第8話 カボチャに思いをこめて

「はあーだりぃなあ……」

 木枯らしの吹く昼下がり。昨日よりは少しましな気がする陽気の中、俺は口癖になったセリフを吐き出した。背後で、めざとく聞きとがめた倉田さんがこっちを振り返る気配がする。


「だーかーら、辛気くせえため息をつくな」

「だって疲れたんすよ……今日はもう休業っす」

「それはおめえだけだ。店は休んでねえ。十月の赤字を取り戻すためにも働け」

「赤字なのは全面的に倉田さんのせいじゃないですか」


 ストレートな指摘をしてしまった次の瞬間、あっという間にゲンコツが飛んでくる。倉田さんは、相変わらず手が早くて乱暴な人だった。いい大人なんだから、どうにかしてほしい。

 俺はイタタと後頭部をさすりながら、色んなことがありすぎた昨日一日を思い出していた。

 


 あの後、もちろん目一杯怒られた。俺と樹里は病院の色んな人に入れ替わり立ち替わり怒られて、ひたすら頭を下げて謝った。全部俺が考えましたと言い張るつもりだったのだが、樹里が自分も一緒に計画したのだと言って黙っていなかったし、途中で宮野さんまで出てきて庇ってくれて、俺一人の責任には全然ならなかった。こういうところが、本当に俺はまだガキだと思い知らされたのだった。

 その間、倉田さんも別所で怒られていたらしい。まあこれは当然だろうし、あんなメチャクチャな方法を選んだのは倉田さん本人である。しかも、無料配布なんかして大損かぶったにも関わらず、「いいハロウィンだった」なんて晴れ晴れとした顔をしているのだから、俺はまったく同情していない。



 結局なんだかんだ夜までには解放されて、俺はこうしてまた日常に戻ってきた。

 しかし、さすがに昨日の今日でバリバリ働く元気なんてない。朝から販売車のカウンターでぐったりしている俺を、倉田さんはバカにしたりケラケラ笑ったり。遠慮のない人である。


「……ま、おめえにしちゃ頑張ったな」


 頬杖をついてぼうっとしていると、突然そんな言葉が飛んできた。口調はいつもと変わらないから、バカにしているだけなのか違うのか、判断に迷う。

「なんすかその、俺にしてはって」

「一応ほめてんぞ? いつもダラしなくて覇気がなくてやる気ないお前にしちゃあ、砂粒程度はちったあマシな顔してたな、昨日は」

 褒めてるといいながら、結局バカにしているだけではないだろうか。

 まともに返すのも馬鹿らしく思えて、かわりに俺はふと浮かんだ疑問を口にする。


「……なんで、そんなダラしなくて覇気がなくてやる気ない俺なんか、雇おうと思ったんすか」


 最初からずっと不思議に思っていたことだ。倉田さんは、なぜこんな自分に声をかけたのか。そしてなぜ、店員にしようなんて思ったのか。


「お前、俺の店の周り何度もウロついてたろ。俺も丁度、一人くらい助手がいたら楽なのになーって思ってたしな」

「だったら、こんな行きずりの素性もわからないヤツじゃなくても……」

「苦しそうだったからな」

「え?」

「居場所がない。自分が何者なのかわからない、なんでもいいから自分を定義してくれって、そんな顔してた。ただの店番でも、役割がないよかマシと思ってな」


 そう言われて、俺は倉田さんに背を向けたまま黙り込む。そんな俺に、倉田さんは呆れたように笑う。


「大体な、悩み方が贅沢なんだよ。限られた選択肢しかない人間は、自分が何をしたいかなんて悩まないんだ。てめえがクドクド悩んでんのは、いくらだって選択できる未来があるからだよ」

「……」

「自分が何者かなんて、誰も教えちゃくれねえよ。親父さんだってもうお前の手を引いちゃあくれねえ。自分がやりたいことなんざ、自分で見つけるんだな」


 そういう倉田さんは、きっとやりたいことを見つけた人なのだろう。なんでその見た目でドーナツ屋なんて始めたんすか――その答えは、昨日の無料配布中、子どもたちに囲まれて嬉しそうに笑う倉田さんを見ていれば、愚問のように思われた。


「せいぜい悩んであがけよ、未来ある青少年くん」


 振り返った先に、ニヤリと笑う倉田さんの笑顔がある。言い方はどこまでも雑だったけれど、がんばれよと、そう言われている気がした。

 倉田さんは乱暴で粗雑な人だけど、同時にとってもいい人でもあった。



***



「樹里!」


 ポプラ並木の通りに女の子の姿を見つけ、俺は販売車から出て走り寄る。樹里の格好は、ごく普通の女の子が着るようなピンクのワンピース。そこにいるのはもう、ハロウィンのカボチャの魔女ではない。


「わざわざ来たのか? どうしたんだ?」

 樹里は俺の問いにすぐには答えず、下を向いたままなぜかモジモジしている。その両腕には、カボチャのジャックがぎゅっと抱きしめられていた。

 ハロウィンは終わったのに、なぜまだジャックを持っているのか。そんな思いと同時に、俺はふと疑問に思う。


「なんで、カボチャの魔女って名乗ったんだ? ジャックを持ってただけが理由じゃないだろ?」


 樹里はチラリと俺の方を見て、再び視線を下に向ける。

「……おかあさん、カボチャがだいすきなの。毎年、ハロウィンにはジャックをつくって、中にお菓子をいっぱいつめて、それとは別にカボチャパイもつくってくれたの。それで、わたしが学校からかえるのをまってたの」

