――」


 どうしてかその瞬間、彼女が何を放つのか分かってしまう。


 きっと全然違うけれど、友情ってやつだろう。


 一番合戦さんも僕と同じようで、小さく微笑む口を開く。


 豊住さんも僕らの動きを分かっているようで、敢えてそのまま言葉を継いだ。僕らと同じく、馬鹿みたいだと言いたげな笑みを浮かべて。


「嘘偽りの無い、赤心せきしんに」



 その言葉は打ち合わせでもしていたように、僕達三人の声に色付いた。



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鬼討《おにうち》 木元宗 @go-rudennbatto

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