「今年はお母さんに、同じことをしようと思ったのか?」

「うん。今年はおかあさんのかわりに、おとうさんがジャックをつくってくれたの。だから、それとお菓子をとどけようと思って……」

 一生懸命に話す小さな少女を、俺はそっと見下ろしていた。


「カボチャを届ける魔女ってことか。お母さんが大好きなものを、名前にしたんだな」

「……うん」


 樹里の母への思いと、母の樹里への愛情。そして父の愛までもがこのジャック・オー・ランタンには宿っている。カボチャの魔女という名前は、両親の愛と、そして一人の少女の決意がこもった、とても素敵な名前なのだった。

 強い光を宿した樹里の目が、今度こそ俺を真っ直ぐに見上げてくる。そしてその小さな両腕いっぱいに、カボチャのジャックを持ち上げる。


「これ、翔にあげる」


「え?」

 真っ先に俺の口から飛び出したのは、戸惑いの声だった。

「でも、これはお母さんに……」

「あの部屋にいるあいだは、わたせないもん。わたし、翔にもらってほしい。翔は、すてきなマホウつかいで……カボチャの魔女のいちばん弟子、だから」


 それでも俺は動けずにいた。こんな思いのこもったものを、俺なんかがもらっていいのか。もっとふさわしい人がいるんじゃないのか。

 けれど、俺がそうやって立ち尽くしている間にも、樹里はあまりにも真っ直ぐな瞳で俺を見つめている。その真剣そのものの表情を見た途端、迷いはどこかへすっと消えていった。


「――ありがとう」


 そっと手を伸ばしてカボチャを受け取る。樹里はチラチラと俺を見ながらはにかんだように笑っている。

 ありがとう。ともう一度繰り返しながら、俺は心の中でつぶやく。――俺も、そろそろ決めないといけない、と。

 こんな小さな少女が、お母さんのために魔女になる決意ができたのだ。その弟子である自分だって、その強さを見習わないといけない。そして初めて、このカボチャを受け取る資格があるのだと、そう思った。


「……樹里。お前、お母さんに治ってほしいか?」

「あたりまえでしょ!? そんなバカなしつもんするなんて、弟子をとりさげるのよ」

 手厳しい言葉に、思わず俺は苦笑いを隠せない。樹里はやっぱり、初めて会った時と同じ、勝ち気な少女なのだった。

 そんな強くて弱い彼女を見つめて、俺はそっと口を開く。


「じゃあ、俺がもっとすごい魔法を使えるようになって、お母さん治してやるから」


 密やかな魔法の呪文のように、大切に言葉を紡いだ直後、樹里はキョトンとした顔をする。そして一瞬だけ泣きそうな表情に変わった後、頬を赤らめてうつむいたのだった。


「……まってる」


 ちゃんとすべての意味が伝わったのかはわからない。でも俺は、その言葉だけで十分だと思った。

 この決意は俺の中に、確かに存在しているのだから。


 ――翔くん、あなたに伝えたいことがあるの。


 昨日、ようやく怒られ終わって帰ろうとした直後、宮野さんに伝えられたことがある。

 俺たちが思いのほかあっさりと解放されたのは、父が人知れず裏で頭を下げてくれたからだということ。そして父がぽつりと宮野さんに漏らしたという一言――〝翔には間違った道へ行ってほしくなくて、厳しくしすぎたかもしれない〟と。


 多分、親としての父は決して正しくはなかった。でも、父のレールの上に甘んじていただけの俺だって、正しかったはずがない。正しくない者同士、こじれにこじれた俺たちの関係は、それでもすべてが遅すぎるなんてことはないと信じたい。まだやり直せると、届く言葉があると信じたい。

 その証拠に、「やりたいことがあるなら、自分自身で考えて決めろ」という昨日の父の言葉は、おそらく口下手な彼の後悔の混ざった精一杯の言葉であり。

 そして俺は、そんな父の後を追いかけると決めたのだ。


「おう、待ってろよ。すっげえ魔法使いになるからな」

 

 小さなことでいちいち足踏みをして、倉田さんに笑われる。そんな不完全な俺は、多分樹里なんかよりよっぽど弱い。そんな自分が医者を目指そうなんて、思い上がりだろうか。この選択は、果たして正解なんだろうか。

 でも――これは誰に言われたわけでもない、俺の意思で決めたことだ。樹里のお母さんみたいな人を助けたいと思った、俺自身の決意だ。

 これは誰のものでもない、俺自身の道なのだ。



 俺の腕の中には、カボチャの魔女から受け取った、ジャック・オー・ランタン。

 俺はそれを、あたたかい気持ちとともに、しっかりと抱えなおす。


 きっと――ハロウィンの魔女は、俺にも魔法をかけていったに違いない。

 消えることのない、優しいカボチャの魔法を。


(終)

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小さな魔女とカボチャの魔法 井槻世菜 @sena_ituki

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